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関兼秀作之 昭和十九年二月日 ~陸軍造幣廠検査印☆打刻在り 旧軍による厳しい検査を合格した利刀~
関兼秀作之 昭和十九年二月日
– Seki Kanehide –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/735/00.html
本名中田勇。大正2年8月24日、長野県基礎軍大桑村にて生誕。昭和3年大桑村の尋常小学校を卒業し、高知県安芸市にて十二代川島正秀鍛錬所で徒弟として八年間の鍛錬技術習得後、同12年2月に岐阜県関市に移住。渡辺兼永の門下で日本刀美濃伝の研究に着手しました。同12年10月から15年10月まで日本刀鍛錬塾の塾生長になり、 昭和13年10月にはヒトラーユーゲント来日記念刀の短刀31口を鍛え上げ、ヒットラー、ムッソリーニ両首相にも日本刀を献上。同16年に関刀剣株式会社に入社。優秀な鍛錬技術を認められ、陸軍受命刀工として鎚を振るい、東條英機総理大臣に軍刀を、同32年に天皇・皇后両陛下への献上刀を鍛錬。同38年『兼秀日本刀鍛錬所』を設立して日本刀の鍛錬と研究に専念。人生を日本刀に捧げ、同51年11月22日『関市重要無形文化財』の認定を受け、翌52年3月11日には『岐阜県重要無銘文化財』に指定されるなど、昭和を代表する刀匠として活躍しました。
本刀は昭和19年に鍛えられた高級士官用の軍刀で、古式にのっとり、和鋼を用いて入念に鍛えられた逸品。陸軍造兵廠において、厳しい試験に合格した刀にのみ打刻される『☆』の刻印が打たれており、美術性のみならず、その耐久性と刃味が軍部によって証明されています。
地鉄は小板目または杢目が良く練れて詰み、匂口明るく冴えた互ノ目乱れを焼いて、足よく入り、刃縁に沸が頻りについて、互ノ目の焼き頭は二つ三つと足が入って複数の小互ノ目となり賑やかな出来口です。
附属の九八式拵は後期型で、鮫皮部分はセルロイド製。鉄鞘に凹みや塗装剥離は見られず保存状態良好です。
現状では古研ぎで目立つ観賞を妨げるほどの錆はございませんが、ヒケや鎬地の針磨きムラが見られます。出来良く、更には軍部による厳しい試験を合格した、大東亜戦争期の昭和の名刀だけに、御購入後には美術鑑賞用の上研磨を是非施してあげてください。本刀の出来の良さを存分に御堪能頂けること間違いございません。御希望の方には当店にて13万円(税込)にて美術鑑賞用上研磨を承ります。
※現在、無知な登録審査員により、☆刻印が打刻された古式本鍛錬軍刀も、塑造乱造刀と誤認され、登録不可とされるケースが増えています。今後益々入手し難くなるであろうと思われますので、この機会に☆刻印入りの本刀をお求めください。
裸身重量784グラム。 拵に納めて鞘を払った重量1,140グラム。
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。
義正作 昭和乙酉五月
昭久 昭和二二十七年三月日 ~貴品上位 最上大業物~
濃州関住二十三代藤原兼房作 昭和二二十九年二月吉日
刀 大宮住武蔵剣工源輝日天(刻印) 應清水清司先生為重代 昭和五十乙卯八月吉日
刀 予州西条住平貞重作 昭和甲寅年二月吉日 ~人間国宝高橋貞次高弟~
刀 予州西条住平貞重作 昭和甲寅年二月吉日 ~人間国宝高橋貞次高弟~
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/575/00.html
本名、今井竹重。明治24年1月4日愛知県西条市生まれ。刀銘を鉄心入道平貞重、蚊竜子平貞重と号す。はじめ人間国宝・高橋貞次に入門し、後に総裁名誉賞、最高文部大臣賞など多数の受賞暦があり日本刀学院名誉鍛錬師範でもあった父(徹心入道平貞重)に学びました。
一文字や津田助広の作域を目指し、昭和15年の新作名刀展に入選以来、16年、17年、18年と連続入選を果たし、名工の才覚を刀匠会に示しました。戦時中は倉陸軍造兵廠の陸軍受命刀匠として鎚を振るい、その高い技量で現代刀匠史にその名を残す昭和の名工です。
本刀は貞重刀匠の上述通りの高き技量を示した入念作で、疵欠点皆無の一切の破綻無き地刃優れた一刀。良く練られた地鉄に互ノ目乱れを巧みに焼き、丁子刃交じり、総体に砂流が顕著に現れ、あたかも雲棚引くかの如きで、働きに富んだ見事な出来口です。美術観賞用の上研磨が施されており、地刃の冴えをしっかりとご堪能いただけます。
4月末日までの期間限定特別価格をお見逃しなく! 5月以降はこの価格での販売には応じられません。
裸身重量1,015グラム。
刀 一心 昭和十八年三月 ~陸軍受命刀工~
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/545/00.html
一心とありますが、満鉄刀とは関係ありません。刀工銘“一心”は岐阜県関市にて活躍した昭和の刀工です。本名を谷川慶治と言い、昭和16年9月12日に陸軍受命刀工に任命されました。
この刀は戦中に打たれた刀身に稀に見る、匂口が無いタイプ。そのため刃文写真は割愛させていただきます。刀身には鍛錬時の疵欠点はありません。刀工銘の上と柄の兜金(頭金具)に名古屋工廠刻印“名”が打たれています。
附属の九八式軍刀拵は、未使用と称しても過言ではない保存状態の良さ。金具番号は全て“722”で揃っており、はばきの台尻にも鏨で“722”と刻され、鞘の鯉口内部にも“722”と記載。柄木にも“722”の番号が刻されています。
現在匂口が無い刀身や工廠刻印が打たれた刀身には登録証が発行され辛い状況ですので、本刀の存在は大戦時の軍刀の歴史を物語る上でも大変貴重な存在で、資料的価値も高いです。軍装コレクター垂涎の一刀を是非この機会にお求め下さい。
※本刀は委託品です。
裸身重量776グラム。 拵に納めて鞘を払った重量1,087グラム。
関住兼則作 昭和十二二年十月日 ~刻印新資料となる一刀~
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/556/00.html
本名小島太郎。小島時二郎『兼道』との兄弟で、明治四十年五月(1907)に岐阜県関市長住町に生まれました。
渡辺兼永の門下となって日本刀鍛錬塾で学び、昭和44年2月7日に文化庁より作刀認可。新作名刀展で入選8回を受賞するなど、大東亜戦争時には陸軍受命刀工として活躍した昭和を代表する関鍛冶の一人です。
桜に「昭」の検査刻印は、昭和17~18年に名古屋陸軍造兵廠関分工場が「關」刻印を使用するようになって以降、内務省令によって打たれるようになったと言われていますが、本刀は昭和十四年の作にも関わらず、桜に「昭」の刻印が打たれていることから見て、この種の刻印の使用開始が数年遡ることを示す新資料として価値高い一刀ではないでしょうか。
或いは附属している末期型略式九八式軍刀拵から察するに、昭和十四年に打たれた無刻印の本刀を、軍刀として出荷するにあたって刻印を打ったものでしょうか。
いずれにせよ研究価値充分にあると思われますので、軍刀を研究されておられる方に、是非とも本刀と刻印の研究をお願いしたく思います。
裸身重量822グラム。 拵に納めて鞘を払った重量1,160グラム。