宗茂

宗茂
– Muneshige –
 
 
銘鑑によると江戸中期の元禄頃、山城国に宗之の子、山城明壽五代目と言う宗茂が見られますが、本刀初見につき詳細は不明。
 
中心反りやや深めで重ね厚く、身幅広めで切先延びた豪壮な造り込みが印象的な一刀。地鉄は杢目肌が少しく肌立ち、匂口明るく冴えた刃文は直刃調子に互ノ目や尖り互ノ目を交えて節立たせ、刃中には小足が入り、砂流かかり、愛らしい動物の足跡のような小さな飛焼も見られます。
 
附属の拵は藍鮫を研ぎ出しにした革巻柄の江戸肥後拵で、実用的でありながらも格式高い仕上がりとなっており、白鞘と継木も附属していますので保管も安心。お求め易い価格で御案内致しますのでお見逃しなき様ご注意ください。
 
裸身重量798グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1117グラム。
 
 
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無銘

cm1047
無銘
– Mumei –
 
 
反り浅目で元先の差が広がらず、切先やや延びごころの力強い体配。地鉄は変わり鉄を混じえた小板目鍛えで、刃文は直刃調に互ノ目を交えている。
 
現状では指表の物打下辺りに錆が見られるも、地刃の観賞は可能であり、二尺四寸弱と頃合いの刃長は、現代人の居合稽古刀としても最適な長さ。お求め易い価格で御案内致しますので、刀剣趣味初心者のみならず、武用刀をお探しの方にもお薦めの一刀です。
 
裸身重量717グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1029グラム。
 
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國次(宇多) ~本多家伝来~

國次(宇多)
– Kunitsugu(Uda) –
 
 
宇多派は國光を祖とし、南北朝時代に國房、國宗、國次等の刀工が活躍し、室町期に亘って栄えました。國次は銘鑑によると國光の弟、時代南北朝、延文頃、現存作は未見という)を初代とし、室町時代後期まで同名で数代存在します。
 
この脇指は室町中期頃の國次を思われます。
板目肌よく練れて少しく肌立って地景交えた精美な地鉄に、匂口明るく冴えた小沸出来の互の目乱れを焼き、細かな金筋・砂流しを交え、特筆すべき疵欠点が無い傑出の出来栄えは見事の一言に尽きます。
 
附属の拵やはばきからもお判り頂ける通り、徳川四天王の一人として名高い本多忠勝の系譜である本多家の蔵刀であり、黒蝋塗の上品な拵には、竹に虎図の鐔と鳳凰図の縁頭がかけられ、指裏には五三桐紋散しの小柄が添えられています。
立葵紋が刻されたはばきの上貝、切羽、栗形に添えられた鵐目金具等は全て金無垢。はばきの下貝も銀無垢と、贅を尽くした拵は、誉れ高き本多家に相応しく、内外共に価値高い逸品ですので、是非とも特別保存審査を御受審下さい。
※切羽10.8g はばき上貝10.9g
 
裸身重量336グラム。  拵に納めて鞘を払った重量572グラム。
 
 
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無銘(直江志津)

無銘(直江志津)
– Mumei(Naoeshizu) –
 
 
直江志津は南北朝時代に美濃国の直江村で作刀していた刀工の一派で、「正宗十哲」の一人に数えられる兼氏が、同国志津村に来住して作刀活動を行なったことから志津三郎兼氏と称され、兼友、兼俊、兼延等の名工を輩出し、作風は大和伝に相州伝を加えた独特の地刃が特徴とされます。
 
この脇指は長巻であったものを後世に磨り上げて脇指としたもので、同派重要刀剣指定品にこのような長巻直刀や脇指が散見されます。
地鉄は板目肌が顕著に現れ、地沸厚く付いて地景が入って格調高く、刃文は浅く湾れて互の目を交え、一部に尖りごころの刃を交じえ、足、葉よく入って砂流頻りにかかり、金筋、稲妻が見られます。
造り込みは長巻であった名残を急な鎬の卸が物語っており、棟は庵棟。
お客様の手によって重要刀剣に育てる楽しみを抱えた南北朝期の名刀を是非この機会に御入手下さい。
 
裸身重量438グラム。
 
 
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無銘 ~武を志す方の前指にお薦めの一刀~

無銘
– Mumei –
 
 
特筆すべき疵欠点無い大磨上無銘の脇指。地鉄は小杢目肌が良く肌練れて詰み、地沸がついて精美。鎬地は柾目となる。刃文は小沸本位の直刃で匂口締まりごころ。帽子は表裏共に直に先丸く上品に返る。
刃区、棟区に刃切のように見える筋がありますが、磨り上げる位置を罫書きした痕であり、刃切ではございませんのでご安心ください。
 
白鞘、拵、継木は数寄者によって近年誂えられたもので、当然ながら傷み無く、拵は黒石目塗りの鞘に鉄槌目地の縁頭を添え、鐔は鉄地の信家在銘で手貫緒の穴がうがかれており、この拵を誂えた方の武に対する思い入れが感じられます。
また、継木もとても丁寧な造りとなっており、大切に扱われてきたことが窺えます。
実用を重視しながらも、縁頭に施された金の縁と、鐔に透かされた瓢箪が、なんとも言えぬ風情を醸し出していて武を志す方の前指にお薦めの一刀です。
 
裸身重量345グラム。  拵に納めて鞘を払った重量512グラム。
※委託品
 
 
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無銘(美濃千手院) ~かなり早い時期の東京都大名登録刀~

無銘(美濃千手院)
– Mumei(Mino Senjuin) –
 
赤坂の地は美濃国の西部、畿内と東海道・東山道諸国を結ぶ交通・軍事上の要地である「不破関」(関ヶ原町)に隣接する宿場町として古くより栄えました。
『観智院本銘尽』によると、美濃千手院派は東大寺の荘園・大井荘の近くでもあり荘官として寺領を守護していた武士の需により、大和国千手院重弘の子『泉水』が鎌倉時代中期頃、美濃国赤坂(現・大垣市)に移ったことに始まるとされていますが、鎌倉時代の美濃千手院派の作刀に関する現存資料は殆ど無く、現存するものでは南北朝時代『國長 応安元年(1358)』の短刀が最も古く、同銘が数代続き、『光山押形』には『濃州住藤原國行 応安七年甲寅八月日』がみられ、以降、室町時代を通じて『正國』、『弘長』、『重長』、『道永』、『道印』、『康道』らの作刀が現存し、室町時代を通じて繁栄しました。
南北朝時代の美濃千手院鍛冶の作風は『國長』のごとく大乱れになるものがあり、やや粗めの地沸が厚くついて地景を交えるものがあり、室町時代になると同派の作風は直刃や直刃に小互の目・尖り刃を交え、共に解れ、地は白けるものが多くなる傾向にあります。尚、美濃千手院は赤坂の地で作刀していたことに由来し、赤坂千手院とも別称されています。
 
この脇指は元々太刀或いは刀であった物を大きく磨り上げたもので、かなり大きく延びた切先を見るに、如何に長大であったかが想像されます。
鎬高く、卸が急な造り込みで、身幅と重ねを出すも重量を軽減したその姿には、武器としての実用面を第一に考えた刀工の苦心が垣間見れ、柾気が強く現れた地鉄は肌立ち、刃文は時代が下がった後代の同派と異なり、匂口の形成にやや不完全さを感じさせるも、刃縁に沸がよく付き、砂流等の刃中の働きも顕著で、後代には見ることができない古雅な出来口を誇っています。
 
現状は古研ぎのため拭いぼけが感じられますが、地刃の観賞には支障ない状態。昭和26年4月と、かなり早い時期の東京都大名登録刀であることからも、この脇指の伝来の良さを窺い知ることが出来ます。
余力有る方は是非とも上研磨を施して頂き、本刀の地刃の冴えを更に引き出してお楽しみ頂きたく思います。
 
裸身重量581グラム。
 
 
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土佐守正信 ~身幅広くがっちりとした一刀~

土佐守正信
– Tosa no kami Masanobu –
 
 
平井氏。安積岩右衛門。府中住。享保九年、柳沢吉里に従い大和郡山に移り、土佐守となる。
 
身幅広くがっちりとした体配にまずは驚く。重ねもしっかりとしており、小板目肌良く練れて少しく肌立った地鉄に、匂口明るく冴えた互ノ目丁子を焼き上げ、刃中には砂流が総体的に現れ変化に富む。
 
本刀の如き身幅広い豪壮なる脇指は、主に尾張の士に好まれたようで、尾張藩士の指料に、本刀の様な刃長と体配のものを見かけます。
指裏中央に気持ち目立つヒケがございます。御希望の方は部分研磨を御用命下さい。
 
裸身重量512グラム。
 
 
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湧水心貞吉謹作之 昭和癸亥三月日 ~貞吉刀匠の地刃の冴えを存分に御堪能頂ける逸品~

湧水心貞吉謹作之 昭和癸亥三月日
– Yusuishin Sadayoshi –
 
 
本名、榎本貞市。故人間国宝月山貞一の父でもあり、名匠との誉れ高き月山貞勝の門人です。
明治41年徳島県に生まれ、昭和3年より貞勝に師事しました。昭和18年に独立して静岡三島へ移住し、大東亜戦争後、数多くの入賞を果たし、現代刀匠の最高位である無鑑査となり、晩年には「湧水心」と号し、平成12年に没しました。
貞吉は鍛えの名人として評価が高く、月山貞勝門下では人間国宝の月山貞一、高橋貞次と並ぶ名手として世に知られ、作品は特に相州伝の優れた作を残し、正宗や志津を狙った作刀が多く見られます。
 
この刀は姿好く、中切先やや延びごころ。表裏に刀樋を掻き流し、地鉄は板目肌が良く練れて少しく肌立ち、刃文は互ノ目乱れを匂口明るく焼き上げ、地鉄に絡んで砂流が顕著に現れ、静の中に動を見るかの如く、流石は無鑑査刀匠の作と観る者を唸らせる出来口を誇る一刀です。
指裏はばき上に一本ヒケが見られますが、研磨状態好ましく、手をかけることなく貞吉刀匠の地刃の冴えを存分に御堪能頂ける逸品です。
 
裸身重量843グラム。
 
 
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山城國住藤原則定 萬治三年十一月吉日  ~姫薙刀~

山城國住藤原則定 萬治三年十一月吉日
– Yamashiro no kuni ju Fujiwara Norisada –
 
 
初代則定は矢作に住し江戸前期に槌を振るった刀工。
 
この薙刀は六寸九分と非常に刃長が短い。大名の雛道具として特別な註文の元に鍛えられた珍品です。大名や上士の子息或いは姫君の節句飾り用としてこの手の品が稀に鍛えられました。これを俗に姫薙刀、雛薙刀、稚児薙刀等と称し、現存するものは極めて少なく、大抵の場合は無銘が多いが、稀に本薙刀のように刀工銘と裏年紀が切られたものが見られます。
 
柾目鍛えで地刃には微塵の疵も無く、匂口明るく冴えた湾れ調子の互ノ目乱れを焼き上げ、刃縁に大粒の沸が付き、砂流かかり、食い違い風の刃交じり、小振りながらも出来は頗る良く、則定の技量を遺憾なく発揮した名作です。
白木の柄と面白い仕掛の桐箱が附属しており、研磨状態も良好。一切手をかけることなくお楽しみ頂ける逸品です。
 
裸身重量144グラム。
 
 
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将平作 ~言わずと知れた天才~

将平作

ーMasahiraー

 

https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/221/00.html

 

藤安将平刀匠は昭和二十一年福島県伊達郡生まれ。昭和41年長野県坂城町の刀匠、故人間国宝、宮入行平師に入門。
昭和50年福島県立子山に鍛刀場を開設して独立。以後作刀の研究修練を重ね日本美術刀剣保存協会優秀賞3回、奨励賞6回、努力賞7回を受賞。平成2年には日本美術刀剣保存協会会長賞受賞。同14年日本美術刀剣保存協会寒山賞を受賞。

尾張熱田神宮、奈良護国神社など多くの神社で奉納鍛錬を行い、平成20年には、704年、佐備大麻呂の作剣以来、およそ千三百年ぶりに常陸鹿島神宮において日本刀奉納鍛錬を行う。

昭和59年秋には伊勢神宮第61回式年遷宮、御神宝太刀謹作奉仕の大役も担い、先の震災で大きな被害を受けた福島県南相馬の御刀神社復興支援にも大きく尽力され、御神宝となる直刀を謹作奉仕し、直近では福岡の宮地嶽古墳出土大直刀の復元鍛錬など、現代日本刀匠屈指の作刀技術を持っている。

平安、鎌倉時代の古刀剣再現への強い想いを持ち、長年研究修練に取り組み、国宝、重要文化財やそれに類する刀剣類、全国の砂鉄や鉄文化の知識見識も豊富で、太刀、刀、短刀、脇指、薙刀、古代直刀など、どれを手掛けても正確で美しい刀姿を造り上げる。地鉄、焼刃の手際も鮮やかで幅広い製作能力を誇り、中心鑢や銘文といった中心仕立ても現代刀匠随一で、師である行平没後、師の実子である宮入小左衛門行平(宮入恵)を預かり、弟子として鍛刀修業を積ませた経緯からも、師の信任が厚く、その技量の高さを物語っている。

近年は奈良正倉院収蔵の直刀、手鉾のなど奈良時代の刀剣類の研究、復元製作にも取り組まれ、上記の御刀神社奉納直刀の焼刃などは神域に入られたと言っても過言ではない。

古刀再現の第一人者として、また、鉄をも裁断する利刀を鍛えることでもその名が高い名工藤安将平。当店々主である町井勲とタッグを組み、真の実用兼美の名刀造りに今も勤しんでいます。

この短刀は小板目肌柾流れの良く練れた地鉄が少しく肌立ち、淡く映りごころがあり、小沸本位の互ノ目乱れの刃縁には、大粒の沸が砂を蒔いたかの如く一際明るく輝き、地鉄と併せ、広大な宇宙の銀河を見るようです。
お買い上げ頂いた方の御家紋を彫刻できるよう、はばきは刃と棟方にのみ牡丹祐乗鑢をかけ、表裏は磨地にしております。また、目貫もお好みの物を装着頂けるよう、取り付けておりません。いわばお客様好みの一刀としてご所持頂けるセミオーダー短刀です。
研ぎ上がったばかりの将平刀の地刃の冴えを存分にお楽しみください。

裸身重量166グラム。  拵に納めて鞘を払った重量222グラム。

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