備州長船清光作 永禄二年二月日 ~うぶ買付刀! 研磨前の今が狙い目!!~

備州長船清光作 永禄二年二月日 ~うぶ買付刀! 研磨前の今が狙い目!!~
備州長船清光作 永禄二年二月日
– Bishu Osafune Kiyomitsu –
 
清光は勝光・忠光らと並び末備前を代表する名工で、清光を名乗る刀工は数多いが、中でも五郎左衛門尉・孫右衛門尉の両名が最上工として知られています。
 
この刀は元先の幅差頃好く開き、切先延びごころ。重ねしっかりとした尋常な姿で、うぶ出しの一刀故に研磨状態が芳しく無く、地鉄の細かな模様までは看守できないものの、小板目杢交じりで柾気が強く現れて映り気が在り、刃文は、中直刃で小足や葉が入り、細かな砂流や特に長い金筋が目立ち、刃縁には二重刃風や食違い風の刃が見られます。鋩子は横手下から焼き幅広くなり、表裏直ぐにたっぷりと先丸く返っています。
指表彫物やや上に匂切がありますが、上手な研磨を施して頂ければ判らなくなります。研磨代を考慮した価格でご案内致しますので是非この機会に末備前の名工、清光をご入手下さい。研磨前の今入手されるのがお買い得です。
※指裏側棟区から数センチ上の棟から棟角にかけて沈金錆在り。
 
附属の拵は店主町井勲監修の下製作致しました武用拵で、構図の良い現代金具を用いています。写真には写っておりませんが、黒の下緒をお付け致します。
手元重心で軽く感じられ、片手操作にも適しています。
 
裸身重量774グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,001グラム。

備前長船住祐定 – Bizen Osafune ju Sukesada –


備前長船住祐定
– Bizen Osafune ju Sukesada –
 
刃長短い打刀として鍛えられた一刀。元先の幅差程好く開き、切先延びごころ。地鉄は杢目が緻密に錬られて少しく肌立ち、刃文は腰開き互ノ目で互ノ目の焼頭は蟹爪状となり、足や葉入り、砂流や金筋も交え、複雑な変化を見せる。鋩子は表直ぐに、裏はやや湾れ込んで先丸く返る。
 
附属の拵はこの脇指のために誂えられた物で、柄にガタツキは見られないものの、素人による柄巻がなされているため現状では見栄えが悪く、頭金具が上下逆に取り付けられているので、職人に巻き直しを依頼されることをお勧め致します。
銘は首肯できかねますので無銘としてお求め下さい。
 
裸身重量564グラム。  拵に納めて鞘を払った重量832グラム。
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘(古三原) – Mumei(Ko Mihara) –


無銘(古三原)
– Mumei(Ko Mihara) –
 
備後国三原派は鎌倉時代後期に興り、以後室町時代末期にかけて大いに繁栄しました。同派の作品は鎌倉時代後期より南北朝時代にかけてのものを古三原と称し、室町時代の作を末三原、または貝三原と称します。
備後国には東寺など、大和中央の社寺の荘園が多い事から、大和との交流があったものと考えられ、作風は大和気質が色濃く現れた柾交じりの地鉄に、直刃を焼いた大和伝の特色が顕著なもので、本国大和より地刃の沸が柔らかく、地鉄はやや白気立った映りが現れるとろが見所。
また、備後国は備前・備中の両国に近く、良質の鉄を産出したことでも知られ、鉄味優れた作品が多く残されており、正家や正廣などが著名ですが、在銘作は少なく、最近の研究では鎌倉末期の国分寺助国を始祖とする説もあります。
 
この刀は、小板目杢交じりの地鉄が柾がかり、棒映りが判然と現れ、匂口締まりごころの直刃は匂口明るく、小さな打除風の刃を交え、刃中や刃縁は細かな変化に富み、広狭数種の金筋が現れ、時代が下がった末三原とは異なる古雅な出来口を誇る名品で、まさに伝家の宝刀とするに相応しい逸品です。
 
指裏物打辺りの樋中に小さな疵が見られますが、誕生してから700年近い年月が経ていることを考えれば、帽子の焼きもしっかりと残っている健全な一刀で、上述にある樋中の疵はさして問題になりませんが、重要刀剣審査御受審希望の方は、樋の中の疵補修を御用命頂き、万全の態勢で御臨み下さい。
 
裸身重量647グラム。
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘(三原正信) – Mumei(Mihara Masanobu)-


無銘(三原正信)
– Mumei(Mihara Masanobu)-
 
鎌倉初期から大和鍛冶が移住したと言われる備後では、隣地備前の影響を受けず大和伝が踏襲され、備後三原派の祖である正家も大和包永のような出来映えを見せています。
三原派の中でも古三原に分類される三原正信は、南北朝期永徳(1381)から室町初期明徳(1390)に掛けて活躍しました。その正信の子は三原から鞆(とも)に移り、鞆三原の祖となっています。
 
本刀は小板目に杢交じり、流れごころを交えて少しく肌立ち、一見単調な直刃に見えるも、仔細に見ると所々で刃中まで沸えて微細な湾れを交え、刃肌に絡んで板目や杢目調に沸が絡み、時代が下がる三原物とは作風を異とした、刃中の働きが豊富に見られる古雅な出来口を示した作品で、二尺三寸を超える長寸であることも非常に好ましい逸品です。
 
現状では共柄の木はばきですので、はばきを新調し、仕上げ直しを施して重要刀剣審査に挑戦なさってみては如何でしょうか。
12月28日までは税・送込80万円にて御奉仕させて頂きます。お得な期間中に是非、本刀をコレクションにお加えください。
 
裸身重量600グラム。
 
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武州下原住内記康重 – Bushu Simohara ju Naiki Yasushige –


武州下原住内記康重
– Bushu Simohara ju Naiki Yasushige –
 
武州下原派は現在の東京都八王子に住した永正頃の山本周重を初代とし、江戸時代後期にかけて山本一族十家を中心として、大いに繁栄した一派です。
特に「廣重」「周重」「康重」「照重」の四工が著名で、地鉄に渦を巻いたような肌(渦巻き肌の如輪杢)が表れるのが特色と言われています。
初代康重は初代周重の子で初銘を周重と切るが、北条氏康より康の字を給わり康重に改銘すると云われ、三代康重は山本内記と言い、二代藤左衛門康重の子あるいは孫と考えられています。四代以降は代々山本内記康重の名を襲名して明治に至る言われていますが、経眼される作品は殆どありません。
 
この刀は体配から四代康重の作と鑑せられる一刀で、姿は典型的な寛文新刀体配を示し、杢目肌に黒味を帯びた変わり鉄を交えた地鉄に、ふわりと柔らかい感じの直刃を焼き上げた作品です。
当店にて研磨を施しました。研ぎ上がったばかりの地刃の冴えを存分にお楽しみください。
 
裸身重量591グラム。
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘 – Mumei –


無銘
– Mumei –
 
大磨上無銘ながらも今尚元先の幅差が開いた上品な姿を留めている。地鉄は杢目肌がよく練れて少しく肌立ち、細かな地景入り、淡く映りごころがある。刃文は匂口明るい互ノ目乱れで尖刃交じり、刃縁には砂流が顕著に見られ、打除風の刃や湯走を交える。鋩子は表直ぐ調に裏は乱れこんで先丸く返る。
実戦期の作品だけあって、手元重心で非常に軽く感じられ、扱い易さを感じさせます。
 
附属の拵は切羽のすり替えも無い完全なるオリジナルで、現代となっては非常に希少で価値が高い。金具は全て素銅製の一作で、鐔も同じく素銅地の海鼠透かし。総体的に保存状態が頗る良い上に武辺の者に相応しい無骨な半太刀拵。特別保存刀装指定の可能性も高い逸品です。
 
裸身重量699グラム。  拵に納めて鞘を払った重量999グラム。
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘 (新々刀海部) ~市場初登場!! 完全うぶ出し!!~

無銘 (新々刀海部) ~市場初登場!! 完全うぶ出し!!~無銘 (新々刀海部)
– Mumei (Shinshinto Kaifu) –
 
阿波徳島の海部師久を祖とする海部鍛冶は、銘鑑によると鎌倉末期より始まると言われるも、現存が確認出来るのは室町初期の応永頃からで、江戸時代には蜂須賀家のお抱え鍛冶として徳島城下で鍛刀し、幕末迄栄えました。
作品の多くは片切刃造で沸出来の物が多く、阿州住某等と銘を切り、刀身銘が多々見られ、棟を鋸刃に仕立てた物も現存します。
 
この刀はうぶ茎で、元先の幅差が程好く開き、反り浅く、切先延びて、いかにも物斬れしそうな体配。小板目杢交じりの地鉄はよく練れて詰み、一部に大肌が見られ、刃文は匂口明るい直刃で、刃中にぽつぽつと足が見られ、帽子は直ぐに丸く返っています。
当店にて登録代行等を行いました。この度初めて市場に登場しますうぶ買付刀です。ヒケや擦れ傷が目立ちますが、現状でも地刃の鑑賞は可能。余力ある方は再研磨の上お楽しみ下さい。
※指表下の方刃縁にフクレ在り。
 
裸身重量834グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,167グラム。

氏信岩捲 ~うぶ茎在銘~

氏信岩捲 ~うぶ茎在銘~
氏信岩捲
– Ujinobu Ganmaku –
 
氏信は美濃岩捲鍛冶の代表工であり、美濃揖斐川辺りの清水(現在の岐阜県揖斐郡揖斐川町清水)に住した寿命系統の鍛冶です。岩捲を冠し、切れ味が特に優れていたので、「石切」の名称をもって号しました。氏信は室町時代から江戸時代に掛けて数名の鍛冶がいます。
 
この脇指は身幅重ね尋常で元先の幅差が程好く開き、反りも頃合いで姿美しく、地鉄は杢目よく練れて肌立って映り立ち、刃文は直刃調に互ノ目を交え、小足入り、鋩子は直ぐに先丸く返る。
 
裸身重量417グラム。  拵に納めて鞘を払った重量634グラム。

國綱 ~お求め易くご紹介~

國綱 ~お求め易くご紹介~
國綱
– Kunitsuna –
 
三ツ棟の平造で先幅も広く豪壮な造り込み。小板目柾流れて肌立ち、刃文は匂口が沈んだ直刃調子に湾れや互ノ目を交えています。鋩子は直ぐに先焼詰風。
うぶ茎在銘なれど、國綱と名乗る刀工数多居り、未鑑定刀故に銘の真贋保証はございません。
 
鞘は刀身に比して長いですが、合わせ物ではなく完全なるオリジナルです。良い金具が附属していたのでしょう。現在は柄前と鐔が失われていますので、お好みの金具を用いて柄前を新調頂きお楽しみ下さい。
 
裸身重量282グラム。

無銘 (新々刀海部)

無銘 (新々刀海部)
– Mumei (Shinshinto Kaifu) –
 
 
阿波徳島の海部師久を祖とする海部鍛冶は、銘鑑によると鎌倉末期より始まると言われるも、現存が確認出来るのは室町初期の応永頃からで、江戸時代には蜂須賀家のお抱え鍛冶として徳島城下で鍛刀し、幕末迄栄えました。
作品の多くは片切刃造で沸出来の物が多く、阿州住某等と銘を切り、刀身銘が多々見られ、棟を鋸刃に仕立てた物も現存します。
 
この刀はうぶ茎で、元先の幅差が程好く開き、反り浅く、切先延びて、いかにも物斬れしそうな体配。小板目杢交じりの地鉄はよく練れて詰み、一部に大肌が見られ、刃文は匂口明るい直刃で、刃中にぽつぽつと足が見られ、帽子は直ぐに丸く返っています。
当店にて登録代行等を行いました。この度初めて市場に登場しますうぶ買付刀です。ヒケや擦れ傷が目立ちますが、現状でも地刃の鑑賞は可能。余力ある方は再研磨の上お楽しみ下さい。
※指表下の方刃縁にフクレ在り。
 
裸身重量834グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,167グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。