刀 一心 昭和十八年三月 ~陸軍受命刀工~

刀 一心 昭和十八年三月

刀 一心 昭和十八年三月 ~陸軍受命刀工~

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/545/00.html

 

一心とありますが、満鉄刀とは関係ありません。刀工銘“一心”は岐阜県関市にて活躍した昭和の刀工です。本名を谷川慶治と言い、昭和16年9月12日に陸軍受命刀工に任命されました。

この刀は戦中に打たれた刀身に稀に見る、匂口が無いタイプ。そのため刃文写真は割愛させていただきます。刀身には鍛錬時の疵欠点はありません。刀工銘の上と柄の兜金(頭金具)に名古屋工廠刻印“名”が打たれています。

附属の九八式軍刀拵は、未使用と称しても過言ではない保存状態の良さ。金具番号は全て“722”で揃っており、はばきの台尻にも鏨で“722”と刻され、鞘の鯉口内部にも“722”と記載。柄木にも“722”の番号が刻されています。
現在匂口が無い刀身や工廠刻印が打たれた刀身には登録証が発行され辛い状況ですので、本刀の存在は大戦時の軍刀の歴史を物語る上でも大変貴重な存在で、資料的価値も高いです。軍装コレクター垂涎の一刀を是非この機会にお求め下さい。
※本刀は委託品です。

裸身重量776グラム。 拵に納めて鞘を払った重量1,087グラム。

暗殺剣  士の一族

暗殺剣  士の一族

http://blog.goo.ne.jp/kelu-cafe/e/d84cf8dc28c37d219e1cda04562b4f76

渓流詩人ブログ

忌憚無き意見交換をさせていただいている渓流詩人さんが、江戸期の居合(英信流系)に関して大変興味深い記事をお書きになられています。

敵が己に害をなさんとするのを… という綺麗事を正論だと考えられる方に、江戸時代の武家社会について知っていただければと思います。

相手が斬りかかって来たから斬った… では済まされない。正当防衛すら通じない封建社会の中で、何故に居合、剣術を極めたのか?

非常に勉強になる記事です。

 

敵の刀を足の指で挟む ~釘打~

昨年の元日に放送されましたフジテレビの特番『さんタク』の中で、相手の刀を足の指で挟む業がありますと話しましたが、今回御紹介する稽古動画の中に、「釘打」と呼ばれるその形が収録されています。

あくまで約束稽古による動画ですので、実戦で使用するには間を詰めると同時に右足膝が高く上がらないと使えません。かなりの錬度が必要となる業ですが、相手の刀の棟を踏み抑えると同時に親指と人差指で挟み込み、刀を握る相手のバランスを崩す様子は御確認いただけるものと思います。

三尺三分六厘の長寸刀

三尺三分六厘の長寸刀

長寸の御刀をお探しの方に朗報です!

3月末日までは税込みでお譲り致しますので、お得な期間中にお求め下さい。

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/558/00.html

 

尖り刃交じりの互ノ目乱れ明るく冴え、総体に淡く映りごころある地鉄の一刀で、特筆すべき疵欠点無く、また、古研ぎながらも目立つ錆等も無く、このままご観賞用としても、武用刀としてもご使用いただけます。
中心を仔細に見るに鏨跡らしきものが見られるため、元は在銘刀であったものと推測されます。

三尺を超える長寸刀をお探しの方にお薦めいたします。3月末日までは税込み700,000円にて御案内致しますので、お得な期間中にお求め下さい。

裸身重量1,202グラム。

加州家次 ~加賀青江~

刀 無銘(加州家次)

刀 無銘(加州家次)

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/557/00.html

 

加賀青江とも呼ばれる加州家次は藤島派の刀工で、室町前期應永頃の家次を初代とし、以降室町末期まで栄えました。

本刀は刃中まで良く煮えた小乱れに金筋を交え、地鉄は総体に淡く映り立った出来口。附属の拵には、素銅鎚目地に桃をあしらい、耳と小柄笄櫃穴に赤銅の覆輪を着せた鐔に、流水に扇の縁頭、茸図の目貫、金着の切羽など、豪勢な造りになっています。
はばきは現状では単なる素銅地になっていますが、こちらも元来は金または銀の着せであったもので、元の鞘は網目模様に青貝を散らした上等な鞘でした。さぞ高禄の士の指料であったことが窺がえます。
残念ながら附属していた時代の鞘は漆剥離や傷みが目立つため、新たに黒蝋塗鞘を製作致しました。
細かな刃中の働きが大変興味深い一刀ですので、余力ある方は是非再研磨されてみては如何でしょうか。

裸身重量627グラム。  拵に納めて鞘を払った重量894グラム。

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関住兼則作 昭和十二二年十月日 ~刻印新資料となる一刀~


関住兼則作 昭和十四年十月日日
関住兼則作 昭和十四年十月日

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/556/00.html

本名小島太郎。小島時二郎『兼道』との兄弟で、明治四十年五月(1907)に岐阜県関市長住町に生まれました。
渡辺兼永の門下となって日本刀鍛錬塾で学び、昭和44年2月7日に文化庁より作刀認可。新作名刀展で入選8回を受賞するなど、大東亜戦争時には陸軍受命刀工として活躍した昭和を代表する関鍛冶の一人です。

桜に「昭」の検査刻印は、昭和17~18年に名古屋陸軍造兵廠関分工場が「關」刻印を使用するようになって以降、内務省令によって打たれるようになったと言われていますが、本刀は昭和十四年の作にも関わらず、桜に「昭」の刻印が打たれていることから見て、この種の刻印の使用開始が数年遡ることを示す新資料として価値高い一刀ではないでしょうか。
或いは附属している末期型略式九八式軍刀拵から察するに、昭和十四年に打たれた無刻印の本刀を、軍刀として出荷するにあたって刻印を打ったものでしょうか。
いずれにせよ研究価値充分にあると思われますので、軍刀を研究されておられる方に、是非とも本刀と刻印の研究をお願いしたく思います。

裸身重量822グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,160グラム。

修心館大阪北道場 “間”と“居合柔術”の稽古

大阪北道場は長男に仕切らせています。

私はと言いますと、長男が指導する様子を隣で見ながら、指導の仕方の指導をしています。

指導する際の単語や言葉のニュアンスの違いを発生させては、派閥の誕生になると考えているので、私が普段指導する際に使う単語とニュアンスを息子には徹底して使用するように伝えています。

昨夜の稽古では、息子は着付けと稽古着の畳み方、そして木刀を使っての受け流しの指導をしていました。

私は稽古場の端の方で、柳原君を相手に間の感覚を養う稽古や居合柔術の稽古指導をしていたのですが、入門当初は

「こいつ大丈夫か?」

と頼りなかった柳原君が、今やある程度捌ける実力をつけている様子を見て、指導の甲斐があったなとほくそ笑んでおりました。

半生を振り返る

以前にも記述しましたが、修心流の名は私の妻が命名してくれたものです。

自分で命名したものではないからでしょうか、これまで思ったことは歯に衣着せず口にしてきましたし、やりたいことをやりたいように、己勝手にやってきた半生だったと思います。

聖人君子を演じる気持ちは今後も一切ありませんが、アメリカや北京にも支部ができ、長男も梅田方面で居合指導をするようになった今日となっては、修心流という大家族の大黒柱に相応しい人格を備える必要性を感じるようになりました。

早いもので今年で44歳になります。

最近思うこと、考えることは、死後の世界のこと。

人は死ぬとどうなるのだろう?

悔いのない人生を全うできるだろうか?

80歳まで生きることができたとして、既に折り返しに入った我が人生。

既に悔いることばかりの半生ではありますが、これから先は北斗の拳のラオウのように、「我が生涯に一片の悔いなし」と言える生き方ができるように、今更ながらではありますが、修心流の名に因んで心の修業も少しずつ始めてみようかと思います。

 

【靖国刀】靖延 昭和十五年十二月吉日

靖延 昭和十五年十二月吉日

【靖国刀】 靖延 昭和十五年十二月吉日

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/555/00.html

 

靖延は池田靖光の門人で、昭和8年の日本刀鍛錬会の開設の年より昭和20年の終戦まで鍛錬会に在籍した靖国刀匠の一人です。

靖延(やすのぶ)
村上靖延 本名 円策 山形県出身 明治40年4月24日生まれ
履  歴 昭和8年12月15日 池田靖光の先手として入会
昭和14年1月11日 板垣征四郎陸軍大臣より刀匠銘靖延を授名
昭和20年8月15日 終戦 退会
主な作品 昭和14年2月 靖国神社奉納刀
昭和14年3月 後鳥羽院七百年祭奉賛会奉納刀
主な賞暦 昭和19年12月 陸軍兵器行政本部主催第2回陸軍軍刀展覧会会長賞


※トム岸田著 「靖國刀」より引用。

「靖国刀」(yasukuni_tou)
昭和8年7月、当時の陸軍大臣:荒木貞夫が有事に際した陸海軍将校同相当官の軍刀整備の為に日本刀鍛錬会を組織しました。東京九段・靖国神社境内に鍛錬所を設けたところから「靖国刀」と呼称され、それに従事した刀匠を「靖国刀匠」と称します。
創設には後に主事となった海軍大佐:倉田七郎らが尽力し、草創期の主任刀匠として宮口靖廣、梶山靖徳、池田靖光などがいます。
鍛錬会では、主として通常の軍刀の製作や陸海軍大学校の成績優秀な卒業生に贈られた御下賜刀(所謂恩賜の軍刀)などの製作を行い、終戦により同会が解散するまでに約8100振の刀を製作したといわれ、現在でも鍛錬所の建物は靖国神社境内に残っているものの、内部は改装されて茶室になっています。

裸身重量622グラム。拵に納めて鞘を払った重量1,010グラム。