八王子住重利作 平成十七年八月日 ~身幅広い豪壮な一刀~

八王子住重利作 平成十七年八月日
– Hachioji ju Shigetoshi –
 
本名、佐藤利美。昭和19年生。東京都八王子市中野山王住。昭和47年に30歳で起業し、現在は中学校の教材販売会社「北誠社」の社長を務めている。
30代後半から刃物作りに興味を持ち、岩崎重義刀匠に師事し、翌年に昭和の名工と謳われた長島宗則刀匠の知遇を得る。昭和63年には岐阜県関市の大野兼正刀匠に師事。平成4年に刀匠としての認可を受け、同年、鍛錬所を開設。古刀期から存在する武州下原刀の再現に取り組んでいることで知られる刀匠です。
 
この刀は元先の幅差さほど開かず、元幅、先幅共に幅広の豪壮な造り込み。表裏に刀樋を掻き流し、板目鍛えの地鉄肌立ち、地景入る。刃文は互ノ目乱れで刃中には足入り、砂流顕著に現れ、鋩子は表裏共に乱れ込んで先大丸に返っています。
 
付属の拵は本刀のために誂えられた本拵で、鞘を払って構えてみると、手元重心でバランス良く、柄にガタツキは無くしっかりとしています。
※部分錆と、帽子フクラに小さな刃捲れが在ります。
 
裸身重量864グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,220グラム。

脇差 備中守藤原清宣 承應二年八月日 ~地刃の出来抜群!!清宣傑作刀!~

備中守藤原清宣 承應二年八月日
– Bicchu no kami Fujiwara Kiyonobu –
 
備中守藤原清宣は、美濃関七流の徳永派の鍛冶で、初代近江守清宣の子です。鍛刀の評価としては初代より上手と云われ、地刃優れた作品を残しています。
 
この脇指は、元先の幅差が上品に開き、重ねも厚く健全。反りが程好く美しい姿に、小板目杢交じりで鎬際柾目の肌がよく練れて詰み、地沸ついて地景入り、なんとも言えぬ精良な地鉄。刃文は匂口明るい中直刃で、僅かに広狭を持たせ、一際明るく二重刃を焼き、互ノ目足入り、物打辺りには解れ風や食い違い風の刃を交え、帽子は直ぐに先丸く返り、単調なる直刃に見えるも見どころ多く、美術館商用上研磨の状態も良い上に、キッチリとした下地研磨がなされているため、見た目にもスッキリと、凛と整えられた姿に地刃の見事な冴えは、飽きを感じさせず、まさに備中守藤原清宣名作中の名作です。
 
裸身重量582グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

脇差 藤原豊政 ~昭和26年福岡県大名登録刀!黒田家由縁と思しき一刀!!~

藤原豊政
– Fujiwara Toyomasa –
 
豊州高田派は、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄えた刀工一派で、古刀期の作に平姓を銘切るものが多いため、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから、藤原高田と汎称します。
古来より実用刀としての評価が高い一派で武用刀として数多の武将に愛用されました。
 
この脇指は天正頃に活躍した豊政と鑑られ、元先の幅差開いた上品な姿に、杢目肌柾流れの地鉄がよく練れて詰むも少しく肌立ちごころで、鎬際に移りが立ち、刃文は匂口締りごころの直刃で、小沸が盛んに付き、刃縁に繊細な働きが看取され、帽子は直ぐに丸く短く返っています。
昭和26年3月1日と、大名登録の中でも最初期の登録で有ることから、黒田家由縁の一刀であったのではないかと思われます。
現状でも地刃のご鑑賞をお楽しみ頂けますが、出来が良い一刀故に余力有る方は是非とも化粧直し等、再研磨を施して頂き、末永くご愛蔵頂きたく思います。
 
裸身重量385グラム。
 
 
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刀 備州長船祐定作 天文五年八月日 ~映り立つ地鉄!冴えた匂口!鑑賞刀として申し分ない一刀!完全うぶの拵も魅力的!~

備州長船祐定作 天文五年八月日
– Bishu Osafune Sukesada –
 
末備前物と称される室町末期の刀工中、祐定銘の作刀は多く、中でも与三左衛門尉、源兵衛尉、彦兵衛尉が有名です。
刀剣の需要が多く求められた戦国期、備前刀は数多の戦に向けて数多く鍛えられ、そうした実用刀で俗名を銘切っていない末備前物を、数打と卑下する悪習が刀剣界にはありますが、粗製乱造されたわけではなく、俗名を銘切っていない作品の中にも、驚く程出来が良い作品が多々見受けられ、中には俗名個銘極めまで可能な出来優れた作も見られます。
 
腰より先で強く反り、元先の幅差開き、切先延びた鋭くも美しい姿。地鉄は杢目肌が柾に流れて少しく肌立って淡く映り立ち、刃文は匂口明るい互ノ目を焼きあげ、刃中には足がよく入り、砂流や葉も看取でき、表裏乱れ込み、先丸く返る等、末備前らしい出来口を示す逸品です。
 
附属の拵には葵があしらわれており、切羽もすり替えられることなくうぶのまま。更には上質の金着二重はばきが添えられていることや、昭和26年3月と早い時期の大名登録である点からも、徳川や松平家に由縁の一刀であったことが覗い知れます。
 
裸身重量695グラム。  拵に納めて鞘を払った重量949グラム。
 
 
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刀 無銘(高田) ~片手打体配!短寸ながらも姿バランス良く、樋入りなので少年用の武用刀としてもお薦めの一刀!!~

無銘(高田)
– Mumei(Takada) –
 
豊州高田派は南北朝時代豊後高田(現在の大分市内で大分郡高田村)を中心として栄えた一派で、建武頃の筑前左文字の門人『友行』を始祖としています。
古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから藤原高田と汎称します。
古来より実用刀としての評価が高い一派で、武用刀として数多の武将に愛用され、戦国時代には豊後国の大友宗隣のお抱え工となり、また九州各地の豪族達の需めに応じて美濃国の関鍛冶や備前国の長船鍛冶に匹敵する繁盛をしました。
作風は備前・相州に私淑した物や、美濃伝風の三本杉尖り互の目、山城風の腰反り付いた姿の良い作に直刃を焼くなど広範囲で、直刃は刃中に針で突いた様なと形容される葉の働きが特徴的で、新刀期に入ると高田を中心として豊前小倉や豊後中津などで鞴を構えて鍛刀しています。
 
この刀は磨上ではなくうぶであり、茎が短目で短寸であることからも察せられるように、室町中期に流行った片手打の体配で、元先の幅差程好く開き、切先やや延びごころで姿良く、表裏に刀樋を丸留めにし、杢目鍛えの地鉄は少しく肌立ち、刃文は匂口明るく冴えた小沸本位の直刃で、刃中には足が頻りに入って直刃調小互ノ目乱れを成し、横手下から焼き幅を広げ、帽子は表裏直ぐに丸く返っています。
樋入り故に少年用の武用刀としてもお楽しみ頂けます。手持ちバランスも良い一刀です。
 
裸身重量555グラム。
 
 
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刀 肥前國宗治 ~ 伊予掾宗次系の良工による優作!地刃見事!!~

肥前國宗治
– Hizen no kuni Muneharu –
 
 
伊予掾宗次系の刀鍛冶。
元先の差が開き、切先延びた鋭い造り込みで、地鉄は小板目肌よく練れて地沸ついて地景入り、淡く映りごころがある。刃文は匂口明るく冴えた直刃で、小足が入り、先の方では僅かに湾れごころを交え、横手下より焼き幅を広げつつ、帽子は直ぐに先丸く返る。
 
既成鞘に納まるので簡易武用拵製作が可能です。税込み66,000円で拵を作ることが可能です。
 
裸身重量729グラム。
 
 
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