東都住源義治作 ~地刃拵共に見事な一刀~

東都住源義治作 ~地刃拵共に見事な一刀~
東都住源義治作
– Toto ju Minamoto Yoshiharu –
 
義治は栗原彦三郎昭秀の門人で、日本刀伝習所で作刀を学び、笠間一貫斎繁継や宮入行平と同時代の刀匠で、戦時中には軍刀の製作にも従事しました。義治の名は子息で目覚ましい活躍をされている新保基平刀匠の前銘として初期に踏襲されたました。
技量高い刀工でありながらも、日本刀銘鑑にはその詳細は記されていません。
 
この刀は小板目よく練れて詰んだ地鉄に地沸が厚く付き、チリチリと地景が入って縮緬状を成した肌が精美であり、刃文は匂口明るく冴えた互ノ目乱れを焼き落としとし、刃中の所々に深い足が入り、尖り刃ごころの刃を交え、鋩子は直ぐに先丸く返っています。
 
附属の拵は茶の石目に朱の蛭巻を施した粋な鞘で、柄は卯の花色の蛇腹巻。本刀に深い愛情が注がれていた様子が窺えます。
鞘を払って構えてみると、中程から手元重心でバランスが良く、柄にはがたつきが無くしっかりとしています。
指表に一部薄錆がありますが、部分研磨で除去可能です。
 
裸身重量800グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,101グラム。

助光(千手院)


助光(千手院)
– Sukemitsu(Senjuin) –

https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tachi/085/00.html

銘鑑によれば、大和鍛冶の項に助光・助平・助延・助吉など助の字を冠する刀工が確認でき、時代は鎌倉後期から室町後期に亘っています。大和助光の在銘現存の作は極僅かですが、東京国立博物館所蔵の太刀は「助光 正安三年十二月十二春」と書下し銘があり、他に特別重要刀剣指定の「助光」二字銘の太刀等が現存しています。
この小太刀は現存稀な大和助光在銘作で、大振りで太鏨の角張った力強い書体は前述の太刀と同一の銘振りである事から、その製作年代が鎌倉後期であることは明らかです。

この太刀は二尺一寸余りの小振りの太刀で、腰反りで踏ん張りがあり、鍛えが小板目詰まり、乱れ映りが立ち、地沸付き、刃文は直刃で小足入り、匂い勝ちで小沸付き、腰に砂流が目立ち、鋩子は湾れて小丸に浅く返り、腰元以外には一見備前長光を思わせるものがある。鑢目は筋違で銘は大振り。
小振りの太刀ながらも地刃が一段と優れ、乱れ映り、小丁字、鋩子などが備前風であることは奇異の感をもつが、正倉院刀の中に一脈相通ずる作るうのものがあることは偶然であろうか。今後の研究問題である。
※上解説文は日本刀講座より一部転載 小丁字の表記は他の助光の作風を合わせたもの

附属の陣太刀は柄糸の傷みもそのままに現代に伝わる名品。鞘や金具にあしらわれた九枚笹紋から、八代城主松井家に由縁ある品ではないかと推測されます。
尚、本太刀は日本刀講座古刀鑑定編上巻の211頁に所載されています。

裸身重量369グラム。  拵に納めて鞘を払った重量769グラム。

各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

濃州関住二十三代藤原兼房作之 昭和三十三年五月吉日


濃州関住二十三代藤原兼房作之 昭和三十三年五月吉日
– Noshu Seki ju 23rd Gen Fujiwara Kanefusa –

https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tachi/084/00.html

美濃の名工兼房の末葉、二十三代兼房は本名を加藤鉀一と称し、明治13年に生まれる。岐阜県関市栄町に住し、加藤善之助寿命の門人で、国工院名誉会員権大宗匠、入選、優秀賞を多数獲得しました。

この稚児刀は写真のみを見ると、一般的な刀そのものですが、刃長はなんと約一尺二寸と言う短さ。地鉄はよく詰み、刃文は匂口明るく冴えた浅い湾れで、腰元に大きな湾れを焼き、鋩子は表裏共に直ぐに、先焼詰風に短く返っています。
附属の拵は模擬刀等の類ではなく、刀職による真面目な稚児陣太刀拵で、鞘にあしらわれた葵紋も非常に丁寧な仕事が施された本蒔絵の逸品です。
裸身重量153グラム。  拵に納めて鞘を払った重量351グラム。

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備州長船祐定


備州長船祐定

– Bishu Osafune Sukesada –

https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/724/00.html

杢目肌よく練れて肌立ち、地景入る。刃文は直刃で匂口締り、刃縁に鼠足や砂流が入るなど細かな働きが見られ、物打から先は匂口がふわりと柔らかい印象を受け、二重刃風の刃を見せ、葉入る。鋩子は表裏共に直ぐに先丸く返る。

附属の拵は桐紋で統一され、鞘は篠塗の上品な出来で、内外共に見応えある一刀です。

裸身重量515グラム。  拵に納めて鞘を払った重量793グラム。

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NHK『美の壺』~魂宿る 刀剣~ 再放送のお知らせ

美の壺

「魂宿る 刀剣」(初回放送:2020/9/4)

アンコール放送:9月   3日(金) 後19:30~19:59   <BSP

再放送:9月 11日(土)   前06:45~07:14 <BSP・BS4K

再々放送:9月17日(金)   後12:30~12:59 <BSP・BS4K

成家
無銘(成家)
– Mumei (Nariie) –
 
成家は小反り派に分類される備前の刀工で、一説に光忠の弟である景秀の孫とも伝えられます。銘鑑によれば文和・康安・応安・永和・永徳の年紀が確認されており、また、作風及び銘字などから、兼光との関係も窺えると本間薫山先生は記しておられます。
彼の技術は同年代の兼光一門の政光に比して優るとも劣らぬもので、互の目や湾れ交じりの乱れ刃を多く焼いています。
 
この刀は小板目杢交じりの肌がよく練れて少しく肌立って淡い乱れ映りを見せ、刃文は直刃基調に小互の目交じり、小足入り、匂口締まりごころに小沸付き、葉や細かな砂流を交え、金筋入り、鋩子は直ぐ調に先丸く返っています。
素人による耐水ペーパーでの錆落としが見られるので、再研磨の必要はございますが、急いで諸工作されずとも、現状でも地刃の鑑賞はお楽しみ頂けます。
いずれ研磨を施し、特保同時審査を御受審頂き、本刀をお客様の手によって出世させて下さい。
 
裸身重量774グラム。

備州長船祐定作 天文五年八月日

備州長船祐定作 天文五年八月日
– Bishu Osafune Sukesada –
 
 
末備前物と称される室町末期の刀工中、祐定銘の作刀は多く、中でも与三左衛門尉、源兵衛尉、彦兵衛尉が有名です。
刀剣の需要が多く求められた戦国期、備前刀は数多の戦に向けて数多く鍛えられ、そうした実用刀で俗名を銘切っていない末備前物を、数打と卑下する悪習が刀剣界にはありますが、粗製乱造されたわけではなく、俗名を銘切っていない作品の中にも、驚く程出来が良い作品が多々見受けられ、中には俗名個銘極めまで可能な出来優れた作も見られます。
 
腰より先で強く反り、元先の幅差開き、切先延びた鋭くも美しい姿。地鉄は杢目肌が柾に流れて少しく肌立って淡く映り立ち、刃文は匂口明るい互ノ目を焼きあげ、刃中には足がよく入り、砂流や葉も看取でき、表裏乱れ込み、先丸く返る等、末備前らしい出来口を示す逸品です。
 
附属の拵には葵があしらわれており、切羽もすり替えられることなくうぶのまま。更には上質の金着二重はばきが添えられていることや、昭和26年3月と早い時期の大名登録である点からも、徳川や松平家に由縁の一刀であったことが覗い知れます。セール期間ならではのお求め安いこの時期に是非御入手下さい。
 
裸身重量695グラム。  拵に納めて鞘を払った重量949グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

藤原重行(高田)

藤原重行(高田)
– Fujiwara Shigeyuki (Takada) –
 
 
豊州高田派は豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄えた刀工一派で、古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから、藤原高田と汎称します。古来より実用刀としての評価が高い一派で武用刀として数多の武将に愛用されました。
 
本刀の作者である重行は、俗名を四郎左衛門と言い、新刀期の高田重行二代になります。作風は隣国である肥前の刀に作風が酷似する物が多く、特に近江大掾藤原忠廣に似ることから、数多の重行刀が肥前刀の銘に改竄されて来ました。
 
この刀は気持ち反り浅目で元先の幅差開き、小板目杢交じりの地鉄よく練れて少しく肌立ち、刃文は匂口明るく冴え、直刃基調に匂口締りごころ。刃縁に微細なる働きを見せ、鼠足や葉を見せ、鋩子は表裏共に焼きたっぷりと直ぐに丸く返っています。
 
附属の拵は大振りの鉄地天保鐔が添えられ、切羽は頑強なる厚切羽が用いられています。鞘を払って構えてみると、手元から中程重心でバランス良く、扱い易さを感じさせます。
※鐔の責金及び切羽の加算をお薦め致します。
 
裸身重量751グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,092グラム。
 
 
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無銘

無銘
– Mumei –
 
 
元先の幅差さほど開かず、物打の身幅もうんと広い試斬稽古にうってつけの一刀です。湾れ調子に互ノ目を匂口明るく焼き上げており、鍛錬疵皆無。表裏に刀樋が掻かれ、見た目の割に手元重心でバランスが良い。
 
裸身重量823グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,108グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

肥前國(藤原忠廣・二代)

肥前國(藤原忠廣・二代)
– Hizen no kuni (Fujiwara Tadahiro 2 Gen) –
 
 
近江大掾忠廣は初代肥前國忠吉の子で、幼名を平作郎と称しました。彼が十九歳の時、寛永九年八月に父忠吉が六十一歳で没した為、若くして家督を継ぎましたが、既に一流刀工としての技を会得しており、一門を統率して家名を盛り立てたました。
こうして一人立ちした平作郎は、父と同じく新左衛門と名を改めて、佐賀藩工として鍋島勝茂に仕え、寛永十八年には近江大掾を受領。刀剣需要の多い時期に佐賀藩工として門弟を統率しながら数々の優れた作品を残しました。
近江大掾忠廣の知名度は高く、大業物に列位するほど斬れ味も優れ、現代に於いても人気を博す江戸前期の肥前忠吉家の名工で、事実上の二代忠吉ながらも、生涯に渡り忠吉銘は切らず、忠廣とのみ銘を切りました。
貞享三年、嫡子陸奥守忠吉(三代忠吉)の亡き後は孫の近江大掾忠吉(四代忠吉)を指導し、元禄六年五月、八十歳の高齢をもって天寿を全うしました。 作刀期間は六十有余年に及び、肥前刀の名を世に高らしめた稀代の名工です。
 
この刀は磨り上げられた際に忠廣の個銘は失われるも、元先の幅差程好く開き、切先延びごころの上品な姿を留めており、地鉄は小板目肌よく練れて詰み、地沸ついて精美な所謂小糠肌となっています。刃文は匂口明るく、緩やかな大湾れ調の刃取りで、刃中には足が盛んに入り、湾れ一山を細かい互ノ目または互ノ目丁字風に成し、砂流や金筋も看取できる。鋩子は表裏共に直ぐに丸く返っています。
 
附属の拵には西郷隆盛が維新の功績により、明治天皇から頂いたと言われる『抱き菊の葉に菊』の紋が蒔絵されており、書付や伝来を示す資料は無いものの、何かしら西郷隆盛との繋がりを匂わせています。龍虎を題材にした一作金具、特に大きく張った独特の鐺は、本拵の格式の高さを感じさせます。拵も是非特別保存刀装審査を御受審下さい。
※はばき棟の方で金着の合わせ目が割れています。
 
裸身重量669グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,056グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。