巻藁と畳表の違い

今回は広く皆様に試斬で用いられる仮標の違いについて知って頂きたく、この記事を書いています。

日本刀を用いた試斬に於いて、よく耳にされる巻藁というもの。現在は巻藁とは名ばかりで、実際には古い畳表を巻き締め、水に浸したものが用いられています。

植物学的にも稲藁と藺草は別物であり、性質も全く異なります。

稲藁と畳表、どちらが斬りやすいか?

同じ太さで繊維の方向が全て揃っていれば、茎が太く、中の空洞部分が多いだけに、稲藁の方が簡単に斬れるのかもしれません。

斬りやすいか否かは繊維の方向の揃え方に大きく影響します。

例えば藺草であっても、畳表のように糸を使って編んでおらず、一本一本独立したものを束ねたものですと、余程の腕がない限り綺麗に両断することはできません。

ですから、正確無比なる刃筋確認稽古をすべく、私の道場では時折ばらした藺草を束ねて仮標を作り、四箇所だけで縛って斬ることも行っています。

次に両者の保湿について記載します。

藺草は一本一本が細く、太さはほぼ同じですが、稲藁は根本は太く、先は細いランダムなものとなり、そこに平たい葉も含まれます。両者を同じ太さに束ねた場合、畳表などの糸で編まれた藺草では、しっかりと詰った仮標ができあがりますが、稲藁では空洞が多い箇所、密度が詰った箇所、また、根本の部分と穂先部分とで、同じ一本の藁でありながら硬さも変わります。

畳表として編まれた藺草は、水から揚げても数時間は斬ることができますが、稲藁は見た目よりも密度に乏しいため乾燥するのが早く、水から揚げて一時間もすればかなり斬りづらくなり、5~6時間も経過してしまうと、画で見るような綺麗な両断はできず、必ず斬り終える箇所はばさけてしまい、素人目に見ると両断失敗のように映るのです。

稲藁も畳表同様に細かく糸で編まれていれば、斬り易さも増し、乾燥もいくらかましになるのでしょうが、そういったものは特注で作らない限り存在しません。せいぜい手に入る物としては、菰(こも)として販売されている物くらいですが、これは園芸用に作られていますので、簡単にばらけないよう、丈夫な麻糸で編まれており、それも細かく編まれた畳表とは異なって、せいぜい19~20箇所に麻の縦糸が入っている程度です。

菰も本来はマコモと呼ばれる稲科の植物を編んで作っていたようですが、現在では専らマコモに代って稲藁が用いられています。ですから我々が稲藁仮標を斬りたいと思ったら、菰や莚として販売されている稲藁を購入するのが手っ取り早いということになります。

続いて使用する試斬台の芯の太さについてですが、上述の通り密度がある藺草(畳表)は、だいたい直径3~4センチくらいの細いものを用いますが、稲藁は密度がないため、同径の芯では支えることができません。直径6センチ以上の太い芯が必要となります。それとて硬さにバラつきがあり、密度も部分部分で異なるため、斬っている途中で曲がったり、たわんできたりしますので、斬り手を悩ませる仮標です。

このように両者は植物学的にも、また、試斬に於ける対象物としても、全く性質が異なるものであるにも関わらず、世界中で誤認されています。

以前、ブログにも記載しましたが、ギリシャ人AGISILAOS VESEXIDIS氏が保持する「Most martial arts sword cuts in one minute (rice straw) 」の記録を、二年前に私が更新した際、圧倒的な差をつけて更新したのですが、私が斬っているのは稲藁ではなく、藺草である。と言う理由から「Most martial arts sword cuts in one minute (rush straw) 」という別カテゴリー扱いとなり、現在もAGISILAOS VESEXIDISが同一競技稲藁部門の記録保持者として認定されています。

しかし、AGISILAOS VESEXIDIS氏が用いたものは中国製の藺草マット、つまり畳表に縁をつけた茣蓙で、これは日本の畳表とは異なり、密度が無く、素人にも容易く斬れてしまう代物。そもそも海外に於いて稲藁で仮標を作ることが容易くできるものかと疑問に思った私は、「Most martial arts sword cuts in one minute (rice straw) 」の生みの親(一番最初にギネス申請した人物)であるKaripidis Kostas氏とコンタクトをとり、氏がギネス挑戦中の写真と、使用した稲藁仮標の写真を提供していただきました。

Karipidis Kostas氏

ギネスルールにのっとり、15センチ間隔で縛った箇所に切り込んでいます。

一方、現記録保持者であるAGISILAOS VESEXIDIS氏はギネスルールを全く無視しています。

上に紹介している写真と動画をご覧になれば、仮標は藺草製であることが、畳に馴染みある日本に住む方なら誰でも一目瞭然でしょう。ましてやルールを完全に無視しているAGISILAOS VESEXIDIS氏の記録が、ギネス認定を受けていることに疑問を感じる人が多いのではないでしょうか?

そして、昨夜のAGISILAOS VESEXIDIS氏とのやりとりで判明した事実は、AGISILAOS VESEXIDIS氏自身がこの藺草仮標を稲藁仮標だと誤認していたことでした。当然ながら他の多くの海外の人達が同様に誤認しています。ギネス公式認定員でさえ稲藁と藺草の違いを知らないと言う事実です。

AGISILAOS VESEXIDIS氏から提供された仮標写真を以下にご紹介致します。

細かく編まれ、一本一本が同じ太さの植物繊維。これは明らかに稲藁ではなく藺草であり、縛っている箇所が凹んでいるのは、日本の畳表とは異なり、藺草の本数が少ない中国製の茣蓙である証拠です。

斬る対象物が異なると、今後の記録にも大きく影響を与えかねません。公正に競技を行い、新たな記録に挑まれる挑戦者のためにも、世界中の人とギネスの認定員の皆さんに対し、稲藁と藺草(畳表)の違いをしっかりと認識していただく必要があります。また、茣蓙を用いるにしても、試斬用として販売されている畳表もどきでは、同じ太さの仮標であっても、切り込んだ際の硬さは日本製畳表の半分~1/3程度のものです。よく抜付の一刀で外国人がスパスパと仮標を切っている動画を見かけますが、あれこそが試斬用畳表もどきだからこそ出来る芸当なのです。また、同じ日本製畳表でも、安い畳と高級畳とでは藺草の質、密度が異なります。縦糸にもテグスのような硬い糸、丈夫な麻糸、さほど丈夫ではない木綿糸の三種類があり、使用されている縦糸によっても硬さが異なってきます。

ギネスのルールとしては「畳用に作られた藺草製畳表で、縦糸は木綿製の標準的な物」の一文を加えない限り、「Most martial arts sword cuts in one minute」と言う競技は、素材の違いという抜け穴を見つけた者によって優位に更新されていくことでしょう。これはギネスが提唱する「公正」ではありません。

 

今後の参考資料として以下に写真を提示します。

こちらは日本製の標準的な硬さの畳表。中国製の試斬用茣蓙との違いは、実生活に耐えうるよう、しっかりと藺草の密度を詰めて編まれていること。見極めのポイントは、縛った箇所が凹まない点であり、試斬用茣蓙として作られたものは、同じ太さであっても密度がないため、縛った箇所が凹み、節が出来るのが特徴です。

試斬用に作られた茣蓙ではないかもしれませんが、簡易的なビーチマットとして作られた藺草製茣蓙なので、藺草の本数(密度)が少ないために縛った箇所が節立っていることがお判りいただけるでしょう。

 

こちらは本巻藁。稲藁を束ねて作ったものになります。一本作るのに数十分の時間を要します。稲藁は肌に刺さるのでチクチクしますし、肌が赤くかぶれたりする上に、紐で締め巻かなければいけないので、手指にも相当な疲労が伴います。

本巻藁を斬ると以下の動画のようになります。素人目には斬れているのか失敗して崩れているのかわからないような感じに映ります。

菰や莚として編まれた稲藁ですと、上の動画ほどバラけはしませんが、それでも掃除は相当大変です。

菰・莚として編まれた稲藁は下の写真になります。

左右から中央に向けて稲藁を並べ編んでいます。つまり、菰の中ほどは稲藁の穂先部分。細くなる分密度が足りなくなるため、ここには半分ほどに切った藁を加えて編まれています。ですから、これを巻いて締めた場合、どうしても中央がやや太くなり、両端は幅は藁の根本の方なので、幅はあるものの密度が中央より少なくなるため細くなります。稲藁は乾燥するのが早いため、水から揚げてすぐに斬るのがベストであり、中央よりも両端の方が斬りやすいです。

 

如何でしょうか。

稲藁による本巻藁と、藺草による茣蓙巻との違い、お判りいただけたかと思います。

本日のこのブログ記事が、ギネスルールの根本に役立てて頂けると嬉しく存じます。

 

ヤフオク偽造登録証付き海軍刀顛末記

ヤフオク海軍刀顛末記

以前このブログにも記載しましたヤフオクでAさんが購入された海軍刀の顛末を記します。

大変素晴らしい顛末となりましたので、是非とも皆様にもお薦め致したく記す次第です。

 

事はAさんがヤフオクで海軍刀を落札したことに始まります。

不錆鋼の一刀で、俗に言うステンレス刀です。

落札金額は13万円程だったとうかがっています。刀としては安い部類ですが、それでも我々庶民にとって、十数万と言えば結構な金額かと存じます。

Aさんは落札したその刀の名義変更をしようとしたところ、添付されていた登録証が偽造されたものであったことが判明しました。当然ながら出品者に連絡するも返品は受け付けてもらえなかったようで、教育委員会と相談を重ね、新規登録のために現物確認審査に出向かれました。

しかしながら中心に軍事工廠の刻印が打たれていることから、登録不可と言う判断が教育委員会から下されました。

この場合、刀身を切断すれば、拵と中心(なかご)部分の所持は許されます。或いは完全に廃棄処分の手続きをとるかの二択となります。

しかし私がAさんを評価するのは、そのどちらの選択もされず、第三の選択をされたことです。

それは…

 

寄贈

 

です。

 

この海軍刀を今の姿のまま残したいと切望されるAさんの御相談に、私はメールで対応させていただきました。その中で直近で頂いたメールをご紹介致します。

 

 

以下Aさんからのメール
こんばんは、返信を頂きまして有難うございます。
ブログに取り上げて頂けるとの事で、嬉しさと共に大変恐縮しております。
今回ようやく寄贈先が無事見つかりましたが、それまでに自衛隊広報、護国神社、遊就館や大和ミュージアム、博物館や美術館なども随分あたらせて頂きました。
寄贈受け付けを表明されていても、やはり登録が付かない軍刀は何処も敬遠されますね。
そもそも登録が付くなら私は決して手放したりは致しません。
大阪府の教育委員会担当者の配慮のお陰もあり、最終的にこちらが寄贈を強く推せる結果となりました。
購入費用などは働けばまた手に入るものですが、戦後を生き延びた貴重な軍刀は唯一無二の存在ですから代わりはありません。
それを考えれば、この先も宇佐市の資料館にて永くその姿を留めて頂く事となりましたらこれ幸いです。
資料館との事なので、宇佐市に足を運ぶ機会があれば、また目に触れる機会もあるかと思います。
刀剣に対してズブの素人ではありますが、せめて心だけでも自分に恥じないように心掛けたいと思います。
切断して拵だけでも手元に置いておこうと損得勘定で考えてしまいがちになるものですが、Aさんは一振の軍刀の貴重な存在価値を最優先に考慮され、ご自身の金銭的損害は二の次に、件の海軍刀を資料館に寄贈されました。
私は同じ刀剣趣味人としてAさんの心ある対処に感銘を受けると共に、同じく登録不可の烙印を押されて廃棄されてしまう軍刀類を、一振でも多く健全な姿のまま次の時代に遺せる方法があるということを、今回の記事で皆様に知って頂ければと思い、今回この記事を書かせていただきました。
無鍛錬の軍刀に美術的価値は無いか?
全く美術的価値が無いわけではありません。
GHQによる占領下にあって、数多の日本刀を護るべく、佐藤寒山、本間薫山両先生が苦渋の決断の下、戦前戦中に作られたマシンメイド製日本刀を人身御供として差し出す代りに、古い時代の刀剣や、技量高い近代・現代刀匠の作品を護られたのです。
先の敗戦からもう70年以上経過しています。
軍刀は日本刀史における一時代を担う存在であり、これを無視しては日本刀史にぽっかりと穴が空いてしまいます。
そろそろGHQの呪縛から解き放ち、軍刀も他の美術刀剣同様に、堂々と登録所持できるように法改正して頂きたいと強く願うばかりです。

日本刀よもやま話 ~刀剣店、研師選びは慎重に~

日本刀研磨に関しては、お店によって大きな差があるものとつくづく実感しています。

例えば、同じ8,000円/寸であっても、下地も異なれば仕上げも異なるのです。

仕上げの悪さは化粧直しし直せば良いのでまぁ許せるとしても、下地研磨が悪いものは絶対にいただけません。

 

お譲り頂いたとある御刀、前所有者家伝の品であり、前所有者は刀剣知識がないまま、某刀剣販売店にて以下の諸工作を施したそうです。

・研磨160,000円

・銀はばき30,000円

・白鞘50,000円

これが消費税込みなのかどうかわかりませんが、合計24万円。

値段だけを見れば妥当なところなのですが、問題は研磨です。

まず気になったのが、刀身の曲がりを修正せずに研磨していること。

考えて頂ければ解ることですが、曲がった状態のままで研磨すると、砥石が当るところ、当らないところが出て、結果無駄に肉を落とし、研ぎ減らせてしまいます。

私は刀身の曲がりや捩れに関しては、私の右に出る者は居ないと豪語するほどシビアに直します。これには他の研師達も驚き、その追随を許さぬ程で、とある有名な一流研師も、彼が芯出し(研磨前の曲がり直し作業)した刀に対し、私が僅かな曲がりやまだ修正できる箇所を指摘したところ、

「え!? まだ直す箇所がありますか? 私には判りません。」

と驚嘆した程です。

 

私自身自覚していることなのですが、どうも私は軽度のADHDのようです。

自分が興味を示さないものには全く無関心。しかし興味を示すものに関してはとことん集中してしまいます。

研磨し出すと食事も摂らずひたすら研ぎ続けますし、他の研師による芯出しには素直に納得できたことが殆どありません。

そのため私は時間が許す限り、研ぎに預ける刀剣の芯出しは、面倒でも自分で行ってから預けています。

 

市場でも、他の刀剣商と私の刀の見立ては全く異なり、他が姿と地刃を見るだけなのに対し、私は刃筋、棟筋、中心の肉置き、柄の芯などを徹底して見るので、同じ刀剣業者からは異質な存在に映っているようですが、単なる美術鑑賞用ならまだしも、実用刀になればなるほどこうした細かい確認が必要なのです。

少々話が脱線しましたが、美術鑑賞刀として地位を確立された現代であっても、そもそもが武器である以上、私は曲がりや捩れがないほうが刀としては相応しいと考えています。

私の店で扱う刀剣類全てが芯が出ているかと言えばそうではありません。仕上げ研磨まで施してある刀剣に対し、曲がり直しを行いますと、表面的な撓えが現れてしまうからです。人体でも急激に痩せると肉割れとして痕が残るのと同じ。刀も曲がりを直すと皺が出来てしまうのです。※ゆっくり時間をかけて直してやると皺は発生し辛いですが…

ですから研ぎあがっている刀に関しては極端に曲がりが目立つもの以外、妥協できる範疇のものはそのままご紹介し、一方で私がプロデュースする武用刀に関しては、完全に全ての芯出し作業を徹底して行い、寸分の狂いもない状態でご紹介しています。

勿論、研ぎあがり状態であっても、私自身による芯出しご希望の場合は直してからお納めします。※但し有償です。

 

さて、当該刀剣の研磨諸工作をどちらのお店でされたのか、お客様からおうかがいした際に、御刀を見るまでも無く「あ、ダメだな。」とは他のお客様方からこれまで耳にした評価と噂からピンと来たのですが、実際に拝見させて頂くと悪いところが気になって気になって仕方ありません。正直言うとお客様が気の毒で仕方ありませんでした。

私は自身が刀の研磨も手がけるため、特に下地研磨にはうるさいわけですが、私の店では160,000円も請求するに値しない研磨。何よりも酷いと思ったのが、その刀には簡単に目視できるレベルの刃切があったこと。

研磨前の状態を存知あげませんので、研磨前から刃切が確認できたのかはわかりませんが、仮に刃切が確認できる状態で研磨依頼されたなら、私は研磨をお薦めしないですし、研磨しても研磨代分御損をされることをしっかりと説明さしあげます。それでも尚、家伝の刀だから綺麗に研いで欲しいとご依頼されるのであればお引き受けするのですが、この刀の研磨を引き受けた刀剣店ではそう言った説明は一切無かったそうです。

仮に研磨の途中で刃切が確認できた場合、私は作業を中断し、刃切発見をお客様にお伝えして、作業進行の可否をあおぐのですが、それすらなかったそうです。

「お客様が研磨してくれと持ち込んだのでそのままお引き受けしました。」

と言われればそれまでですが、同じ刀剣を生業とする者として、この御店の対応はとても不親切であり、仕事も二流、三流だと感じました。

かと言って、刀剣店を介さず、直接研師に相談するのが良策かと言えばそうでもなく、私のお客様に、関東方面の某研師さんにこっぴどくやられてしまった方が居られます。

 

ヤフオクで落札した清麿の偽物、ネットで調べて同県内にその研師を見つけたお客様、早速持参してその研師に相談。

銘はダメだが出来は良い。30万円で研いであげよう。鯉口の緩みも直してあげよう。

と言われるまま30万円を支払ったのですが…

まともに研磨されていませんでした。古研ぎだったものを拭い直して刃取りし直しただけの数万円の下手仕事です。芯出しは全くされていませんし、鎬筋は通らず踊ったまま。棟についた小さな傷も残されたままでした。全く下地を触っていないので、当たり前なのですが… 少しは良心が咎めたのか、頼んでもいないのに白鞘を造ってくれたそうですが、それとて良い白鞘とは言えないもの。

鯉口の緩みはと言うと… なんと鞘の片側だけに木片を貼り付けた素人工作でした。

「ぼられましたね。どうしてその研師を信用したのですか?」と尋ねましたところ、地元でも有名な英信流系居合道の指導者でもあるので信頼しきっていたとのこと(苦笑

個人情報につき、ここでその研師の名前は公表しませんが、刀について無知な人なので関わらない方が良いです。

私がこの研師に対し、何よりも許せないのは、研師、居合道称号保持者たるもの、正しい知識と作法を指導普及させなければいけない立場なのに、よりによってやってはならない素人工作を、お金を貰って行ったことです。

鞘は指表と指裏、二枚の板を糊付けして作ります。鯉口の緩みを直すには、経木を鯉口内部の側面に貼るのではなく、鯉口内部のの上下に貼らなければいけません。こうしたとんでもない工作を、居合高段者はよく後輩や弟子に指導するのです。

一般常識がある人ならすぐに察しがつくでしょうが、経木を鯉口側面に貼ると、圧力がかかって鞘は糊付けに沿って割れてしまいます。絶対にやってはいけない素人修理法なのです。

ましてやその刀に対しては、片側だけ経木を貼っているものですから、刃方から見ると、柄と鞘が左右に大きくずれた状態になっていました。

居合道高段者と研師という肩書きを以って素人を騙す諸工作を行ったこの研師には、私は今すぐ刀剣界から去って頂きたい気持ちでいっぱいです。

 

お客様が刀にとって良かれと思ってとった行動が、金銭を無駄にし、刀そのものを損なってしまう…

刀剣の世界に限らず、知識がない素人を食い物にする心無い者が必ずいます。

騙されないためには知識をつけるか、信頼できる知識を持った知人を頼るのが吉でしょう。

私は刀剣に興味を持って下さったのに、こうした心無い人によって「刀なんてもうこりごりだ」と、刀剣趣味から離れてしまう人が出てしまうことが残念で仕方ありません。

皆様、どうぞくれぐれもお気をつけ頂き、楽しく刀剣趣味を満喫なさってください。

 

刀剣に於けるマナー ~覚えておいて損はない~

京都河原町で居合術体験会を請け負うようになってとても気になること。それは会場に常設している現代甲冑や模擬刀への扱いです。

体験用に置いている物なので、お気軽にどうぞという主催者の意向は良いとして、それを扱う人のマナーには眼を覆いたくなることがあります。

お気軽にどうぞとあっても、やはりそこは一言、触れてもよいでしょうか?と声をかけるべき。

しかしそう言った一声をかける人は少なく、先日は模擬刀が鞘から出しっぱなしで、兜と一緒にまるでゴミのように重ねてありました。

見かねて私が片付けたのですが、こうした行為は外国人観光客だけのことではなく、我々日本人の間でも見られます。

旅行者に日本の文化を体験してもらいたい。

そういった純粋な思いを踏みにじる行為は慎むべきであり、体験させてもらった後は、元の通りに片付ける。非常に簡単なことですから皆さんも是非心してください。

また、常々発信してきましたように、刀剣は非常にデリケートな物ですので、抜き方、納め方一つだけでも、無作法に行うと傷がついてしまいます。

近頃は洋服や家電製品を品定めするかのごとく、一声かけることなく当然のように刀を手に取り、鞘から抜く人をみかけます。

上記の行為を私の店で行うと、言葉丁寧ではあってもかなりの形相で私にたしなめられますのでご注意を(笑

 

今は平成の世ではありますが、これが江戸時代であったなら、人様のお腰の物を勝手に抜き差しするとんでもない愚行であり、場合によっては刃傷沙汰にも発展するやもしれません。

刀剣を拝見したい時には、たとえ「ご自由にどうぞ」とあっても、一声かけるか、或いはお店の方に鞘を払ってもらってからになさってください。

 

極端な例えかもしれませんが、人様のお宅に伺って、何の断りもなく、トイレを使ったり、冷蔵庫を開けて中身を物色することと同じくらい無作法・失礼であると考えて下さい。

礼節があり、尚且つ取り扱い作法に通じている人には、刀剣店の方も安心して高価な名刀も見せてくださいます。

乱雑に自分勝手な刀の見方、扱い方は慎み、買う側、売る側、共に気持ち良く接することができるように心がけましょう。

連盟居合 ~武道と武術、演舞と演武~

私は今現在、私が指導し、自らも追い続けている居合を、連盟居合と一線を引くべく「居合術」と呼称しています。

そして私の中では、使えない形骸化した居合を「居合道」と位置づけています。

各連盟に所属されて居合を修業されている方を卑下しているわけではありません。しかし、私の中では連盟居合は、もはや武術ではないと認識しているのです。

私は過去、全日本居合道連盟に所属する道場で無双直伝英信流を学びました。いえ、無双直伝英信流の形と呼ばれるものを学んだと言った方が正解でしょう。

 

現在、当たり前のように教え伝えられている英信流は、既に英信流ではないと私は考えています。

正しく業(わざ)が伝えられていないから、多くの方が鞘を削り、割ってしまうわけで、その殆どが右手で抜刀していることが原因です。

右手に頼った抜付は使い物になりません。これは断言しても良いでしょう。初動は全て目視され、簡単に防がれてしまいます。仮に斬り込めたとしても斬撃力が弱く理に適ってはいません。

以前、誰もが知る大物俳優が私に居合教授を請いました。指導するなかで私の居合術を目の当たりにしたその方がおっしゃった一言は、「合氣道だ。」でした。

ご周知の通り、合氣道は剣の理と言われます。その通りなのです。刀を用いず手刀に置き換えれば、居合は合氣道そのものにならなければおかしいのです。

 

英信流系の居合を嗜まれている方ならご存知の、中伝形『浮雲』での刀捌きは、合氣道で言うところの一教裏の術理を、刀を用いることで自己鍛錬するためのものだと、古流英信流居合を研究する中で私は気付きました。

ですから、私個人の見解としましては、浮雲の形の最後の斬り下ろしで腰を捻り、左足より外に斬るのはどう考えてもおかしいのです。浮雲の形を体術で表現しますと、最後の斬り下ろしは腰を捻ることなく、己の正中線に沿って真っ直ぐ斬り下ろさなければ、業として成立しません。

大江正路師の時代には、既に英信流の技術は失伝していたと考えても良いかと思います。

英信流に限らず、全ての流派に言えることなのかもしれません。それは何故かといいますと、江戸後期に向かうに従い、刀の重ねが厚くなり、身幅も広いものが多いからです。

これ即ち相手の力をいなす技術の失伝の表れ。敵の斬撃をいなすのではなく、がっちりと受け止めようとするからこそ、刀に強度が求められ、重ね厚く身幅も広めになったものと推測されます。ですから、英信流を名乗る団体で、極端に身幅が広く長い刀を用いるところは、古流英信流ではなく、現代あるいは近代英信流と言えます。名前を出すと苦情が来そうですが、これに該当するのは関口高明氏の団体(高明塾)です。私は彼の英信流を古流英信流とは認めたくありません。刺繍だらけの暴走族の特攻服のような上下の稽古着、身幅尋常ならぬ大ダンビラの長大な刀、そしてその帯刀の仕方、何から何まで理に適っていないわけですが、何故か海外の方には人気があるようです。いかにもJapanese cultureに憧れる外国人が好みそうな漢字だらけの稽古着がうけているのでしょうか。

一方で室町時代、戦が頻繫に行われていた頃の刀剣は、江戸期の刀剣に比べると華奢なものが多く、殊更十文字槍を見ると、槍術自体も力技に変化したことが垣間見られるのです。

ご興味があれば、室町時代の十文字槍と、江戸後期の十文字槍を比較してみると良いでしょう。方や重ねが薄い室町期の十文字槍に対し、江戸後期の十文字槍は重ねが倍近くあることに気付きます。

現在、奈良を中心に宝蔵院流を名乗る団体の鎌槍の使い方は、完全に力技であり、そのため稽古の中で木槍の鎌部が欠けたり、折れたりすることが頻繫に発生しています。

自他共に認める槍のコレクターである私の収蔵品の中には、実戦で使われた室町期の十文字槍がありますが、鎌部に小さな刃毀れが数箇所見られるも、槍の穂先そのものは曲がりや捩れもなく非常に健全なのです。重ねが薄い室町期の十文字槍を、現代の宝蔵院流修行者が用いると、九割の確立で鎌を曲げ、場合によっては折損させることでしょう。

現代は便利な時代になったもので、ユーチューブでちょっと検索すれば槍術の動画も見ることができます。よくよくご覧になると気付かれるでしょうが、腕の力で槍を操作するばかりなので、一見成立しているように見える巻落(まきおとし)と呼ばれる業にしても、相手の軸は微動だに崩れていません。

槍はとても強いイメージがあるかもしれませんが、実は脆い武器でもあります。中国の槍と違って、日本の槍は中心(なかご)を柄の中に差し込む構造が殆どだからです。一方、袋槍と呼ばれる鉾と同じ古式構造の槍の方が折れにくいと思われます。

何故私がそのように考えるのかと言いますと、過去、運送会社に槍の柄を折られた経験があるからです。槍は石突に近い部分を握って持ち上げる分には折れませんが、逆に太刀受と呼ばれる槍の穂先に近い部分を握って持ち上げようとすると、案外簡単に折れてしまうのです。それは槍の柄が、槍の穂先の中心(なかご)を差し込むために掻き入れされ、その部分の肉が薄くなっているからです。直径2センチ程(穂先に近い部分)の柄は、中が空洞で、その周囲は僅か5ミリ程の肉厚しかありません。ですからテンションをかけると簡単に折れるのです。

時代劇などでは槍の石突付近を片手で握り、頭上でブンブンと大きく振り回す様が見られますが、怖がらず自ら槍の太刀受部にぶつかりに行けば、遠心力によって槍は簡単に折れてしまいます。実戦ではあり得ない動きなのです。時代劇の中だけで通用するファンタジーな技です。

話が少し逸れますが、古流を名乗る流派で、このような槍の使い方をするところは、その系譜を疑問視する必要があると思います。

槍術演武で、私はこの頭上でブンブン振り回す動きをする流派を天心流兵法以外で見たことがありません。故に私は天心流が宝蔵院流影派と名乗ることに対し、実用面から見て“ありえない”と指摘する次第です。槍や薙刀は長い分折れ易いと言うことを忘れてはいけません。ありえない動きを当り前のように行うのは、実戦を知らない現代人が作る創作槍術形であるからです。

演武を見る時には物理現象を考慮した眼で見ると、本当に古流か否かはすぐに看破できます。

 

さて、話を元に戻します。

 

いずれの形も体術として表現できない現代の英信流居合、殊更連盟の英信流は、武術ではなく武道なのです。

私のことを「英信流で五段の印可しか受けていない。」「免許皆伝を受けていない。」と揶揄する人をみかけます。ハッキリと声を大にして申し上げましょう。

まともに古流英信流を引き継ぐ者がいない連盟が発行する段位や免許皆伝に、なんの価値もありません。

連盟の居合は居合術ではなく居合道と呼ばれる剣舞であり、演武は演武ではなく、演舞にすぎません。

使えない印可になんの価値がありましょう? 五段取得後私が一切の昇段試験を辞退した理由がそこにあります。

技術が失伝している以上、自分自身で研鑽する他道がなかった私が、今現在の私を造り上げました。私はその選択が正しかったものと自負しています。

仮に私が今も連盟の英信流を修業していたなら、今の私の技術には到達できなかったでしょうし、様々な功績も残せなかったことでしょう。

連盟の英信流、連盟の居合こそが正統派だと信じてやまない方々は、井の中の蛙であり、大海を知るべきだと私は御提案致します。

 

杖太刀に関する調査報告

天心流兵法と称する自称古武術団体が、武家の所作として昔から当然のようにあったと主張する杖太刀。

ここで議論する杖太刀とは、刀の鞘尻(鐺)を地につけ、柄に手をかけたり、両手を乗せて、あたかも杖のように見える所作のことを指します。

頑なに杖太刀なる所作が存在したと主張する天心流は、様々な幕末・明治時代に撮影された士(さむらい)の写真をその証拠として、広く海外にまでそれを広めようとしています。

 

かねてより私が主張する“杖太刀なる所作は存在しなかった”という説は、素人や外国人の支持者が多い?天心流によって誤報とされつつあり、繰り返し行われる天心流の侍体験会によって杖太刀が普及しつつあるのが現状です。

 

私は刀剣商という生業のもと、数多の刀剣類を見てきました。

しかしながら、登城用の正式拵から、普段身に帯びていた平常指に至るまで、私は鞘尻(鐺)が傷んでいるものを経眼しておりません。唯一例外として経眼するのは、日本軍が用いた軍刀くらいです。

 

居合や剣術の所作の中で、刀礼や帯刀する際に鞘尻を地につけることがありますが、これはあくまで儀式的なものであり、普段から毎日のように士達がそれらの所作を行っていたとは言えません。

 

その後も私の支援者によって様々な情報が寄せられていますが、自分達に不都合が起きると論点をすり替えるのが天心流の常套手段であり、今現在彼らは

「刀のこじりを地につける所作が杖太刀ではなく、刀を立てて手をかける所作が杖太刀であり、当流も必ずしも鐺を地につけるのではなく、足の上にこじりを乗せることもあります。」

と嘯くようになりました。

これは後付のい訳に他なりません。

 

現在私の調査によってほぼ間違いないと思われるのは、幕末や明治頃の杖太刀写真は、写真家によってつけられたポーズであるということです。

実は徳川慶喜公の写真で鐺を地(カーペット)につけて写っている写真も、仔細に見るとこじりの下に琴柱のような台らしきものが見られます。写真が古いため確固たる確認がとれませんが、仮にこれが刀の鐺保護のために用いられた台であったなら、杖太刀という所作は士の時代には存在しなかったと言えます。

古い写真は撮影するにあたって、数十秒から数分間、じっと同じポーズを保たなければなりません。その間、体がぶれぬように被写体の後ろには首や手を固定するための台が用いられました。古い写真を見て違和感を覚えるのは、こうした器具によって体が固定されており、自然さが失われているからです。

また、西洋文化である写真ですから、撮影時には西洋風のポーズが自然ととられたことも想像に難くはありません。

西洋の武人や軍人は、サーベルを杖のようにして写真を撮っています。当時西洋文化に貪欲だった当時の日本は、それらの仕草を軍部でも積極的に取り入れたのでしょう。故に日本の軍人写真も西洋式に軍刀を杖のようにして写っている物が殆どです。

では、日本国内で士が被写体になりはじめた頃はどうだったのか?

普段地につけることがないこじりを地につける行為にかなりためらいがあったようで、以下に紹介する写真は、一見杖太刀に見えるも、刀のこじりは地についておらず、宙に浮いています。

上記写真は文久元年(1862)、第一回遣欧使節団の竹内下野守と松平石見守の写真です。

いずれも金襴緞子の袴を穿いた上級武士ですが、どちらも刀のこじりを地にはつけていません。

そして注目すべきは杖太刀のような所作でありながら、刀は宙に浮いていると言う点です。

確認のため、明度を変えてみましょう。

如何でしょうか?

明らかに柄を掴んで提げ刀にしているのが判りますね。

天心流兵法なる団体が主張するように、江戸時代の士達が日常的に行っていた所作だとするのであれば、何故撮影時、ポージングが辛く、ブレも起き易い提げ刀をしているのでしょうか?

上級武士だから例外と言うのは言い訳にはなりません。天心流は自分達の流儀は大小ニ刀を腰に帯びる上士の流儀だと主張しているのですから、それが事実ならば、上写真の二人は当然の如く杖太刀をしていないと辻褄が合いません。

このような宙に浮かせた杖太刀のようなポーズは、他の士の写真でも見られます。

彰義隊の渋沢平九郎像。

こちらの肖像でも刀のこじりを宙に浮かせています。※或いは足の甲に乗せている。

 

坂本龍馬も杖太刀をしていません。

 

こちらは島津久治

 

こちらは川村純義

 

いずれも杖太刀をしていませんが、島津久治と川村純義はと言うと…

皆さんも「おや!?」と思われたはず。杖太刀ではなく杖傘です。

杖太刀が一般的な所作だったとするのであれば、何故わざわざ傘を杖にしているのでしょうか?

 

現在の私の調査では、

士が写真の被写体となりはじめた頃、士達は鞘尻(こじり)を地につけることに抵抗があった。そのため宙に浮かせて提刀で写真がが求める杖太刀風のポーズをとった。当時の写真技術においては提刀ではブレが出やすかったため、杖太刀に抵抗がある士は刀を帯びて傘を杖とした。その後集合写真などにおいて、杖の代用品の準備の都合や手間の問題、また、西洋軍人の写真を手本に、士達は素直に写真家が求めるポーズに従うようになった。写真撮影する者が増えた慶應や明治頃には、杖太刀ポーズでの写真が他の被写体に倣い、杖太刀は写真撮影時には当然のように行われるようになった。

 

と言う説が有力かと考えられます。

 

当時、日常的に杖太刀が行われていなかった物的証拠として、江戸時代の上士の拵写真を掲載します。これは平常指と呼ばれる拵で、上級武士が日常的に大小として帯びていた刀の拵です。

大刀と脇指が触れる箇所は、自ずと磨耗が起き、鞘の塗りは木地まで見える程磨り減っています。

お判りでしょうか? 磨耗著しく、漆の塗膜が薄れ、下地の木地が露出していることが判りますね。

では、この拵の鐺金具はどうなっているのかと言うと…

 

敗戦時のGHQによる刀狩りや、刀剣の取り扱い作法を知らぬ縁故者、旧所有者により、若干の当て傷は見られるものの経年劣化の範疇を出ません。

別角度でアップで撮影した写真もご覧下さい。

写真は切抜き以外、一切加工を加えていませんが、鐺金具の底は綺麗な状態で、日常的に地につけられた形跡はありません。これが日常的に杖太刀をされていたのであれば、四分一(銀の合金)製の鐺金具は磨り減って変形し、色も極端に変わっているはずです。

 

一方、日常的に杖太刀された軍刀の鐺金具をごらん下さい。

使用されたのはたった数年にもかかわらず、金具の損耗が著しく、磨耗によって変色し、槌目模様と桜花葉の彫刻はほぼ完全に消えてしまっています。

下に掲載するのは、ほぼ未使用の軍刀の鐺。

金具全体に打たれた槌目模様も、桜花葉の彫刻もしっかりと残っています。

 

これら物的証拠から見ても、天心流兵法は自ら考案公開した杖太刀形を正当化するために、幕末の一部の写真ばかりをその根拠として示し、素人や外国人相手に誤まった情報を拡散していると言わざるをえません。

上にご紹介しました物的証拠をもとに、杖太刀なる無作法が、江戸時代の士達によって日常的に行われていたか否か、貴方自身でご判断下さい。

 

 

最後に…

天心流とその擁護者は、私の長男と三男が幼い頃の写真と、私がカメラマンに求められてとった杖太刀風写真をネット掲載し、“さも私が天心流を敵視し、杖太刀という所作がなかったと吹聴しているが、町井とその家族は近年まで杖太刀を行っていた”と、外国人向けに嘘偽りの情報拡散をしています。

利用されている写真は以下のものです。

上半身しか写っていない写真ですが、カメラマンのポージングに応えてのものです。鞘尻(鐺)は当然ながら地にはつけておらず、足の甲の上に置いており、杖太刀ではありません。

これは長男が幼稚園児だった頃、たまたま買い取った軍服を着せて日本軍風の写真を撮ったものです。軍人風写真ですから多く残る軍人写真同様に敢えて杖太刀のポーズをとらせていますが、注目頂きたいのは用いている軍刀です。鉄鞘むき出しの拵ではなく、野戦用革覆と呼ばれる鞘保護用の革袋を被せた状態です。杖太刀写真を撮影するにしても、細心の配慮を行っており、私は常日頃から子供達に杖太刀という無作法をさせてはいません。

 

こちらは三男が四歳頃でしょうか、三男の甲冑着初めを兼ね、地元の武者行列祭りに参加した時のものです。写真は私ではなく妻が撮影したもので、この頃、次男と長女は既に居合修業を始めていましたから、刀の鐺を地につけてはいけないという知識があるので帯刀と提刀ですが、まだ刀に対する知識がない三男は杖太刀になっています。現場に私が居たなら杖太刀は絶対にさせていません。三人ともに妻の方を向いていないので、ひょっとすると第三者の求めに応じ、三男が杖太刀ポーズをとってしまった可能性もあります。

いずれにせよ、こうした古い子供達の写真まで引っ張り出してきて、私の揚げ足をとり、上半身しか写っていない私の写真を使って、私が杖太刀をしていたように嘘の情報を英文にて海外に拡散する天心流兵法には、怒りを越えて呆れるばかりです。

繰り返しますが、私は子供達や門弟に対し、杖太刀なる無作法は一切教えていません。また、私自身も絶対に行いません。

そして江戸時代の士達も、ふとした仕草の中で、杖太刀風の所作をとってしまうことがあったとしても、日常的に杖太刀なる所作を行っていないことは、遺された写真や遺品、刀剣類から判断できるのです。

 

※御協力のお願い

https://www.facebook.com/Tenshinryuhyohoenglish/posts/2080102875365317

上記天心流の海外向けフェイスブックページにおいて、英会話堪能な門弟による上述の私に関わる嘘の情報拡散がされています。私と同じく、“誤まった知識の拡散防止”を志して下さる方、上記フェイスブックページにて、杖太刀は無作法であり、物的証拠からも行われていなかったと考えられる旨、記述頂けませんでしょうか。これは一人だけが記述するのではななく、多数の方が記載することによって、海外の方への誤報・誤文化拡散の抑止となります。

『This information is wrong. 』

この一文だけで結構です。是非コメントをしてください。

 

 

追記

刀を宙に浮かせた杖太刀モドキ写真からもう一つ大切な事実が読み取れます。それは刀の鯉口はかたかったということです。しっかりとした拵は柄を逆さに向けても刀身が抜け出ません。それ故に刀を抜く際には『鯉口を切る』という動作があるのです。

 

 

刀の弱点 ~平や棟で攻撃を受けると、折れる確立はかなり高い~



まずはこれらの動画をご覧頂きたい。
上は棟から。下は平から渾身の一撃を受けた日本刀です。

どのように刀が折れたのかをキャプチャー画像で確認してみましょう。

棟からの斬撃

平からの斬撃

日本刀と言えば、「折れず曲がらずよく切れる。」と言うある種都市伝説化した強靭さが世界的に広まっていますが、実は非常に脆い武器でもあるのです。
上で紹介した実験の共通点にお気づきでしょうか?
真っ二つに折れていないということです。
棟からの斬撃では三つに。
平からの斬撃では四つに日本刀が折れているのが確認できますね。

実は刀剣研磨を行うに当り、少しでも研ぎ減らさぬよう、曲がりを直してから研磨します。※曲がったまま研磨する研師も稀にみかけますが…
矯木では部分的に曲がりを矯正することが困難なため、殆どの場合は鎚で鎬地を叩いて曲がりを直すのですが、この作業の際に稀に刀が折れてしまうことがあります。
私が実見したものですと、叩いた箇所から折れるのではなく、叩いた箇所の前後で折れました。
鎚で叩いた振動で違う場所から折れるというわけです。
勿論個体差がある日本刀ですので、折れにくい刀、折れ易い刀はありますが、刀剣の構造上の観点から言えば、平や棟で大きな衝撃を受けると、限りなく折れる確立が高いのです。

近頃では日本刀は鉄をも容易く裁断できると信じ込んでしまった素人や、生半可な腕と知識しか持ち合わせない武術修業者によって、鋼材への斬撃がちらほらと行われています…

刀は鉄を斬るための道具に非ず。
また、竹や畳表を斬るための道具でも非ず。

強靭さを誇る名刀であっても、使い手次第では簡単に折れてしまい、物体を裁断することはできません。

刀は己の心を映し出す鏡であり、己の悪しき心を斬るための神器だと私は考えています。

刃先で斬るつもりであっても、刃筋を立てることができない未熟な者が切り込むと、刃先ではなく、平から畳表や竹を叩くことになり、場合によっては刀が折れてしまいます。
どうか無謀な試し切りや試斬会はお控えくださいますようお願い致します。

未熟な者による試斬は大変危険です。自分が怪我をするだけではなく、他人の生命をも奪いかねないということを忘れないで下さい。
下にご紹介する稽古中の事故動画もご参考に。

刀装具に見る武士の意識と美 ~与ってなぁに?~


葡萄を画題にした鐔です。葡萄は読みの発音が武道に通じるということから、武辺の者に好まれました。今で言うところの駄洒落ですね。
犬を画題にした刀装具は、眺める分には愛らしいのですが、武辺の者にとっては“負け犬”をイメージしてしまうもので、敬遠されたと言われます。


こちらは南蠻と呼ばれる鐔です。デザインがなんとなく海外チックですよね。
中国で造られ日本に輸入されたものもあったと聞きますが、長崎の平戸の金工師がそれら輸入品の鐔の斬新なデザインをいち早く取り入れ、独自に発展したと言われます。
この鐔は上部の宝珠の珠に仕掛けがあり、なんと中の珠がコロコロと動きます。鐔鳴り(鐔が緩く、カチャカチャと音が鳴る症状)を嫌う武士ですが、泰平の世にもなると耳を近づけないと聞こえない程度の音は、風流として許されたのかもしれませんね。


こちらは一見なんの変哲も無い板鐔。しかし驚かされるのはその薄さ!! なんと1.55ミリしかありません!!!
こんなに薄くて大丈夫?? ちょっと不安になりそうですが、そこは鐔工の腕の見せ所!! しっかりと鍛錬された地鉄に自信があるからこその薄さ。軽くて丈夫な鐔を求める士の注文によって造られたのでしょうね。華奢なようで実に力強い一枚です。


こちらは後藤与左衛門信安在銘の龍透かし。摂津国大坂伏見堀二丁目に住し、江戸中期の明和・安永頃に活躍した金工ですが、遺されている作品は極めて少なく貴重です。昔の人名には「与」と言う文字をよく見かけますね。末備前の名工、与三左衛門尉祐定にも与の字がありますが、これ、十を意味する文字なんだそうです。太郎、次郎、三郎、四郎、五郎、六郎、七郎、八郎、九郎、十郎と続き、11番目はと言えば十一郎ではなく、与一となるそうで、そうなると那須与一は十一番目の子。この鐔を造った信安は十人目ということでしょうか。

日本刀のことなら平成の侍、町井勲が店主の美術刀剣刀心にお任せ下さい!
国内外にその名を轟かす居合術家、修心流居合術兵法創流者である町井勲が店主を務める日本刀専門店です。他の刀剣店の追随を許さぬ武用刀への確実な目利きで、貴方の愛刀をお世話させていただきます。

嫌な奴

私は天心流兵法と名乗る団体に対し、その系譜の信憑性や三つ葉葵紋と柳生笠紋の盗用、初心者や外国人に誤解を与えかねない刀剣所作などについて、批判を繰り返している。
逆の立場になって考えれば、私の言動は辛辣であり、とても嫌な奴であると思う。
因果応報と言う言葉があるように、人に対して行ったことは自分にも返って来る。
当然ながら私自身も天心流関係者と思しき者から嫌がらせを受けている。
これに対しては自ら噛み付かれる言動をしたため致し方ないものと腹は括っているが、いやはや疲れるばかり。

勘違いして欲しくないのは、私が天心流兵法や中村氏、鍬海氏を嫌い、憎んで批判をしているわけではないということだ。
全ては深すぎる愛刀精神と、日本武術史に対する思いからである。

柳生のブランドには憧れる者が多いためか、実は柳生の系統を騙る系譜捏造が疑わしき団体は他にも存在する。
柳生に限らず槍術や体術の流派にも系譜が怪しいものを私は知っている。
過去、とある団体に関しては、語学堪能なる知人を頼り、その系譜が捏造されたものであると海外において発表したことがある。余計なお節介なのは百も承知だが、日本の古流武術だと信じて稽古している海外の方に、事実を知らせる必要性を感じたからだ。

天心流に関し、過去のブログ記事にも記述したが、私はネットで知り合った方が居合・剣術の道場を探されている際、天心流にお世話になろうと思うとの報告を受けた時、それを反対することはしなかった。むしろ、たまにしか稽古に出れないがためにモチベーションが下がってしまうよりは、近くで頻繫に通える道場を選ぶのも方法の一つだと答え、天心流に入門するのもよかろうと答えた。ただ、彼らが発信する情報全てを鵜呑みにするのではなく、しっかりと咀嚼する必要性があることだけは覚えておいた方が良いとアドバイスした。

天心流の技法に関しては、私が求めるものとは路線が異なるため、私がとやかく言うべきことでもないが、これまで培ってきた経験から言うと、武術色が濃い殺陣であり、武術そのものとは言いがたいと私個人は考えている。
その根拠としては刀の構造、物理的な現象を理解できていないからで、私は空想世界での剣術のように感じられて仕方がない。

柳生の系統を騙る道場で真摯に汗を流す知人がいるため、これは書くか書くまいか非常に悩んだのだが、私はとある柳生系統と騙る団体と天心流が、元は同じところの出自ではないかと考えられてならないのだ。共通点が非常に多い。
知人に遠慮してその団体の名は出さないが、その団体の出自は柳生新陰流の使い手を演じる映画や時代劇の中で、とある殺陣師が創作したとされるものである。天心流兵法のサイトはご都合よく改編されているので、今ではその記述も写真も削除されているかもしれないが、私の記憶が確かなら、写真付きで天心流兵法が時代劇と関わりがあったとする記述があったように思う。
天心流と名を伏せるもう一つの団体(以降便宜上団体Aと呼称する)に共通点が多く、また、刀をぞんざいに扱う様子にも疑問を感じた私は、名古屋で柳生新陰流を教授されておられる加藤先生の門弟さんにいくつか質問をしたのだが、天心流と団体Aが行っている所作に対し、柳生新陰流ではそのような所作は行わないと、ハッキリ否定される言葉が返ってきた。

本家柳生新陰流では行わない所作を天心流と団体Aは当然のように行っている。それがどの所作なのかはここでは割愛するが、この二団体の出自が時代劇の殺陣師創作の流儀なら、天心流が発信する情報に関しても合点納得いくものが多い。

当然の所作のように天心流が言うところの杖太刀の所作をとる三船敏郎氏。

レッド・サンという映画の中では刀(太刀)をそれはそれは大層に扱っていた三船敏郎氏も、撮影の休憩時には下写真の有様だ。

今では大量生産品の模擬刀等が小道具として使われているが、数十年前までは刀身を竹光に差し替えた本物の日本刀の拵が映画・時代劇小道具として使われていた。
黒澤映画ではシルエットにも拘った黒澤明監督が、本物の甲冑と刀装具を撮影に用いている。京都に在る小道具会社「高津商会」では、そうした映画小道具として使ってきた武具甲冑が多数収蔵されており、中には重要文化財に指定されているものもある。

映画や時代劇に携わったことがある私は、現場での武具甲冑の取扱を見て驚きを隠せなかった。映画関係者にとって刀は魂ではなく、あくまで小道具に過ぎない扱いなのだ。だから平気で跨ぐし、故意ではないにしろ蹴飛ばしてしまったりもする。他分野のことでもあるし、私はギャラを貰ってその場にいる立場上、それらの行動を諌めることは憚ったが、とあるADが私が貸し出した真剣を跨いだ時には、撮影監督に「あれは小道具ではありません。武士の魂です。」と、そのADに謝罪させるようお願いしたことがあります。
と、まぁ撮影現場はこんな様子ですから、上に紹介した三船敏郎さんの写真にも、刀に対する思い入れは感じられません。役を演じている中で監督の指示通りに杖太刀をしているわけではない休憩時の写真がそれを物語っています。
三船さんの職業は武士ではなく役者であり、役者にとって真剣・竹光に拘らず、刀はあくまで小道具なのですから…

水月塾のブログに於いて、綿密な調査によって系譜に誤りを示唆された天心流兵法。江戸時代に存在したとされる天心流とのつながりを証明するものは現在のところ何一つありません。伝書類はその価値を知らない石井家の縁者?が全て焼却処分にした等都合が良すぎます。
時代劇や時代物の映画がお好きな方、また、天心流贔屓の方、古い古い時代劇や映画をご覧になると、どこかで見覚えがある所作が劇中に発見できるかもしれませんよ。※剣術に限らず槍術にも注意

最後にもう一度記述します。

私は天心流兵法なる団体が憎いとか、中村氏や鍬海氏が嫌いだとか、ましてや天心流兵法への嫉妬などから天心流兵法を批判しているわけではありません。
度が過ぎる過大広告や、素人・外国人に誤解を与える情報の発信、刀をぞんざいに扱う所作の動画と、なんの証拠も根拠も無き逸話の公開を自粛し、将軍家から使用許可を得たわけでもなき三つ葉葵紋と柳生笠紋の盗用、江戸柳生や宝蔵院の名を騙る行為を謹んでもらえれば、私はネチネチと批判し続けることはしません。
と言いますか、そろそろ天心流兵法批判から私を卒業させてはいただけませんかね? 正直疲れているんです。正論説いても理解しようとしないどころか、ネットで嫌がらせしかしてこない天心流兵法関係者との小競り合いに(苦笑

ウィキペディア 修心流居合術兵法

10月13日 1:40 現在のウィキペディアでの修心流居合術兵法の記述。

修心流居合術兵法(しゅうしんりゅういあいじゅつひょうほう)は、町井勲が創流した新興の居合流派である。無双直伝英信流の免許皆伝を得ることなく無断で無双直伝英信流町井派を名乗った後、実の妻の助言に従い改名して創流された。

表芸は居合だが、町井が交流のあった大東流合気柔術を取り入れ、居合の動きを体術に体現化した居合柔術も特徴の一つである。古英信流の技術の復元を目指し、町井の独自の研究を盛り込んだ実験的な流派である。

ウィキペディアは誰もが追記改編できるシステムなので、悪意ある方が時々記述を変えてしまう(苦笑
元の文面に修正したところで、悪意ある記述に改編されるというイタチごっこの繰り返しなので、上文に対してここで皆様に私の心中を記述致します。

修心流居合術兵法は平成に創流しましたので新興流派と表現される分には異論ありません。
無双直伝英信流の免許皆伝を得る事無く無断で無双直伝英信流町井派を名乗ったとありますが、英信流の宗家を名乗る者が乱立し、業は乱れ失伝した現英信流に微塵たりとも価値は見出せません。そもそも私自身が「この人は!」と思える腕達者が存在しないのに、何が免許皆伝を得ることなくでしょう(笑
実力無い者や実力が無い者の集まり(連盟)から出される免許皆伝に何の価値があるのでしょう?
とかく島国根性とでも言いましょうか、現行の連盟居合保守派の方々や夢を見ている人々は、伝統や文化という言葉をかさに着てふんぞり返り、自分達の居合から少しでも離れた所作をする者を異端視する傾向にあります。

私が無双直伝英信流町井派を名乗ったのは、現英信流の所作や理合が物理的にも理に適っていないファンタジーなものであるため、それらと同一視されたくないという信念からです。

で、実の妻の助言に従いとありますが、実の妻ってなんですか?(笑
私が今共に暮らしているのは愛人ですか?(笑

上文では「免許皆伝を印可されていないのに無双直伝英信流町井派って名乗るのはよくないよ。」と言う様に妻に諭されて改名創流したように受け取れますよね。
実際には妻の助言というよりは提案が正しく、その提案とは「英信流を名乗る限り、あなたの居合は連盟の英信流しかしらない人達から間違った英信流だと言われる。いっそのこと全く異なる流派名に変えたほうが自由に居合を研究できるのではないか?」と言うものでした。

私は修心流居合術兵法と名を変えた後も、サブタイトルのように無双直伝英信流町井派の名は使っています。何故なら私が門弟に伝えている居合形は英信流そのものだからです。
解り易く言えば、英信流の形の中でも、初伝の形に関しては「大森流」と呼ぶのと同じです。
私が編纂構成した居合形や組居合形、剣術形など様々な物全てをひっくるめて修心流居合術兵法であり、その中の一部の形は「無双直伝英信流町井派」というわけです。

さて引き続き記述しますが、「表芸は居合だが、町井が交流のあった大東流合気柔術を取り入れ…」と言う一文。確かに大東流の先生方と交流がありましたが、私の居合のベースは大東流ではありませんし、大東流のみを取り入れたわけではなく、交流があった様々な流派の先生方の所作をヒントに独自に発展したものです。ここのところ勘違いしないで頂きたい。

実験的な流派… これ、どう言う意味でしょう? 私が興した修心流居合術兵法は実験的なものではありません(苦笑 進化し続けてはいますが(笑

ひとまず、現時点での反論を記述させていただきました。
ウィキペディアにある記述が全て正しいというものではないことを覚えておいてください。
何しろ系譜捏造の似非古流派や団体ですら、ウィキペディアにページは作れるのですから。