9月4日の午後7:30からは… NHK『美の壺』を是非ご覧ください。

NHK 美の壺

「魂宿る 刀剣」

昨年発見された明智光秀の愛刀「近景」。今回特別にテレビ初公開!▽世界が注目する刀鍛冶が作る、極上の刀剣▽室町時代から続く、砥ぎ師の本阿弥家。人間国宝が明かす「砥ぎの極意」▽時速840キロのテニスボールを切る居合の達人の、愛刀と真剣の技▽平安時代に作られた国宝の刀の鞘(さや)には、現存最古の猫の工芸!▽刀の鞘(さや)を作りあげる職人の競演▽草刈正雄邸には、刀剣男士・三日月宗近が!<File511>

信濃大掾藤原忠國(二代)

信濃大掾藤原忠國(二代)
– Shinano Daijo Fujiwara Tadakuni(2nd Gen) –
 
 
初代忠國は出羽大掾藤原國路の優れた門人として知られますが、因州鳥取に移住してから、八代乃至九代の明治まで同銘が続き反映しました。 この刀は二代信濃大掾藤原忠國による作品で、二代忠國は享保5年(1720)に70歳で没しています。初代との銘字は国構えの中の「玉」の字に見られ、初代が「国」と切るのを二代は「國」に切るところにあります。
 
この刀はやや細身で反り深く、元先の差が程好く開いた優雅な姿が印象的。地鉄は小板目肌良く練れて詰み、地沸付いて細かな地景入って精美。刃文は匂口明るく互ノ目乱れを焼き上げており、足入り、砂流顕著に現れ、匂口締まりごころの部分と刃縁に小沸が盛んに付いた小沸出来の部分を合い交え、帽子は表裏共に直ぐに先やや突き上げごころに丸く返っています。
 
附属の拵は黒蝋塗鞘の気品ある品で、鞘には目立つ大きな凹みが無く、総体的に保存状態良好。鐔は截金象嵌の技法を巧みに用い、葉の皺や虫食いの穴を平たい中にありながら立体的に表現している。
残念ながら今日迄伝来する過程に於いて、鐔や切羽の交換があったようで、切羽は金着せながらオリジナルでは無く、鐔とはばきの間に切羽一枚分(約1~1.5ミリ)の隙間があります。気になる方は切羽を慎重して頂くか、切羽を一枚加算またははばきに下駄を履かせると良いでしょう。そう言った工作や補修面もどうぞお気軽に御相談下さい。
 
裸身重量660グラム。  拵に納めて鞘を払った重量981グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘(宝寿)

無銘(宝寿)
– Mumei(Hoju) –
 
 
奥州には奈良時代から鎌倉時代にかけて多数の刀工が存在していたことを古伝書は伝えており、舞草・月山・玉造と呼称される蝦夷鍛冶らが挙げられています。
日本刀の源流をなす草創期の舞草鍛冶は岩手県一関市や平泉周辺を拠点に平安時代中期の安部氏に仕え、東北の都・平泉の軍備を担った集団で奥州鍛冶の中心的存在で、一関市北側の舞草神社と白山妙理大権現、馬頭観音を信仰し鍛刀に励みました。
鎌倉時代の古伝書『観智院本銘尽』には鬼丸・世安・森房・幅房・瓦安の五名が挙げられていますが、文治五年(1189)、平泉滅亡後は壊滅状態となっています。
 
宝寿(寶壽)は現在の宮城県玉造郡鳴子町鍛冶谷沢を拠点とした鍛冶集団で玉造鍛冶に属して、家則・貞房・寶壽などの刀工を輩出し室町時代まで数代にわたる作刀が続けられました。
立地条件から早期に律令制度に組み込まれ、奥州藤原氏滅亡後も延命しており、一部は諸国に移り九州系の刀鍛冶とも交流があったと考えられます。
 
「寶壽」銘の代表作、武蔵御嶽神社所蔵の正中(1324~)年紀のある豪壮な『宝寿丸黒漆鞘太刀』(重要文化財)は源頼朝に臣従し「宇治川の先陣争い」で活躍した畠山重忠が奉納したものと伝わっており、古備前の正恒は舞草有正の子と云われ、また伯耆安綱と奥州鍛冶の類似性など、宝寿は日本刀の草創期を語る上で欠かせない存在です。
 
この刀は板目肌柾流れて肌立ち、刃文は直刃基調に小湾れや互ノ目を交えて匂口潤み、刃中柾目に絡んで砂流頻りにかかり、地鉄が詰まず、寧ろ間が開いて肌立つ様は、いかにも宝寿らしい素朴で古雅な味わい深い出来口を示す作品です。
 
裸身重量704グラム。
 
 
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肥州住源盛光 壬戊年十月日

肥州住源盛光 壬戊年十月日
– Hishu ju Minamoto Morimitsu –
 
 
本名寺田義光。熊本県水俣市古城住。明治43年生れ。昭和14年より金剛兵衛盛高靖博に作刀を学び、昭和27年までは肥前住源盛親、その後改名して盛光と銘しました。
 
この作品は反りやや浅目で元先の差が開いた優雅な姿で、地鉄は小板目肌良く練れて杢交じって美しく、刃文は匂口明るく冴えた互ノ目丁子乱れを焼き上げ、足頻りに入り、刃中には砂流や金筋が顕著に現れ、総体的にふわりとした柔らかさを感じさせる。特筆すべき鍛錬疵無し。
 
附属の拵は町井勲監修の下にて新調しました武用拵で、武辺者に相応しい勝虫図で金具を統一して仕上げています。前所有者が使用しておりました腰鮫巻黒塗鞘を、替鞘としてお付けしますので、存分にお稽古にお役立て下さい。手持ちバランスも良い一刀です。
※棟に居合式納刀による薄錆が見られます。棟のみ研磨可能ですのでお気軽に御用命下さい。
 
裸身重量827グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,094グラム。
 
 
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肥前國住一吉 丙子年二月日

肥前國住一吉 丙子年二月日
– Hizen no kuni ju Kazuyoshi –
 
 
本名中尾一吉。昭和14年生まれ。佐賀県武雄市住。昭和30年頃から堀井俊秀の弟子であった父、中尾三治郎忠次の下で作刀を学ぶ。一吉は数打ちをせず12年間で60振の刀を鍛えたそうで、そのため作品は少ないが、新作刀展では優秀賞受賞を初め、奨励賞、努力賞と、たて続けに入賞を果たし才能を発揮していき、一文字や肥前国忠吉、助廣、清麿、直胤等の写しを巧みに鍛えることでも知られる名工です。
尚、父である忠次も山本五十六閣下の刀を鍛えたことでその名を知られる名工です。
 
この刀は身幅広く、切先延びた豪壮な作品で、地鉄は小板目が良く練れて詰んで美しく、地沸がついて精美。刃文は大互の目乱れで、匂口明るく冴え、刃先に迫らんばかりに長く足が随所に入り、葉交え、砂流や金筋が見られ、刃縁には大きな沸粒が輝き、帽子は表裏共に乱れ込んで沸筋を幾重も伴い丸く返り、完成度が高く美術鑑賞刀としても、武用刀としてもお薦めの一刀です。豪壮な見た目に反し手持ちバランスが良いのも魅力的。
 
附属の拵は町井勲監修の下新調致しました武用拵で、構図の良い現代金具を用いて組み上げられています。居合等の稽古にも存分にお使い頂けます。
 
裸身重量807グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,047グラム。
 
 
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無銘

無銘
– Mumei –
 
 
元先の幅尋常に開き、切先延びごころでシルエットが良い。杢目肌、刃縁鎬地柾となり、少しく肌立つ。刃文は匂口明るく冴えた直刃仕立てで、刃縁が地鉄に絡んで多種多様な働きを見せ、砂流、金筋、打除等見所満載。帽子は直ぐに丸く返りの焼幅を広げつつ横手下迄焼き下げる。元々在銘であったようですが、出来の良さ故にか銘を消されたようです。特筆すべき大きな疵も見られず、手持ちも良く使い勝手が良さそうに感じられます。
 
附属の拵は町井勲監修にて新調しました武用拵で、気が利いた現代金具を用い、柄には狂いが無く、存分にお稽古にお使い頂ける逸品です。
 
裸身重量698グラム。  拵に納めて鞘を払った重量927グラム。
 
 
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信濃大掾藤原(以下切)(二代忠國)

信濃大掾藤原(以下切)(二代忠國)
– Shinano Daijo Fujiwara(cut below)(2nd Gen Tadakuni) –
 
 
初代忠國は出羽大掾藤原國路の優れた門人として知られますが、因州鳥取に移住してから、八代乃至九代の明治まで同銘が続き反映しました。
この刀は二代信濃大掾藤原忠國による作品で、二代忠國は享保5年(1720)に70歳で没しています。初代との銘字は国構えの中の「玉」の字に見られ、初代が「国」と切るのを二代は「國」に切るところにあります。
 
この刀は大きく区が送られ、忠國の銘が切られてはいるものの、元先の差が程好く開いた上品な姿に、やや延びた切先を携え、反りも程好く、地鉄は小板目肌杢交じり、良く練れて詰み精美。刃文は匂口明るく冴えた湾れ調子に互ノ目を交え、足頻りに入り、葉入り、帽子は表裏直ぐに丸く先掃き掛けて返っています。
昭和27年の大名登録刀であることから、伝来の良さも窺え、今は素銅となっている二重はばきも、元は金または銀を着せた高級品であったことがその造りから偲ばれます。
 
附属の拵は町井勲監修にて新調しました武用拵で、柄にガタつきや狂いは無く、鮫皮を赤茶に塗ることで銀色の金具を更に引き立たせた物になっています。
 
裸身重量732グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,017グラム。
 
 
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三河國蒲郡住藤原武則作之 昭和四十六辛亥歳八月吉日

三河國蒲郡住藤原武則作之 昭和四十六辛亥歳八月吉日
– Mikawa no kuni Gamagori ju Fujiwara Takenori –
 
 
本名、橋本武平。明治44年2月5日生まれ。運寿石堂是一の門下である『運寿一則』に師事して『則』の字をうけ、本名の『武』と併せて『武則』と名乗る。系譜としては以下の通り。
石堂是一 → 初代藤原一則 → 二代藤原一則 → 藤原武則 → 藤原元久(武則実子)
新作日本刀展覧会では昭和14年から連続5回の入選を果たし、陸軍受命刀匠を経て昭和35五年4月11日に作刀承認を受け、実子の橋本勇男(藤原元久)の指導にあたりると共に、蒲郡の地で槌を振るった現代の三河・尾張を代表する刀匠です。
 
この刀は藤原武則61歳の時の作品。刃長は二尺五寸一分と長寸で、元先の差が僅かに開き、切先延びごころので重ね厚く、まさに威風堂々たる姿を誇っている。
地鉄は小板目肌がよく練れ、刃文は匂口明るく冴えた互ノ目乱れを焼き、足・葉入り、帽子は表裏共に直ぐに丸く上品に返っています。
 
附属の拵は当店々長町井勲監修の武用拵。武辺者に相応しい勝虫の図柄で統一しています。
居合用や試斬用と称する安価な研磨ではなく、しっかりとした真面目な美術研磨が施されているため、実用面でもその斬味は凄まじいことと思われます。
実用兼美の豪壮なる一刀をお探しの方に心よりお薦めする一刀です。
 
裸身重量945グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1.207グラム。
 
 
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肥前國何某作之 五寸揚之(金象嵌銘)

肥前國何某作之 五寸揚之(金象嵌銘)
– Hizen no kuni Nanigashi kore wo tsukuru Gosun kore wo ageru –
 
 
小板目肌良く練れた地鉄に直刃を焼き上げた作品で、足入り、太い金筋状の刃交じり、刃縁匂口の幅広く、刃先に向かって煙り込まずにぷつりと切れた感じの刃を交える等、刃縁の変化を楽しめる出来口。
金象嵌銘にて五寸磨り上げた旨が刻されているが、作者の個銘が書かれず、「肥前國何某作之」とあるのは、磨り上げる以前に既に磨り上げられており、肥前國(以下切)状態であった物を磨り上げたためであろう。下手に個銘を金象嵌されていないため、保存刀剣審査もこのまま受審可能。
 
附属する拵は合戦図の縁頭に鐔、目貫は合戦図ではないものの、舟に乗る人物図で総体の雰囲気は合っており、拵の格を上げている。切羽は金着せ。はばきは銀着せとし、金鍍金が施されている。
 
裸身重量532グラム。  拵に納めて鞘を払った重量760グラム。
 
 
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鐔6点追加いたしました。

鐔6点追加いたしました。