吉川メソッド代表“吉川朋孝”×平成の侍“町井勲”

吉川メソッド代表“吉川朋孝”×平成の侍“町井勲”
吉川メソッド代表“吉川朋孝”×平成の侍“町井勲”
http://www.yoshikawa-method.co.jp/cn7/cn8/corner57/index.html

本物を追求した二人の対談でわかった共通点

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短刀 無銘(千子)~村正一派の短刀~

短刀 無銘(千子)~村正一派の短刀~
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/143/00.html
短刀 無銘(千子)~村正一派の短刀~

刀剣趣味人でなくともその名を知る者が多い千子村正。この短刀は村正個銘極めには至らなかったものの、村正を含める千子派と極められた短刀です。
千子村正は南北朝時代の貞治より銘鑑に名を連ねます。現存する在銘品は室町時代中期に入ってから見られ、年紀の入りの作は文亀から天文までの五十年間に及び、この間、初、二代あるとも云われています。この時期の俗名は、右衛門尉と言い刀が少なく短刀、寸延短刀を多く見ます。
焼刃の構成や茎の仕立に特徴があり、刃味鋭く、当時から多くの武辺者に愛用され、また、徳川家に仇なす妖刀とのことから、徳川打倒を目指した諸将もこぞって用い、中でも真田幸村が有名です。
徳川家が天下を治め、泰平の江戸期になると、徳川家にはばかって数多くの村正が無銘にされたり、廣正や村重等と銘を改竄されました。
※外交史料集「通航一覧」の第四巻「寛明日記」によると、長崎奉行の竹中重義に疑義があり、幕府によって屋敷が捜索されたところ、おびただしい金銀財宝に加え、村正の刀を24口も所蔵していたことが発覚し、寛永11年(1634年)2月22日、重義は嫡子源三郎と共に浅草の海禅寺で切腹、一族は隠岐に流罪を命じられたといいます。

本刀は、六寸一分と小振りながら、身幅重ね尋常で、三ツ棟。板目肌に柾目肌を交えた地鉄には潤いが感じられ、匂口明るく、互の目を三つ一組で構成し、沸よく付き、刃文は掟に違わず表裏で揃い、刃先が掛けださんばかりに低く焼かれ、皆焼ごころに棟焼も交えています。刃中は砂流しが盛んで、帽子はそのまま乱れ込み小丸に返るなど、村正個銘極めでもじゅうぶんな出来口を示していますので、村正金象嵌銘を施し、再度保存刀剣審査に挑まれるのも一興かと存じます。

裸身重量94グラム。

短刀 駿河守藤原盛道

短刀 駿河守藤原盛道
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/142/00.html
短刀 駿河守藤原盛道

初代駿河守盛道は慶長頃の美濃の鍛治で同時代の美濃国岐阜の鍛治としては陸奥守大道と双璧をなす名工です。数代続いており本刀はその代別が記載されておりません。