修行開始から十年。しっかりとした下積みを積んだ柳原。

私の下で修行を開始してから約十年。

稽古を休むことなくしっかりと下積みを積んだ柳原君は、ここまで腕をあげることができました。

本気で打ち込もうとしたのに打ち込めなかったことに、我が門弟がここまで腕をあげたのかと、嬉しい気持ちでいっぱい。

動画の中でも思わず笑みがこぼれている私です。

書『修心』

昨夜、合氣道吹泉館の館長、木下良一先生(合氣道七段)から、素敵な書を頂きました。

木下良一書 修心館

木下先生は、植芝盛平翁に書を教授したことでも知られる、故、阿部醒石先生(合氣道十段)の唯一の内弟子であり、醒石先生から書も学ばれた書家でもいらっしゃいます。そして私の合氣道の師でもあります。

上記『修心館』の軸装だけでも非常に嬉しく、ありがたいのですが、なんと、額装にて『修心』も書いて下さいました。

木下良一書 修心

書を嗜まれる方ならお解かりのはずですが、筆運びが物凄いです。

生前、植芝盛平翁が、氣を文字にして遺そうとされ、阿部醒石先生に師事されたことは有名ですが、この書に込められた氣も物凄いものです。

一体、どのような筆運びをすれば、このようなかすれ、跳ね、払いが出来るのか… 目の当たりにした時には溜息しかでませんでした。

木下先生はプロの書家でいらっしゃいますから、この二点の作品を正規価格で購入しようと思えば…50万や60万ではきかないのでは…

 

残念ながら自己道場を所有していないため、デーンと飾りたくてもそれができないのがもどかしいのですが、今夜の稽古ではこの二点の書を持参し、門弟に披露すると共に、稽古場に飾って、書に込められた氣にあやかりながら稽古させていただきました。

木下良一先生の書と

木下先生から頂戴しましたこの二点の書を飾る道場を、いつか建設することができたらなぁ…

と、大きな夢も一つ増えました。

 

関西で合氣道を学ばれたい方は、是非、吹田にある木下先生の吹泉館をお訪ね下さい。

合氣道の道場は多々あれど、植芝盛平翁直伝の本物の合氣道を学ぶことができる数少ない道場の一つで、私が心から推薦致します太鼓判付きの道場です。

 

また、木下先生による、氣がこもった書や掛軸、お店の看板などをご希望の方が居られましたら、是非私にお声掛け下さい。素敵な書の作品を仲介させて頂きます。

 

木下先生、素敵な作品を本当にありがとうございました。

 

剽窃 ~嘘吐きは泥棒の始まり、泥棒は嘘吐きの始まり~

私は上京するたびに、青木久先生のお世話になっています。

修心流をサポートして下さり、稽古場や私の宿泊先をご提供頂いています。

たまにご一緒に稽古もしたり、稽古後の夕食会を終えると青木先生宅で常に武術談義で華を咲かせ、お互いに己が得意とする業や理合を公開しあって、業を共有させていただいています。

私と青木先生のお付き合いが、公私共に親密であり、友情でつながっているのは、互いに共有する業の出典元を明確に公言しているからです。

青木先生は海外へのご指導も多く、頻繁にイギリスやヨーロッパ諸国に行かれますが、そこで指導される際に、私から教わった業に関しては、何一つ隠すことなく

「日本に修心流居合術兵法と言う流派があって、この業は修心流の町井勲先生から教えて頂いたものです。」

と門弟さん達に言われます。

私にとっては修心流居合術兵法の良い宣伝にもなるので、このように出典元を公言して頂けるのは本当にありがたいです。

勿論、私が門弟達に指導する際にも、

「今から稽古する業は、青木先生から教わった業です。」

と明確に出典元を述べた上で指導しています。

 

私はこうした明確に出典元を説きながら交流する姿こそ、武辺者の本来あるべき姿だと考えています。

私の元には剣道、空手、合氣道、少林寺等、他系統の指導者の方も学びに来られます。深くお付き合いを続けている先生方もおられれば、そうでない先生もおられます。

前者は青木先生同様に、門弟さん達にも修心流居合術兵法と私の名前を公言される方で、後者の場合は私がご指導さしあげた業を、修心流居合術兵法と私の名前を伏せ、ただただ剽窃するだけの方。つまり、私がご指導さしあげて身につけられた業を、あたかも自分自身が研究発展させて独自に習得したかのように振舞う方です。

私も人間ですので、そのような姿を垣間見ると、あまり良い気持ちにはなりません。自然とその方との距離を広げ、術理について尋ねて来られても笑顔で適当に返し、本質については何も語りません。

今、何故このような記事をブログに挙げるかと言えば、今朝方、英信流の初伝形七本目『介錯』を剽窃した他流派の動画を目の当たりにしたからです。

他流派の形でも稽古に良いと思えば取り入れる。その姿勢は素晴らしい事ですが、それをあたかも自流に数百年前から受け継がれているものとして世界に公開する姿には嫌悪感しか抱けません。

その姿はまるで日本の苺や蜜柑を剽窃する歴史捏造反日隣国と同じではありませんか。恥を知れ!と思うばかりです。

 

そしてそんな泥棒流派、嘘吐き流派の捏造歪曲を、真実を知らずに、いえ、知ろうともしない国内外の方達にもどかしさを感じずには居れません。

書籍出版にあたっても、出典を明確に記すことが当たり前の今の時代、流派に於ける稽古法や形についても、出典元を明確にした上で稽古して頂きたいと願って止みません。

お客様の声

先日私の店で御刀をお求め下さったお客様から、とても嬉しいメールを頂戴しました。

お客様から掲載の許可をいただいたのでここにご紹介させて頂きます。

 

町井先生
○○の刀、無事に我が家に到着しました。
有難うございます。良い買い物をしたと心晴れやかな気持ちに酔いしれています。
このような美しく優雅で、それでいて、居合の稽古向きの実用的な素晴らしい刀を、セブンイレブンの深夜アルバイト生活の僕にも手が届く価格で、販売して下さり、本当に有難うございます。深く感謝しています。
ちょっと笑われてしまうかもしれませんが、○○の刀は、僕が人生で初めて購入した真剣なので、刀を手にした現在、この素晴らしい刀を作られた○○刀匠が、どのような人物で、刀剣界でどのような評価をされており、他にどのような刀を作られているのかなど、とても気になっています。
購入したばかりの僕の愛刀みたいに、大和伝で直刃の長刀が多いのかなとか、優美な美術鑑賞刀路線なのか、実用的な頑丈路線なのかとか、すごく気になります。
僕は今までは高額な真剣を諦めて、ずっと模擬刀で妥協しようと思っていましたが、刀心のサイトで初めて○○の刀を見たとき、ビビっときて、気づいたら、町井先生にメールを送っていました。
この刀はすぐに絶対に買った方が良いなと直感的に思いました。今、すごく満足しています。本当に、有難うございます。

 

 

こんなに喜んで頂けて、私も本当に嬉しい限りです。

低価格での販売は、犯罪に用いられたり、ぞんざいに扱われるのではないかと心配もしていましたが、こうして本当に刀が好きな方にお嫁入りさせることができ、私も刀屋冥利につきます。

ます。

謹賀新年

年末年始とバタバタ慌しく過ごしており、年賀状作成は年が明けてからになってしまいました。

末っ子の三女結音(ゆのん)も、ヨチヨチと数歩歩けるようになり、彼女を見ていると心が癒されます。

本年も更なる高みを求め、技術向上に励みたいと思います。

皆様どうぞ宜しくお願い致します。

 

さて、昨年暮れに私が通っていた奈良龍心館の同門(現在は退会)が訪ねて下さり、道場の近況を伺いました。

私の居合の故郷とも言うべき吉岡道場は、4~5年前に土地建物が売りに出されたそうです。

寂しく思い、先ほど師範代の斉藤千代子先生にお電話差し上げたところ、吉岡先生は昨年1月13日に逝去されたと知りました。

ご子息が居られましたが、居合には御興味がないようで、後は継がれなかったとのこと。現在は中学校や公共の体育館をお借りして、斉藤先生と久佐野先生が指導を続けられ、龍心館の名籍は続いているとのこと。

斉藤先生には私の近況を御報告差し上げ、またお会いしましょうと、懐かしいお声を拝聴させて頂きました。

 

組織と言うものは分裂を繰り返すもののようで、私が知っているだけでも龍心館は二度分裂しました。同門が散り散りとなったことは悲しいのですが、皆さん達者でおられるようでそれだけは嬉しいことです。

 

私の子供達も吉岡先生のところと同じように、居合に興味を示しません。これまでは門弟に細々と真の居合術とは何たるかを指導してきましたが、2019年を向かえた今、なんとか整理してきた私の技術を後世に遺し伝えたく、門戸も少し広げたいと思うようになりました。

頑なに門弟外には技術指導をお断りしてきましたが、私の居合(居合柔術)に御興味を示して下さる諸団体、個人の方には、単発での指導(講習会)も行おうかと思いますので、御興味ある方はお気軽にご連絡下さい。

とかく居合といえば刀の抜き差しばかりを思い浮かべられる方にこそ、私の居合術指導を体験頂きたいと切望してやみません。

肥前國住吉廣

肥前國住吉廣

肥前國住吉廣

– Hizen no kuni ju Yoshihiro –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/518/00.html

肥前刀を代表する初代忠吉に学んだ吉廣は、近江大掾忠廣との合作も遺しています。名を吉左衛門といい、寛文頃伊勢大掾を受領しました。

この脇指は福岡県大名登録刀で登録番号は三桁。附属する豪華なはばきを見ても、黒田家に所縁ある脇指であることが窺えます。現状では古研ぎのため、拭いぼけや細かなヒケが眼につきますが、然るべき研磨を施せば肥前刀らしい精良な地鉄を楽しめる優作で、特別保存刀剣もゆうに合格するであろう作品です。小板目肌がかすかに肌立ち、互ノ目乱れは匂口明るく冴え、連なる山々に霞が棚引くかの如く、細やかな砂流が随所に見られ、雄大なる自然を見るような出来栄えです。美術鑑賞用上研磨及び特別保存刀剣鑑定審査代行もお気軽に御用命下さい。

※はばきの上貝に痛みがあります。蝋付けまたは半田で修理できます。御希望の方は有償にて承ります。※保存刀剣鑑定書は日本美術刀剣保存協会より到着次第掲載致します。
裸身重量448グラム。

藤原正勝作

藤原正勝作

– Fujiwara Masakatsu saku –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/864/00.html

小板目肌に沸本位の互ノ目乱れを焼いた作品で、刃縁には荒沸が付き、刃中には金筋や稲妻が看取されます。銘鑑によると、新刀期に正勝と名乗る刀工は五名確認でき、中でも藤原姓を銘切る寛文頃に活躍した者は、本国日向の大隈守藤原正勝が挙げられ、同工は摂津にて槌を振るいました。

この刀は反りが浅い寛文新刀然たる姿から、この正勝の作と鑑せられます。寛文新刀はその姿から、刺突し易くするために生まれたものと刀剣書籍には記載されていますが、それは刀剣学者が勝手に判断したもので、実は斬味を求めた末に生まれた斬撃に適した姿であり、居合抜刀に於いてはその刃味を最大限に引き出す体配。浅い反りが振り遅れを無くし、また、鞘から抜き放つ一刀に於いては、反りが浅い分操作性に富んでいます。

※保存刀剣鑑定書は日本美術刀剣保存協会より到着次第掲載致します。


裸身重量716グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,014グラム。

三春臣源正利作之 文化二年二月日 – Miharu shin Minamoto Masatoshi –

三春臣源正利作之 文化二年二月日

– Miharu shin Minamoto Masatoshi –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/863/00.html

小板目肌良く練れて詰み、匂口明るく冴えた直刃を焼き上げ、刃中には幅広の葉が見られ、刃縁に点在するかの如く荒沸が少しく刃縁にかかり、二尺五寸五分の長寸ながら疵気は無く、正利の技量を発揮した優品で、長大ながらも手持ちバランスが良い。

本工正利については詳細な記述が銘鑑にも見られず、ただその存在だけが確認されている程度。現存する作品も少なく、三春臣と銘切っていることから、士鍛冶であったやも知れません。本刀の出来の良さを存分にお楽しみ頂きたく、御購入の暁には、併せて上研磨も是非御検討下さい。


裸身重量848グラム。

無銘(伝 尻懸)- Mumei(Den Shikkake) –

無銘(伝 尻懸)- Mumei(Den Shikkake) –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/862/00.html

大和五派(当麻・保昌・手掻・尻懸・千手院)中、尻懸派は則長を事実上の祖として大いに繁栄した、現在の奈良県天理市岸田町尻懸の刀工郡で、尻懸との名の由来は大和神社の神輿が休息する為に設けられた四角い台石(尻懸石)からきています。尻懸派の事実上の祖とされるのは、則弘の子と伝えられる初代則長で、文保三年(1319)48歳の行年銘が入った作品や暦応三年(1340)69歳の行年銘が入った作品が残されており、それによって逆算すると、文永9年の生まれであることが窺がえます。この時期の大和物は地鉄が極めて精美な作が多く、尻懸派の特徴としては、鎬が高く、鎬幅広く、板目が流れごころで刃文は直刃基調ながら小互の目が連れて焼かれている点が挙げられます。

この刀は大磨上無銘で短寸ながらも出来優れており、小板目杢交じり、柾流れの精良な地鉄が美しく、匂口明るく冴えた直刃には、大和色濃く二重刃や打除を伴い、金筋を交え、尻懸の極めに相応しく、小足が入って互ノ目が連なるなど、同派の特色をよく現した鎌倉後期の名品です。いずれは重要刀剣指定も受けることとなるでしょう。

裸身重量636グラム。

無銘(古宇多)- Mumei(Ko Uda) –

無銘(古宇多)- Mumei(Ko Uda) -

無銘(古宇多)- Mumei(Ko Uda) –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/861/00.html

宇多派は鎌倉時代末期の文保頃に、大和国宇陀郡から古入道国光が越中に移住したことにより興り、以後室町時代に渡って繁栄しました。中でも鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての作品を古宇多、室町期の作品を宇多と、それぞれ称呼し、鎌倉時代を下らぬ古作には大和伝法の面影を強く残し、沸本位の二重刃、食違い刃などを示しているものがあり、南北朝時代にはいると大和伝に相州伝を加味した作品が見られるようになります。同派では、国房・国宗・国次等の刀工が活躍し、同銘各代が室町時代末期に渡り繁栄しました。

この刀は二尺八寸はゆうにあったであろう刃長を、時代の変遷と共に、歴代の所有者によって大きく磨り上げられ、現在は銘が失われていますが、磨り上げてでも尚腰に帯びたいと思われたことからも察せられる通り、大切に伝来してきた一刀で、板目に杢目、柾目肌が交じった地鉄には映りが立ち、沈みごころの匂口にて直刃調の刃文が焼かれた作品。刃縁は地鉄に絡んで細かに働き、金筋や稲妻を交えた古雅な出来口を示しています。上述の映りは横手下に特に判然と現れており、刀剣趣味初心者にも、映りが何たるかが判り易く、古刀研究資料としても恰好の一振です。

研磨後時間が経過しているため、余力有る方は是非とも上研磨を施し、本刀が持つ地刃の魅力を余すことなくお楽しみに頂きたく思います。

裸身重量640グラム。