刀の鐺を地につける所作について

私が天心流の杖太刀なる所作について、ここで意見を述べたところ、未だ頭の固い連中やそれを認めたくない人が、未だ幕末の写真を指して、杖太刀の所作は当然のように行われていたとのたまっている。

声を大にして言おう。

「当時の写真撮影法を研究してださい。」

 

おたくま新聞さんが昨年四月に鶏卵写真について記事にされていますので、まずはその記事をご紹介しましょう。

http://otakei.otakuma.net/archives/2016041304.html

リンクを辿るのが億劫だという方のために、おたくま新聞さんの記事を転載させていただきます。

 

おたくま新聞

1850年にフランスで発明された「鶏卵紙写真」ってご存じですか?写真のプリント技法のひとつで、卵の卵白を使うことからその名が付けられています。日本でも幕末から明治にかけ撮影された写真にはこの「鶏卵紙」をもちいてプリントされたものがいくつも存在しています。

現代でも一部の写真ファンや研究家など限られた人によって再現されていますが、商用的にはほぼ廃れている技法。その鶏卵紙の技術を商用復活させようという試みが行われていると聞きつけ、撮影モデルをかねて体験撮影に行ってきました。

おたくま新聞

昨年の2015年中頃、テレビで取り上げられた野良猫の聖地「夕焼けだんだん」を見にいったとき、辺りを散歩していたところ古本屋におかれたチラシで湿板写真館を知りました。その後、店主でカメラマンの和田氏にはガラス湿板の写真を撮ってもらい記事で紹介させていただいたのですが、カメラが趣味ということもあり今でもやりとりが続いています。

以下、ある日の会話。
カメラマン和田氏「鶏卵紙用の液沢山作りすぎて、どれが何やらわからなくなってきた。」
私「鶏卵紙、やってみた~い!」

そんな会話の後、和田氏より連絡!
鶏卵紙写真、見に来ないか。モデルもやってみてという事なので、サバイバルゲームの装備を手にそそくさ行ってきました。

現場の湿板写真館はJR日暮里駅から徒歩5分ほど。入り口からして昭和のレトロな雰囲気、なんとなく安らぎを感じます。中のスタジオは10メートル四方位。

今回、撮影に使用したカメラは日本製の案箱カメラ。
アメリカ製のものより3分の1ほどの値段で手に入り、しかも作りがカッチリ精密にできていて扱いやすいとか。最近、フランスでも湿板写真の人気がでてきて、ヤフオクでも簡単には落札できなくなってきたそうです。

古いカメラというものはフィルムが手に入らなくなると人気が落ちるものだそうですが、湿板写真の場合、撮影直前にガラスに感光材を塗り、露光後に現像、定着まで一気にやらねばならない手間はかかるものの、自分で感光板を作れることが知れ渡ってアート写真用に人気がでているそうです。

さて、撮影に取りかかります。今回はアメリカ軍海兵隊が現在使用しているMERPAT、Marine Patternの略でマーパッドと読みますが、世の中には戦国自衛隊という、現代の軍隊が戦国時代にタイムスリップする映画もあるし、アメリカ海兵隊が日本の幕末で写真に収まる雰囲気もあって良いのではないかということで、もろに現代の装備でやってみました。

今回は大判のB4サイズ大に挑戦です。というのも今回試してみる鶏卵紙の印画紙、ネガとなるガラス湿板と印画紙となる鶏卵紙をピッタリ密着させ、玩具の日光写真の要領で紫外線に露光して作成するため、ネガ役のガラス湿板の大きさにしか写真をプリントできません。今回は鶏卵紙も大きな写真として制作したいため、B4版サイズでやっています。

ガラス湿板自体を写真として使用するなら露光時間は6秒でしたが、今回はそのガラス湿板を長く露光、ネガとして使用するというもの。12秒露光と20秒露光、二通りやってみました。

鶏卵写真というと坂本龍馬の写真がよく知られていますね。高知県立坂本龍馬記念館のHPによると、桂浜の銅像のモデルになった立ち姿のものが2枚、イスに座ってブーツを履いている写真1枚と他にも複数あるそうです。しかも龍馬は名刺代わりに配っていたようで、まだ発見されていない鶏卵紙写真がどこかに眠っている可能性もあるそうですよ。

撮影では坂本龍馬が撮影した時代の露光時間が20秒なので、その露光時間で動かずにいられてキッチリ写るということは、僕が本当に龍馬の時代にタイムスリップしても当時のカメラで撮影できるかも、なんてしょうもないことも考えたりします。ちなみに今回は首押さえ棒という動かないための固定器具を後ろ側でガッチリ装着しました。

さて、ガラス湿板のネガが出来たらいよい鶏卵紙の準備。この鶏卵紙、作成には卵40個文の卵白を一週間以上の手間暇をかけて様々な加工を施して作成したそうです。

まずは20秒露光の濃いものと12秒露光でガラス湿板を変えて短冊状の鶏卵紙でテスト。
よし!この濃いやつで!と張り切ったもののなかなかうまく行かず、後日宅配で受け取ることに。

受け取ったものがこれ。
今回の鶏卵紙、まだまだ改良の余地があり、今年秋から今年末の商業利用を目指すそうです。
この技術、出来上がったら一生の宝物としての重みのある写真が出来そう。楽しみです。

 

 

以上がおたくま新聞さんの記事ですが、注目すべきは身体を固定する器具!

幕末に撮影された写真の多くに不自然さを感じたのはこれだったのですね。

ちなみに明治前半から中頃くらいまで、「横浜写真」という海外向けの写真が流行った時期があるそうで、その頃にTHEジャパンみたいな写真を撮って、日本旅行のお土産に売っていたらしいという情報も寄せられました。

案外私たちが幕末サムライの写真だと思っている物の中に、武士の時代が終った頃に撮影された件の土産用写真が混じっている可能性も高いかと思われます。

そして、写真撮影時、演出と身体を支える役割を担ったものが刀を含めた道具類であることが下に紹介する写真でわかるのです。

長崎大学収蔵のこの写真、解説には以下の通り。

『立てた三味線に軽く左手を乗せ、簾の衝立に右手を添えて立つ女性。壁に掛けられた掛け軸その下に置かれた鉢植えは不自然。演出写真である。』

この写真一枚を見ても常識をお持ちの方でしたら、「刀もこれと同じようにポーズづけで立ててるんだな。」とお解かりいただけるはずですが、この写真を示してもなお、頭が硬い人達は、以下の写真を掲げてこう言うのです。

武士の棟梁すら刀を立てている。岩倉具視も太刀を立てている。このことから鐺を地につけるのはあたりまえに行われていた。と…

どちらの写真も手にしている刀剣の外装は素晴らしいもので、重要刀装指定を受けるレベルの物です。江戸時代は特に物を大切にリサイクルも盛んに行われていました。そんな時代に刀の外装を傷める所作をとるでしょうか? また、江戸時代は他人の刀を預かる際には、鞘を素手で触らないほど厳格に刀の地位が確立されていました。

上の写真を良く見ると、屋外ではなく屋内。そして柔らかい絨毯の上であることがわかります。また、鐺を地につける禁忌感は無かったと主張される方、例えば海外旅行先などで見知らぬ風習に出会ったとき、それを親切に教えてくれる人がいれば、ほぼ躊躇無くそれに従いませんか? 更に解り易く例えるなら、指を洗うためのフィンガーボールの存在を知らない人が、「これは喉が乾いた時に飲む水だよ。」と間違った所作を教えられても、それが当たり前だと思って飲んでしまうでしょう?

幕末の写真撮影でも同じことではないでしょうか? 写真家の指示に何の抵抗も無くほぼ従うのではないでしょうか。

とにかく、槍の石突と刀の鐺を同じように考えてはいけないのです。長柄の石突はその名の如く、地に突き刺すことを前提に、それに適した構造になっています。槍の石突には繊細な彫物や象嵌を見かけないではありませんか。皆まで言わないと理解できないのでしょうか?

そしてこのブログで外国人写真家によってポーズづけされたのでは?との私の意見に対し、日本人写真家も同じようなポーズ写真を撮っているのだから、鐺を地につける禁忌感は無かったと主張される方も、上述のように写真家によるポーズが一般化されれば、自ら同じポーズをとる者も現れます。鐺を地につけるのが写真撮影時の一種の作法であり、それが当たり前だと思っているのですから。

 

以下、日本人写真家が撮影したもの。

高杉晋作だとされる有名なこの写真を指して、「高杉晋作ほどの教養のある二百石取りの上士がこうしているのですから杖についちゃいけないというお作法は江戸時代には「無い」とみるべきでしょうか。」との意見を出された方もおられますが、これは笑止。

幕末の写真を日常を写したスナップ写真と同様に考えてはいけません。

剣道の稽古中の合間に撮影したのなら、わざわざ大小刀をこれみよがしに後ろに演出物として配置はしません。そもそも道場内にこのような腰掛ける設備?があったでしょうか? 常識で考えればポーズづけされての写真だと簡単に解るものです。それこそ言葉を返せば、高杉晋作ともあろう人が竹刀の剣先を地につけるでしょうか? と言えます。

 

さて、先程話題に出しました固定器具ですが、よくよく写真を見ると、案外写っているのを発見できます。

 

士の格好をした町人

左人物の左足後ろに固定器具の脚が写っています。

こちらの女性の背後にも、衝立とは別の脚が写っているのが解ります。

 

武士が鐺を地につけた写真が多いのは、ポーズづけと身分象徴の演出、そして身体をぶらさぬようにするための三脚効果であったことが、これらの写真から読み取れるのです。

そして、鐺を地につけることに対して禁忌感があったことを証明する写真も数多残されています。

足の上に刀を立てる士

地に鐺を付けることが当たり前のように行われ、禁忌感がなかったというのなら、写真中央の人物のように、足の甲に鐺をつける者がいることはおかしいということになります。

頭が固い人を相手に色々と書き連ねることも疲れました。今回の記事で良識ある皆様がご判断くださればと思います。

 

 

江戸時代の武士に刀を杖のようにする所作はあったのか!? ~天心流兵法の嘘を暴く まとめ~

天心流兵法なる江戸柳生分流や宝蔵院流槍術陰派を名乗る団体による誤まった情報の拡散と、既に発表してしまった所作への間違いの指摘に対するこじつけブログ記事に対し、何度かにわけて記してきました天心流で言うところの杖太刀なる所作について、新たに情報提供を頂きましたので、江戸時代の武士の作法を正しく知って頂くためにも、しつこくこのブログで私見を述べさせていただきます。

これまでのブログ内容をご存じない方は、是非併せて下に紹介いたします記事もご拝読下さい。

天心流兵法が発信する誤まった情報を真向から斬る! ~刀は地面に立てるものではない!!~

天心流兵法が発信する誤まった情報を真向から斬る! ~刀は地面に立てるものではない!! 2 ~

天心流兵法が発信する誤まった情報を真向から斬る! ~刀は地面に立てるものではない!! 3 ~

天心流兵法が発信する誤まった情報を真向から斬る! ~刀は地面に立てるものではない!! 4 ~

 

さて、天心流兵法なる江戸柳生・宝蔵院流を名乗る系譜捏造団体が頑なとして過ちを認めない“杖太刀”なる所作について、天心流は以下のように発言しています。

「杖太刀とは、脱刀時(刀を帯から外した時)に刀を立てる所作を指す天心流の用語です。こうした所作は天心流だけに存在するものではありません。たくさんの写真や絵図により、武家社会にそうした所作があった事実が明示されています。」

そして上記一文と共に数枚の幕末に撮影された士の写真を例に挙げているのです。

ここで疑問が一つ登場します。

自ら「絵図により」と記しているにも関わらず、例として挙げているのは幕末に撮影されたポーズづけの写真ばかりであって、肝心なる絵図が一つも示されていないことです。

以前、天心流が示した絵図については、私がこのブログにおいて“武士ではなくかぶき踊りの役者であり、描かれているのは演目の一場面である”と事実を述べました。それ以降は確固たる絵図が見当たらないのでしょう。上述の通り幕末に撮影されたポーズづけの写真ばかりを明示と言って紹介しています。

さて、今回有志の方より頂戴しました幕末や明治に撮影されたであろう写真を紹介させていただきますが、ここに面白い事実が見えてくるのです。

 

ご紹介しますのは「蘇る幕末」と言う朝日新聞社の出版による本に掲載されている写真ですが、元となっている写真の数々は、オランダのライデン博物館に保管されている、幕末の日本を写した膨大な写真の一部です。
もう一冊の本から紹介する写真は「写された幕末」に掲載されているもので、ビワトーという慶応年間に横浜に在住していた写真師によって写されたものです。尚、ビワトーの写真アルバムは、別の横浜居留の外国人から横浜市に寄贈されました。

オランダのライデン博物館の写真はヨーロッパの人々へ、東洋の日本という全く文化の異なる国について知らせるための写真で、ポーズをとった物が多く、こちらは外国人に分かり易く、ことごとく刀が目立つ位置に持ってこられ、鞘尻や鐺が地面についているものばかりです。
これは明らかに外国人写真家の求めに応じたポーズです。
当時の写真技術ですから息を止めてぶれないようにしたでしょうし、刀が腰に帯びられていては左右に揺れてぶれてしまうので下に付けたがったのかも知れませんし、西洋の軍人がサーベルを自分の前や横に立て置く風習になぞらえ、写真に写る武士にもそれと同じポーズをとらせたものと想像されます。

一方、スナップの多いビワトーの写真では刀を地につけて立てている写真は一枚もありません。
最後のページに「江戸の残侠」という題名で博打打ちが文中では長脇指とされる刀を抜き身で地面に突き立てている写真があるのみです。自然なポーズを求めたところ、粋がった博打打ちが

「抜き身で地に突き立てる様なポーズで撮ったらかっこいいんじゃぁねぇの?」

と自ら鞘を払ったのか、はたまたビワトーがなんとなく

「博打打チラノ 気性ノ荒サヲ 表現シタイノデ 抜キ身デ ナニカ カッコイイポーズデ 決メテ モラエマセンカ?」

と、ポーズをとらせたのかは今となっては解りませんが、こうした複数の資料の比較で真実(天心流がこじつける虚実)が見えきますし、古伝と言いながら外国人のセンスでとらせたポーズを形に取り入れているのですから、天心流が捏造流派であると自身で顔に書いていると言っても過言ではないでしょう。

根付の世界でも同じ様な事があり、若い愛好家が外国人の間違った論文を鵜呑みにして、捏造された文化史を信じ込んでしまった事例があります。

おかしいと思ったこと、疑問に思ったことは、情報を鵜呑みにされず、自身で調べてみるのもまた一興かと思います。勿論これは私のブログ記事にも言えることで、私が発する様々な情報にも間違いが含まれている可能性も否定できません。「調べる」と言う習慣をこの機会に是非身につけられてみてはいかがでしょうか。

尚、外国人カメラマンのポーズづけによって始まった、刀の鞘尻や鐺を地につけるポーズは、自然と日本人カメラマンや被写体である個人にも擦り込みで受け継がれたものと私は考えております。

では写真の数々を御紹介致します。

ライデン撮影の士写真

ライデン撮影 平常指(へいじょうざし=普段腰に指している刀)ではなく、両者共に陣太刀を手にしているので、明らかに刀を選んでのポーズづけであることがわかります。

ライデン撮影の士写真

ライデン撮影 こちらも右の士は金具の位置をずらすと太刀として吊り下げることができるタイプの拵をわざわざ選んで撮影に臨んでいると思われる。

ライデン撮影の士写真

ライデン撮影 中央の人物だけが刀を手にしており、他の者は脇指のみ。中央に写る人物がこの写真の主であることがポーズづけによって示されている。

ライデン撮影の士写真

ライデン撮影 髪型から察するに、明治に入ってから撮影されたものではなかろうか。

ライデン撮影の士写真

ライデン撮影 両者共に背景のスタジオセットは同じ。刀の位置もほぼ同じで、ポーズづけによるものだと簡単に推測できる。

ライデン撮影の士写真

ライデン撮影 屋外のように見えて、実はスタジオセットである。これもポーズづけされている。

ライデン撮影の士写真

ライデン撮影 京都太秦映画村にはこのようなポーズで撮影された素人の写真が、時代劇扮装写真館に多々飾られている(笑

 

 

ビワトー撮影の士

一方、こちらはビワトーが自然なポーズで撮影した士の写真。脇指のみを帯びる者は、大刀を撮影現場の脇にある刀掛にでもかけているのであろう。両刀を指している者は腰から刀を外さず、二刀指のままである。

ビワトー撮影の博打打ち

長脇指には見えないですし、髪形などから見ても、明治になってからのものではなかろうか? 左端の人物は仕込杖らしきものを、中央で座する者は刀(長脇指?)を背負い、日本国旗(日の丸)を手にしています。

国旗としての日の丸は、幕末に船舶用の国籍標識(惣船印)として導入され、その後に船舶用に限らず国籍を示す旗として一般化したとされますので、ビトワー撮影のこの博打打ちの写真は、日本国旗を手にしていることから、ライデンと同じように海外向けにポーズづけして撮影した可能性が否めない。

刀剣哀歌 ~傷めつけられた刀剣~

刀剣哀歌 ~傷めつけられた刀剣~

http://blog.goo.ne.jp/kelu-cafe/e/77889aa417f16cf22796e255262bcb85

渓流詩人さんのブログ。

武道・武術という建前のもとで、自己満足のために無残な使い方をされる日本刀を憂う記事です。

是非ともご一読を。

流派に於ける伝書についての私観

天心流兵法なる柳生を名乗る団体(柳生との関連を証明するものは一切ない)による、素人や外国人に間違った武士や日本刀の知識を与えかねない動画に対し、慎むようにと私見を述べたり、他の事柄についても、必ずと言って良いほど他流の伝書を持ち出しては鬼の首獲ったが如く鳴き喚く蝉がいる。

今回も刀を足蹴にする動画の公開は慎むべき、天心流が士の所作として当たり前であったと主張する杖太刀(刀を杖のように立てて両腕を乗せたりする所作)について私見を述べたところ、案の定他流派の伝書を持ち出してきた。

天心流の足蹴動画を批判するなら、塀を乗り越えるのに刀の鐔に足をかけて登る所作も批判の対象だろうという揚げ足取りで、これについては「忍者と武士を一緒にするな」的な意見を渓流詩人さんが自身のブログで綴られたが、今度はそれの揚げ足をとるように、高禄の士の家に、刀の鐔に足をかけて登る旨の伝書があり、忍者に限らず武士もそのような刀の使い方をしていたと主張する。以下にその記述の一部を転載します。

 

さて、先ほどのツイートで見た、刀の鍔に足をかけて塀を登る方法。
これですが、大聖寺藩中条流師範、山崎家から同藩林家に伝授された伝書に書かれています。
(大聖寺藩林家文書 中条流青眼仕形秘書並惣口伝、平法中条流資料集六より)

原文では
一、へいをこす時は刀のさけをを長くして腰につけて刀のつはをふまえて越すなり
(一、塀を越す時は刀の下緒を長くして腰に付けて刀の鍔を踏まえて越す也)
とあります。
また他には、旅宿で寝る際の要人として

一、太刀を抜鞘を戸口にたて、身を枕の下にして寝る事也。(身とは抜いた太刀の事)

また、鞘の使い方としては、

太刀を抜鞘を違て指してさぐる事なり。又、刀の小尻に火縄をくくり、或提灯などもくくり道中くらき所などにて様子をうかがう事なり

というものもあります。また同伝書内では鞘を左手に持ち脇指のかわりとして両刀として使え、とも書かれています。

そもそも、生命のかかった勝負において、鞘や武器の破損がどうとか、武士が考えますかね?(まぁ、平和になった江戸時代の武士なら考えた人もそれなりにいたと思いますが、武術となるとまた話が違うと思います)

 

 

文書にあればそれが全て是であり、武士も刀が破損してしまうような使い方をした。とするのはいささか早とちりの間違いであると私は断言します。

私も個人的な興味から、古流派の伝書をいくつか所持していますが、大抵は形の名称を羅列しているだけで、形の詳細な動きを記すようなものではありません。

日頃から稽古する内容であれば、形の名称を記すだけで事足りるからです。形の指導の中での留意点などが口伝と言われ、文字にしたものとは別に伝えられます。中には筆まめな士も居て、口伝をも文字として遺している例がありますが、それとて読む者によっては様々な解釈ができる確固たる言葉ではありません。

戦場において、命を賭す現場に於いて、やむなく刀をぞんざいに扱わざるを得ない場面は多々出てくるでしょう。そのような土壇場での話をしているわけではないのに、上記のような伝書の一文を持ち出すのはお門違いも甚だしく、己が持つ知識をひけらかしたいだけのようにしか受け取れません。

オブラートに包まれ、ぼんやりとしか内容が見えない他の文書と比較すれば、上に掲げた伝書の一文はどのように刀を使うのかが容易く想像できてしまいます。これはつまりどういうことかと言えば、日頃頻繫には稽古されない形や所作であり、いざという場面に遭遇した際にこのような対応の仕方も出来るといった、いわば覚え書きのようなもの。

私が論点として掲げたのは、日頃の稽古の中で、刀の鞘を足蹴にするのはおかしいし、そのような形があったとしても、真似をして鞘を壊したり、刀に傷をつけてしまう素人が現れないよう、内々で稽古すべきであって、表に出すのは宜しくない。という点です。

どうしても仕方ない非常事態の場に於いては、日頃刀を大切に扱う武士たる者でも、無作法な使い方をせざるをえないことがあるのは子供にだって解る話です。

それをさも自身が博学であるかのように

「そもそも、生命のかかった勝負において、鞘や武器の破損がどうとか、武士が考えますかね?」

とのたまう態度には私も呆れるばかりですが、様々な考え・性格の人がいるのが世の中。自身でHNをみんみんぜみと名乗る程ですから、お好きなように鳴かれれば良いのですが、刀を大切にしましょうという文化財保護を目的とした私の提唱に、水を差すような真似はご遠慮いただきたいものです。

明らかに天心流擁護派であるにもかかわらず、現時点では天心流が古流ではないと証明できるものがない以上、あくまでグレーであると中立な立場を気取るが、ならば自ら示す文書に関しても、あくまで文字だけであって、その伝書を所持していた士が、鐔に足をかけて塀を登る姿を見たわけではないのだから、同じくグレーだとすべきではなかろうか。

極端な例で言えば、アイドルの熱狂的なファンが、そのアイドルと恋人関係にあるような妄想日記を書いていたとしよう。それを数百年後の人間がみつけて、このアイドルはこのファンとつきあっていた。ここにそれを示す日記があるじゃないか。と発表しているのとなんらかわらないように私は思う。

再度記述するが、いざと言う時と日頃の稽古は別物であると言う話を私はしてきたのではない。刀を足蹴にする動画は、仮にそのような形が伝わっていたとしても、公に公開すべきではない。という批判をしただけである。

 

かなり辛辣な表現ではありますが、的を得ていると私も思うので、渓流詩人さんのブログも併せて御紹介致します。

やかましい虫

http://blog.goo.ne.jp/kelu-cafe/e/5bfaeb5ead617621fa6920da94552cb6

らっぱすっぱの類 ~渓流詩人さんのブログから~

らっぱすっぱの類

http://blog.goo.ne.jp/kelu-cafe/e/dc6f3e07f84503e37051d1de6e192137

 

今回はかなり辛辣にとある人物の言動について指摘されている。

初めて渓流詩人さんのブログを見る人、これまでの経緯を知らずに突然この記事から読み始める人は、

渓流詩人なる人物は根性ひん曲がってるな。

なんだこの人は?

などと思うかもしれない。

実際、私が天心流について辛辣に批判する件についても、何故名指ししてまで批判するのか、これまでのいきさつを知らない人が、批判している一文だけを見た場合、

「なんだ町井って奴は」

になっている(苦笑

他流を貶めているとやんや言う方もおられるが、繰り返し言う。

「あかんもんはあかんのです」

刀を杖のようにした所作など江戸の頃には存在しないでしょうし、そもそも現天心流兵法の存在そのものが否。

三日月藩・福本藩に伝わったとされる天心流とは無縁。

昭和(平成かな?)に創作された古武術風殺陣であると私は考えている。

 

さて、悪魔の証明なるものは不可能であるが、証明できないのならそれはあくまでグレーだとするのは大間違い。

全て状況証拠で捜査するのは拙いかもしれないが、狡猾な者には状況証拠で攻めて行かねばならないことは多々ある。

 

そして面白いことにもう一つ気付いた。

ツイッターで私に対するお門違いの反論にいいねやツイートをつける人の共通点。

それは…

 

続きはCMの後で。古畑任三郎でした。(古

使い手は作り手の心を知るべし

私が全居連他、各連盟に所属していた頃、演武大会のみならず、日頃の稽古の場に於いても常に目に付いたのが、刀をぞんざいに扱う人が多いことです。

御本人は大切に扱っているつもりなのかもしれません。しかし愛刀家目線から言えば、無礼千万な扱いがとにかく多いのです。

居合の稽古で真剣を扱っている方の殆どが、一時間あるいは二時間の稽古中、油を引きなおすことを殆どされません。稽古前と稽古後に申し訳程度に油を引き、鞘を引っくり返してトントンと鞘の中の削りカスを出す姿のみが見られます。

以前にも書きましたが、私が居合の形稽古で真剣を使っていた頃は、形を二本から三本抜いたら、必ず油を引きなおしていました。そのため私の刀には錆はありませんでしたが、先輩や後輩、そして館長の刀はと言えば、棟に多くの錆が見られるのです。

私は居合で真剣を扱う方全てに言いたい。

一度ご自身で刀を研いでみろと。

勿論本当に自身で研磨されるような愚行をされてはいけませんよ。私が言いたいのは、たった一振の刀を研磨するのに、どれだけの労力と時間がかかるか、どれだけの技術を要するかということ。

私は自身でも刀を研ぎますので、研ぐ側の苦労は本当によく解ります。

精魂込めて研ぎあげた刀をぞんざいに扱われる程、研ぐ側として悲しく虚しいものはありません。

小さなヒケ一つ残さぬよう磨き上げた刀に、ヒケ傷をつけられた時の悔しさと言えば言葉にならないものです。

当然ながら逆のことも言えるわけで、作り手は使い手のことを考えて誠心誠意の仕事をしなければなりません。当たり前のことなのですが、今の時代、この当たり前が欠如しています。

柄巻きに預けた刀が戻ってきて、逆目貫(目貫の表裏が逆)になっていたことがありました。勝負事に使う刀のことですから、古の士は目貫の向き一つですら拘ったものです。逆目貫は敵に対して逃げになってしまい、縁起が悪い。当然私もこのような柄巻きではお客様にお納めできないと、柄巻師に返送し、正しい目貫の方向で巻き直してもらったのですが…

再び届いた柄には、新たな請求書が同封されていて絶句しました。

柄巻師当人のミスで納期が遅れたにも関わらず、二回巻いたのだから二回分請求って…

そういう職人さんとは二度とお付き合いは致しませんし、何よりも、大切な刀を預ける気持ちにすらなりません。

でもね…

今の時代、このような職人とも呼びたくない職人が増えました…

これも時代の流れということでしょうか… 目貫の表裏を指定しないこちらに非がある扱いをされてしまいます。悲しいことです。

Tearing apart the misinformation spread by Tenshin-ryu Hyoho! ~A katana is never to be kept upright on the ground!!~

Tearing apart the misinformation spread by Tenshin-ryu Hyoho! ~A katana is never to be kept upright on the ground!!~

A group that identify themselves as Tenshin-ryu Hyoho recently spread a wrong information, stating that “to keep a katana upright on the ground like a walking stick is part of the etiquette since the old times”.

Well, I am a man born in the modern times and I do not know everything about the eras when the warriors (“bushi”) were alive.
Therefore, what I am going to say right now may not be 100% right, but I must say something about such etiquette, as a practitioner of iaijutsu and as someone fond of Japanese swords.

To jump right at the conclusion, I must say that such etiquette is…

IMPOSSIBLE.

Personally speaking, I feel that, the aforementioned group tends to throw in arguments after every valid claim that questions them, in an attempt to make the group sound legitimate.

Such stance can be seen in the reasonings they gave to justify the fact that Mr. Tenshin Nakamura, from Tenshin-ryu Hyoho, was sitting on a “shogi” (a kind of a chair) in a wrong fashion.

I made some comments in my blog about the correct way of sitting on a “shogi”. The most accepted hypothesis is that it is a kind of a convention used in the Japanese paintings. For those who are interested, I am pasting the link below (page in Japanese only):

https://ameblo.jp/isaom/entry-11799994434.html

Well then, as for the “resting your arms on a sword kept upright on the ground being part of the old etiquette”, as claimed by that group: it might be true that someone really did that in the old times. Perhaps it might have been even a trend once upon a time. But I reckon it was, at most, when wars were frequent, like during the Warring States Era (Sengoku jidai).

I have a clear purpose why I am writing an article on this issue.
And that is a strong wish to preserve the swords and their fittings to the next generation. I believe this is also our duty in this modern era.

What makes me uneasy about the so-called Tenshin-ryu Hyoho is their stance. They do not acknowledge their errors, nor do they amend them. Instead, they try to make them sound correct. Or they bring up new information as excuses to justify their mistakes. This stance brings nothing but disgust to me.

And this time, they are using pictures from the Bakumatsu period and from the early Meiji Era as an attempt to prove their point, claiming those pictures as evidences that it was indeed legitimate to keep your sword upright on the ground.

My modest opinion is simple: the rules of etiquette during the Tokugawa Shogunate would never accept such thing.

It may sound like a strong statement, but a look on the old sword fittings shows that only one conclusion can be drawn.

I am a sword dealer and therefore, I have put my hands on countless swords so far. And simply none of them showed signs of wear in the kojiri or in the ishizuki (sword fittings at the end of the scabbard)

Pronounced wears and damages in the ishizuki can be seen only in the gunto from the World War II.

Despite being used only for a few years during the war, it is possible to see abrasion signs of 2mm to 3mm in the ishizuki in some gunto. The cherry blossom in the ishizuki can hardly be seen and, in some cases, the damage is so big that a hole is about to open in the scabbard.

As many of you must have seen before, it is because the men in the military used to keep their sword upright on the ground.

日本の軍人写真 日本の軍人写真

The wear and damage of the ishizuki fittings of gunto were issues of concern even in those times. To solve them, the Wakase Gunto maker devised a special ishizuki fitting that even got patented. Those who are familiar with gunto will certain know at once what I am talking about.

ほぼ未使用の軍刀石突金具This is an almost brand new ishizuki from a gunto. As you can see, there are just slight signs of wear and you can recognize the cherry blossom at the tip of the ishizuki.

頻繫に立てられた軍刀の石突金具

On the other hand, this is an ishizuki that was countless times in contact with the ground… one can hardly recognize the cherry blossom at the tip of the ishizuki and the signs of wear are evident. This is quite common. In some ishizuki, the wear is so deep that a hole is about to open.

若瀬軍刀製作所製海軍太刀型軍刀拵

若瀬軍刀製作所製海軍太刀型軍刀拵の石突金具

This is the fitting of Imperial Japanese Navy gunto, as devised by Wakase gunto maker, and its special ishizuki.

As you can see, even gunto from World War II, which can be considered as recent works, are already in such condition after a few years of use.

The swords from the Edo Era (Tokugawa Shogunate) used to have fittings made of buffalo horns, not metal. If the etiquette from that time allowed to keep a sword upright on the ground, as stated by the group claiming to be from Tenshin-ryu Hyoho, then it should be common to see many kojiri with signs of wear or abrasion. However, it is really rare to find a kojiri in such condition. I believe this is a strong proof that nobody in the Edo Era used to keep their sword upright on the ground, like they were using a cane or a walking stick.

In iai, there is a ritual called tourei. Meaning literally “respect to the sword”, it is a set of ritualistic movements to bow to the sword and put it in the obi (Japanese sash). And one of the movements is indeed to put the sword upright on the ground. But it is just a formality. The tourei learned in iai practice was not something that one would do in his everyday life.

Then, why are there pictures of samurai keeping their sword upright on the ground?
The answer is simple.
It’s just the cameraman making the models take a westerner pose.
I did search in the internet for many old drawings and pictures. But I couldn’t find any featuring swords being kept upright like walking sticks, unless those pictures taken in the Bakumatsu era.
Some drawings do show swords in an upright position, but there are no hands pressing them onto the ground. For instance, one scene shows a warrior keeping the sword leaning upright against his belly and using his both free hands to tie his kabuto (helmet). He is not using a sword as a walking stick or similar.
It is believed that most cameramen during the Bakumatsu Era were from the West. And probably in the West, it was common to keep the saber upright and place your hands upon the pommel or to make a similar pose. Also, it is possible that such pose brought the swords in evidence, so that one could identify the social caste of the man photographed.

Besides, it seems that not all sabers were meant to be kept upright like that. The more fragile ones were handled with great care, as you can see in their fittings. Their scabbards feature a fitting similar to the Wakase gunto, in order to protect from abrasion.

アメリカのサーベル

The ishizuki of the scabbard above can also be seen in the Imperial Japanese Army sabers.

日本軍のサーベル

Taken from the Gunto site ( http://ohmura-study.net/101.html )

The picture below shows a replica of a Western saber. And there are many swords like this in the West. As you can surely notice, there is a round metal ishizuki fitting.

丸い石突がついたサーベル

 

All those evidences point to one conclusion: in the Tokugawa Shogunate, at least, it was no common practice to keep a sword (uchigatana) upright on the ground.

And should one need to keep it like that, then it was usual to support it on your sandal or on you foot, in order to avoid touching the ground.

Taking all this into account, I cannot avoid but have several doubts on whether the Tenshin-ryu Hyoho does actually teach the correct etiquette from the Edo Era. And seeing videos of their practice, my impression is that not a few technique is based on unrealistic scenarios.

Also, it must be noted that not every man photographed in armor and such during the Bakumatsu period and the Meiji Era was actually from the warrior caste.

士の格好をした町人士の格好をした町人

 

Were those men real warriors? No. Actually, most of them are actors and peasants using warrior costumes and photographed for making postcards for Westerners and such.

Those who practice kendo know that it is forbidden to place the kissaki (tip of the shinai) on the ground. But in the old pictures, you can see scenes like this…
士の格好をした町人

It is clear that they are taking poses as requested by the cameraman.
And you can even find pictures like this:

士の格好をした町人

OMG, he is placing the tip of a naked sword on the ground… (laughs)

This is different when it comes to actual warriors. It is possible to see that, while they comply with the cameraman’s request, they also make some arrangements on their own.

足の上に刀を立てる士

Notice the man in the center. He is placing his scabbard on his foot, to prevent damage to the sheath.

And in the picture used for the blog of the Tenshin-ryu Hyoho group…

刀を地面に立てるのはカメラマンによるポーズづけ

If keeping the sword upright on the ground were part of the etiquette, then why the leftmost person and the person in the back at the center are just holding their sword with their hands?

The person at the center, in the back, is raising his sword a little bit, in order to show his sword and therefore prove that he is a warrior. Likewise, the leftmost person is holding the sword in his hand to show that he is also a warrior.

A careful analysis of the photos shows that not a few warriors refused to take the pose asked by the cameramen. And this shows how careful they were with their swords. I guess it was in Aichi Prefecture, but there is a statue of Oda Nobunaga placing his sword upright on the ground and leaning on it like a walking stick. That is just gross, being nothing but a bronze statue created by the imagination of someone from the modern times.

All in all, it is possible to draw the following conclusion from this case:

It is dangerous to accept at face value the information provided or spread by the group who claims to be from Tenshin-ryu Hyoho.

Objects, both from the present and from the past, are proofs that can deny their claims.

The pose with a sword kept upright on the ground is most probably a request made by Westerner cameramen in order to get a good picture according to their standards.

Anyway, please refrain from keeping the sword upright on the ground. It only causes damage to the sword and its fittings.

I ask everyone to spread this article to as many people as possible, so that they will have access to correct information.

天心流兵法が発信する誤まった情報を真向から斬る! ~刀は地面に立てるものではない!! 4 ~

昨日より発信し続けている“刀を杖のように立てる所作”についてですが、その後新たなことに気付きました。

遊楽図

若い武士の花見の様子だとして紹介されているこの画に疑問を感じた私は、昨夜色々と調べてみました。

気になったのは以下の点です。

 

・同様の画題の他の画にも、ほぼ同ポーズで刀を杖にもたれかかるような人物が描写されていること。

・それらの人物は士分にしては衣装が派手であること。

 

天心流の主張

ここで紹介されている画の人物も、刀に身体をもたせかけていること、衣装が士分にしては派手で奇抜です。

そこでこれらの画の全体を見てみました。

彦根屏風

天心流が若い侍と紹介していた刀にもたれかかる人物…

士(さむらい)ではなく、かぶきおどりの役者であることが判明。

かぶき踊り

かぶき踊りは、出雲阿国(いずものおくに)が創始したといわれています。

かぶき踊り出雲阿国とされる刀を担ぐ人物。

 

かぶき踊り

こちらも刀を杖のようにしてもたれかかっています。

かぶき踊り

拡大した画像を見ると、唇に紅を塗っており、男装したかぶき踊り役者であることが判りますし、この画のように刀を杖にもたれかかるポーズは、かぶき踊り演目の一場面であることを窺い知ることができます。

天心流が発信したこれらの画に関する見解は完全に誤りであり、士分の者が、刀を杖のように立てることが当たり前の所作であったと言うのも大きな間違いであると断定できます。

また、刀を杖のように立てる所作について、天心流が発信した見解と情報は、“大小二刀を持っている=武士” との誤まった先入観によって、天心流が勝手に作り上げた虚構である証明と言えるでしょう。

 

また、昨日知人から大変有力な情報を頂きました。

つい最近、幕末の写真について解説するテレビ番組があったそうで、一枚の写真撮影に要する露出時間が2分程必要であったこと。改良されたカメラと撮影技法においても、20~30秒程露出時間が必要であったため、カメラマンは士に対し、身体のブレを抑えるべく、刀を杖のようにするポーズをとらせたのではないかと推測されるというもの。

 

更にこれに対して補足しますと、坂本龍馬の有名なこの一枚も…

もたれかかる坂本龍馬

気取って格好をつけるために台にもたれかかっているのではなく、ピンボケを防止するために台にもたれるようなポーズをとったのではないかと推測されるのだそうです。

 

刀を杖のように立てる所作は、士の時代には無かったと考えるのが妥当と結論付けて良いのではないでしょうか。

また、天心流兵法は江戸初期から伝わる流派で、様々な所作や作法が伝わっているとする割には、江戸時代には存在しなかったであろう所作を、江戸時代から存在したと主張している時点で大きな矛盾があり、江戸柳生を名乗るその伝系にも必然的に大きな疑問符をつけざるを得なくなります。

天心流兵法が発信する誤まった情報を真向から斬る! ~刀は地面に立てるものではない!! 3 ~

車のバンパーは、衝突の際に車本体や搭乗者を守るためにあります。

しかし、だからと言って無駄にバンパーを擦る人、当てる人は居ない。刀の鐺や石突金具も同じです。

現代人がバンパーを擦っただけで滅入るのと同じく、士達は鞘や鐺に傷がついたら滅入っていたはずです。

 

私が今から20年程前に、共に居合を修業していた友人とこのような会話をしたことがあります。

 

私「甲冑って高いやん? 新調した甲冑着て戦出てさぁ、相手に切り込まれたりして兜や鎧に傷がついたらどう思う?」

友人「そりゃぁ許されへんなぁ。弁償しろって思うし、弁償してもらえない戦の場やったら、絶対こいつ殺したる!って思うなぁ。」

 

人間なんてそんなものです。

 

秀吉が戦国時代までは単なる武器でしかなかった刀剣に、美術的な価値を認めさせた頃から、刀はただの刃物ではなくなりました。

士分の象徴であり、武士の魂にまで昇華したのです。

 

あなたが頑張って貯めたお金、もしくはローンを組んで最高級のベンツを買ったとしましょう。

バンパーは障害物に当っても車本体を守るためにある物だから…

バンパーは傷ついて当然のものだから…

そう言いながら笑ってバンパーを擦れますか?

 

刀も全く同じです。

今の時代の安価なカシュー塗とは違うのです。

本漆で鞘塗りを依頼したことがある人なら解るでしょう。

安いところに頼んでも、鞘塗りだけで10万円程が消えて行きます。

 

それだけのお金をかけた鞘に、自ら傷をつけるようなことをするでしょうか?

湯水のように使えるお金を持っている人は論外ですが、一般人の感覚ではできないものです。

 

重ねて言います。

刀も車のバンパーと同じです。

uS63 AMG longv

天心流兵法が発信する誤まった情報を真向から斬る! ~刀は地面に立てるものではない!! 2 ~

先のブログ記事を掲載した後、天心流兵法を名乗る団体が、いつものように後出しジャンケンの如く、言い訳記事をブログやツイッターで発信するであろうことは予測していました。

案の定必死になって刀を立てていたり、杖にしているような古画を引用して自分達の主張を正当化しようとしています。

天心流の主張

必死になってネット検索している姿が目に浮かびますが、その努力をもっと別の方向に使えば良いのにと思うばかりです。

間違いを認める勇気も必要。そうしなければ人は成長できません。

 

三枚掲げたうちの下二枚は、刀を杖のように立てているのではありません。更に補足しますと鐺を傷めぬ場であることが想像できます。

例えば二枚目の絵なら、店先の板の間もしくは畳の上でのこと。無論鐺は痛みにくい場所です。

三枚目は莚の上と推測され、こちらも刀を杖のようにしている画ではなく、周囲に第三者が詰めて居るため、刀を踏まれたり、跨がれたりしないように立てているだけの画です。

問題なのは一枚目の彦根屏風の一部分を抜粋したもの。

これは明らかに刀を杖のようにしてもたれかかっていますが、花見の酒宴の席を描いたものであることを忘れてはいけません。また、この人物のいでたちにも注目すべきであり、派手な服装からしてかぶき者と言われる小姓の可能性が考えられます。

解り易く言えば、中学校や高校の校則で定められた制服とは異なる変形学生服で登校するヤンキーです。

天心流が言い訳として発信した情報では、校則違反の変形学生服をまとった生徒のみを指して、「これがこの学校の制服です! 古画でも証明されています!」と言っているようなものだと思います。

もう一つ付け加えますと、抜粋された画だけを見ると、屋外で刀を杖にしているように見えますが、屏風の全景をご覧下さい。

彦根屏風

画では省略されているものの、これは屋外ではなく屋内を描いたものであることが履物を履いていないことからも解ります。

つまり、刀の鐺は痛みにくい場であり、ましてや酒宴の席でのことですから、サラリーマンが酔った勢いでネクタイを鉢巻のように頭に結んだ状態を描いたようなものではないでしょうか。

 

天心流兵法なる団体の言い分には矛盾が多々見られ、あくまで自分達が発した情報が正しいものだとしてごまかそうとしていますが、人に教える立場の人間は、間違いを繕うのではなく、間違いを間違いだと認め、是正すること、改善することこそ絶対的に必要なことだと私は考えます。

間違ったものであってもそのまま受け継ぐのが伝統だと天心流兵法の鍬海氏はネット上で書いていますが、そんな伝統ならさっさと消滅した方が後世のためではないでしょうか。

 

こんな格言もあります。

伝統とは革新の連続である

と…

 

情報と言うものは発信する側によって意図的に操作できるものであることを忘れないで下さい。

抜粋された写真や記事は、全景全文を目にするべきです。

さすれば自ずと真実と答えは見えてきます。

間違った情報、操作された情報に惑わされないで下さい。

 

真実を見抜く眼を養いましょう。