剣士の腕は鯉口を見れば判る。

http://blog.goo.ne.jp/kelu-cafe/e/39cbfd766ef65f7748874e7d66a61d4c
剣士の腕は鯉口を見よ

渓流詩人さんのブログを御紹介します。
実に感慨深い内容が記されており、同感であります。

ゆっくりと正確に形を稽古する

居合術は刀を抜き差しするだけの武術ではありません。
身体操作を身につけるにおいて、日本刀という物差しを用い、形稽古の中で無駄な動きを排し、身体本来の動きを探求するものです。

故に速抜きでの形稽古は初伝之抜、中伝之抜、奥伝之抜の三伝をしっかりと身につけた後に初めて行うものであり、速抜きを行うと言うよりは、必然的に速くなっているというのが理想かと考えます。
昨今、居合の形稽古において鞘を削る、割ってしまうという方がおられますが、そう言った順序を無視し、三伝を身につけていない状態で速抜き稽古を行ったり、速抜きすることこそが居合、剣術だと勘違いした稽古をするから、刀身にヒケ(擦り傷)をつけたり、鞘を無駄に壊してしまうのです。

数字を覚えた程度で因数分解はできないのと同じです。足し算引き算、掛け算割り算と言った、基礎をしっかりと身につけて初めて因数分解ができる。
自身の愛刀の鞘を覗き、削りカスや切り傷があるようでは、まだまだ速抜き稽古が出来る段階ではありません。

急いては事をし損ずる

昔の人はこのような言葉も残しておられます。
焦らず、楽しく、ゆっくりと稽古を重ねましょう。

初伝居合形

無双直伝英信流町井派を改め、修心流居合術兵法に名を変えてからは、本家を名乗る無雙直傳英信流の連盟や団体に遠慮することがなくなり、思いのまま、気の向くままに自由に稽古をするようになりました。
形を通して身体捌きを身につけるにあたっては、初伝形も初伝之抜、中伝之抜、奥伝之抜と三種にわけ、それぞれのレベルに合わせた稽古を行っています。

ざっくばらんにその違いを記しますと、初伝之抜では両手を刀にかけるまでの動きに特徴があり、横一文字の後の振りかぶりまでの動きでは両手にて受け流す形を作りながら行います。中伝之抜では半身のきりかたが初伝と異なり、両手で受け流す形だったものを片手で行います。一般的な英信流の居合に見る形に近いですね。奥伝之抜では両手のかけ方が手からではなく、肘の抜きにて行い、振りかぶりは片手受け流しまたは中心立ての要領で行います。

それぞれ納刀の動きも異なり、初伝之抜でははばき元から。中伝之抜では刀身の中程から。奥伝之抜では物打からとなるのですが、正面から見るとこの三伝の納刀はいずれも同じ動きに見えます。

他流や他道場では、奥納刀と言えば手首をくるっと返し、切先納めますが、修心流では独特の術理があって、こうした奥納刀を良しと考えておりません。あくまで三伝の納刀はいずれも同じ動きでなければならないのです。その理由についてはここでは触れません。

速さとは自ら速く動くものではなく、無駄の無い動きの中で自然と出来上がってくるものだと考えています。
故にゆっくりと丁寧に反復して居合形を抜く稽古を重ねるのです。
ゆっくりと正確な動きができないのに、速く動いてもそれは無駄な動きの塊であり、隙多き動きなのです。

居合中伝形“浮雲”

昨夜の本部道場定例稽古では、初伝形全11本を抜き、その後中伝形を一本目から四本目まで抜かせました。

四本目の浮雲から、手順が覚えられず苦労する門弟が多いです。

教える側としては、さして難しいことをしているわけではないので、一回で形を覚えて欲しいと言う思いがあるのですが、思い返せば私も英信流修業時代は、浮雲の形手順を覚えるのに一苦労したものです。

形を単に形として覚えようとしては身にはつきません。形の想定やこの形で学ぶべき課題を理解できれば、自ずと覚えることができるものだと考えています。
長らく稽古を離れていた次男が稽古に参加したのですが、次男は形稽古が大の苦手。苦手と言うよりは嫌いと言う方が正確かもしれません。

そんな次男ですが、形の意味、稽古課題の意味を教えたところ、珍しく約一時間近く浮雲の形稽古を熱心にしていました。

現代居合が形演武ばかりで、実際に対人相手に稽古することから離れてしまったため、同じ形でも先生方や道場によって所作が異なります。
私はこういった所作の違いが発生することに対し以前から違和感を抱いていました。

全く同じ想定であれば、所作の違いが発生することなどないと考えるからです。

勿論、相手の腕の角度、抑え方によって、微妙に形は異なってはきますが、前述の通り、全く同じ想定であったのなら、派閥が誕生すること自体おかしいと思う次第です。

昨夜の稽古で形の意味、この形で学ぶべき所作を真摯に伝えたところ、門弟達も、次男も、理解してもらえたようでしっかりと稽古に勤しんでいました。
形は踊りや振り付けではありません。それぞれの動きに稽古課題があり、意味ある稽古メニューとして組み立てられているものです。
古の伝播者達の意向を汲み取り、真摯に稽古する姿勢が大切だと考えます。
私達現代人が、先人から学ぶべきものは、形ではなく、形の中に秘められた稽古課題なのだということに気付かなければ、居合術は上達しません。

吉川メソッド代表“吉川朋孝”×平成の侍“町井勲”

吉川メソッド代表“吉川朋孝”×平成の侍“町井勲”
吉川メソッド代表“吉川朋孝”×平成の侍“町井勲”
http://www.yoshikawa-method.co.jp/cn7/cn8/corner57/index.html

本物を追求した二人の対談でわかった共通点

是非ご覧下さい。

月刊『秘伝』11月号 10月14日発売!!

月刊秘伝11月号
月刊『秘伝』11月号も日本刀情報満載!!
前田日明×町井勲 “斬れ者たち”の新・日本刀論

10月14日発売!
書店へGO!!!

建勲神社鉄砲隊創設創案

20160930-1

20160930-2

本日、10月19日に開催される船岡大祭での居合奉納の打ち合わせのため、京都建勲神社を訪ねました。
同神社松原宮司様と打ち合わせを済ませたあと、今後も古式砲術演武を続けたいと御相談頂き、不詳ながら私が先頭に立ち、これまで通り建勲神社での古式砲術演武を奉納させていただくべく、音頭をとらせていただくことになりました。

私が所属しているATJ古式砲術流儀保存会は、小谷野隊長が亡くなられた後、経験豊かな隊員が隊を引率されていましたが、皆さんご高齢になられたこともあり、隊としての活動は休眠状態にあります。

建勲神社は織田信長公を御祀りする神社だけに、信長公の印象として強い古式砲術の演武は人気が高く、建勲神社様としては毎年でも砲術演武奉納を行いたい意向です。
そこで、隊員の若返りも計り、新たに建勲神社鉄砲隊を組織したいと思い立ちました。

これまでは各々が様々な甲冑を身に纏っての演武でしたが、新たに隊を結成するにあたっては、皆揃いの鉄砲足軽具足で揃え、勇壮なる織田の鉄砲隊を再現したく存じます。
また、全装備全て個人負担であった鉄砲隊ですが、有志の方が参加しやすいように、具足の購入費や使用する火縄銃等の備品は、後援者を募って鉄砲隊で購入管理し、なるべく自己負担が少なく済むようにと考えております。

火薬と実銃を使用する演武だけに、コスプレや遊び感覚で参加される方はご遠慮願いますが、共に建勲神社の船岡大祭を盛り上げ、古式砲術の伝統や文化を正しく後世に伝え残したいとお考え下さる方がおられましたら、是非ともお声がけ下さい。
新たに組織するからには、本格的な鉄砲隊を作りたいと考えております。※眼鏡やゴム底の地下足袋等の使用を不可とし、当時のいでたちをそのまま再現したいです。

また、上述のように、活動資金を援助下さり、鉄砲隊を影ながら支えて下さる有志の方が居られましたら是非とも宜しくお願い致します。

恐れ入りますが、一人でも多くの有志を募れるよう、このブログ記事の拡散に御協力ください。宜しくお願い致します。

軸を制す

本日の修心流居合術兵法修心館本部道場定例稽古

稽古課題は『軸』

・片手捕切り下ろし
・片手捕切り下ろし(木刀)
・達人ごっこ
・達人ごっこ(難)
・おむすび食わせる
・抜付
・剣術中心立て

文字だけですとどのような稽古か解りませんよね?
はい。解らないように意識して書いております(笑

修心流居合術兵法には名も無き稽古法が多々あります。たまに思いつきでさせる稽古もあります。
そうした思いつきの稽古の中で私自身も新たな発見をし、学ばせて頂いております。

本日の稽古では申し訳なさ程度に木刀を使い、最後の15分ほどだけを剣術(中心立て)の稽古に充て、他の時間は全て体術に充てました。

昨夜の定例稽古

本部道場定例稽古

稽古課題

前半
居合初伝形五本目「八重垣」

中間
基本刀法(すぶり)

後半
剣術(小太刀)

「眼で盗め」と口をすっぱくして言うのですが、眼で盗むという意味がわかっていないように感じられます。
技術的なことは実際に受けをとり、反復して稽古しなければ会得はできませんが、形の手順や手の角度、足の位置くらいは、手本演武を見て己で覚えるべきことです。
昨夜の稽古できつく注意したのは、

「形の所作一つ一つに意味がある。自分勝手に形を省略したり改編するな。」

と言うこと。
初伝の居合形は教え通りに行わなければ、中伝、奥伝に繋げることはできません。
何事も最初に習うことが一番大事。

重い荷物は担がない方が良い

先日の名古屋での演武では、満足行く試斬演武ができませんでした。

居合形や組居合形、二刀や居合柔術の演武はまずまずであったのに、何故試斬でしくじったのか?
その原因をつきとめるべく、名古屋から戻るとすぐに畳表を相手に自己分析。

原因は肩にありました。

ビデオ撮影し、第三者目線で確認したところ、いつもと刀捌きが全く異なるのです。
思い当たるものとしてはその前日、日本美術刀剣保存協会から審査物件(日本刀15振)を引き揚げたこと。

東京に出るついでに毎回自分で担いで持って帰ってくるのですが、日本刀15振ともなるとそうとうな重量になるものです。
それを担いで移動することにより、肩に負担がかかります。肩からずり落ちないよう、自然と肩をあげるその動きが、やはり数日残ってしまうようです。
斬上時、片方の肩は落ちているのに、もう片方の肩は異常にあがっている。
それによって刀の軌道が変わり、斬撃力も落ちるようです。

江戸時代、禄を持つ武家の者は、けして自分自身で荷物を持って歩くことはなかったと言います。
かならずおつきの荷物持ち(中元等)に持たせるのが常だったようですが、今回の演武の失敗によって、何故そのようなしきたりがあったのかも理解できたように思います。
全てはいざと言う時に存分に働けるよう、このような些細なことですら気をつかっていたのかもしれませんね。

名古屋の剣道少年少女達に、最高の刃味を見せてあげることができなかったことが本当に心残りではありますが、失敗をしたことによってまた一つ賢くなり、良い経験が積めたと思います。

当面、自分の肩のコントロール矯正に時間がかかりそうですが、このスランプを脱した時には更に鋭い振りができるようになっていることでしょう。
今もこれから時間を惜しみつつ、畳表相手に矯正のコツを掴むため精進します。