備州長船祐定 天正二年八月日

備州長船祐定 天正二年八月日
– Bishu Osafune Sukesada –
 
 
末備前物と称される室町末期の刀工中、祐定銘の作刀は多く、中でも与三左衛門尉、源兵衛尉、彦兵衛尉が有名です。 刀剣の需要が多く求められた戦国期、備前刀は数多の戦に向けて数多く鍛えられ、そうした実用刀で俗名を銘切っていない末備前物を、数打と卑下する悪習が刀剣界にはありますが、粗製乱造されたわけではなく、俗名を銘切っていない作品の中にも、驚く程出来が良い作品が多々見受けられ、中には俗名個銘極めまで可能な出来優れた作も見られます。
 
杢目肌が柾に流れ、淡く映り立った地鉄に互ノ目を焼いた末備前らしい出来口を示す本刀は、大阪の旧家から出たうぶ出し品で、薄っすらと錆に包まれていた状態のものを、当店にて上研磨、白鞘、銀はばき、銀切羽、拵の補修、保存刀剣審査等、全ての諸工作を行いました。それらコストの関係もあって、割高に感じられるかもしれませんが、同じ諸工作を個人で行いますと、ゆうに40万円を越えますので、それらを考えますと大変お買い得です。一切手をかける必要がない真面目な年紀入り祐定を、是非この機会に御入手下さい。
 
大東亜戦争時、家伝の祐定を軍刀として携えたため、柄頭付近に猿手鐶が取り付けられています。野戦用革覆は当店にて取外し、国産本漆にて傷んでいた箇所は全て補修済み。研磨は日本美術刀剣保存協会主催のコンクールで入賞を果たす名手による上研磨です。
 
裸身重量735グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,078グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘

無銘
– Mumei –
 
 
元先の幅差程好く開き、反り浅目で切先やや延びごころ。地鉄は小板目柾流れて少しく肌立ち、大肌立つ。刃文は直刃で一部に小湾れを交え、足入り、刃中や刃縁に微細なる働きが見られ、物打より先では特に足や金筋が顕著に見られ、鋩子は表裏共に直ぐに丸く返っています。
刀身の下半に肌の荒れや疵が見られるため、刀剣が美術品として扱われる現代に於いては、その金銭的価値は低く評価せざるをえませんが、附属の手が込んだ二重はばきを見るに、侍の時代にはそれはそれは大切に扱われていた様子が手にとるように垣間見られます。
また、既製品の鞘に納まりますので、安価にて拵製作が可能です。疵があるからとぞんざいに扱われず、武用刀として大切にご所持頂ければ幸いに存じます。勿論、刀剣趣味初心者の方にも鑑賞刀として、お手頃でお薦めの一刀です。
 
裸身重量762グラム。
 
 
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無銘(古吉井)

無銘(古吉井)
– Mumei (Ko Yoshi) –
 
 
吉井派は鎌倉時代後期以降、備前の吉井川を挟んで長船村の対岸の地で作刀した為則を祖とする刀工一派です。鎌倉時代後期から南北朝期までの物を古吉井、室町期以降の作を吉井と呼称します。同派は次の室町期にも栄え、他の備前諸派が長船派にほぼ統合されてからも、小互の目乱れを連れた刃文を焼く作風を墨守しました。
 
この刀は大きく磨り上げられるも今尚つ力踏ん張りがつき、小板目杢交じりの地鉄は流れ、地景入り、少しく肌立って淡く映り立ち、刃文は小沸本位の互ノ目乱れで、所々に蛙子丁字風の刃を交え、刃中の随所に砂流や金筋が看取出来、鋩子は直ぐに焼きたっぷりと丸く返るなど、古名作には必ずと言って良い程見受けられる繕いが無く、総じて健全であり、然るべき研磨を施せば近い将来重要刀剣指定を受けるものと思われます。
 
附属の陸軍刀拵は、第二佩鐶が逸失した元九四式拵で、目貫には桔梗紋があしらわれています。拵の表裏で色が異なるのは、戦後のGHQによる刀狩りの際、家伝の刀を渡してなるものかと、囲炉裏の上に長らく隠し置いていたためによります。
 
刀身の長き歴史もさることながら、GHQによる刀狩りに旧所有者が身を挺して守り抜いた事実等、歴史浪漫を感じさせる鎌倉後期の名作を、是非この機会に御入手下さい。
 
裸身重量642グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,004グラム。
 
 
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備州長船則光

備州長船則光
– Bishu Osafune Norimitsu –
 
 
元先の幅差程好く開き、切先延びた鋭利な姿。反りやや浅目で刃味の良さを感じさせます。地鉄は大杢目が肌立ち、段映りが見られ、刃文は匂口明るく締まった直刃で、所々に互ノ目ごころを交え、小さな金筋が刃中に見られ、鋩子は直ぐに丸く返っています。
 
既製品の鞘に納まるので、安価で武用拵の製作が可能です。※拵新調の際にははばきも新調なさってください。
 
裸身重量616グラム。
 
 
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相模國住靖要行年五十七才作 為工藤弘氏昭和四十七年八月日

相模國住靖要行年五十七才作 為工藤弘氏昭和四十七年八月日
– Sagami no kuni ju Yasuaki –
 
 
本名、増田要。大正4年1月10日栃木県生まれ。神奈川県茅ヶ崎住。元東京九段靖國神社内日本刀鍛錬会刀匠、昭和19年元陸軍大臣杉山大将より「靖要」を受銘した靖国刀匠12人の1人で、靖國神社奉納刀、陸海軍の軍刀を鍛錬しました。戦後は昭和28年より作刀を再開し、新作刀展では優秀賞を含む数々の賞を16回受賞しています。
 
この太刀は元幅と先幅の差さほど目立たず切先延びごころの力強い姿に、小板目良く練れて地沸付き、細かな地景が入った精美な地鉄に、ふんわりとした匂口明るい互ノ目と互ノ目丁字を焼き上げ、所々に尖りごころの刃を交え、刃縁には荒沸が付き、足よく入り、金筋や砂流も看取され、鋩子は表裏共に直ぐに丸く返るなど、迫力ある出来口を示す一太刀です。
 
裸身重量924グラム。
 
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於頭山満翁邸内 笠間一貫斎繁継作  昭和十一年八月日 八幡大菩薩

於頭山満翁邸内 笠間一貫斎繁継作  昭和十一年八月日 八幡大菩薩
– Oite Toyama Mitsuru O Teinai Kasamaikkansai Shigetsugu –
 
 
笠間一貫斎繁継刀匠は、本名を笠間義一といい、明治19年静岡県に生まれました。はじめ伯父にあたる宮口一貫斎繁寿刀匠に作刀を学び、後に森岡正吉刀匠からも学びました。
宮内省御刀係拝命。日本東部鍛練刀工業組合副理事長、東京赤坂日本刀伝習所師範、日本刀鍛錬法の復旧伝承に努めます。帝展最優位に入選し、数々の献上刀を作成しました。
東京赤坂にあった栗原彦三郎の日本刀伝習所の初期の師範を務めた後、昭和10年(1935)には頭山邸内常盤松刀剣研究所で鍛刀し、主任刀匠となりました。
人間国宝となった宮入昭平、繁継の女婿となった塚本起正の師としても知られる現代の名工の一人で、昭和40年3月11日に80歳にて没しました。笠間一貫斎繁継、一貫斎正輝、一貫斎繁継、一貫斎笠間繁継、繁継、等と刻銘し、 作風は沸がよくついた丁子乱れを最も得意とし、またその彫技は機密を極めて上手です。
 
この刀は腰元から反り、元先の幅差程好く開いて切先が延びた鋭い姿。地鉄は小板目柾流れて肌立ち、刃文は互ノ目に互ノ目丁字を交え、匂口明るく、足よく入り、刃中には砂流や金筋が顕著に見られます。
素人が茎の錆を耐水ペーパー等で落としてしまい、鏨枕が失われていることが非常に惜しまれます。
 
裸身重量749グラム。
 
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肥前國近江大掾藤原忠廣

肥前國近江大掾藤原忠廣
– Hizen no kuni Omi Daijo Fujiwara Tadahiro –
 
 
近江大掾忠廣は初代肥前國忠吉の子で、幼名を平作郎と称しました。彼が十九歳の時、寛永九年八月に父忠吉が六十一歳で没した為、若くして家督を継ぎましたが、既に一流刀工としての技を会得しており、一門を統率して家名を盛り立てたました。
こうして一人立ちした平作郎は、父と同じく新左衛門と名を改めて、佐賀藩工として鍋島勝茂に仕え、寛永十八年には近江大掾を受領。刀剣需要の多い時期に佐賀藩工として門弟を統率しながら数々の優れた作品を残しました。
近江大掾忠廣の知名度は高く、大業物に列位するほど斬れ味も優れ、現代に於いても人気を博す江戸前期の肥前忠吉家の名工で、事実上の二代忠吉ながらも、生涯に渡り忠吉銘は切らず、忠廣とのみ銘を切りました。
貞享三年、嫡子陸奥守忠吉(三代忠吉)の亡き後は孫の近江大掾忠吉(四代忠吉)を指導し、元禄六年五月、八十歳の高齢をもって天寿を全うしました。
作刀期間は六十有余年に及び、肥前刀の名を世に高らしめた稀代の名工です。
 
この刀は元先の差が開き、反り程好い優しく上品な姿に、小板目よく練れて地沸付いた地鉄に、中直刃に小湾れを交えた刃取りで、匂口は明るく冴え、小沸豊かに互ノ目や砂流を交え、鋩子は直ぐに丸く返っています。
 
附属の拵は完全なるうぶ品で、金象嵌が眼を惹く肥後金具の名品を用いた半太刀拵。拵だけでも独り歩きできる名拵です。
 
裸身重量758グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,046グラム。
 
 
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新寺東泉忠吉魂 観音経三万三千七十巻 南無阿弥陀仏(平高田)

新寺東泉忠吉魂 観音経三万三千七十巻 南無阿弥陀仏(平高田)
– (Taira Takada) –
 
 
豊州高田派は豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄えた刀工一派で、古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから、藤原高田と汎称します。古来より実用刀としての評価が高い一派で武用刀として数多の武将に愛用されました。
 
この刀は作者銘は切られていませんが、四角い目釘孔と長文の切り付け銘、そして棟に深々と残る大きな斬込み傷が印象的で、銘文を見るに、東泉寺と言うお寺を造営するに当たり、忠吉なる人物が観音経と共に本刀を奉納したとあります。その後どのような経緯をもって寺の外に出たのかはわかりませんが、三万三千七十巻の経典と共に奉納されていた由緒と歴史浪漫を満喫できる一刀です。
 
作風としては、腰元よりやや上から反り始め、大きく踏ん張り付き、鋩子は延びて鋭さを感じさせ、地鉄は小板目杢交じりでよく練れて詰み精美なるも少しく肌立ち、刃文は匂口明るく、細かな互ノ目丁字に角張った丁字刃を交え、刃中よく足・葉入り、金筋や飛焼風の刃を交え、鋩子は直ぐに丸く返っています。戦が多かった実戦期に鍛えられた刀だけに、フクレ等の鍛え疵は見られますが、地刃の出来は総じて良く、美術鑑賞刀としても申し分ない作品です。
当店にて研磨を施しました。研ぎ上がりならではの地刃の冴えをお楽しみ下さい。
※附属の拵の柄頭にぐらつきが見られますが、簡単に補修可能です。
 
 
裸身重量687グラム。  拵に納めて鞘を払った重量959グラム。
 
 
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出雲守藤原吉武(二代)

出雲守藤原吉武(二代)
– Izumo no kami Fujiwara Yoshitake(2nd Gen) –
 
 
出雲守藤原吉武は山城の刀工で、初代は京堀川派で堀川國武の子です。三条吉則の末流と伝え、後に江戸に移住しました。法城寺一派と交流があったと思われ、合作名の作品も残っています。
 
この脇指は越前三代國次の三男で、後に初代吉武の養子となった二代吉武。俗名川手吉左衛門の作で、作風としては初代が堀川色強いのに対し、二代からは江戸新刀色が強くなり、この脇指もその例に漏れず、元先の幅差程好く開いた姿に、小板目肌よく練れて少しく肌立ち、地沸付いて地景入った地鉄。刃文は小湾れ調子に互ノ目を交え、一部には打除風の刃も見られ、刃中には砂流や足・葉が看取出来、刃縁は小沸に包まれてふわりと柔らかな印象を受けます。鋩子は直ぐに丸く返っています。
 
附属の拵は色良い上質の赤銅製の金具で統一されており、縁頭と鐔は抱茗荷紋の一作金具。おそらく失われてしまった小柄も一作で造られた同紋のものであったのではないでしょうか。格式高い拵であり、はばきも元々は金または銀の着せであったことが窺えます。
 
裸身重量304グラム。  拵に納めて鞘を払った重量539グラム。
 
 
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備前長船住祐恒作 天保十年八月日

備前長船住祐恒作 天保十年八月日
– Bizen Osafune ju Suketsune –
 
 
祐恒は横山祐永の門人で祐直の子。現存する作品が少なく貴重です。
この脇指は元先の差が開いた優雅な姿で、帽子はやや延びごころ。杢目肌が良く練れて所々肌立って精美。刃文は匂口明るく冴えた互ノ目丁子を巧みに焼き上げており、足入り、帽子は直ぐに丸く返っています。
茎の状態も良く、古びた現代刀程度の茎錆で、今尚光る部分も残っています。
特別保存刀剣鑑定を是非御受審頂き、お客様の手で出世させてください。
簡易武用拵新調済みです。
 
裸身重量441グラム。  拵に納めて鞘を払った重量642グラム。
 
 
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