肥前國住近江大掾藤原忠廣 寛永十八年七月廿二日
– Hizen no kuni ju Omidaijo Fujiwara Tadahiro –
近江大掾藤原忠廣
– Omidaijo Fujiwara Tadahiro –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1571/00.html
近江大掾忠廣は初代肥前國忠吉の子で、幼名を平作郎と称しました。彼が十九歳の時、寛永九年八月に父忠吉が六十一歳で没した為、若くして家督を継ぎましたが、既に一流刀工としての技を会得しており、一門を統率して家名を盛り立てたました。
こうして一人立ちした平作郎は、父と同じく新左衛門と名を改めて、佐賀藩工として鍋島勝茂に仕え、寛永十八年には近江大掾を受領。刀剣需要の多い時期に佐賀藩工として門弟を統率しながら数々の優れた作品を残しました。
近江大掾忠廣の知名度は高く、大業物に列位するほど斬れ味も優れ、現代に於いても人気を博す江戸前期の肥前忠吉家の名工で、事実上の二代忠吉ながらも、生涯に渡り忠吉銘は切らず、忠廣とのみ銘を切りました。
貞享三年、嫡子陸奥守忠吉(三代忠吉)の亡き後は孫の近江大掾忠吉(四代忠吉)を指導し、元禄六年五月、八十歳の高齢をもって天寿を全うしました。
作刀期間は六十有余年に及び、肥前刀の名を世に高らしめた稀代の名工です。
(大)
元先の幅差開いて反り浅目、切先気持ち延びごころ。地鉄は小板目肌よく練れて地沸付き、所謂肥前刀の代名詞である小糠肌で地景入る。刃文は匂口明るい直刃で、刃縁に細かな働きが看取され、帽子は直ぐに先丸く上品に返る。
(小)
元先の幅差さほど目立たず、鋩子やや延びた豪壮な姿。地鉄は小板目肌よく寝れて地沸付き、所謂肥前刀の代名詞である小糠肌で地景盛んに入る。刃文は匂口明るく冴えた互ノ目乱れに互ノ目丁子を交え、刃縁に湯走を見せ、刃中には足が入り、一部尖りごころの刃も交え、鋩子は直ぐに上品に返る。
(大小拵)
江戸期に製作された物ではなく、数奇者によって新調された物。現代金工による真面目な大小鐔が添えられているも、縁頭と目貫は完全なる大小ではなく、鞘の栗形も大小で形が異なります。
柄にガタツキは無くしっかりしており、柄巻は手が込んだ蛇腹巻き仕上げで、鞘を払って構えてみると、大小共に手元重心でバランスが良く、扱いの良さをも感じさせる逸品です。
(大)裸身重量685グラム。 拵に納めて鞘を払った重量990グラム。
(小)裸身重量551グラム。 拵に納めて鞘を払った重量792グラム。
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。