刀  濃州関住義光作 昭和十七年三月

濃州関住義光作 昭和十七年三月

刀  濃州関住義光作 昭和十七年三月

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/590/00.html

 

刀身無疵無欠点。匂口明るく冴えた尖り刃交じりの互ノ目乱れを焼いた作品。
戦中も大切に扱われていた一刀で、石突金具のみ革で覆われていました。しかしながらそれが仇となり、水気を含んだまま長い月日が経過したため、石突の変色、鉄鞘の発錆を招いてしまっています。
刀身は白鞘に移され保管されていたため、比較的状態は良いですが、指裏物打辺りに発錆してしまったものを、素人が耐水ペーパーで擦った痕跡が見受けられます。
お時間さえ頂ければ、10万円で美術鑑賞用並研磨を承ります。お気軽にお問い合わせ下さい。

裸身重量742グラム。  拵に納め、鞘を払った重量1,139グラム。

刀 無銘 ~本漆石目塗鞘の高級九八式軍刀拵入り~

刀 無銘 ~本漆石目塗鞘の高級九八式軍刀拵入り~

刀 無銘 ~本漆石目塗鞘の高級九八式軍刀拵入り~

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/589/00.html

 

杢目肌柾流れて肌立った地鉄に、互ノ目乱れ丁子交じりの刃を焼いた長寸の古刀々身が納められた九八式陸軍々刀拵。
九八式軍刀は、鉄鞘やアルミ鞘が人気高いですが、実は本刀の拵のような本漆石目塗りが施された物の方が高級品と言われています。

刀身は元先の差が開いた優雅な姿で手持ちバランス良く、古研ぎ身ながら現状でも御観賞頂ける状態です。はばき元少し上の平地に美観を損なう大きなフクレがあるため、長寸古刀にも関わらずお安く御紹介致しますので、是非この機会にご検討下さい。

居合の稽古演武々用刀として、打刀拵を新調してお使い頂くのも宜しいかと存じます。
※フクレを抑えることが得意な研師がおります。少し手をかけられると今よりフクレが目立たなくなるでしょう。

裸身重量756グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,160グラム。

短刀 祐定作 ~緻密に練られた杢目肌と映りが見事な一刀~

短刀 祐定作

短刀 祐定作

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/148/00.html

 

祐定は勝光、清光などと並び室町末期を代表する備前長船鍛冶の刀工。与三左衛門を筆頭に彦兵衛尉、源兵衛、源左衛門、彦左衛門、五郎左衛門などが居り、いずれも名手として名高い。

本刀は祐定作と、俗名が切られていない三字銘の作品ながら、疵気が無く、映り立った杢目鍛えの地鉄に、盛んに足が入り、出来が良く、古い時代の金着はばきや在銘の縁頭金具、蛇腹の柄巻き、金鍍金を施した上に金を着せた切羽など、本刀の伝来の良さ、格式の高さを窺い知る事が出来ます。

コレクター遺品整理によるうぶ買取品だけあって、眼垢はついておらず緻密に練られた精美な杢目肌が見事な一刀です。化粧直し等再研磨を施すことで、更に本刀の良さを引き出し、ご堪能頂く事ができます。
※附属拵の小柄櫃蓋部分が少し浮いています。はばき側の切羽の金着せが剥離しています。現状維持で保存下さい。保存刀剣鑑定書は当店にて取得しました。

裸身重量110グラム。  拵に納めて鞘を払った重量246グラム。

地刃冴えた見事な一刀

地刃共に出来最高の一刀


武州出羽守源光平

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/566/00.html

 

光平銘に関しては首肯できないため、出来が良い無銘刀としてお求め下さい。
地刃には一切の破綻が無く、小板目の精良な地鉄に大振りの互ノ目丁子乱れを巧みに焼き上げています。匂口明るく冴え、砂流が随所に見られ、覇気ある最高の出来口を示しています。
無銘にして是非とも保存刀剣審査を御受審下さい。
店主 町井勲のギネス6冠達成記念として、上研磨代を考慮した破格値で御案内致します。

裸身重量699グラム。

因州住藤原兼先  ギネス6冠達成記念特別価格

因州住藤原兼先

脇指 因州住藤原兼先

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/350/00.html

 

美濃の兼先は安土桃山時代頃に備前岡山に移住した後、近江、越前、加賀、越中、因幡などの各地に移住しました。因州兼先は池田家の国替に伴い、備前から因幡国へ移り、鳥取城下に鍛冶場を構え、幕末に至るまで繁栄しました。

元は二尺一寸程の短い打刀として鍛えられた刀です。短めの打刀は上士の指料に多く見られ、本刀も名のある士の腰にあったものと思われます。
※はばきの飲み込みを後に深く加工されているため、白鞘とはばきの間に隙間があります。

裸身重量570グラム。

関住兼則作 昭和十二二年十月日 ~刻印新資料となる一刀~


関住兼則作 昭和十四年十月日日
関住兼則作 昭和十四年十月日

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/556/00.html

本名小島太郎。小島時二郎『兼道』との兄弟で、明治四十年五月(1907)に岐阜県関市長住町に生まれました。
渡辺兼永の門下となって日本刀鍛錬塾で学び、昭和44年2月7日に文化庁より作刀認可。新作名刀展で入選8回を受賞するなど、大東亜戦争時には陸軍受命刀工として活躍した昭和を代表する関鍛冶の一人です。

桜に「昭」の検査刻印は、昭和17~18年に名古屋陸軍造兵廠関分工場が「關」刻印を使用するようになって以降、内務省令によって打たれるようになったと言われていますが、本刀は昭和十四年の作にも関わらず、桜に「昭」の刻印が打たれていることから見て、この種の刻印の使用開始が数年遡ることを示す新資料として価値高い一刀ではないでしょうか。
或いは附属している末期型略式九八式軍刀拵から察するに、昭和十四年に打たれた無刻印の本刀を、軍刀として出荷するにあたって刻印を打ったものでしょうか。
いずれにせよ研究価値充分にあると思われますので、軍刀を研究されておられる方に、是非とも本刀と刻印の研究をお願いしたく思います。

裸身重量822グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,160グラム。

脇指 備後國三原住人貝正則作 弘治三年二月吉日

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脇指 備後國三原住人貝正則作 弘治三年二月吉日

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/339/00.html

三原正則は、末三原の一派である貝三原の刀工で、作刀時期は弘治頃、現存する作刀は比較的少ない。
備後国三原派は、備前・備中の両国に近いが、備前伝及び山城伝いずれの影響も受けず、鎌倉末期より室町末期まで一貫して大和伝を遵守しています。
従来は、正家が祖であるとされてきましたが、同工の年紀入りの作刀がいずれも南北朝期である為、最近では鎌倉末期の国分寺助国を祖とするという説が有力となっています。
三原派は、年代で大きく三つに分かれ、南北朝より以前を古三原、室町初中期を三原、室町末期を末三原と呼称しています。
また、三原派は古い時代から評価が高く、現在でも国の指定である重要文化財や重要美術品などに多くの作刀が指定されるなど、斯界で高く評価されています。
貝三原派は、末三原の中で名前に貝を冠した一派の事で、何故貝三原というのかには諸説有り、現在有力な説としては備後国御調郡高調町貝ヶ原という地名に因むという説と銘に「備後國三原住貝○○」と銘に切る事に因むという説の二説が有力で、また、一派の作の中には重要刀剣に指定されている物もあり、作風から見ても技量高き刀工群です。

この脇指は室町後期の天文や弘治頃に活躍した二代正則の作で、地鉄は柾目主体に小板目や杢目が交じって肌立ち、元来、直刃基調である三原派にあって、長船系の兼光にみられる箱刃風の刃を焼き上げ、指表の焼き出しは直刃の上に四角い刃を並べたが如くとなり、焼き頭の匂口は地に向かって煙り込み、フクラ辺りには表裏長い金筋を呈しており、正則の傑出した出来口を示しています。弘治年紀も大変貴重です。

附属する拵は、高砂図の縁頭に、長州金工の名門である河治家の手に成る桐と鳳凰の透鐔が添えられ、金色の良い金覆輪がかけられています。目貫は梅図で小柄袋も桐に鳳凰図。柄巻きは上等な蛇腹巻きで、切羽は素銅地に金着せの豪華な品。はばきも往時の金着せで、名家で大切に伝来してきた様が窺がわれる名品です。

裸身重量270グラム。  拵に納めて鞘を払った重量477グラム。