無銘 ~研磨仕上がったばかり~

無銘 ~研磨仕上がったばかり~

無銘
– Mumei –
 
杢目鍛えの地鉄が肌立ち、腰が開いた互ノ目乱れを焼き上げた作品で、刃縁には砂流や金筋、足等の働きが見られ、美術鑑賞刀としてお楽しみ頂ける出来口です。
当店にて美術鑑賞用上研磨を施しましたので、研ぎ上がったばかりの地刃の冴えを存分に御堪能頂けます。
 
裸身重量442グラム。  拵に納めて鞘を払った重量654グラム。

河内大掾國定

河内大掾國定
河内大掾國定
– Kawachi daijo Kunisada –
 
國定は美濃の名工兼定の流れを汲む会津兼定一門の刀工で、俗名を古川孫太夫。正保中河内大掾を受領。刃味に定評があり、業物指定されています。入道兼定の弟としても知られます。
 
この脇指は杢目肌良く練れて詰み、少しく肌が立ち、鎬地は柾が強く現れた地鉄に、匂口明るく冴えた湾れ調子に互ノ目を交えた刃取りで、刃中には金筋が見られます。
 
※未鑑定刀ですが、保存刀剣審査受審の価値はある一刀です。
 
裸身重量464グラム。

伯州住秀春 ~強度試験を合格したものにしか銘切らなかったと伝わる利刀~

伯州住秀春
– Hakushu ju Hideharu –
 
伯耆國八橋の刀工である伯州秀春は、本名を藤本和一郎と言い、文政4年8月7日、藤本林蔵の長男として八橋村に生まれました。天保9年17歳の時に汗入郡(現西伯町)の野鍛冶貞島伸吉の所に8年間奉公し、単調な野鍛冶に飽きて刀工を志し、弘化3年25歳の時に江戸に出て、出羽國出身で大慶直胤の門人である山本嘉伝次秀直の弟子となりました。鍛刀修行すること5年、師匠の名前を一字貰い受け『秀春』と命名。彼は帰国の途中、伊勢の神戸山田新町にて3~4年鍛刀しました。『伊勢国山田新町住一雲斎秀春』と銘切られた作品があると伝えられおり、安政4年、郷里八橋村に帰り刀鍛冶を開業。壮年以後の作刀に『尚春』と切ると言われ、『秀春』『尚春』は同一刀工であり、長男は『尚家』と切りその後『直綱』と改名したとも伝えられています。
作風は備前伝をよくし、鍛えは小杢目良く詰み無地風となり、刃紋は、匂の締まった直刃が多く、互の目の乱れ丁子刃等もあります。 また、【秀春】は出来上がった刀を雨石の間に渡し、その上から大石を落として強度試験を行い、折れたり曲がったりするとまた打ち直し、満足できる作品にしか銘切りを行わなかったと言います。
慶応2年八橋城主(池田家の家老)津田元永がこのことを聞き、抱え工となるよう勧めるも聞き入れず、その為八橋から追放され赤崎町の別所尻夫婦岩付近に追放されました。赤貧の中にも作刀に精魂を傾け力作を作ったといい、秀春が鍛える刀は折れず、曲がらず、良く斬れたそうで、原材料には日野産の印賀鋼を用いたそうです。 秀春は明治22年3月1日、69歳にて没し、その墓は八橋の妙覚山法輪寺にあります。廃刀令後は和一と銘し親子仲良く刃物、農具等を作るも、こちらも切れ味が良く、和一鍛冶の刃物は評判が高かったと言います。
 
現状のままでも地刃の御観賞は可能ですが、この刀に見合わぬ研磨がかけられているため、願わくば再度上研磨を施して頂きたく、研磨代を考慮した価格で御案内致します。
写真ではあまり匂口が冴えていないように見られますが、しっかりと内曇を効かせた研ぎに変えますと、利刀として名声高き秀春の明るく冴えた匂口と、緻密に練られた小杢目肌をお楽しみ頂けますので、是非とも当店に上研磨を御用命下さい。上研磨御用命のお客様には、研磨代応援費として5万円を当店が負担致します。
 
裸身重量815グラム。

源昭徳作之(刻印) ~豪壮且つ華やかなる一刀~

源昭徳作之(刻印)
– Minamoto Akinori –
 
昭和に岡山で活躍した中田昭徳の長大な作品。聖代刀匠位列に於いては「良工の上位」良業物小結格としてその名を知られます。
この刀は軍刀としてではなく、昭和26年の大名登録であるところからも、元大名士族や上流階級の者からの特別な註文で鍛えられた一刀であることが窺い知れます。
現状では手入れ保存状態が芳しくないため、ヒケや擦れ傷が目立ちますが、刃中の出来を見ればその出来の良さに驚かされます。
小板目肌良く練れて詰み、匂口明るく冴えた互ノ目に丁子を交えた華やかな刃文を焼き上げ、刃中は地鉄に絡んで砂流が顕著に現れ、小板目や杢目に沸が絡み、幾重にも渦を巻く鳴門の大海を見るような出来口を示しています。
然るべき研磨を施して、更に本刀が持つ変化に富んだ地刃の冴えをお楽しみ頂きたく、研磨代を考慮したお求め易い価格で御案内致します。
 
裸身重量1,042グラム。

無銘- Mumei –

無銘- Mumei –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/923/00.html
鎬高く、元先の差が開いた優雅な造り込みに直刃調の緩やかな湾れを焼いた作品です。
手持ちバランスがとても良く、手元重心ですので実際の重さよりも軽く感じられ、居合等の片手操作に適しています。掲載写真では証明の加減で鎬地の鍛え目が目立って見えますが、実物は写真程目立ちませんのでご安心ください。
附属の拵には武道にかけた葡萄図の鐔が添えられており、武辺者にとってはお洒落な一刀です。
二尺四寸程ある拵付きの古刀を、お求め易い低価格で御案内致しますので、この機会を逃さないでください。

裸身重量735グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,062グラム。

無銘- Mumei –

無銘- Mumei –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/543/00.html
地鉄よく練れて詰み精良。匂口明るく冴えた小沸本位の直刃調小湾れ。
細身で優雅な体配であり、製作年代は南北朝頃迄遡りそうです。上研磨を施し、是非とも保存刀剣鑑定を御受審下さい。
※販売条件:当店にて研磨、保存刀剣鑑審査を御依頼頂くこと。

裸身重量296グラム。

(葵紋)越前康継作之 以南蛮鉄(二代)- Echizen Yasutsugu(Second generation) –

(葵紋)越前康継作之 以南蛮鉄(二代)- Echizen Yasutsugu(Second generation) –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/542/00.html
徳川幕府の御用鍛冶を務めた越前康継は葵紋の使用を許され、御紋康継と呼ばれた名家。二代目はその長男で、名を下坂市之丞。父の後を継いで幕府の御用鍛冶となり、初代に次ぐ名手と呼ばれています。
※現日本美術刀剣保存協会鑑定未受審刀

裸身重量534グラム。

無銘- Mumei –

無銘- Mumei –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/541/00.html
よく練れて詰んだ地鉄に直刃を焼いた作品。
薄錆がありますが地刃の観賞可能。これから刀剣趣味を始められる方に、お求め易い低価格でご紹介します。将来は是非とも再研磨なさってください。

裸身重量424グラム。

平廣國- Taira Hirokuni –

平廣國- Taira Hirokuni –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/540/00.html
特筆すべき疵欠点無し。よく練られた精良な地鉄に湾れ調子に互ノ目乱れを焼き上げた作品。
銘鑑では平廣國なる刀工が見当たりませんでしたが、平姓を冠しているところから、豊後の高田系ではないかと思われます。是非、保存刀剣鑑定を御受審下さい。

裸身重量571グラム。

豊後住藤原則行- Bungo ju Fujiwara Noriyuki –

豊後住藤原則行- Bungo ju Fujiwara Noriyuki –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/920/00.html
銘鑑を紐解くに、豊後に住す則行は、天文頃に一人、寛文頃の阿部三郎右衛門を初代として六代まで確認されています。
本刀のように豊後住藤原則行と銘切る工としては、寛文頃に活躍した初代則行が挙げられますが、活躍した時期から見ると、いささか反りが強いので、天文頃の則行かもしれません。
互ノ目に互ノ目丁子を交えた華やかな出来口で、現状では薄錆が一部見られますが、刃先には錆がないため、このままでも保存刀剣鑑定を御受審頂けます。
然るべき研磨を施し、大切に後世に伝え遺して頂きたいとの思いから、研磨代を考慮した破格値にて御案内致しますので、是非この機会に在銘刀を御入手下さい。
鐔は國廣在銘。

裸身重量764グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,140グラム。