無銘(祐定)

無銘(祐定)
– Mumei(Sukesada)
 
 
末備前物と称される室町末期の刀工中、祐定銘の作刀は多く、中でも与三左衛門尉、源兵衛尉、彦兵衛尉が有名です。 刀剣の需要が多く求められた戦国期、備前刀は数多の戦に向けて数多く鍛えられ、そうした実用刀で俗名を銘切っていない末備前物を、数打と卑下する悪習が刀剣界にはありますが、粗製乱造されたわけではなく、俗名を銘切っていない作品の中にも、驚く程出来が良い作品が多々見受けられ、中には俗名個銘極めまで可能な出来優れた作も見られます。
 
末備前の中でも祐定個銘極めを受けたこの刀は、元先の差が開き、反りが浅目で切先延びごころ。太刀と刀を併用した姿が多く見られるこの時代に於いても、本刀のように斬撃を主眼とした反り浅目の打刀が鍛えられています。
地鉄は小板目杢交じりで肌立ち、淡く映りごころがあって、刃文は小湾れ調子の刃取りに、匂口明るく冴えた互ノ目を焼き上げ、刃縁には随所に砂流が顕著に現れ、足、葉入り、金筋、稲妻入る等、地鉄に沸が絡んで織り成す、古雅で華やかな出来口。手元重心でバランスが良く、手持ちの良さは居合等の片手操作にも適しています。研ぎの下地も良く、刀の顔とも称すべき横手付近はキリッとして見た目も良く、観賞刀としても申し分ない作品です。
 
附属の拵は当店にて店主町井勲監修の下新調致しました。勝虫図金具で統一された見た目もスッキリとした武用拵です。
 
裸身重量82グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,031グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

鐔14点掲載いたしました。

鐔14点掲載いたしました。

https://nihontou.jp/choice03/tousougu/tuba/list.htm

近江守忠吉(五代)

近江守忠吉(五代)
近江守忠吉(五代)
– Omi no kami Tadayoshi (5th Gen) –
 
鎌倉時代後期の山城来派の直刃や備前一文字風互の目丁子出来などを手本として隆盛した肥前忠吉家は、慶長の初代忠吉に始まりました。その五代目は四代近江大掾忠吉の嫡子で元禄九年の生まれで、幼い頃から鍛冶業に接していたものであろう優れた感性と高い技術に恵まれ、享保元年頃より作刀を開始しました。初期には忠廣銘を用いて延享四年の先代没後に忠吉銘を襲い、近江守を受領したのは寛延三年、以降八十歳の長寿を得ましたが、刀の需要の低い時代背景から作品数は比較的少ないです。青壮期とも言うべき忠廣銘時代には覇気に富んだ身幅の広い造り込みが多く見られ、近江大掾忠廣に次いで寺社への奉納刀が多いことも特徴的です。
 
この脇指は脇指としては長寸で、元先の差が程好く開き、延びた帽子が鋭さを感じさせます。地鉄は小板目肌が良く練れて詰み、そこに地沸が付いて精美となる小糠肌。忠吉家伝の直刃を匂口沈みごころに幅広く焼きあげ、刃縁に金筋や稲妻、足を伴い、帽子は表裏共に直ぐに丸く返っています。
 
裸身重量591グラム。

□□長船祐定 □□二月日 ~数多の戦場を渡り歩いた末備前の短刀~

□□長船祐定 □□二月日 ~数多の戦場を渡り歩いた末備前の短刀~
□□長船祐定 □□二月日
– Bishu Osafune Sukesada –
 
末備前物と称される室町末期の備前物の中でも、特に祐定銘の作品は多く、中でも与三左衛門尉、源兵衛尉、彦兵衛尉が有名です。刀剣の需要が多く求められた戦国期、備前刀は数多の戦に向けて数多く鍛えられ、そうした実用刀で俗名を銘切っていない末備前物を、数打と卑下する悪習が刀剣界にはありますが、粗製乱造されたわけではなく、俗名を銘切っていない作品の中にも、驚く程出来が良い作品が多々見受けられ、中には俗名個銘極めまで可能な出来優れた作も見られます。
 
この短刀は相当数の戦場を渡り歩いて来たと見え、研ぎ減りによって元来の姿から細っているものの、小板目流れごころで地景入った地鉄に、匂口明るく冴えた小湾れ調の刃を焼き上げ、刃縁に小沸付き、砂流かかり、足入り、一際太い金筋を交え、帽子は直ぐ調に先丸く沸筋を喰い下げつつ掃き掛けて返る等、短寸ながらも豊かな景色が楽しめる作品で、附属する青貝散塗の合口拵には『鉄砲角に平四つ目』と『平四つ目』紋が交互に黒漆にて描かれており、伝来の良さを感じさせます。
※柄の目釘穴には元来、梅花模様の鳩目金具が附属し、螺旋式の金属目釘は表裏共に金着でありましたが、現在はその名残をとどめるのみとなっています。御希望の方には補修も承っておりますのでお気軽にお問い合わせください。
 
裸身重量98グラム。  拵に納めて鞘を払った重量132グラム。

備州長船経家 永享八年八月日 ~豪華な入子鞘の拵付き~

備州長船経家 永享八年八月日 ~豪華な入子鞘の拵付き~
備州長船経家 永享八年八月日
– Bishu Osafune Tsuneie –
 
小反(こぞり)派とは一般的に兼光等の長船正系に属さない長船刀工の総称で、経家はその小反派に分類され、南北朝中期応安頃に活躍した経家を初代とし、室町中期永正頃に活躍した五代迄が確認されています。
 
この短刀は室町前期永享頃に活躍した三代経家による作で、永享八年の年紀が銘切られており、希少価値も高い。先の方で僅かに内反りとなった短刀姿は好ましく、棟は庵棟とし、地鉄は杢目が緻密に練られて詰み、少しく肌立ち、総体に黒味を帯び、直ぐ映り判然と現れています。刃文は古雅な細直刃を匂口明るく焼き上げており、非常に趣ある出来口を誇っています。
 
附属の拵は蝋塗の鞘に二葉葵が蒔絵されており、縁頭と鐔は愛らしい雀の図で統一され、蓮を模った栗形には蛙がちょこんと佇み、小柄櫃の瓦には中島春英在銘の老桜の見事な姿彫の金具が用いられ、はばきは銀無垢の金鍍金仕上、切羽は金着。何よりも眼を惹かれるのは入子鞘になっていること。非常に格式が高く、徳川家の姻戚関係や本多家や加茂氏由縁の蔵刀であったであろうことが容易に想像できる名品です。
 
裸身重量155グラム。  拵に納めて鞘を払った重量327グラム。

親友に贈った将平短刀

親友の結婚式

2016年2月、私の無二の親友の結婚式での一枚。

白無垢姿の奥さんが帯びているのは私が親友のために贈った靖国鋼を用いた将平の短刀。(写真時は打卸で白鞘はばきを誂えた状態)

その短刀がようやく研ぎ上がり、つい先日友人に送りました。

親友に贈った将平

これって写真はクリックすると拡大されるのかしら?

親友は大層喜んでくれました。

 

今は形だけで実際に短刀を帯びて結婚式を挙げる人は少ないですよね。

日本の良き伝統と文化、守り続けていきたいものです。