刀剣に於けるマナー ~覚えておいて損はない~

京都河原町で居合術体験会を請け負うようになってとても気になること。それは会場に常設している現代甲冑や模擬刀への扱いです。

体験用に置いている物なので、お気軽にどうぞという主催者の意向は良いとして、それを扱う人のマナーには眼を覆いたくなることがあります。

お気軽にどうぞとあっても、やはりそこは一言、触れてもよいでしょうか?と声をかけるべき。

しかしそう言った一声をかける人は少なく、先日は模擬刀が鞘から出しっぱなしで、兜と一緒にまるでゴミのように重ねてありました。

見かねて私が片付けたのですが、こうした行為は外国人観光客だけのことではなく、我々日本人の間でも見られます。

旅行者に日本の文化を体験してもらいたい。

そういった純粋な思いを踏みにじる行為は慎むべきであり、体験させてもらった後は、元の通りに片付ける。非常に簡単なことですから皆さんも是非心してください。

また、常々発信してきましたように、刀剣は非常にデリケートな物ですので、抜き方、納め方一つだけでも、無作法に行うと傷がついてしまいます。

近頃は洋服や家電製品を品定めするかのごとく、一声かけることなく当然のように刀を手に取り、鞘から抜く人をみかけます。

上記の行為を私の店で行うと、言葉丁寧ではあってもかなりの形相で私にたしなめられますのでご注意を(笑

 

今は平成の世ではありますが、これが江戸時代であったなら、人様のお腰の物を勝手に抜き差しするとんでもない愚行であり、場合によっては刃傷沙汰にも発展するやもしれません。

刀剣を拝見したい時には、たとえ「ご自由にどうぞ」とあっても、一声かけるか、或いはお店の方に鞘を払ってもらってからになさってください。

 

極端な例えかもしれませんが、人様のお宅に伺って、何の断りもなく、トイレを使ったり、冷蔵庫を開けて中身を物色することと同じくらい無作法・失礼であると考えて下さい。

礼節があり、尚且つ取り扱い作法に通じている人には、刀剣店の方も安心して高価な名刀も見せてくださいます。

乱雑に自分勝手な刀の見方、扱い方は慎み、買う側、売る側、共に気持ち良く接することができるように心がけましょう。

昨日の居合術体験会

昨日の受講者は四名。

メキシコから来られた素敵な御家族御一行で、お父さん、二人の息子さんと娘さんが体験されました。

 

稽古場に入場するにあたり、靴を揃えて一礼するところから体験会は始まります。

観光ついでの体験会ではなく、稽古場に一歩足を踏み込んだ時から、そこは真剣な場であることを感じ取って頂きたいわけです。

 

この日は長男と二人で指導したのですが、長男だけ、もしくは柳原だけが単独で指導する場合の下地作り、つまりは指導内容のマニュアル化を模索。

とにかく伝えたいことを脳内で箇条書きにし、それにそって指導を進行。

 

・刀の鞘や木刀の切先などを地に直接つけるような無作法はさせない。

・刀礼の意味とその正しい所作を知ってもらう。

・速く抜くのではなく、ゆっくりと正確に形稽古を行ってもらう。

・木刀を用いた稽古での安全確保。

・各々の形で学ぶべき所作とその意味の解説

 

海外の方は正座が苦手かもしれませんが、初伝形一本目『前敵』を反復して抜いて頂き、後半は簡単な剣術を指導。

この御家族のお父さん、えらくセンスがおありで、初めてとは思えないほどお上手でした。

 

体験会終了時、今回の居合術体験を機に、日本の古武術に興味を持っていただけて、メキシコでも継続して学びたいと思われたなら、しっかりとした道場を選ばれることをお薦めしました。

様々な方々に触れ合える居合術体験会。教える側としても大変楽しいのですが、京都まで向かう往復の移動時間などがネック。ドラえもんのどこでもドアが欲しいと強く思います。

京都河原町での居合術体験会

昨日27日に開催されました居合術体験会の様子です。

居合術体験会々場は36畳の広さ。

最寄駅は京阪電鉄三条駅、または阪急電鉄河原町駅です。

受講者のために用意された鞘付木刀と角帯。

着替え終えて開講を待つ私と長男の友哉(修心館大阪北道場長)と柳原(修心館主席指導員)

 

居合術がいかなるものかを組居合形亀甲返の演武で披露。

ガッチリと両手で私の柄をおさえている柳原が、一瞬で宙に舞って倒される姿に、刀=チャンバラのイメージを強く持っていた受講者達からは、驚愕される声が聞こえました。

 

稽古の始めと終わりには、単に形だけの刀礼を行うのではなく、その意味や作法についても学んで頂きました。

 

 

京都河原町での居合術体験

実はこれまで、私は観光客向けに行われる侍体験なるものに対し、非常に無関心であり、むしろそう言った企画に対して否定派の立場にありました。

殊更観光客や素人に真剣を握らせ、畳表を斬らせる試斬体験なるものに対しては、全面的に否定する立場でした。

しかし、ここ最近の天心流兵法との論戦の中で、観光客や素人に私自ら正しい作法と刀剣マナーを啓蒙拡散すべきなのかもしれないと思うようになった次第です。

 

この私の思考の転換を、揚げ足をとる方は格好の餌とし、

「町井は言ってることとやってることが違うじゃないか。」

と面白おかしく吹聴するかもしれません。ましてや

「天心流の二番煎じ始めた。」

などと心無いことを言うのかもしれません。

 

正直、観光客を相手に居合術体験のお話を頂いた際には最後まで気乗りしませんでした。

そして居合術体験初日。

侍の真似事ができればなんだっていい! そう思っている旅行者が殆どだと思っていた私ですが、思いの他熱心に受講される姿に感銘を受けました。

「私が伝えたいのは居合術であって、侍の真似事ではありません。」

開口一番そう発した私に対し、受講された外国人旅行者の方は、逆に眼を輝かせてくれました。

居合術体験なのに刀を握らせてくれない。面白くない。

そんな言葉が出るのではないかと思っていたのですが、その期待を大きく良い意味で裏切って下さった受講者の皆さん。

股関節の抜きとはどういうものか、それぞれに遠慮なくかかってきていただき、それをさっといなして見せると、恰幅の良い長身黒人の方が、とても嬉しそうに眼を大きく見開き、何が起きたのか? 何をどうしたのか? 質問されました。

女性外国人の方も、私が「腰の捻りと股関節の抜きは、似て全く非なるものです。」と説明したところ、

「その違いを知りたいので、先生の腰に手を当てさせてください。」

と申し出てこられるなど、皆さん積極的に学ぼうとされました。

海外の番組で私を見たことがあると言う黒人の方、私のファンだと言われ、

「まさか京都旅行で町井先生直々にご指導をいただけるなんて思っていませんでした。観光客向けの侍体験程度に考えていたのに、本当に素晴らしい体験が出来ました。」

と喜んで下さり、講義終了後も色々とご質問を頂きました。

そこで私は通訳の力を借りて、正しい刀剣のマナーを伝え、特に杖太刀については絶対にしてはいけない無作法であることをお伝えしました。

彼らが自国に戻られ、私から教わった知識を友人に語り、更にその友人が他の友人に語り、そうやって天心流が広めようとする無作法を抑制することが出来れば、私は目的を達することができます。

天心流が焼鳥屋の中で殺陣ショーを披露し、それを見に来る外国人や素人と、杖太刀姿で写真を撮る一方で、私は京都を中心に、正しい知識と作法を自ら伝えて是正していく。

 

昨夜も二回目の居合術講習会を行いましたが、皆さん刀を杖太刀なさっていたので、開口一番

「皆さんは幕末の侍が刀を杖のように構えて写っている写真をご覧になったことがあるでしょう。しかし、それらは写真家の求めに応じてとられたポーズであると考えられ、武士や侍達は普段、刀(刀の鞘)を杖のように地面につけることはありませんでした。それは数多く遺されている刀の鞘尻(こじり)を見れば一目瞭然です。杖太刀は刀に対する無作法。こうして私とであった皆さんは、どうか正しい知識をお土産に持って帰ってください。」

と挨拶したところ、

「Oh! Sorry.」

と言って皆さんそれ以降杖太刀することはありませんでした。私にとってとても嬉しい出来事でした。

肝心の居合術体験も非常に熱心に受講され、ここでも再び

「観光客向けの侍体験ではなく、本物の侍体験ができた。本当にありがとう。」

と感謝の言葉を多々頂戴しました。

 

観光客向けにあちこちで繰り広げられる、眼を覆いたくなるような試斬体験。

侍体験という大義名分を掲げて手っ取り早い金儲けを目論む主催者達。曲げられ、傷められる刀を減らすためには、頑なに拒否してきた試斬体験会そのものの中で、

「刀が如何なるものか? 士達は刀にどのように接してきたのか? 正しい刃筋の立て方と刀を傷めない試斬稽古の仕方。」

を私自ら手解きし、広く海外の方へ発信して行くのが最良の方法なのかもしれないと感じてきました。

京都までの移動時間、拘束時間を考えると、採算はあわないのですが、私と柳原、長男と次男の四人で当番制をとり、可能な限り一人でも多くの方に、正しい知識と作法をお伝えして行きたいと思います。

この居合術体験は海外からの旅行者だけでなく、国内に住む方、京都在住の方にも勿論受講頂けます。

ご興味をもたれた方はお気軽に御連絡下さい。※試斬体験は今のところ行っておりません。将来的には受講者の技量を見定めた上で、刀を曲げない振りが出来ている者にのみ体験頂くことを行うか、只今検討中です。勿論使用するのは古い刀ではなく、現代刀を用いることになるかと思います。

昨日の居合術体験に補助として同行した私の長男(修心館大阪北道場長)

同じく指導補助として同行した本部道場主席指導員、柳原

連盟居合 ~武道と武術、演舞と演武~

私は今現在、私が指導し、自らも追い続けている居合を、連盟居合と一線を引くべく「居合術」と呼称しています。

そして私の中では、使えない形骸化した居合を「居合道」と位置づけています。

各連盟に所属されて居合を修業されている方を蔑んでいるわけではありません。しかし、私の中では連盟居合は、もはや武術ではないと認識しているのです。

私は過去、全日本居合道連盟に所属する道場で無双直伝英信流を学びました。いえ、無双直伝英信流の形と呼ばれるものを学んだと言った方が正解でしょう。

 

現在、当たり前のように教え伝えられている英信流は、既に英信流ではないと私は考えています。

正しく業(わざ)が伝えられていないから、多くの方が鞘を削り、割ってしまうわけで、その殆どが右手で抜刀していることが原因です。

右手に頼った抜付は使い物になりません。これは断言しても良いでしょう。初動は全て目視され、簡単に防がれてしまいます。仮に斬り込めたとしても斬撃力が弱く理に適ってはいません。

以前、誰もが知る大物俳優が私に居合教授を請いました。指導するなかで私の居合術を目の当たりにしたその方がおっしゃった一言は、「合氣道だ。」でした。

ご周知の通り、合氣道は剣の理と言われます。その通りなのです。刀を用いず手刀に置き換えれば、居合は合氣道そのものにならなければおかしいのです。

 

英信流系の居合を嗜まれている方ならご存知の、中伝形『浮雲』での刀捌きは、合氣道で言うところの一教裏の術理を、刀を用いることで自己鍛錬するためのものだと、古流英信流居合を研究する中で私は気付きました。

ですから、私個人の見解としましては、浮雲の形の最後の斬り下ろしで腰を捻り、左足より外に斬るのはどう考えてもおかしいのです。浮雲の形を体術で表現しますと、最後の斬り下ろしは腰を捻ることなく、己の正中線に沿って真っ直ぐ斬り下ろさなければ、業として成立しません。

大江正路師の時代には、既に英信流の技術は失伝していたと考えても良いかと思います。

英信流に限らず、全ての流派に言えることなのかもしれません。それは何故かといいますと、江戸後期に向かうに従い、刀の重ねが厚くなり、身幅も広いものが多いからです。

これ即ち相手の力をいなす技術の失伝の表れ。敵の斬撃をいなすのではなく、がっちりと受け止めようとするからこそ、刀に強度が求められ、重ね厚く身幅も広めになったものと推測されます。ですから、英信流を名乗る団体で、極端に身幅が広く長い刀を用いるところは、古流英信流ではなく、現代あるいは近代英信流と言えます。名前を出すと苦情が来そうですが、これに該当するのは関口高明氏の団体(高明塾)です。私は彼の英信流を古流英信流とは認めたくありません。刺繍だらけの暴走族の特攻服のような上下の稽古着、身幅尋常ならぬ大ダンビラの長大な刀、そしてその帯刀の仕方、何から何まで理に適っていないわけですが、何故か海外の方には人気があるようです。いかにもJapanese cultureに憧れる外国人が好みそうな漢字だらけの稽古着がうけているのでしょうか。

一方で室町時代、戦が頻繫に行われていた頃の刀剣は、江戸期の刀剣に比べると華奢なものが多く、殊更十文字槍を見ると、槍術自体も力技に変化したことが垣間見られるのです。

ご興味があれば、室町時代の十文字槍と、江戸後期の十文字槍を比較してみると良いでしょう。方や重ねが薄い室町期の十文字槍に対し、江戸後期の十文字槍は重ねが倍近くあることに気付きます。

現在、奈良を中心に宝蔵院流を名乗る団体の鎌槍の使い方は、完全に力技であり、そのため稽古の中で木槍の鎌部が欠けたり、折れたりすることが頻繫に発生しています。

自他共に認める槍のコレクターである私の収蔵品の中には、実戦で使われた室町期の十文字槍がありますが、鎌部に小さな刃毀れが数箇所見られるも、槍の穂先そのものは曲がりや捩れもなく非常に健全なのです。重ねが薄い室町期の十文字槍を、現代の宝蔵院流修行者が用いると、九割の確立で鎌を曲げ、場合によっては折損させることでしょう。

現代は便利な時代になったもので、ユーチューブでちょっと検索すれば槍術の動画も見ることができます。よくよくご覧になると気付かれるでしょうが、腕の力で槍を操作するばかりなので、一見成立しているように見える巻落(まきおとし)と呼ばれる業にしても、相手の軸は微動だに崩れていません。

槍はとても強いイメージがあるかもしれませんが、実は脆い武器でもあります。中国の槍と違って、日本の槍は中心(なかご)を柄の中に差し込む構造が殆どだからです。一方、袋槍と呼ばれる鉾と同じ古式構造の槍の方が折れにくいと思われます。

何故私がそのように考えるのかと言いますと、過去、運送会社に槍の柄を折られた経験があるからです。槍は石突に近い部分を握って持ち上げる分には折れませんが、逆に太刀受と呼ばれる槍の穂先に近い部分を握って持ち上げようとすると、案外簡単に折れてしまうのです。それは槍の柄が、槍の穂先の中心(なかご)を差し込むために掻き入れされ、その部分の肉が薄くなっているからです。直径2センチ程(穂先に近い部分)の柄は、中が空洞で、その周囲は僅か5ミリ程の肉厚しかありません。ですからテンションをかけると簡単に折れるのです。

時代劇などでは槍の石突付近を片手で握り、頭上でブンブンと大きく振り回す様が見られますが、怖がらず自ら槍の太刀受部にぶつかりに行けば、遠心力によって槍は簡単に折れてしまいます。実戦ではあり得ない動きなのです。時代劇の中だけで通用するファンタジーな技です。

話が少し逸れますが、古流を名乗る流派で、このような槍の使い方をするところは、その系譜を疑問視する必要があると思います。

槍術演武で、私はこの頭上でブンブン振り回す動きをする流派を天心流兵法以外で見たことがありません。故に私は天心流が宝蔵院流影派と名乗ることに対し、実用面から見て“ありえない”と指摘する次第です。槍や薙刀は長い分折れ易いと言うことを忘れてはいけません。ありえない動きを当り前のように行うのは、実戦を知らない現代人が作る創作槍術形であるからです。

演武を見る時には物理現象を考慮した眼で見ると、本当に古流か否かはすぐに看破できます。

 

さて、話を元に戻します。

 

いずれの形も体術として表現できない現代の英信流居合、殊更連盟の英信流は、武術ではなく武道なのです。

私のことを「英信流で五段の印可しか受けていない。」「免許皆伝を受けていない。」と揶揄する人をみかけます。ハッキリと声を大にして申し上げましょう。

まともに古流英信流を引き継ぐ者がいない連盟が発行する段位や免許皆伝に、なんの価値もありません。

連盟の居合は居合術ではなく居合道と呼ばれる剣舞であり、演武は演武ではなく、演舞にすぎません。

使えない印可になんの価値がありましょう? 五段取得後私が一切の昇段試験を辞退した理由がそこにあります。

技術が失伝している以上、自分自身で研鑽する他道がなかった私が、今現在の私を造り上げました。私はその選択が正しかったものと自負しています。

仮に私が今も連盟の英信流を修業していたなら、今の私の技術には到達できなかったでしょうし、様々な功績も残せなかったことでしょう。

連盟の英信流、連盟の居合こそが正統派だと信じてやまない方々は、井の中の蛙であり、大海を知るべきだと私は御提案致します。

 

肥前國住兼元作 ~元陸軍受命刀工の刀~

肥前國住兼元作
– Hizennokuni ju Kanemoto saku –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/751/00.html

本名,、本村兼作。佐賀県佐賀市長瀬町住。昭和14年陸軍受命刀匠を拝命し、昭和18年には陸軍々刀展で会長賞を受賞。翌19年、同展総裁賞を受賞し、陸軍兵器行政本部嘱託軍刀鍛錬技術指導員を拝命。戦後は二度(昭和27年及び同45年)に渡って伊勢神宮御宝刀鍛錬の役を拝命するなど、戦前戦後を通じて活躍した、力量高い昭和の刀工です。

この刀は昭和14年頃に高級将校の軍刀として、古式鍛錬法にて鍛えられた兼元の傑作。板目肌杢交じりの地鉄がよく練れて詰み、地沸ついて精美な様は、江戸期の肥前刀、忠吉一門が誇る小糠肌に勝るとも劣らず、明るく冴えた匂口の直刃も見事であり、兼元刀匠の忠吉への憧憬が感じられる作品で、大切にされてきた様子は、この刀に施された研磨からも察せられます。凛とした鎬や小鎬。筋切りで描いただけの横手ではなく、下地からしっかりと立てられた横手に、つるんとした帽子のナルメなど、刀剣研磨の巧みな技が、本刀が持つ地刃の魅力を余すことなく引き出しており、眺めているだけで清々しい気持ちにさせてくれます。
大変よく鍛えられた兼元の名作ですので、是非とも保存刀剣鑑定書をおつけいただき、末長く御愛蔵頂きたい逸品です。

裸身重量673グラム。

各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

藤原兼照 ~見事な稲妻・金筋・砂流~

藤原兼照
– Fujiwara Kaneteru –
 
柾目肌杢交じりのよく練れた地鉄。元の方には淡く映りも見られます。匂口は明るく冴えて刃中もよく沸づき、三本杉を連想させる尖り刃を交えた互ノ目乱れを巧みに焼き上げており、刃中には幾重にも重なる柾目鍛えに沸が絡み、打ち寄せる波際のように見え、飽きを感じさせない見事な出来口を示しています。
 
付属の拵は柄の中央をぎゅっと絞った立鼓形で見映え良く、手にもしっくりと馴染みます。
お求め易い低価格でご案内致しますので、是非とも再研磨頂き、地刃の冴えを存分にお楽しみ頂きたく思います。
 
裸身重量667グラム。  拵に納めて鞘を払った重量932グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘  ~疵欠点のない研ぎ上がりも期待できる一刀~

 

武用刀 刀心

武用刀 刀心

刀心
– Toushin –
 
畳表を斬るだけだから安い刀でいい。
斬るだけだから安い研ぎでいい。
日頃からそのような声をよく聞かされます…
お客様にはそう言った考えを根本から改めて頂きたく思います。
走ればいいから。そんな軽い気持ちで激安の中古車を買うと、あちこち修理しなければならない箇所が頻繁に出てきて、かえって高くつくものです。
これは武用に用いる刀にも言えること。長年居合を研鑽してきましたが、居合や抜刀を嗜む方の殆どが武用刀の選び方を御存知在りません。
床の間飾りの観賞用ならいざ知らず、実用刀こそ吟味が必要!! 刀身の曲がりや捩れ、柄に捩れはないか? 柄に対して刀身が真っ直ぐに入っているか? 研磨は表裏肉置が同じか? このように精査すべき点が多々あります。
百均のカッターと有名メーカーのカッターとでは、切れ味に大きな差があるように、試斬稽古に使う刀だからこそ、しっかりとした下地研磨が必要です。
 
刀心店主 町井勲がプロデュースする武用刀『刀心』は、上記の厳しい条件をクリアした刀です。
粘りある地鉄、横手もピシッと立てた美術鑑賞用上研磨に相当する最上の武用研磨は、刀身を凜と引き立たせるだけでなく、この刀の斬れ味を最大限に引き出します。
製作にはかなりのコストがかかっていますが、模擬刀の拵を転用することで廉価での御提供を叶えることができました。
居合、試斬抜刀用の刀をお探しの方、一生涯使っていただける武用刀『刀心』は、トータル的に見て頂くと確実に安い買い物だと実感頂けますので、是非この機会に本物の吟味された最上の武用刀を御入手下さい。
精美な地鉄、ふわりと柔らかい感じの明るく冴えた匂口、この刀、大業物です。
 
裸身重量781グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,064グラム。

加賀前田家上士の刀

加賀前田家上士の刀
無銘
– Mumei –
 
うぶ出しの刀で当店にて美術鑑賞用上研磨を施しました。
鎬地は柾目が強く現れ、地は杢目柾流れて少しく肌立ち、匂口明るく冴えた互ノ目乱れを焼き、刃縁よく沸づき、互ノ目焼き頭は幾重に小互ノ目丁子を交え、砂流かかるなど賑やかな出来口の一刀です。
 
付属の拵は現在に至るまで切羽の一枚もすり替えられることなく伝来してきたうぶの拵で、金具随所に隅切角に三木紋(折敷に三文字、折敷に算木とも呼ぶ。)があしらわれ、総体に黒一色で纏め上げ、柄は太目で、目貫は素銅線を綱状に捻じり、鐔は椀形で二本目釘でしっかりと柄と刀身が留められた、武骨一辺倒な仕上がりになっています。鞘の塗りの状態も良く、凹みや漆剥げはありません。時代物の金着はばきが装着され、石川県の昭和27年大名登録刀であることからも、加賀前田家所縁の上級武士の指料であったことがうかがわれます。
 
内外共にコンディションが良い一刀ですので、拵も含め、是非とも保存審査を御受審頂き、末長く後世に伝えて頂きたい一刀です。
 
裸身重量684グラム。  拵に納めて鞘を払った重量980グラム。