https://nihontou.jp/choice03/tousougu/kk/list.htm
TEL.072-759-6529
〒666-0004 兵庫県川西市荻原三丁目一番十六号
立子山住人将平作(花押) 平成三十年春
– Tatsugoyama junin Masahira –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tachi/102/00.html
藤安将平刀匠は昭和二十一年福島県伊達郡生まれ。昭和41年長野県坂城町の刀匠、故人間国宝、宮入行平師に入門。
昭和50年福島県立子山に鍛刀場を開設して独立。以後作刀の研究修練を重ね日本美術刀剣保存協会優秀賞3回、奨励賞6回、努力賞7回を受賞。平成2年には日本美術刀剣保存協会会長賞受賞。同14年日本美術刀剣保存協会寒山賞を受賞。
尾張熱田神宮、奈良護国神社など多くの神社で奉納鍛錬を行い、平成20年には、704年、佐備大麻呂の作剣以来、およそ千三百年ぶりに常陸鹿島神宮において日本刀奉納鍛錬を行う。
昭和59年秋には伊勢神宮第61回式年遷宮、御神宝太刀謹作奉仕の大役も担い、 先の震災で大きな被害を受けた福島県南相馬の御刀神社復興支援にも大きく尽力され、御神宝となる直刀を謹作奉仕し、直近では福岡の宮地嶽古墳出土大直刀の復元鍛錬など、現代日本刀匠屈指の作刀技術を持っている。
平安、鎌倉時代の古刀剣再現への強い想いを持ち、長年研究修練に取り組み、国宝、重要文化財やそれに類する刀剣類、全国の砂鉄や鉄文化の知識見識も豊富で、太刀、刀、短刀、脇指、薙刀、古代直刀など、どれを手掛けても正確で美しい刀姿を造り上げる。
地鉄、焼刃の手際も鮮やかで幅広い製作能力を誇り、中心鑢や銘文といった中心仕立ても現代刀匠随一で、師である行平没後、師の実子である宮入小左衛門行平(宮入恵)を預かり、弟子として鍛刀修業を積ませた経緯からも、師の信任が厚く、その技量の高さを物語っている。
近年は奈良正倉院収蔵の直刀、手鉾のなど奈良時代の刀剣類の研究、復元製作にも取り組まれ、上記の御刀神社奉納直刀の焼刃などは神域に入られたと言っても過言ではない。
刀心店主、町井勲(修心流居合術兵法創流者、居合に関するギネス記録を6つ保持している)が最も信頼を寄せる現代屈指の刀匠としても知られ、将平刀はテレビ番組内で町井の手によって、鉄パイプ、鉄板切断など日本刀の本分である利刀(折れず曲がらずよく切れるの三事)としての能力も非常に高いことが証明されている。
また将平刀匠は弓、弓道にも深い造詣を持たれており、京都の御弓師柴田勘十郎氏とも長年に亘る親交があって、地元福島では弓術の指導にもあたっている。
人格そして技量に於いても、人間国宝や無鑑査に認定されるべき人物だが、表の世界に出るのを拒み、今尚福島県立子山で黙々と作刀研究に勤しむ生粋の職人肌刀匠である。更なる詳細はこちらをご覧下さい。
この太刀は反り高く、三ツ棟で、帽子が延びた豪壮な南北朝期の太刀を模した作品。地鉄は小板目に杢が交じり、地景入って淡く映りごころがあり、刃文は匂口明るく、湾れ調子に互ノ目や互ノ目丁字、丁字を交え、刃縁には盛んに砂流が見られ、鋩子は直ぐ調にやや乱れごころを交え、先掃きかけて丸く返っています。
元々は店主町井勲の需めに応じて入念に打たれた一刀であり、平成30年の作品ではありますが、つい今しがた全ての工作を終えたばかりです。
将平の作品と言えば必ず鍛錬疵が出るのが特長の一つですが、この太刀は長寸であるにもかかわらず殆ど疵がありません。
古刀再現に挑戦し続ける将平刀匠は、近頃悟りの境地に立たれたと表現しても過言ではなく、手がける作品全ての出来に毎回驚かされます。家宝として申し分ない力作を是非この機会にお求め下さい。
裸身重量1,080グラム。
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。
無銘(龍門)
– Mumei(Ryumon) –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1563/00.html
大和龍門派は千手院派の流れを汲むと伝え、吉野郡龍門荘に住したことからこの名があり、延吉によって代表される。同工の作風には、華やかな乱れ刃を焼いて、地に映りを現した備前気質の強いものと、映りの目立たない伝統的な大和気質のものとの両手がある。
この刀は、地鉄は板目に流れ肌を交えて総じて詰み、地沸厚く付き、地景が細かに入り、刃文は直刃調に小丁字・小互ノ目が交じり、刃縁に解れ・二重刃・食違刃現れ、匂口明るく沸よく付き、金筋・砂流かかる等、地刃に龍門派の後者の出来が示されており、極めの首肯される処である。鉄色の明るい錬れた鍛えが良く、刃文には明るい刃沸が厚く付いて冴え、地刃も頗る健全である。
※重要刀剣図譜より
龍門派の年紀作は未見ながらも、諸書には鎌倉後期正応頃或いは文保頃とあり、大和伝ながら映りが立つのが特長で、中でも国宝に指定されている後水尾天皇御料と伝わる延吉の太刀が有名。
裸身重量711グラム。
近江大掾藤原忠廣
– Omi Daijo Fujiwara Tadahiro –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/789/00.html
近江大掾忠廣は初代肥前國忠吉の子で、幼名を平作郎と称しました。彼が十九歳の時、寛永九年八月に父忠吉が六十一歳で没した為、若くして家督を継ぎましたが、既に一流刀工としての技を会得しており、一門を統率して家名を盛り立てたました。
こうして一人立ちした平作郎は、父と同じく新左衛門と名を改めて、佐賀藩工として鍋島勝茂に仕え、寛永十八年には近江大掾を受領。刀剣需要の多い時期に佐賀藩工として門弟を統率しながら数々の優れた作品を残しました。
近江大掾忠廣の知名度は高く、大業物に列位するほど斬れ味も優れ、現代に於いても人気を博す江戸前期の肥前忠吉家の名工で、事実上の二代忠吉ながらも、生涯に渡り忠吉銘は切らず、忠廣とのみ銘を切りました。
貞享三年、嫡子陸奥守忠吉(三代忠吉)の亡き後は孫の近江大掾忠吉(四代忠吉)を指導し、元禄六年五月、八十歳の高齢をもって天寿を全うしました。
作刀期間は六十有余年に及び、肥前刀の名を世に高らしめた稀代の名工です。
元先の幅差頃好く開いて切先延びごころ。地鉄はこれぞ肥前刀を学ぶ上での教科書と言わんばかりに、小板目よく練れて詰み、地沸ついて細かな地形入って精美であり、所詮小糠幅と呼ばれる由縁をまじまじと感じさせる。刃文は匂口明るく冴え、単調なる直刃に見えるも、匂口は近江大掾忠廣らしく、刃中でぷつりと切れた感の典型的な作域を見せながら、仔細に見ると小乱れを成し、細かな金筋や砂流ごころを呈し、鋩子は実に上品に直ぐに先掃き掛けごころを伴って丸く返り、棟から見る返りの留めも掟通り。
昭和26年4月と、早い次期の大名登録刀であることから、鍋島家由縁の一刀であることは想像に容易く、入念且つ二代忠廣の技量を余すこと無く発揮した名作です。
裸身重量541グラム。
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。