刀 豊後住藤原實行

刀 豊後住藤原實行

豊後住藤原實行
– Bungo ju Fujiwara Saneyuki –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1560/00.html

平安時代から続く豊後鍛冶は、九州に於いては薩摩に並んで古くから作刀が盛んで、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄え、特に室町期から江戸初期に掛けて最盛を迎えました。
古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから、藤原高田と汎称します。 古来より実用刀としての評価が高い一派で、武用刀として数多の武将に愛用されました。

銘鑑によると、実行は南北朝期の應安頃(1368~)に現れ、友行の子と伝えられています。その後、室町期を通じて六代続き、新刀期には肥後細川家の飛地となった同地で鍛刀を続け寛政頃(1800)頃まで数代に渡って高田の地で活躍。隣国である肥前忠吉系との技術交流もあったようです。

この刀は反り浅めで元先の幅差開いて中切先。庵棟低目で茎は平棟。典型的な寛文新刀体配で、元幅広目且つ重ね厚目の強靭で健全な姿をうぶのまま現代に伝えています。
地鉄は小板目に杢交じり、よく練れて詰み、地沸付いて精緻な地景が煌めき、刃文は匂口明るく冴えた直刃を焼き上げ、刃中には刃肌に絡んだ細かな金筋や砂流と言った変化と働きが看守され、指表物打辺りに見られる刃中でぷつりと切れたような太い匂口には、上述の肥前忠吉系との技術交流説を首肯させます。特筆すべき鍛錬疵はありませんが、それでも敢えて疵を探して記載するなら、指表はばき上5センチ位の平地に小疵とも称せぬ物がある程度。鋩子は表裏共に直ぐに先丸く横手やや下迄焼き下げています。
現状では横手上1センチ位のフクラに極小さな刃毀れ(刃先を何か硬い物に当てたような感じ)が在りますが、部分研磨と上記の小疵を修復し、化粧仕上げ直しを施してお納め致しますので、研ぎ上がったばかりの實行の地刃の冴えを存分に御堪能頂けます。
特別保存刀剣審査を是非御受審頂き、お客様の手によって更に価値ある一刀への育てて下さい。
※現状でも充分に鑑賞に耐えうる研磨状態ですが、出来頗る良い一刀だけに研磨渡しをお薦め致します

刀 無銘 ~手持ちバランス良く扱いやすい一刀~

刀 無銘 ~手持ちバランス良く扱いやすい一刀~

無銘
– Mumei –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1559/00.html

元先の幅差目立っては開かず、切先延びる。地鉄は小板目柾流れよく詰むも肌が荒れた箇所が見られ、淡く映りごころが在り、刃文は互ノ目に互ノ目丁字を交え、刃中に葉や砂流が見られ、足入り、刃縁から匂口が尖り状に延びるなど、平地に向かっての働きが盛んに見られ、鋩子は表は焼や幅狭く直ぐ調に先丸く返り、裏は焼きたっぷりと直ぐ調に先丸く返る。

付属の拵は柄にガタツキは無くしっかりとしていますが、鐔鳴りはしますので責金を施されることをお薦め致します。鞘から払って構えてみると、手元重心で非常にバランスが良く、扱い良さを感じさせますので、片手操作が主となる居合の形稽古にも最適です。
※責金工作は11,000円(税込)にて承ります。

裸身重量710グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1020グラム。

刀 近江大掾藤原行光

刀 近江大掾藤原行光

近江大掾藤原行光
– Omi Daijo Fujiwara Yukimitsu –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1558/00.html

名を半右衛門と称し、重清の次男として越中富山に生まれました。兄は播磨大掾清光で、初めは兄と同じく清光と名乗るも、富山太守の命により江戸に出て石堂の門人となり行光と改銘しました。

一寸程区が送られており、元来は二尺二寸程の刃長であったと鑑せられます。寛文も終わりに近づき、延宝にさしかかる頃の作品でしょうか。寛文新刀にやや反りがついた優しい姿で切先やや延び、地鉄は小板目杢交じり地沸ついて地景入り、少しく肌立ちごころ。刃文は横に間延びした互ノ目を焼き、焼頭に足入って複数の互ノ目を成し、谷には太い足が入って細かな砂流がかかり、総体に匂口は明るく、帽子は表裏共にやや乱れ込みごころに先丸く返る。

はばきは白鞘作成後に新調したものであろうか、柄を装着すると白鞘の目釘穴と茎の目釘穴に少しずれが見られます。帽子の棟に薄錆が在りますので、化粧直しを施してお納め致します。

裸身重量593グラム。

脇指 近江大掾藤原忠廣

脇指 近江大掾藤原忠廣

近江大掾藤原忠廣
– Omi Daijo Fujiwara Tadahiro –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/787/00.html

近江大掾忠廣は初代肥前國忠吉の子で、幼名を平作郎と称しました。彼が十九歳の時、寛永九年八月に父忠吉が六十一歳で没した為、若くして家督を継ぎましたが、既に一流刀工としての技を会得しており、一門を統率して家名を盛り立てたました。
こうして一人立ちした平作郎は、父と同じく新左衛門と名を改めて、佐賀藩工として鍋島勝茂に仕え、寛永十八年には近江大掾を受領。刀剣需要の多い時期に佐賀藩工として門弟を統率しながら数々の優れた作品を残しました。
近江大掾忠廣の知名度は高く、大業物に列位するほど斬れ味も優れ、現代に於いても人気を博す江戸前期の肥前忠吉家の名工で、事実上の二代忠吉ながらも、生涯に渡り忠吉銘は切らず、忠廣とのみ銘を切りました。
貞享三年、嫡子陸奥守忠吉(三代忠吉)の亡き後は孫の近江大掾忠吉(四代忠吉)を指導し、元禄六年五月、八十歳の高齢をもって天寿を全うしました。
作刀期間は六十有余年に及び、肥前刀の名を世に高らしめた稀代の名工です。

この脇指は元先の幅差頃好く中切先。小板目肌が良く練れて地沸付き、所謂小糠肌を呈した精美な地鉄に、匂口明るく冴えた忠吉家の御家芸である直刃を巧みに焼き上げた作品で、その直刃には一切の破綻が無く、鋩子は直ぐに先丸く上品に返っています。
現状は古研ぎで、指表区上の鎬地と横手下から鋩子にかけて、一部やや深い錆があり、総体にぼやけた印象を受けますが、それらの錆も修復研磨にて、研ぎ減らさず仕上げさせて頂きますので、肥前刀ならではのピカイチの地刃の出来を御堪能頂けます。

裸身重量377グラム。

武州下原住山本内記康重

武州下原住山本内記康重

武州下原住山本内記康重
– Bushu Shitthara ju Yamoto Naiki Yasushige-
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1554/00.html

武州下原派は現在の東京都八王子に住した永正頃の山本周重を初代とし、江戸時代後期にかけて山本一族十家を中心として、大いに繁栄した一派です。
特に「廣重」「周重」「康重」「照重」の四工が著名で、地鉄に渦を巻いたような肌(渦巻き肌の如輪杢)が表れるのが特色と言われています。
初代康重は初代周重の子で初銘を周重と切りますが、北条氏康より『康』の字を給わり康重に改銘したと云われ、三代康重は山本内記と言い、二代藤左衛門康重の子あるいは孫と考えられています。四代以降は代々山本内記康重の名を襲名して明治に至ると言われていますが、経眼される作品は殆どありません。

元先の幅差開いて切先やや延び、鋭くも美しい体配を誇り、地鉄は小板目よく練れて詰んで地沸付いて精美。刃文は匂口明るく冴えた互ノ目乱れに互ノ目丁字を交え、刃中には足が盛んに入り、葉入り、刃肌に沸が絡んで鐶状の金筋現れ、互ノ目を真っ二つに二分するかのような、匂口には接せぬ鋭く細い足入り、刃縁には小沸が豊かに付き、鋩子は焼きたっぷりと一枚風に先丸く長く返って棟焼きを形成する。
特筆すべき鍛錬疵無く、非常によく纏められた康重最高傑作と称して良い一刀で、下原刀のイメージを覆す出来口です。昭和26年岡山登録800番台であることからも、池田家等の大大名家伝来品であることが窺えるうぶ出しの名品です。
美術観賞用上研磨を施してお納め致します。康重最高傑作の地刃の出来を存分に御堪能頂くと共に、特別保存刀剣同時審査を御受審下さい。

裸身重量799グラム。

鐔に見る刀傷

あちこちに深い刀傷が残る鐔を手に入れました。
本来ですと丸いはずの鐔なのですが、切込み傷がある部分は凹んで変形しています。
よくよく見ると切込み傷だけではなく、相手の鐔と激しくぶつかった痕跡も見られ、激しい鐔迫り合いが行われた様子が想像されます。

 

この鐔が製作されたのは江戸中期以降でしょうか。材質は山銅でしょうか。よく見かける図柄で、鋳物師と呼ばれる集団が手掛けたものです。
鋳物の材料としては、鉄の他に山銅、青銅、錫の合金などが使われており、鋳物師と呼ばれた彼らの本業は、鍋や釜、仏具や梵鐘の製作であったと言います。
強度も耐久性も無く、実用には向かないと言われていますが、この鐔を見る限りでは充分に実戦に耐えうることが解ります。但し、材料が鉄の物に関しては、叩いただけ、落としただけで割れた物も経眼しているため、実用に向くのはこうした鉄以外の材料に限るのかもしれません。

因みに刀傷がある刀剣や刀装具はたまに見られますが、実はその殆どが己の武勲を誇示するために後から付けられたまがいものが殆どで、実戦で付いた刀傷とは一見して判別できます。偽物造りに用いられては困りますのでここでその見分け方は割愛させて頂きますが、真剣で打ち合ったことがある方ならお解りでしょう。

 

耳の部分に見られる切込み傷と、鐔迫の際に相手の鐔で凹んだと思しき凹み傷が多々見られます。

 

この横向きに入った刀傷が一番深く、戦闘の激しさを物語っています。
時代的に恐らく幕末の騒乱期に付いたものではないでしょうか。

どのような士がどのように戦ったのか、とても興味深い一枚です。

https://nihontou.jp/choice03/tousougu/tuba/list.htm

山葵透

破れ扇

https://nihontou.jp/choice03/tousougu/tuba/list.htm

刀 三原正興作

刀 三原正興作

三原正興作
– Mihara Masaoki –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1550/00.html

備後国三原派は鎌倉時代後期に興り、以後室町時代末期にかけて大いに繁栄しました。同派の作品は鎌倉時代後期より南北朝時代にかけてのものを古三原と称し、室町時代の作を末三原、または貝三原と称します。
備後国には東寺など、大和中央の社寺の荘園が多い事から、大和との交流があったものと考えられ、作風は大和気質が色濃く現れた柾交じりの地鉄に、直刃を焼いた大和伝の特色が顕著なもので、本国大和より地刃の沸が柔らかく、地鉄はやや白気立った映りが現れるとろが見所。
また、備後国は備前・備中の両国に近く、良質の鉄を産出したことでも知られ、鉄味優れた作品が多く残されており、正家や正廣などが著名ですが、在銘作は少なく、最近の研究では鎌倉末期の国分寺助國を始祖とする説もあります。

この刀は元先の幅差開いて切先やや延び、地鉄は小板目杢交じりの地鉄が柾がかり、総体に乱れ映りが見られ、刃文は匂口沈み加減且つ締まりごころの直刃に始まり、先の方では湾れや互ノ目を交え、刃中小足入り、刃縁より平地に向かって湯走状の働きが見られ、それが更に地に広がって乱れ映りを成している。鋩子は表裏共に直ぐに先丸く返っています。
うぶ在銘の三原正興、大変貴重な存在です。お求め安い低価格でご紹介致しますので、是非この機会にお求め下さい。現状では小錆等があり、白鞘の当たりも強く、はばきにも傷みが見られますので、気持ち良く御所持されるなら、研磨、銀はばき、白鞘の全諸工作渡しが断然お得です。

裸身重量749グラム。

茶筅透

浜辺製塩図

https://nihontou.jp/choice03/tousougu/tuba/list.htm