https://nihontou.jp/choice03/tousougu/menuki/list.htm
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あちこちに深い刀傷が残る鐔を手に入れました。
本来ですと丸いはずの鐔なのですが、切込み傷がある部分は凹んで変形しています。
よくよく見ると切込み傷だけではなく、相手の鐔と激しくぶつかった痕跡も見られ、激しい鐔迫り合いが行われた様子が想像されます。
この鐔が製作されたのは江戸中期以降でしょうか。材質は山銅でしょうか。よく見かける図柄で、鋳物師と呼ばれる集団が手掛けたものです。
鋳物の材料としては、鉄の他に山銅、青銅、錫の合金などが使われており、鋳物師と呼ばれた彼らの本業は、鍋や釜、仏具や梵鐘の製作であったと言います。
強度も耐久性も無く、実用には向かないと言われていますが、この鐔を見る限りでは充分に実戦に耐えうることが解ります。但し、材料が鉄の物に関しては、叩いただけ、落としただけで割れた物も経眼しているため、実用に向くのはこうした鉄以外の材料に限るのかもしれません。
因みに刀傷がある刀剣や刀装具はたまに見られますが、実はその殆どが己の武勲を誇示するために後から付けられたまがいものが殆どで、実戦で付いた刀傷とは一見して判別できます。偽物造りに用いられては困りますのでここでその見分け方は割愛させて頂きますが、真剣で打ち合ったことがある方ならお解りでしょう。
耳の部分に見られる切込み傷と、鐔迫の際に相手の鐔で凹んだと思しき凹み傷が多々見られます。
この横向きに入った刀傷が一番深く、戦闘の激しさを物語っています。
時代的に恐らく幕末の騒乱期に付いたものではないでしょうか。
どのような士がどのように戦ったのか、とても興味深い一枚です。
筑州住國光作 平成三十年十一月日
– Chikushu ju Kunimitsu –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1549/00.html
本名小宮早陽光。國治刀匠の三男で國天刀匠の叔父。新作刀展では数々の入賞経験を持つ実力派の刀匠で、福岡県在住大牟田市在住。國光二代。
この刀は元先の幅差頃好く開いて中切先。地鉄は小板目よく練れて詰み地沸付き、刃文は匂口明るく冴えた湾れ調子の互ノ目乱れで、足よく入り、刃縁に細かな砂流見られ、刃中には葉入り、地鉄に沿って渦巻状の肌が見られ、鋩子は横手上で少し湾れ込んで先大丸に返る。特筆すべき疵欠点無く、鑑賞刀としても申し分無い出来口を誇る。
附属の拵は製作されてから居合等に使用された形跡が見られず、非常にコンディションが良く、柄にガタツキ無く、鐔鳴りもありません。金具は縁頭、目貫、鐔、鐺、全てが梅の図で統一されており、鞘は印伝風の刷毛目塗りといった贅沢な変わり塗りが施されています。
短目の武用刀をお探しの方、高齢者や非力な女性や少年用武用刀としても、また、出来良い一刀なので美術鑑賞刀としてもお薦めです。
※居合の稽古で鯉口が緩くなることを考慮し、鯉口はかなりキツく造られています。写真撮影時には無理に押し込んで鞘を傷めぬよう、敢えてはばきを完全に鞘に納めない状態で撮影しております。
裸身重量547グラム。 拵に納めて鞘を払った重量819グラム。
無銘
– Mumei –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1547/00.html
元先の幅差開いて反り程好く、表裏に刀樋を掻き流す。地鉄は小板目杢交じり、少しく肌立ち、刃文は匂口明るく冴え、小足盛んに入って小乱れを成し、小丁字交じり、打除入り、砂流かかり、下の方では匂口が締まる。鋩子は直ぐに掃きかけて先丸く返る。
棟に鍛筋があります。
附属の拵は柄にガタツキは無く、しっかりとしていますが、鐔鳴りが大きいので責金をお勧め致します。鞘を払って構えてみると、手持ちバランスが良く、女性や少年用の武用刀としてもお薦めの一刀です。保存刀剣鑑定も是非御受審下さい。
裸身重量508グラム。 拵に納めて鞘を払った重量709グラム。
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。
播陽國衙壮金重 貞享六年子十二月吉日
– Banyo no Kokuga no Sho Kaneshige –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/nagae/048/00.html
播州金重は、俗名を多田与三左衛門称し、本国は美濃関。播磨国府に住し、江戸、京都にても造りました。活躍したのは寛文頃(1661)から正徳頃(1716)で、業物としても知られる刀工です。 「播陽国衙壮金重」「金重丸」「播陽国衙壮金重於江戸湯島天神龍作」等と銘切ります。
国衙(こくが)とは国府の建物の指し、壮は荘園を意味する。つまりこの槍の銘は、播磨の國の国府がある地域に住む金重という意味である。
この片鎌槍はどこかの大名による発注によるものか、同形が数多く打たれたようで、これまでに同工同形の片鎌槍で、茎に朱漆で「八十六」や「九十」と書かれた物を経眼しています。
尚、貞享は四年で終わっており、貞享六年は、つまり元禄二年となります。これは、現代程通信が発達していない当時、改元された知らせを受けるの時差があったことを物語っており、資料としても非常に興味深く、或いは同形の片鎌槍に貞享年紀が多く見られることから、改元後も敢えて貞享年紀を切った可能性も高く感じられます。
ケラ首は丸形で、元より先に行くに従って先幅が広くなり、穂先の切先並びに鎌部の切先共に剣形で三ツ頭がついた厳つい造り込み。地鉄は小板目で刃縁柾となり、よく練れて詰み、地景入り、刃文は匂口明るい互ノ目乱れで、刃中盛んに砂流かかる迫力があって出来が良い。
近年研磨されたものですが、上手な研磨とは言えず、本槍が持つ魅力を引き出せていません。余力ある方は是非とも然るべき研磨を施し、特別保存刀剣鑑定も受審の上、本槍の出来の良さを御堪能頂きたく思います。
茎長さ約36.4センチ。鎌部分の長さ約5.3センチ。ケラ首根本14.3ミリ。
裸身重量227グラム。
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。