大磨上無銘 三原 ~反り姿が美しい室町前期の刀~

大磨上無銘 三原 ~反り姿が美しい室町前期の刀~

無銘(三原)
– Mumei(Mihara) –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/868/00.html

備後国三原派は、備前・備中の両国に近いものの、備前伝及び山城伝いずれの影響も受けず、鎌倉末期より室町末期まで一貫して大和伝を遵守しています。従来は、正家が祖であるとされてきましたが、同工の年紀入りの作刀がいずれも南北朝期である為、最近では鎌倉末期の国分寺助国を祖とするという説が有力となっています。
三原派は、年代で大きく三つに分かれ、南北朝より以前を古三原、室町初期~中期を三原、室町末期を末三原と呼称しています。また、同派は古い時代から評価が高く、現在でも国の指定である重要文化財や重要美術品などに多くの作品が指定されるなど、斯界で高く評価されています。

この刀は、上品な反り姿が印象的な大磨上無銘の作品で、肌立った地鉄には淡く映りごころがあり、先の方では地斑映りが見られ、刃文は中直刃で匂口締まる同刃典型作と言って良い出来口です。

裸身重量626グラム。

武蔵住源正真 ~沸の妙味! 切先延びた豪壮な一振!~

武蔵住源正真 ~沸の妙味! 切先延びた豪壮な一振!~

武蔵住源正真
– Musashi ju Minamoto no Masasazane –
 
本工正真は江戸前期の貞享頃に江戸で活躍した刀工です。銘鑑には彼の詳細は記されていませんが、出来口から見て法城寺系の刀工ではないかと思われます。
 
入念に鍛えられた精良な地鉄は見事の一言に尽き、匂口明るく冴えた直刃調の互ノ目を焼いた優作で、刃縁はまさに沸の妙味と言えましょう。大帽子のがっしりとした造り込みが、いかにも物斬れしそうな豪壮さを示すと共に、正真の高き技量を現代にしらしめる傑作の一振です。
※特別保存刀剣鑑定書は日本美術刀剣保存協会から当店に到着次第お届け致します。
 
裸身重量519グラム。

無銘(藤原高田) ~地刃最高の一刀~

無銘(藤原高田) ~地刃最高の一刀~

無銘(藤原高田)
– Mumei(Fujiwara Takada)-
 
豊州高田派は、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄えた刀工一派で、古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから、藤原高田と汎称します。
古来より実用刀としての評価が高い一派で武用刀として数多の武将に愛用されました。
 
一見、うぶ無銘の脇指に見えるも、焼き出し部分を仔細に見れば大磨上であることが窺われます。重ねしっかりとした造り込みで、切先は延びごころ。複雑な変化を見せる丁子刃を巧みに焼き上げ、地鉄に瑕疵は無く、専ら実用刀を手掛けていた高田派の中では、かなり出来の良い名作に分類される一刀です。
※白鞘裏側鳩目欠。保存刀剣鑑定書は日本美術刀剣保存協会より当店へ到着次第お届け致します。
 
裸身重量563グラム。

豊後住藤原忠行

豊後住藤原忠行

豊後住藤原忠行
– Hogo ju Fujiwaratadayuki –
 
豊州高田派は、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄えた刀工一派で、古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから、藤原高田と汎称します。古来より実用刀としての評価が高い一派で武用刀として数多の武将に愛用されました。
 
この脇指は、新刀期の豊後高田派を代表する名工、忠行の手になる脇指で、身幅広くがっしりとした体配に、精良に練られた地鉄が美しく、淡く映りごころがあり、匂口明るく冴えた直刃の刃中には、細かな砂流や金筋が顕著に現れた優品です。
※保存刀剣鑑定書は日本美術刀剣保存協会より当店へ到着次第お届け致します。
 
裸身重量429グラム。

武蔵守藤原兼中 越前住

武蔵守藤原兼中 越前住
武蔵守藤原兼中 越前住
– Musashi no kami Fujiwarakanenaka Echizen ju –
 
兼中は永禄年間頃(江戸初期から中期にかけて)越前一条にて作刀し、後に江戸にも移住した刀工と伝わっています。越前は織田信長が平定した後、柴田勝家が入って大規模な築城を行い大きく発展し、それに伴い近江、山城、美濃などから刀工が移住しました、その時の大きな勢力が康継の一派と美濃から移住した越前関と呼ばれる集団で、本作はその越前関派の兼中の作品で、業物としてもその名を知られる越前の名工です。
 
小板目が肌立ち、直刃調に浅い湾れを焼き上げた作品。うぶ中心在銘で製作当時の姿をしっかりととどめており、これから刀剣趣味を始めたい方にもお薦めの一刀です。
※保存刀剣鑑定書は日本美術刀剣保存協会より当店へ届き次第お送り致します。
 
裸身重量407グラム。

寿命(としなが) ~観賞用上研磨済み!!~

寿命(としなが)
無銘(新刀寿命)
– Mumei(Toshinaga) –
 
大和系鍛冶が美濃に移り派生したと伝えられる寿命。幕末まで長く栄えた一派として著名です。刀剣界では“じゅみょう”と呼称されていますが、“としなが”と読むのが正しいようで、現存する作品の中にも“寿命トシナガトヨムベシ”と銘切った作品があったと記憶しております。 寿命と言う名に縁起良さを見出した武士達により、寿命の刀は祝賀の席での指料として、また、武家間での贈答品としても好まれました。※特に贈答には長物が好まれたと言われ、“長い寿命”と験を担いでのことだそうです。
 
この刀は、粗見するとうぶ中心のように見えますが、大磨上無銘の刀です。特筆すべき疵欠点無く、入念に練られた地鉄が肌立ち、匂口明るく冴えた互ノ目乱れを小湾れ調に焼き上げ、刃中働き盛んで砂流が顕著にかかるなど、見所多き逸品です。
当店にて美術鑑賞用上研磨を施しました。研ぎ上がったばかりの清々しい地刃の冴えを存分にお楽しみください。
 
附属の拵は黒蝋塗を基調に曙塗りとした趣きある品で、縁頭と鐔は鉄線花で揃えられ、目貫は花籠図を装着し、全体的な構図もしっかりと考慮されているので見栄えが良く、裏革でしっかりと巻かれた時代物の柄巻きも好感が持てます。更には実戦を考慮した造りの素銅切羽となっており、はばき側の切羽は特に分厚く造られているのも興味深い品です。
※保存刀剣鑑定書は日本美術刀剣保存協会より到着次第掲載致します。
 
裸身重量793グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,071グラム。

正次作之(宮内省御用刀工 卍正次)

卍正次
正次作之
– Masatsugu –
 
俗名を桜井正次と称し、二代古山宗次門。田中青竜斎正久の次男として、明治元年四月八日、現在の東京都新宿区荒木町で生まれ、明治十七年、桜井安五郎の養子となります。
泰竜斎寛次(固山宗次-泰竜斎宗寛-寛次)に、十三才から二十二才頃まで鍛刀法を学び、明治二十八年三月、東京美術学校長の岡倉天心の推挙により鍛金科設置準備の嘱託となりますが、明治三十一年四月、岡倉天心が校長を罷免されるとこれに殉じ辞職しまし、翌月には設置に携わった新宿区須賀町崇福寺の山浦清麿の墓碑が完成しています。
卍正次という刀銘は、正次が禅を学んだ、文京区白山の竜雲寺の渡辺南隠がつけたものです。千代田区永田町の鍛錬所から鎌倉市二階堂の瑞泉寺境内に鍛刀場を移したのは明治三十五年で、当時鎌倉で病気療養中であった有栖川宮威仁親王より大小鍛造を拝命。明治四十二年、有栖川宮威仁親王に召致され神戸市舞子に鍛刀場を移すと、親王に鍛刀場を如神殿、居所を臥龍庵と命名されます。後年、広島、静岡などでも鍛刀し、昭和十年に福岡県の宗像神社境内で鍛刀する頃には、主に子息の正幸がその任に当たりました。昭和15年、立命館日満工科学校に招かれ、京都市北区の衣笠山麓に鍛刀場を開き、正幸が主宰します。
ここでの門弟に、後の人間国宝、隅谷正峯らがいます。
 
本刀は、細やかに練られた無地風の肌に、小沸本位の明るく冴えた互ノ目を焼いた作品で、特筆すべき鍛錬疵無く、仔細に見ると刃縁に繊細な砂流が看取され、二尺五寸五分強と言う長寸でありながら、重心中程で手持ちバランス良く、実際の重量より軽く感じられます。
現状の研磨状態でも刃文の観賞には支障ありませんが、地鉄の変化を楽しまれたい場合は、入念なる研磨をお薦め致します。
 
附属する拵は青貝を散らした鞘に、細糸撮み巻きの洒落たものでガタツキなくしっかりとしており、鐔は國廣と思しき銘が見られる武骨な無地板鐔が添えられています。
※保存刀剣鑑定書は日本美術刀剣保存協会より到着次第掲載致します。
 
裸身重量845グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,175グラム。

無銘(末関)

無銘(末関)
無銘(末関)
– Mumei(Sue Seki) –
 
末関とは室町後期の末古刀期に活躍した美濃刀工の総称で、三本杉で知られる孫六兼元も末関刀工の一人です。
本刀は丹波篠山藩の上士、井上家に伝来した刀で、杢目肌良く練れて肌立ち、匂口明るい互ノ目乱れを焼いた作品で、足よく入り、細かな砂流かかり、刃中の杢目に沸が絡んで賑やかな景色を見せています。
 
附属の拵はうぶのままで、GHQによる刀剣調査の札が貼られています。敗戦時の日本刀史を物語る上でも大変貴重な一振と言えるでしょう。
新たに銀はばきと白鞘、研磨を旧所有者様が誂えました。拵に入れ替える際には、旧はばきをご使用下さい。
※保存刀剣鑑定書は日本美術刀剣保存協会より到着次第掲載致します。
 
裸身重量604グラム。  拵に納めて鞘を払った重量966グラム(素銅地金鍍金二重はばき装着状態での計測)。

修行開始から十年。しっかりとした下積みを積んだ柳原。

私の下で修行を開始してから約十年。

稽古を休むことなくしっかりと下積みを積んだ柳原君は、ここまで腕をあげることができました。

本気で打ち込もうとしたのに打ち込めなかったことに、我が門弟がここまで腕をあげたのかと、嬉しい気持ちでいっぱい。

動画の中でも思わず笑みがこぼれている私です。

書『修心』

昨夜、合氣道吹泉館の館長、木下良一先生(合氣道七段)から、素敵な書を頂きました。

木下良一書 修心館

木下先生は、植芝盛平翁に書を教授したことでも知られる、故、阿部醒石先生(合氣道十段)の唯一の内弟子であり、醒石先生から書も学ばれた書家でもいらっしゃいます。そして私の合氣道の師でもあります。

上記『修心館』の軸装だけでも非常に嬉しく、ありがたいのですが、なんと、額装にて『修心』も書いて下さいました。

木下良一書 修心

書を嗜まれる方ならお解かりのはずですが、筆運びが物凄いです。

生前、植芝盛平翁が、氣を文字にして遺そうとされ、阿部醒石先生に師事されたことは有名ですが、この書に込められた氣も物凄いものです。

一体、どのような筆運びをすれば、このようなかすれ、跳ね、払いが出来るのか… 目の当たりにした時には溜息しかでませんでした。

木下先生はプロの書家でいらっしゃいますから、この二点の作品を正規価格で購入しようと思えば…50万や60万ではきかないのでは…

 

残念ながら自己道場を所有していないため、デーンと飾りたくてもそれができないのがもどかしいのですが、今夜の稽古ではこの二点の書を持参し、門弟に披露すると共に、稽古場に飾って、書に込められた氣にあやかりながら稽古させていただきました。

木下良一先生の書と

木下先生から頂戴しましたこの二点の書を飾る道場を、いつか建設することができたらなぁ…

と、大きな夢も一つ増えました。

 

関西で合氣道を学ばれたい方は、是非、吹田にある木下先生の吹泉館をお訪ね下さい。

合氣道の道場は多々あれど、植芝盛平翁直伝の本物の合氣道を学ぶことができる数少ない道場の一つで、私が心から推薦致します太鼓判付きの道場です。

 

また、木下先生による、氣がこもった書や掛軸、お店の看板などをご希望の方が居られましたら、是非私にお声掛け下さい。素敵な書の作品を仲介させて頂きます。

 

木下先生、素敵な作品を本当にありがとうございました。