無銘- Mumei –

無銘- Mumei –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/543/00.html
地鉄よく練れて詰み精良。匂口明るく冴えた小沸本位の直刃調小湾れ。
細身で優雅な体配であり、製作年代は南北朝頃迄遡りそうです。上研磨を施し、是非とも保存刀剣鑑定を御受審下さい。
※販売条件:当店にて研磨、保存刀剣鑑審査を御依頼頂くこと。

裸身重量296グラム。

(葵紋)越前康継作之 以南蛮鉄(二代)- Echizen Yasutsugu(Second generation) –

(葵紋)越前康継作之 以南蛮鉄(二代)- Echizen Yasutsugu(Second generation) –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/542/00.html
徳川幕府の御用鍛冶を務めた越前康継は葵紋の使用を許され、御紋康継と呼ばれた名家。二代目はその長男で、名を下坂市之丞。父の後を継いで幕府の御用鍛冶となり、初代に次ぐ名手と呼ばれています。
※現日本美術刀剣保存協会鑑定未受審刀

裸身重量534グラム。

無銘- Mumei –

無銘- Mumei –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/541/00.html
よく練れて詰んだ地鉄に直刃を焼いた作品。
薄錆がありますが地刃の観賞可能。これから刀剣趣味を始められる方に、お求め易い低価格でご紹介します。将来は是非とも再研磨なさってください。

裸身重量424グラム。

平廣國- Taira Hirokuni –

平廣國- Taira Hirokuni –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/540/00.html
特筆すべき疵欠点無し。よく練られた精良な地鉄に湾れ調子に互ノ目乱れを焼き上げた作品。
銘鑑では平廣國なる刀工が見当たりませんでしたが、平姓を冠しているところから、豊後の高田系ではないかと思われます。是非、保存刀剣鑑定を御受審下さい。

裸身重量571グラム。

豊後住藤原則行- Bungo ju Fujiwara Noriyuki –

豊後住藤原則行- Bungo ju Fujiwara Noriyuki –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/920/00.html
銘鑑を紐解くに、豊後に住す則行は、天文頃に一人、寛文頃の阿部三郎右衛門を初代として六代まで確認されています。
本刀のように豊後住藤原則行と銘切る工としては、寛文頃に活躍した初代則行が挙げられますが、活躍した時期から見ると、いささか反りが強いので、天文頃の則行かもしれません。
互ノ目に互ノ目丁子を交えた華やかな出来口で、現状では薄錆が一部見られますが、刃先には錆がないため、このままでも保存刀剣鑑定を御受審頂けます。
然るべき研磨を施し、大切に後世に伝え遺して頂きたいとの思いから、研磨代を考慮した破格値にて御案内致しますので、是非この機会に在銘刀を御入手下さい。
鐔は國廣在銘。

裸身重量764グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,140グラム。

無銘- Mumei –

無銘- Mumei –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/919/00.html
無疵無欠点。匂口ふわりとした明るい直刃を焼き上げた作品で、手持ちバランス良く、居合の稽古にもお薦めの一刀です。
附属する拵は近年誂えられた真面目なもので、鐔や切羽にも一切がたつきがなく、届いたその日から存分にお稽古にお使い頂けます。

裸身重量702グラム。  拵に納めて鞘を払った重量973グラム。

大宮住武蔵剣工源輝日天(刻印) 應清水清司先生為重代 昭和五十乙卯八月吉日 – Omiya ju Musashi kenko Minamoto Teruhide –

大宮住武蔵剣工源輝日天(刻印)
應清水清司先生為重代 昭和五十乙卯八月吉日
– Omiya ju Musashi kenko Minamoto Teruhide –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/918/00.html
本名、井原福太郎。大正三年(1914)2月20日生。昭和11年(1936)栗原彦三郎昭秀に師事し、日本刀鍛錬伝習所に入所して鍛刀を学びました。同15年(1940)埼玉県鍛錬刀剣会を結成し、同17年(1942)には香港・ヴィクトリアピーク神社御造営計画のため栗原彦三郎先生に随って外遊しています。初銘は『輝吉』、後に『輝日天』に改銘し源姓を冠して『鉄斎』と号し、戦中には陸軍受命刀工として活躍。日本美術刀剣保存協会新作名刀展多数の入選を誇る現代刀工です。
周知の通り陸軍受命刀工は刃味並びに強靭さを認められた刀工が選出されていることから、輝日天も技量高き名工であったことが窺がえます。

本作は指裏に大肌目立つ箇所が見られるものの、入念なる美術研磨がなされているので地刃晴れ晴れとしており、匂口明るく冴えた互ノ目丁子乱れには、足がよく入って金筋稲妻が顕著に現れており、いかにも物斬れしそうな感を漂わせています。
附属の拵には時代物の金具が用いられ、卯の花色の撮み巻きによる柄巻きが気品に満ち、格調の高さを示しています。
※相当居合形稽古に使用されたようで、鯉口指表側が削れていますが、鞘の割れ等はございません。

裸身重量878グラム。  拵に納め、鞘を払った重量1,199グラム。。

筑州山王住宗勉作 昭和五十五年八月吉日 – Chikushu San-no ju So Tsutomu saku –

筑州山王住宗勉作 昭和五十五年八月吉日
– Chikushu San-no ju So Tsutomu saku –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/917/00.html
本名を宗勝と言い、昭和二年生まれ。福岡市博多区山王に住しました。同21年、父である宗正光刀匠に師事し、同30年には新作名刀展に初出品。文化庁長官賞、薫山賞など数多くの特賞を受賞し、平成2年に無鑑査の認定を受けた現代の名工です。
数多の現代刀匠が藤末鎌初の古作を写す中、宗勉刀匠は各伝法をこなすも、虎徹や清麿写しを得意とし、その作品は本歌に迫り、勝るとも劣らない出来栄え。また、利刀としても名高いため、美術鑑賞刀としてのみでなく、居合や抜刀を嗜む方に根強い人気があります。
平成二十七年二月、八十八歳にて多くの刀剣趣味人に惜しまれながら没しました。

この刀は宗勉刀匠54歳時の作品で、虎徹写しから清麿写しに移行した頃の作品。匂口極めて明るく冴えて沸強く、金筋や砂流がよく働いた相州伝の力作で、美術鑑賞刀として申し分ない昭和の名刀です。個人的に余裕があれば私(町井勲)自身が欲しい一刀です。
※委託品

裸身重量1,022グラム。

無銘- Mumei –

無銘- Mumei –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/916/00.html
反りが浅い典型的な寛文新刀体配。杢目肌良く練れて少しく肌立ち、鎬地と刃縁柾がかり、匂口明るく冴えた互ノ目乱れには、随所に砂流が看取されます。
大磨上無銘ながらも、刃中の出来には眼を見張るものがあり、保存刀剣鑑定もゆうに合格する一刀です。古来より上士は短寸の刀を好む傾向にあり、この刀もいずれかの家中の上士の指料だったのでしょう。
これから刀剣趣味を始められる方を応援すべく、雀の涙程の利幅で御案内致します。

裸身重量531グラム。

福本天秀(刻印)- Fukumoto Amahide –

福本天秀(刻印)- Fukumoto Amahide –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/915/00.html
福本天秀は、株式会社関日本刀鍛錬所に所属した刀工で、一文字天秀と名乗りました。活躍したのは昭和前期で、数多の軍用刀身を鍛え、その強靭さと刃味には定評があり、聖代刀匠位列に於いては、上工の列、大業物関脇格に列しています。
この刀は素人による錆落としがなされ、今はみすぼらしい姿となっていますので、しかるべき研磨を施して頂きたく、超格安にて御案内差し上げる次第です。
お手持ちの軍刀拵の継木として、また、研磨修行中の方へ研磨練習用として、趣味で拵を自作される方、どうぞ宜しく御検討下さい。
特筆すべき疵欠点無く、しっかりと互ノ目乱れを焼き上げた作品です。

裸身重量751グラム。