短刀 備州長船守久

短刀 備州長船守久
備州長船守久
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/141/00.html

銘鑑を紐解くに、守久は南北朝時代貞治頃に活躍した者を初代、南北朝末期から應永にかけて活躍した者を二代として紹介されています。
本作は日本美術刀剣保存協会による鑑定で、後者である二代と思しき鎧通しです。杢目肌少しく肌立った地鉄には、備前等の代名詞とも言うべき映りが総体に立ち、匂口明るく冴えた互ノ目を焼いています。

長らく大阪のコレクターが愛蔵した一刀で、うぶだしの名品です。当店で観賞用並研磨を施し、保存刀剣鑑定のみを受審しました。願わくば上研磨を施し特別保存刀剣審査をご受審下さい。

短刀 将平作

短刀 将平作
将平作
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/140/00.html

藤安将平刀匠は昭和二十一年福島県伊達郡生まれ。昭和41年長野県坂城町の刀匠、故人間国宝、宮入行平師に入門。
昭和50年福島県立子山に鍛刀場を開設して独立。以後作刀の研究修練を重ね日本美術刀剣保存協会優秀賞3回、奨励賞6回、努力賞7回を受賞。平成2年には日本美術刀剣保存協会会長賞受賞。同14年日本美術刀剣保存協会寒山賞を受賞。

尾張熱田神宮、奈良護国神社など多くの神社で奉納鍛錬を行い、平成20年には、704年、佐備大麻呂の作剣以来、およそ千三百年ぶりに常陸鹿島神宮において日本刀奉納鍛錬を行う。

昭和59年秋には伊勢神宮第61回式年遷宮、御神宝太刀謹作奉仕の大役も担い、 先の震災で大きな被害を受けた福島県南相馬の御刀神社復興支援にも大きく尽力され、御神宝となる直刀を謹作奉仕し、直近では福岡の宮地嶽古墳出土大直刀の復元鍛錬など、現代日本刀匠屈指の作刀技術を持っている。

平安、鎌倉時代の古刀剣再現への強い想いを持ち、長年研究修練に取り組み、国宝、重要文化財やそれに類する刀剣類、全国の砂鉄や鉄文化の知識見識も豊富で、太刀、刀、短刀、脇差、薙刀、古代直刀など、どれを手掛けても正確で美しい刀姿を創り上げる。
地鉄、焼刃の手際も鮮やかで幅広い製作能力を誇り、中心鑢や銘文といった中心仕立ても現代刀匠随一で、師である行平没後、師の実子である宮入小左衛門行平(宮入恵)を預かり、弟子として鍛刀修業を積ませた経緯からも、師の信任が厚く、その技量の高さを物語っている。

近年は奈良正倉院収蔵の直刀、手鉾のなど奈良時代の刀剣類の研究、復元制作にも取り組んでおり、上記の御刀神社奉納直刀の焼刃などは神域に入られたと言っても過言ではない。

刀心店主、町井勲(修心流居合術兵法創流者、居合に関するギネス記録を5つ保持している)が最も信頼を寄せる現代屈指の刀匠としても知られ、将平刀はテレビ番組内で町井の手によって、鉄パイプ、鉄板切断など日本刀の本分である利刀(折れず曲がらずよく切れるの三事)としての能力も非常に高いことが証明されている。
また弓、弓道にも深い造詣を持ち京都の御弓師柴田勘三郎氏とも長年に亘る親交があり、地元福島では弓術の指導にもあたっている。

人格そして技量に於いても、人間国宝や無鑑査に認定されるべき人物だが、表の世界に出るのを拒み、今尚福島県立子山で黙々と作刀研究に勤しむ生粋の職人肌刀匠である。

更なる詳細はこちらをご覧下さい。

中心を伏せて鑑れば古刀に見紛う将平刀匠の力作を、是非この機会にお求め下さい。

短刀 氏貞

氏貞
氏貞
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/139/00.html

氏貞は初銘を兼貞と言い、初代氏房の子で、若狭守氏房の兄。岐阜より尾州へ移り活躍した刀工です。「一国氏房」と称された名作を遺しており、氏貞作による刀が一振重要美術品の指定を受けています。

本刀は長らくコレクターに愛蔵された逸品のうぶ出し品。大人しい直刃出来ながらも焼き出しには美濃系鍛冶を示さんばかりの尖りごころの互ノ目を一つ小さく焼き、フクラ辺りの刃はたっぷりとした、実用面での修復等を考慮した焼刃構成になっています。
古研ぎのため部分的にさほど気にならない程度の薄錆あるも、手をかけず現状でも地刃をご堪能いただけます。研磨代を考慮した価格設定を致しましたので、余力ある方は是非とも上研磨を施し、末永くご愛蔵ください。

附属の拵は縄目模様に刻まれた手の込んだ作で、桜花を刻した割笄も失われることなく残っています。拵としても価値ある逸品につき、是非とも鑑定書をおつけになってお楽しみ下さい。

短刀 越前大掾源國定

越前大掾源國定
越前大掾源國定
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/138/00.html

國定は國重に代表される水田派の刀工で、師である國重同様に大きく刃上がりの中心尻に、短寸ながらも大粒の沸で構成された迫力ある刃文が見所。

附属の拵は保存状態が良く、蛇皮を思わせるような菱目模様に青貝を散らした変わり塗りで、鉄製の割笄と共小柄も欠けることなく附属しており、金着せのはばきを装着した豪華な造り込みから、上士族の懐剣として大切に伝えられたことが窺がえる逸品です。

広島尾道のコレクター旧蔵のうぶだしの一刀。

短刀 大磨上無銘(兼先)

大磨上無銘(兼先)
大磨上無銘(兼先)
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/137/00.html

大磨上無銘の短刀で善定派の兼先と極められた一刀で、いかにも美濃伝らしい尖り刃に飛焼を交えた派手なに細やかな砂流が見られます。
また、棟には六箇所も切り込み傷があり、武器として、利刀としての強さも物語る作品です。

附属の拵は保存状態が良く、青貝を散らした鞘には赤銅地の七五桐紋が据えられており、椿と梅を図材にした赤銅地の鐔には細かく魚子が打たれた名品。小柄は安行在銘。
はばきと切羽は共に金着せで贅を尽くしているところから、さぞ名のある上士の指料であったものと想像されます。
広島尾道のコレクター旧蔵のうぶだしの一刀。

本部道場斬稽古(2016年8月14日)

お盆休みということでいつも稽古場として利用している自治会館が休館のため、この日は斬稽古を行いました。

前日の晩に畳表を浸けて準備をしていたのですが、稽古予定時間少し前から雷雨が襲い、あわや稽古中止かと思われましたが、幸い18時頃から雨がやみ、予定通りの稽古ができました。
この日も稽古参加者は二名だけと寂しい稽古ではありましたが、その分たくさん本数を斬ることができたので、参加した門弟達はラッキーでした。

そろそろ中伝を印可したいと思う柳原君ですが、ここのところ斬稽古の成績が非常に悪い。
袈裟すら思い通りに斬ることができないスランプ状態に陥っています。

この日の稽古で重点的に改善点を指導し、なんとか袈裟斬りはできるようになったものの、完璧なものとは呼べないレベル。
今後の精進を期待。

門弟達の稽古の様子はまだまだ披露できるレベルではないため、いつものように私による試斬動画を掲載します。
あくまで刃筋確認が目的ですので、派手な斬り方は稽古しませんが、この日は遊び心もあり、逆手での斬上も稽古してみました。

修心館大阪豊中岡町道場定例稽古(2016年8月13日)

お盆ということもあって参加者は二名のみでした。

この日の前半は、居合形全てを抜かせました。
課題は奥之抜。
同じ形でも初伝之抜、中伝之抜、奥伝之抜ではそれぞれ身体捌きが異なって見えます。
やっていることは全て同じなのですが、奥伝之抜になると所作が省略されていくわけです。
当然ながら納刀も全て奥納刀となります。

ネットに掲載されている奥納刀を見るに、とてつもない勘違いをされていらっしゃる方が多いように見受けられます。
納刀時、腕に触れ始める部分がはばき元であるのを初伝の納刀、中程になるのが中伝の納刀、物打辺りになるのが奥伝の納刀と言う様に修心流では指導しています。
この奥納刀を勘違いされている方の殆どが、手首だけをくるっと返し、切先を鞘に納めるというものなのですが、私はこれを奥納刀とは認めません。理に適っていないからです。

抜刀と納刀は同じものであるべき

との古の教えがありますが、果たしてこの真意を知る居合家はどれほど居るのでしょうか?
その答えに関して、今回の記事には記しませんが、常に己が不利な状況下にあって納刀の稽古をしてみれば、自ずと答えは出てくるものです。

後半は私が創案編纂した組居合居業之部を一人で抜かせました。
この組居合居業之部、単独で抜かせてみると傍から見て何を稽古しているのかさっぱり解りません。そこがまた面白い。

一通り抜かせた後は二人一組で組居合立業之部を一通り稽古。
毎回門弟達に教えながら、自分自身新たな発見があるもので、日々修心流の術理は進化しています。

ちょっとした身体使いを意識するだけで、大きく業が活かされる様に門弟達も驚いていました。
たった二時間の稽古では物足りなさを感じる充実した稽古ができました。

敢えて無駄と思える動きを組み入れる

形稽古をさせてみると、どうも基礎ができていない。動きの意味を理解できていない者が多いように感じられる。
そのため最近、初伝形の初伝之抜での形に、一見無駄と思える動きを組み入れる事にしました。

大きく変更したのは抜付後の振りかぶりまでの所作。

その意味を動画で門弟に配信したところ、初めてその意味を知ったという者も…

特に各種連盟の居合などに見られるこの傾向。
実戦を想定していない独りよがりの演武思考によって発生している。

己の抜付が敵より確実に速く、一刀のもとで敵を切り伏せていたのなら、振りかぶりまでの所作はどんなものでも良いでしょう。
しかし、抜付を外されると同時に相手が抜刀し終わっていて、上段から振り下ろしてきたら??
連盟で教わる振りかぶり方では確実に己が死に至るか、或いは指や腕を切られること必須。

つまり、振りかぶりと振り下ろしの所作は受け流しの延長になければならないのです。
かと言って、諸手で振り下ろしてくる相手の刀を片手で受け流すにはそれ相応の技術が必要となります。
正しい形と所作を覚えれば、片手で諸手に対抗できることは、物理的にも可能。それを身につけさせるために敢えて動きを一つ加える。

古の英信流もひょっとすると私が指導するのと同じ形で稽古させていたのかもしれません。
それが出来て初めて全ての所作を片手で行う。
手順としても物理的にも理に適ったものと思います。

素人騙しの刺繍

近頃の居合道場や流派を見るに、やたらと稽古着に大きく流派名や道場名を刺繍するところをみかけるように思います。

私個人の考えとしては、そう言った刺繍は全く意味がないと思うのです。

例えば正宗の刀を見てください。

在銘はほとんどありません。

一説によると、銘を切らずとも、作風から正宗と判るといった自負からのものだと言われます。

これが正しいか間違いかはさておき、私は修心流居合術兵法の門弟は、所作で修心流居合術兵法の門弟であることがわかるようにしろと教えています。
この考えは今後も変わりません。

そのため、修心流居合術兵法は希望者に氏名以外の刺繍はさせません。
流派名を刺繍できるのは、私の眼から見て流派名を名乗るに恥じない技術の持ち主だけと定めています。

とかく素人や外人騙しには、大きな刺繍が好まれるようですが、私はそう言った刺繍は大嫌いであることをここで念を押して置きます。

私が最も軽蔑するのは、高明塾の稽古着です。
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袴に限らず、上着にも、やたらと英信流という刺繍をデカデカとしている様は、滑稽であり、ちんどんやにしか私の眼には映りません。
暴走族の特攻服となんら変わりないではありませんか(笑
流派名や道場名は刺繍で語るのではなく、技術で語るものと私は考えます。

切先を見せない

修心流居合術兵法の基本理念は、切先を見せない。刀の長さを読ませない。というもので、納刀時の身体捌きに於いてもそれは繊細に意識しています。

切先を見せては刀の長さを読まれ間合も読まれる。
納刀は腕を使って行うものではなく、己の軸にて行うもの。
さすれば自ずと刀の切先は鞘に納まり、刀の長さは読まれにくくなるもの。