薙刀 源信國平四郎吉政 ~筑州信國派随一の名工と謳われる吉政の名薙刀!特別保存刀剣同時審査を是非御受審下さい!~

源信國平四郎吉政
– Minamoto Nobukuni Heishiro Yoshimasa –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/nagae/053/00.html

新藤氏。俗名を助右衛門と称す。信国吉政初代は筑前信国十二代吉貞の子として生まれ、父、吉貞と共に豊前国(大分県)から筑前国(福岡県)へと移住しました。
父、吉貞より山城伝を学び、後年には備前国に赴いて備前伝を修めたものの、それが父の怒りを買って廃嫡され、同家を弟である吉次(二代)に譲って分家したと伝えられます。
筑州信國派随一の名手として名高く、初め「平助吉貞」「平四郎」、晩年は「善雅」と銘切ります。正応二年十二月四日没。
二代吉政は元和八年に生まれ、貞享五年八月に六十七歳で没しました。初代同様に備前伝を得意としており、初代の作風を継承しています。二代の銘振りは初代に比して、やや太鏨となるのが通例で、初代は銘文に「作」の字を用いますが、二代にはそれが見られません。

この薙刀はやや大振りで、先張って力強く、吉政が筑州信國派随一と謳われるだけあって、姿が非常に良く纏め上げられています。地鉄は小板目がよく練れて詰み、地沸付いて微細な地景が入り、刃文は匂口明るく冴えた互ノ目に互ノ目丁字と重花調の丁字を巧みに焼き上げ、刃中には足と葉が盛んに入り、金筋・稲妻がかり、物打からフクラに掛けては特に乱れが複雑さを増し、千変万化の景色を見せ、鋩子は乱れ込んで先丸く返っています。
鍛錬疵が見受けられず、吉政の技量の高さをまじまじと見せる薙刀の名品です。
現状古研ぎにつき、変色程度の薄錆が見られますが、このままでも鑑賞に支障はありません。名品だけに余力ある方は是非とも再研磨を施し、特別保存刀剣同時審査を御受審下さい。

惜しいかな、切断された拵の柄が附属しています。鞘は絡繰が施された手が込んだ造りで、刀身を引き抜くと、白鞘の棟方が開き、刀身を納めるとそれが閉じる仕掛けになっています。極力刀身に余計な空気を当てさせたくないとの智慧が何とも興味深く面白い。

裸身重量709グラム。

脇指 秋廣 ~清水義明による見事な一作金具!当店にて研磨、柄巻の工作済み!研ぎ上がったばかりの地刃の冴えをお楽しみ下さいい!内外共に価値ある逸品です!~

秋廣
– Akihiro –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/778/00.html

平造。三ツ棟。反り程好くついた優雅な姿で、表に丸留の腰樋を、裏に護摩箸を刻す。秋廣銘に関しては首肯しかねるため、無銘物としてお求め下さい。茎を見るに、元は真面目な在銘であったものに、刀身の出来が良いが故に銘を改竄された形跡が窺えます。
地鉄は小板目が緻密に練られて杢交じって詰み、地沸付き、細かな地形入って精美。刃文は匂口明るく、湾れ調子に互ノ目や丁字、尖り丁字が交じり、刃縁には湯走や飛焼が見られ、刃中には細かな金筋や稲妻、砂流が顕著に現れ、鋩子は乱れ込んで先丸く返り、出来の良さをまじまじと感じさせる一刀です。
銘を消して審査を受審されることをお勧め致します。

附属の拵は保存状態が非常に良く、金具は清水義明作で、五山鬼桐紋と隅立四つ目、更に名称不明の丸い家紋が見事な彫金技術であしらわれ、切羽も完全なオリジナルで、素銅地に金着の高級品。格式高い上士の指料であったことを現代に伝える名品です。特別保存刀装審査を是非とも御受審下さい。
※柄に僅かにがたつきと、鐔鳴りが僅かにあります。

裸身重量252グラム。  拵に納めて鞘を払った重量419グラム。

各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

脇指 無銘 ~刀剣趣味初心者の方にお求め易い価格でご案内致します!~

無銘
– Mumei –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/777/00.html

二尺近い刃長が魅力的な昭和前期の作品です。処々に小錆があります。残念ながら焼刃は確認できません。刀剣手入作法勉強用として、拵の継木代わりとしてお求め下さい。
※白鞘の糊付が弱っています。

裸身重量669グラム。

各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

脇指 無銘 ~敵に間合を読ませぬ工夫が凝らされた打刀拵!内外共に鑑定を受けて後世に残して下さい!~

無銘
– Mumei –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/776/00.html

二尺に近い刃長に、うぶの打刀拵、天井が低い室内での有事に備えた造りである。切先延びて力強く、地鉄は小板目杢混じり、よく練れて詰み、地沸付く。刃文は互ノ目丁字乱れで、刃縁には砂流が盛んに見られ、金筋、稲妻、足、葉入り、尖りごころの刃混じる様は、煮えたぎるマグマを連想させる。鋩子は直ぐに表は先掃き掛けて沸筋食い下げ、裏は先突き上げごころに共に丸く返る。

上述の通り天井が低い室内での有事に備えたうぶの拵は現代に於いて、当時の士の武に対する姿勢を研究する意味でも大変貴重な存在で、長い鞘に刃長短い刀身を仕込んだり、逆に短く見える鞘に目一杯長い刃長の刀身を仕込む等、敵に間合を読ませない工夫が凝らされました。このような拵は後世の商売人によってバラされたり、鞘尻の方から穴をあけて長寸の刀が入るように改造されたりと、年々その姿を消しています。
そんな中、この長脇指が仕込まれた打刀拵は非常に状態が良く、柄巻のみ絹糸の風化が進んでいたため、当店にて上巻きを施し直しました。
鐔鳴りは僅かに見られますが、柄にがたつきは無く、しっかりとしており、切羽も完全なオリジナルですり替えられていません。鞘を払って構えてみると、手元重心でバランスが良く、本刀を腰に帯びていた当時の士の武辺魂が覗える逸品です。
特別保存刀装審査並びに保存刀剣鑑定を是非とも御受審頂き、後世に現在の姿のまま残し伝えて下さる方にお譲りしたく考えております。

裸身重量645グラム。  拵に納めて鞘を払った重量987グラム。

各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

刀 越中守藤原包國 ~賑やかな丁字乱れ!業物として知られる包國の力作です!!~

越中守藤原包國
– Ecchu no kami Fujiwara Kanekuni –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1533/00.html

俗名を筒井久左衛門といい、筒井紀充の父、また、業物の作者として知られる大和手掻系の刀工で、初代丹波守吉道に学びました。

元先の幅差開いて中切先気持ち延びごころ、反り浅目であることから寛文新刀体配であることがわかります。地鉄は柾目に小板目が僅かに交じり、よく練れて詰むも一部大肌が立ち、刃文は匂口明るく冴えた丁子乱れに互ノ目が交じり、刃中よく足入り、総体に砂流が強く現れ、金筋、稲妻、葉入り、刃縁には小沸が豊かに取り巻く。鋩子は直ぐに先丸く返っています。

指裏上半の大肌が審査に影響を与えるかもしれませんが、華やかな出来口がそれをしっかりと補っているので、特別保存刀剣鑑定は合格できるのではないかと思われます。茎の状態も良く、美術鑑賞刀として申し分ない作品です。

裸身重量625グラム。

各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

素槍 於東叡山麓藤原國吉

於東叡山麓藤原國吉

於東叡山麓藤原國吉
– Oite Toei Sanroku Fujiwara Kuniyoshi –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/nagae/052/00.html

國吉は江戸後期の江戸の刀工で、槍の名手山城守國重一虎に作刀を学び、直刃出来の堅実な作を打っています。茎には長曽祢乕徹の鍛刀地と同じ、「於東叡山麓」(現在の上野動物園辺り)を冠した銘文を刻しています。

この槍は刃長二寸弱という非常に小振りながらも、槍の名工國重一虎譲りの高い技量を存分に発揮した作品。茎の長さ約22.5センチ。ケラ首丸形で、ケラ首の元幅が12.0ミリ。ケラ首の元重ねが12.35ミリ。地鉄は柾目でよく練れて詰み、刃文は大粒の小沸出来で匂口は明るく冴え、刃縁には細かな砂流が見られ、先に行くに従って沸が強くなり、鋩子は直ぐ調に先丸く返っています。
登録不要寸法故に現在は槍として登録はされていませんが、保存刀剣鑑定書が交付されていることからも、名槍であることが一目瞭然。
この手の短い穂先が納められた槍としては、籠槍や大名行列時に用いる長大な柄の槍が挙げられます。この槍もその例に漏れず大名や上士の家格を示す槍の穂先として大切にされてきたものでしょう。茎には柄の材料である樫のタンニンによる発錆を防ぐため、漆が塗られています。
上白鞘を新調してお納め致します。

裸身重量80グラム。

大身槍 予州松山住下坂作

予州松山住下坂作

予州松山住下坂作
– Yoshu Matsuyama ju Simosaka –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/nagae/051/00.html

下坂派は室町末期(安土桃山時代)に始まり、江戸時代にかけて新刀を代表する鍛冶集団の一つ。「下坂」とは、この鍛冶集団の発祥の地、現在の近江国坂田郡下坂庄(現在の滋賀県長浜市下坂中・下坂浜)を指します。
下坂派の代表格である初代康継が慶長年間(1596~1615年)のはじめに、一門を引き連れて越前国(現在の福井県)に移住。そこで「徳川家康」の次男「結城秀康」から合力米四十石で雇われ、家老の「本多成重」の庇護を受けました。慶長12年(1607)に康継は、徳川家の御用鍛冶に取り立てられ、下坂鍛冶も棟梁である康継の下で繁栄し、下坂派の刀工が各地に移住して作刀しました。

この大身槍は平三角造で丸留の樋を掻き、茎の長さは約43.4センチ。ケラ首は十角形で、ケラ首の根元幅は18.9ミリ。ケラ首元部分の重ねは19.6ミリ。現在迄茎を切り詰められること無く、その堂々たる存在を現代に残し誇っています。
地鉄は柾目主体で処々杢目が交じり、地沸ついて地景入り、良く練れて詰むも少しく肌立った地鉄は美しく、刃文は直刃調に細かな乱れや互ノ目を交え、刃中には足が入り、互ノ目足も交じえて葉入り、小乱れを成し、砂流や打除風の刃も見られ、鋩子は直ぐに丸く返っています。
特別保存刀剣に認定された下坂在銘の大身槍、是非この機会に御入手下さい。

裸身重量677グラム。

素槍 於和州郡山筒井越中守輝邦入道紀充 延享三年八月日行年八十歳

素槍 於和州郡山筒井越中守輝邦入道紀充 延享三年八月日行年八十歳

於和州□□筒井越中守輝邦□□紀充 延享三年八月日行年八十歳
– Oite Washu □□ Tsutsui Ecchu no kami Terukuni □□ Norimitsu –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/nagae/050/00.html

紀充は大和文珠派の鍛治、越中守包國の子として寛文6年に生まれ、俗名を筒井輝邦と云い、始めは父の銘を継いで包國と名乗るも、 元禄の末から宝永の初め頃に入道して銘を紀充と切りました。
大阪初代吉道に師事し、初め大坂に住し、阿波でも作刀し、後に大和国大和郡山の九条に住しました。業物として名高く、銘は「筒井越中守輝邦入道紀充」「於和州郡山筒井越中守入道紀充」等と切り、延享4年1月11日に81歳で没しました。

この槍は平三角造。ケラ首丸形。茎長さ37.2センチ。ケラ首根本幅18.2ミリ。
元先の幅差頃好く槍らしい姿。地鉄は柾気強く、地沸付いて地景入る。刃文は直刃調に極僅かに広狭を見せ、鋩子は直ぐに丸く返る。
銘文の一部が判読出来ず□□としましたが、『於和州郡山筒井越中守輝邦入道紀充 延享三年八月日行年八十歳』で間違いないでしょう。
年紀を見るに亡くなる一年前の80歳時の作品で、奈良県登録であることから鑑ても解るように、長らく外に出る事無く、地元に伝え残されて来た紀充晩年作の貴重な一筋且つ名槍です。

裸身重量206グラム。

鐔5点UPしました!

こんにちは(*´∀`*)
鐔5点UPしております!
お求め易い価格帯になっております!
下記URLからすぐご覧頂けるのでご興味のある方は是非ご覧ください(^O^)/
https://nihontou.jp/choice03/tousougu/tuba/list.htm

完全うぶ半太刀拵入り 刀 無銘

完全うぶ半太刀拵入り 無銘

完全うぶ半太刀拵入り 無銘
– Mumei –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1531/00.html

反り浅目にして中切先。江戸前期に流行った寛文新刀体配である。地鉄は小板目肌杢混じり、よく練れて詰む。刃文は匂口明るく冴え、湾れ調子に三本杉風の互ノ目を交え、鋩子は横手で互ノ目を一つ焼き込み、先直ぐに丸く横手より下迄焼き下げる。

附属の半太刀拵は切羽に至る迄すり替えられていない完全なるうぶ。鐔の責金が外れているため鐔鳴りはあるも、柄にガタツキはなく、鞘を払って構えてみると、手元重心でバランスが良い。鞘塗りが傷んでいます。塗り直しご希望の方はご相談下さい。
※刀身に埋鉄在り。税込11万円にて研磨(芯出込)承ります。

裸身重量579グラム。  拵に納めて鞘を払った重量944グラム。