値切り

刀剣を購入しようとされるなら、値切りをしてはいけないと、度々このブログでも書いてきました。

生活雑貨とは異なるのです。

刀剣は今の時代において、生活に絶対必要なものではなく、贅沢品に他なりません。

 

今朝もパソコンを起動させ、お客様からのメールチェックをしていますと、76万円の値段をつけている刀に対し、60万円で取引して欲しいとありました。

 

ふざけるな! でございます。

 

76万を75万にして欲しいなんてかわいいものではありません。あり得ない値引き交渉です。

カチンときたので

 

当店は一切の値引きには応じておりません。

また、値引き交渉されるお客様とはお付き合い致しません。

 

と返信しました。

 

刀はそれぞれが一点物。ある程度の相場があるとは言え、同作者の作品でも厳密に言えば出来によって値段が大きく変わってくるものです。

私の店に限らず、他店におきましても、相場より高値がついている品は、店主の思いいれがあったり、それ相応に出来が良いものであったりします。

実物を見ずして値切り交渉は刀剣趣味人として最低の振る舞いだと肝に銘じてください。

高いと思われたなら諦めるか、どうしても諦められないのであれば、店主に相談にのってもらい、取り置きしてもらって資金を貯めるくらいの心構えなくして、どうして購入した刀を大切に扱うことができるでしょう?

自分自身で自分の愛刀の価値を下げるような愚行は慎みましょう。

刀剣購入の際にケチるお客様が、将来、その刀に錆が生じた時、正しくメンテナンスして下さるとは私には到底思えません。ですからそのようなお客様とのお取引はご遠慮させて頂きます。

 

商売も大切ではありますが、私は何よりも刀が大好きなので、刀剣のことを最優先に考えさせていただきます。

刀剣趣味をこれから始められる方、お財布に優しい価格で室町時代の脇指を御紹介致します。

無銘
無銘
– Mumei –
 
室町時代後期に鍛えられた大磨上無銘の脇指です。
杢目鍛えに地景入り、肌立った地鉄に丁子交じりの互ノ目を焼いた作品。小疵がありますが古い時代の作品にはまま見られるものですからさほど気にはならないでしょう。研磨状態も良好で手をかけることなくお楽しみ頂けます。
これから刀剣趣味を始められる方で、まずは一振勉強用にと思われておられる方にうってつけの作柄と価格。立派な白鞘に銀二重はばきが装着されており、これだけでも価値あり!
一点物ですからお申し込みはお早めにどうぞ。
 
裸身重量533グラム。

加州藤原景平(初代兼若の長男にして事実上の二代兼若と言われる加賀前田家お抱えの名工)

加州藤原景平(初代兼若長男、事実上の二代兼若)

加州藤原景平
– Kashu Fujiwara Kagehira –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/365/00.html

越中守高平(初代兼若)の長男。父高平の作刀を助けて時に代作も務めました。加賀前田家に仕え、同国で最もよく知られた兼若一門の刀工です。
俗名を辻村四郎右衛門と称し、辻村家の家督を継ぐも、父である初代兼若が高平へと改銘するに伴い、自身も景平と名乗り、兼若とは名乗っていないものの、高平は事実上の二代兼若に当ります。
尚、兼若銘は弟である又助が襲名し、上述の通り、高平は辻村家の家督を継ぐも、兼若家の由緒書によれば景平には子がなかったため、又助兼若が養子となり、辻村家の家督を継いだと記されています。その後兼若の名跡は代を重ねて繁栄しました。

この脇指は加賀前田家中による依頼で鍛えられたものと推測され、武家における大小の小として頃合の寸法。元先の身幅の落ち具合や程好い反り、帽子やや延びごころの体配は、流石は加賀正宗と称された兼若家の手に成る脇指であると感服させられます。
地鉄は小板目で、所々に大肌や粕立つところが見られるも、総体に言えばよく詰んて潤いを感じさせるもので、淡く映りも立ち、刃文は匂口柔らかい感じの匂勝ちなる湾れ調互ノ目乱れ。匂口明るく、刃中にも細かな働きが随所に見られます。

兼若(景平含)の作に関し、前田家中の間では「見るには沸出来。使うには匂出来。」との言葉が残っており、兼若家の作品は沸出来よりも匂出来の方が利刀としては優れていた節が窺え、本脇指はその後者である匂出来の作品。観賞よりも実用を重視した士からの需めに応じて鍛えられた作品やも。と考えると、歴史浪漫も広がります。
※はばき上棟に鍛え筋。切先々端と刃区に小錆があります。

初代の代作をも務めた事実上の二代兼若!! 利刀としてもその名を轟かせ、良業物の作者としても有名! 是非この機会に御入手下さい。

裸身重量399グラム。

家平

家平

家平
– Iehira –
 
太鏨による銘切りから、陀羅尼刃の二代家平、吉兵衛の作と推測致します。吉兵衛は石川郡に住し、正徳中に國平と改銘します。享保十七年没。
 
この脇指はフクラやや枯れ気味の鋭い体配で、板目肌杢交じりのよく練れた地鉄が肌立ち、地景が随所に見られ、刃文は明るく冴えた互ノ目丁子の小乱れを巧みに焼き上げ、足よく入り、砂流見られ、刃縁の杢目に沸が絡んで月の輪風の刃を見せるなど、総体的に江戸期の作品と言うよりは、室町期の古作に見紛うような出来口で、観賞していて飽きが来ない逸品です。
 
裸身重量251グラム。

無銘

無銘

無銘
– Mumei –
 
製作年代を広く室町と表記しましたが、樋先が小鎬際にある点や柔らかそうな匂口などから、然るべき研磨を施して仔細に鑑れば、もう少し時代が遡るかもしれません。
附属の仕込杖拵は後世に合わされたもので、その際にはばきの台尻も短く詰められ、白鞘に納めますと少し隙間が空きます。
研磨後が期待できそうな脇指ですので、ぞんざいに扱わず、当店にて研磨をかけてくださり保存刀剣審査をご受審くださる方にのみ、お求め易い安価にて御紹介致します。
 
裸身重量330グラム。  拵に納め鞘を払った重量404グラム。

肥州河内大掾藤原正廣(四代)

肥州河内大掾藤原正廣(四代)肥州河内大掾藤原正廣(四代)
– Hishu Kawachidaijo Fujiwara Masahiro(4th generation) –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/361/00.html

四代正廣は友之進と称し、正廣家三代目の子で延宝三年の生まれ。宝永元年に没した父の跡を継いで家督を相続し、宝永五年の河内大掾受領を機に銘を改めました。宝永七年には、忠吉及び行廣と共に幕府から朝鮮通信使への贈り物とされる刀剣の製作を命じられているように、高い技術を備えて肥前鍋島家に仕えていました。
正廣家は初代忠吉に養子として迎えられた吉信の子に始まり、山城伝直焼刃を特徴とする忠吉一門とは作風を異にし、相州伝を基礎とする乱刃を得意としましたが、基本にある地鉄鍛えは、微細な地沸で覆われて緻密に詰み、江戸期肥前刀の代名詞である小糠肌となります。

この脇指は、中心千両の言葉に相応しいスキッとした中心に、程好く反りが付いた美しい体配を誇り、切先は延びごころで鋭さを感じさせます。
地鉄は小板目肌が良く練れて詰むも少しく肌立ち、地沸付き、地景入り、匂口明るく冴えた湾れ基調の互ノ目乱れを焼いており、刃縁に砂流や金筋、足等の働きが顕著に見られ、四代正廣の技量の高さを誇示する出来口で、時代物の金着せはばきが伝来の良さも物語っています。

裸身重量579グラム。

脇指  陸奥守包保 甲割(右陸奥)

脇指  陸奥守包保 甲割(右陸奥)

陸奥守包保 甲割(右陸奥)
– Mutsunokami Kaneyasu Kabutowari(Migi Mutsu) –
 
陸奥守包保は、左陸奥包保の門人で後に養子となった人物です。初銘を包重と称し、この時代の作品には銘を師の左陸奥と同じく逆文字(鏡映し)に切っていますが、包保に改名してからは、通常の右文字に銘切るようになることから、師の「左陸奥」と区別して「右陸奥」と称されています。
彼は後年に養父と共に信州松本城主水野家に抱えられ、信州松本に於いても作刀しており、延宝五年から元禄二年までの年紀のある作品を残しています。
 
鎌倉期の猪首切先を思わせるフクラたっぷりとした丸みある切先が印象的なこの脇指は、兵庫県の旧家より直接当店がお引き受けし、登録作業から美術観賞用上研磨、白鞘の新調など全てを当店にて施しました。本邦市場初登場の完全なるうぶ品で眼垢は一切ついておりません。
地鉄は小板目肌がよく練れて詰み、地沸ついて地景入り、匂口明るい中直刃を上品に焼き上げています。一見単調な直刃に見えるも、仔細にご覧頂ければ細かな刃縁と刃中の働きに気付かれるはず。眺める度に新たな発見を楽しめる一振りです。
 
上研磨は日本美術刀剣保存協会主催のコンクールに於いて入賞を果たす上手な研師が担当しました。
何もお手をかけることなく存分に右陸奥の地刃をご堪能できるうぶ出しの一刀。是非この機会に御入手下さい。
 
裸身重量421グラム。

短刀(懐剣) 正栄

正栄

正栄

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/150/00.html

 

日本刀銘鑑を紐解くと、江戸後期に正栄と名乗る刀工が二名見当たります。一人は尾崎助隆の養子である源左衛門正栄。もう一人は奥田栄一郎正栄で、共に江戸後期に攝津国で活躍しました。
日本美術刀剣保存協会による鑑定では国を記載せず、単に新々刀とあることから、どのような見解なのかを尋ねたところ、俗名がない正栄銘に関しては資料が乏しく、そのため上記両名を含み、銘鑑漏れの正栄銘刀工も想定して個人特定はしないとのことです。

この短刀は小振りながらも鍛えが良く、清廉な水面の底を見るが如く、細かな地景が見られ、地沸付き、匂口明るく冴えた直刃を焼いて、先は大丸に返っています。

現状では気にならない程度の薄錆がはばき元に見られますが、これもうぶ品だからこそ。二百余年の歳月が過ぎた今も尚光を見せる中心。昭和26年岡山の大名登録であることや、拵の様式や刀身寸法、柄に描かれた一重五瓜に違い鷹ノ羽紋などから、池田本家や支藩に嫁いできた姫君の御守刀だったのかもしれず、また、中心の銘は正栄なのに、鞘には守貞と蒔絵されているのも、何か謂れがあるのかもしれません。歴史好きな方は是非この短刀のルーツを探ってみてください。
※仔細がお判りになられましたら是非ともご教授下さい。

裸身重量78グラム。  拵に納めて鞘を払った重量106グラム。

脇指 山城國粟田口藤原忠綱作(初代)

山城國粟田口藤原忠綱作(初代)

山城國粟田口藤原忠綱作(初代)

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/358/00.html

 

初代粟田口近江守忠綱は、慶長十四年に播磨国姫路に生れ姓は浅井。粟田口国綱の後裔と称し、銘に粟田口を冠しました。寛永十四年頃より山城にて鍛刀し、後の慶安元年頃に大阪に移住。延宝四年六十七歳の作までのものが経眼されます。子に、名工の誉れ高い一竿子忠綱をはじめ、摂津守忠行、近江守忠光、正綱がおり、弟子には、長綱、包綱、広綱、吉綱などがおり、いずれも名工として名を轟かす刀工ばかりです。

小板目肌良く練れて杢交じって地景入り、地沸ついた精美な地鉄に、匂口明るく冴えた互ノ目丁子乱れを焼いた初代忠綱の作品。一切の破綻が無く、まさに名刀と呼ぶに相応しい出来口です。
コレクター遺品整理としてお預かりした眼垢がついていないうぶ品。現状古研ぎ身で所々に薄錆がありますが、現状でも地刃を御観賞頂けます。
研磨前の御入手いただきやすい価格での御紹介ですので、この機会を逃されませんように。
※委託品

裸身重量445グラム。