武用刀じゃない刀ってあるの?

つい先日のことです。

将平刀匠と武用刀の打ち合わせをしていた時のことです。

何振か注文している中で、

「今お願いしたのが武用刀で、こちらが美術刀です。」

と言ったところ、

「刀はみんな武用だよ(笑」

と電話先で将平刀匠が笑われました。

そうなんですよね。

刀は元々が武器として発展したもの。

それを神経質なまでに美術品美術品と言っているのは現代の感覚。

観賞用に良い研磨をかけるのと、観賞用に良い刀を作るのとは全く次元が異なることです。

将平刀匠の作品、多くの方にお使い頂きたいと言うことから、武用刀として御紹介している品も、実は鍛錬から焼き入れまで、全て工程は同じ。

では、何が違うの? と言われますと、素材ですね。

武用刀は日本美術刀剣保存協会の玉鋼の中でも非常に扱いにくいと人気がない二級Bを使用しています。それに武用として必要最低限の研磨と拵を誂えております。

一方、美術鑑賞刀として御注文頂いたものに関しては、江戸時代等の古い鉄を将平刀匠自ら卸した卸鉄や、日本美術刀剣保存協会の玉鋼一級Aを用い、影打も鍛え、全て最上の諸工作を施しています。

二級Bの欠点は、疵が出やすいこと。美術品としての地位を確立された現代に於いては、疵がとても嫌われますが、致命的な疵ではない限り、刀としての役目は果たします。

ですから、武用将平を御注文頂いても、疵が無い、或いは疵が少なければ、美術鑑賞刀として独り歩きできる刀が出来上がることがございます。

このような刀が手に入った方は超ラッキーですね。

ただ、それでは美術鑑賞刀として高額な対価をお支払い頂いた方に申し訳ないので、美術刀剣 刀心では武用刀として依頼を受けました御刀に関しましては、

“刀心立子山住人将平作”

と銘を切らせて頂いております。

数百年後には悪意ある刀剣商が、出来が良い武用将平の“刀心”銘を消して入念作に化かして売る…

そんな日も来るのかもしれませんね(笑

武用将平

明日でGuinness World records6冠になります

明日、Guinness World records認定員立会いのもと、1分間速斬り“Most martial arts sword cuts in one minute”に挑みます。

現在の記録は、ギリシャ人のAGISILAOS VESEXIDIS氏が本年6月25日に更新した73。

ただ、この記録に関してはGuinness World recordsで正式認定されているものの、ルールにのっとっていないと疑問視する声もあり、今後一連の記録に関して検証が行われ、更に改訂が必要とされた場合には、記録カテゴリーを再度整理することになるとのことです。

ギネスルールでは使用する仮標を稲藁と定めるとのことで、今回私が使用するのは稲藁よりも斬りづらい古畳表です。これはAGISILAOS VESEXIDIS氏の記録も藺草製茣蓙であったため、“Most martial arts sword cuts in one minute”の世界記録に関しては、稲藁部門と畳表部門に分かれる可能性があるとのことです。

明日の私のチャレンジで記録を更新した場合、“Most martial arts sword cuts in one minute(rush straw)”として認定されるため、現記録保持者の名は“Most martial arts sword cuts in one minute(rice straw)”部門の記録保持者として残る可能性がありますが、明日の挑戦では彼が挑戦した時より、更にルール改正されて難しくなっているため、事実上私が両部門の記録を更新することになります。

今回定められたルールでは、日本製古畳表、最小直径8センチ以上、15センチ間隔で縛り、紐と紐の間を斬らなければならず、紐を切った場合はノーカウントとなります。

このルール改正、新記録120以上を狙っていた私にとっては大打撃ですが、明日の目標は90以上を目指し、ギネス記録6冠達成を宣言します。

ご期待下さい。

尚、今回のGuinness World records挑戦のために持ち運び便利な分解式試斬台を15台用意しました。

美術刀剣 刀心でこれまで販売してきたものより、更にコンパクトに収納でき、ホームセンターで販売しているベランダボックスにも場所をとらずに収納可能!

桧無垢材で製作しております白木製で1本~3本用としてお使い頂けます。

Guinness World records 6冠達成記念として、明日より限定15台、税・送込み3万円にて販売します。ご希望の方にはギネス挑戦時使用品である旨を記載し、署名させていただきます。

※動画の中で使用している試斬台が該当の品です。

 

日本刀研磨

日本刀を安易に自ら研ごうとする素人に向けて、また、日本刀研磨の下地について、まとめた動画を作りましたので是非ご覧下さい。

剣道のルール

先日御紹介したこの動画ですが、見ていると不思議で仕方ないのです。

私自身も剣道経験者ではありますが、剣道のルールがイマイチ理解できません。

確実に当っているのに「浅い」なんてことで一本にならなかったり、鐔競り合いの時に相手の竹刀がモロに首に当っていたりするのに、これは一本にはならない。

真剣で同じことをすれば、浅いなんてありえないと思うのです。鐔競り合いでの竹刀首当てなんて頚動脈切れてしまってますでしょう?

動画を見ていて私が一本だと思っても、審判は旗をあげない。

そう考えると戸山流の旗谷先生が主催されている“撃剣”の方がリアルですよね。

剣道と違って審判はおらず、あくまで見届け人であり、相手の刃が当ったかどうかは自己申告制というのも潔くて私は好きです。

スポーツ化された現代剣道より、足払いや体当たり、掴みもありの警察剣道の方が実戦的かと思うのです。

脇指 備後國三原住人貝正則作 弘治三年二月吉日

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脇指 備後國三原住人貝正則作 弘治三年二月吉日

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/339/00.html

三原正則は、末三原の一派である貝三原の刀工で、作刀時期は弘治頃、現存する作刀は比較的少ない。
備後国三原派は、備前・備中の両国に近いが、備前伝及び山城伝いずれの影響も受けず、鎌倉末期より室町末期まで一貫して大和伝を遵守しています。
従来は、正家が祖であるとされてきましたが、同工の年紀入りの作刀がいずれも南北朝期である為、最近では鎌倉末期の国分寺助国を祖とするという説が有力となっています。
三原派は、年代で大きく三つに分かれ、南北朝より以前を古三原、室町初中期を三原、室町末期を末三原と呼称しています。
また、三原派は古い時代から評価が高く、現在でも国の指定である重要文化財や重要美術品などに多くの作刀が指定されるなど、斯界で高く評価されています。
貝三原派は、末三原の中で名前に貝を冠した一派の事で、何故貝三原というのかには諸説有り、現在有力な説としては備後国御調郡高調町貝ヶ原という地名に因むという説と銘に「備後國三原住貝○○」と銘に切る事に因むという説の二説が有力で、また、一派の作の中には重要刀剣に指定されている物もあり、作風から見ても技量高き刀工群です。

この脇指は室町後期の天文や弘治頃に活躍した二代正則の作で、地鉄は柾目主体に小板目や杢目が交じって肌立ち、元来、直刃基調である三原派にあって、長船系の兼光にみられる箱刃風の刃を焼き上げ、指表の焼き出しは直刃の上に四角い刃を並べたが如くとなり、焼き頭の匂口は地に向かって煙り込み、フクラ辺りには表裏長い金筋を呈しており、正則の傑出した出来口を示しています。弘治年紀も大変貴重です。

附属する拵は、高砂図の縁頭に、長州金工の名門である河治家の手に成る桐と鳳凰の透鐔が添えられ、金色の良い金覆輪がかけられています。目貫は梅図で小柄袋も桐に鳳凰図。柄巻きは上等な蛇腹巻きで、切羽は素銅地に金着せの豪華な品。はばきも往時の金着せで、名家で大切に伝来してきた様が窺がわれる名品です。

裸身重量270グラム。  拵に納めて鞘を払った重量477グラム。

お電話でのお問い合わせは極力ご遠慮下さい

ここのところ、模擬刀や畳表に関するお問い合わせの電話を頂戴する機会が多くなりました。

大変勝手ながらお電話でのお問い合わせはご遠慮頂き、メールでお問い合わせいただきますようお願いいたします。

美術刀剣 刀心は私一人で切り盛りしており、従業員等は一人もおりません。ですからお電話を頂戴しますと、その都度他の作業の手を止められてしまうのです。

私は気分で仕事をする傾向にありまして、調子良く研磨作業をしている最中に電話で仕事を中断させられるのが本当に苦手なのです。電話が終った後にはもう研磨する気持ちも気力も失せてしまうことが多いのです。勿論私個人の問題ですので、この傾向は宜しくないことは承知しておりますが、皆様には御協力いただきたくお願い申し上げます。

真剣に関する御相談も、お急ぎでなければ極力メールでお問い合わせ下さい。

買取等に関するお問い合わせはいつでもお気軽にお電話下さって結構です。

刀 無銘 ~手持ちバランス良く軽い居合用真剣~

刀 無銘

刀 無銘

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/550/00.html

 

板目肌杢交じり良く練れて肌立つ。刃文は直刃調で匂口やや沈みごころ。刃縁は肌に絡んで砂流や金筋等を顕著に表す。
製作年代を室町中期から後期と表記しましたが、古い時代の再刃刀です。しかしながら上手な再刃ですので、再刃物特有の嫌な地鉄の変化や刃中匂口のムラや匂切れなどと言った欠点は無く、刃幅もたっぷりと焼いているので、細身ではあるものの、今尚じゅうぶんに刀としての役目を果たすことができる一刀で、手が込んだ銀着せはばきが伝来の良さを今に伝えます。
また、刀身自体は二尺二寸八分ですが、はばきが長い造り込みですので、実質上二尺三寸~二尺三寸三分くらいの刃長の刀としてお使いいただけます。

附属の拵は鉄地に枝菊を容彫した仕事の良い金具を用い、目貫は金鍍金か或いは金の薄板で作られた金無垢のようにも見受けられます。鐔は兼重在銘の竹に虎の図で、山銅にて丁寧に覆輪がかけられ、小柄笄櫃穴には金の覆輪が施された逸品です。
鞘は抜刀の際の鞘引き時に左手が滑らぬよう、栗形下まで刻みとし、そこから先は貝散らしの溜塗になっています。
金具周りは良い品を使ってありますが、柄は本鮫皮ではなく、戦前戦中作の拵にまま見られる樹脂製鮫皮で、鞘の塗りも併せ、古い拵を昭和前期に仕立て直したものと推測されます。

上記のような理由有りの刀ですので美術刀としての価値は低いものの、手持ちバランスが良く、鞘払いの重量も軽いので扱い易く、軽めの居合用真剣をお探しの方にお薦めです。白鞘も附属しておりますので、これから刀剣趣味を始められる方で、白鞘から拵へ刀身の移し変え作法を練習されたい方にもうってつけの一刀です。

裸身重量493グラム。 拵に納めて鞘を払った重量758グラム。

刀 宇多國宗

刀 宇多國宗

刀 宇多國宗

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/549/00.html

宇多派は鎌倉時代末期の文保頃に、大和国宇陀郡から古入道国光が越中に移住したことにより興り、以後室町時代に渡って繁栄しました。中でも鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての作品を古宇多、室町期の作品を宇多と、それぞれ称呼しています。

宇多國宗は國光の子で、國房の弟であり、同名が数代に渡り繁栄しました。

この刀は緻密に練られた杢目肌が詰んだ精美な地鉄が大変美しく、淡く映りごころがあり、一部に一際黒い鉄が見受けられます。特筆すべき鍛錬疵無く、匂口は沈み加減で元が潤み、先に行くに従って締まって刃中には極短の足が頻りに入り、横手下からは匂口に沸が豊かに付いて地にこぼれ、それがフクラに沿って二重刃風を呈しています。
銘文は“宇多”が故意に判読しづらいよう手を加えられているように見受けられます。地鉄が良い刀だけに、古い時代には備前の國宗などとして伝来していたのではないでしょうか。

周知の通り、昭和26年大名登録刀の中でも、特に3月中の登録物件は、大大名の蔵品が多く、この刀に附属する鉄鞘の九八式陸軍刀拵は、柄木の合わせ目に銅板を添えるなど、実戦での柄の損傷を考慮した特別な造り込みで、柄の兜金(柄頭)には九曜紋があしらわれているところを鑑るに、細川家や伊達家の縁者が腰に吊るしていたのかもしれません。
金具番号は49番揃いの完全なるオリジナルですので、刀剣趣味人のみならず軍装コレクターの方にも自信を持ってお薦め致します。

裸身重量726グラム。 拵に納めて鞘を払った重量1,093グラム。

いつもシャッターが閉まっているお店 美術刀剣 刀心

美術刀剣 刀心

私が営む刀剣店“美術刀剣 刀心”は、年中シャッターが閉まっています。

傍から見ると営業しているのかどうかもわからない有様ですが、基本的に営業しています。

何故シャッターを閉めているのかと言いますと、これまた愛刀家精神がそうさせるのです。

美術刀剣 刀心の店舗は南向き。そのため日中は日差しが強いのです。当然ながらシャッターを開けると、UVカット仕様のガラスの甲斐もなく刀の糸や鎧の威糸が焼けてしまうのです。

そのため年中シャッターを閉めているというわけです。

営業しているのかどうか、お客様が解らない問題こそありますが、私は刀や甲冑の保護を優先にする性格なもので…

ですから初めておみえになるお客様は、チャイムを鳴らし、

「今日は営業されてないのでしょうか?」

と不安そうにお尋ねになります。

 

ということで、今回のまとめ…

美術刀剣 刀心はシャッターが閉まっていても営業しています!!

 

尚、急な買い付けや主張で不在になることもありますので、基本的に完全予約制です。

御来店前にはお電話をお忘れなく!!

本来あるべき日本刀研磨を考える…

先日、福島県の将平鍛刀場にて研磨作業に勤しんでからというもの、消えかけていた“刀を研ぎたい”と言う気持ちに再び火がついたようです。

ただ、現代主流の美術観賞用研磨には興味はありません。

将平刀匠が本来あるべき日本刀の姿を追い求めているように、私も本来あるべき日本刀研磨を追い求めてみたいと思ったのです。

そもそも現代の研師は仕事に時間をかけすぎ。預けて数年、酷いところになると十年を超える待ち時間。戦国の世なら戦が終ってしまいます。

鉄肌拭い研ぎも研師によって色々と拭いの調合秘伝があるのですが、これって本来おかしなことなのではないでしょうか?

悪く言えば偽物作りのための研磨と言えなくもありません。拭いを調合することによって鉄の色を人工的に変化させてしまうのですから…

時代が遡る刀に見せたい。二流刀工の傑作を一流刀工の作に見せたい。そんな邪な考えから拭いの調合が生まれたのではないでしょうか?

私は刀剣鑑定家の高山武士先生に

「町井君、拭いは鉄肌だけでいいんだよ。磁鉄鉱やら孔雀石やら色々調合する研師がいるけれど、それじゃその刀本来の鉄色が損なわれるじゃないですか。」

と言われた一言で眼が覚めた気がします。

その刀をその刀らしい姿に仕上げる。他の刀に見えるように仕上げる必要はない。

現代の研磨はいずれも大名仕事です。江戸時代、街中を闊歩する侍達の刀が、今現在見るような研磨をかけられていたとは私には思えません。

将平鍛刀場にて次々に下地を仕上げる私の姿を見て、将平刀匠は

「町井さん仕事早いね~」

と驚かれると同時に

「今の研師さんは皆時間かけすぎなんだよね。」

と仰いました。私も大きくそれに頷きます。

手抜き甚だしい安研ぎではなく、しっかりとした下地、しっかりと砥石を効かせた研磨であって、4日程で仕上げることができるのではないかと…

美術研磨の場合は、刃肌が見えるほどに内曇を引き込み、鎬の針がけも下針、上針と手間をかけるものですが、武器として損傷すること前提の刃物に果たしてそこまで手間隙をかける必要があるのか?

仕上げの段階でヒケ一つ入れば砥戻しをする現代研ぎ。ヒケ一つあったからと言って切味に影響はありません。一つ前の砥石の目を完全に消しさる程度に石を効かせただけでも、じゅうぶんに観賞には耐えうる刀に仕上がるはずです。

刀の売買や居合の教授、その他メディア出演など、なかなか時間を作ることができませんが、折を見て、最短何日でそれなりの研磨ができるのか試してみたい…

真の日本刀とは効率良く、大量生産できる体制が一番大切なのだと思います。