日向住善正作之 昭和五十一年八月吉日

日向住善正作之 昭和五十一年八月吉日
日向住善正作之 昭和五十一年八月吉日
– Hyuga ju Yoshimasa –
 
本名、前田正秀。都城市庄内町住。
 
元幅36.6ミリ、物打の身幅27.8ミリと、重ねも厚いゴリゴリの剛刀。
今回、この刀を武用刀仕様で御紹介しておりますが、疵欠点無く、頗る出来が良い作品で、本来は美術刀剣として鍛えられた高級現代刀です。故に小板目肌良く練れて詰み、地沸付いた精良な地鉄に、小沸本位の明るく冴えた互ノ目乱れには一切の破綻がありません。
 
以前は美術鑑賞用上研磨が施されていましたが、前所有者が試斬稽古に用いていたため、今回新たに居合用の研磨を施して御紹介致します次第です。
試斬稽古に用いていたとのことで、曲がりや金属疲労を気にされる方もおられますでしょうが、前所有者は店主町井勲指導の下で正しく試斬の手解きを受けておられましたので、曲がり、捩れ等の類は一度も生じさせておりませんし、更なる良刀買い替えのための下取り刀ですので、使用歴に関してはどうぞご安心下さい。
 
上述の通り修心館の門弟のために誂えました拵ですので、居合術家町井勲監修の下、微塵の狂いもないしっかりとした拵です。居合形稽古には使用していませんので、鯉口やはばき袋部分も綺麗な状態で、ほぼ新品の拵と変わらぬ状態です。柄は親鮫の腹合着(一枚巻き)にて牛裏革でしっかりとした捻り巻きに仕上げ、使用金具は龍で統一していますので、見栄えも大変良く仕上がっています。
がっしりとした武用拵の新調費用、居合用とは言え研磨代等を考慮すると、表示価格はかなりお買い得であることを御理解頂けるものと思います。
※白鞘に鞘当たりが見受けられますので、保管は拵に刀身を納めたままの方が好ましいでしょう。つなぎは附属しません。
 
裸身重量1,020グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,339グラム。

肥前國忠廣

肥前國忠廣
肥前國忠廣
– Hizennokuni Tadahiro –
 
肥前國忠廣と銘切られた新刀脇指が納められた昭和十二年制定海軍正式軍刀。通称太刀型軍刀。
小板目肌良く練れて詰み、地沸付いた小糠肌風の地鉄に、匂口明るく冴えた直刃を焼いています。忠廣の刃によく見られる刃先に向かってプツリと切れたような太い匂口が部分的に見受けられ、銘は首肯出来ないものの、忠廣風の作風を楽しむことができます。
 
附属の拵は鍍金が薄れ、若干の使用感があものの、総体に保存状態は良く、金具には「1」の刻印が打たれており、製作当時から切羽の一枚に至るまで完全なオリジナル。惜しくも大東亜戦争に敗れてしまった大日本帝国海軍の往時の姿を今に伝える貴重な一刀です。
 
裸身重量508グラム。  拵に納めて鞘を払った重量917グラム。

無銘 ~町井勲監修、黒蝋塗鞘打刀拵新調済み 身幅広い剛刀~

無銘 ~町井勲監修黒蝋塗鞘打刀拵新調済み 身幅広い剛刀~
無銘
– Mumei –
 
奉書紙を割いたかの如き匂口が特徴的な近代刀です。匂口明るく冴え、身幅は広く、重ねもしっかりしており、手にするとずっしりとした重量感があります。造り込みは鎬幅狭めで鎬高く、いかにも斬撃の抜けが良さそうな雰囲気を漂わせています。
 
現状古研ぎで部分的に薄錆が見られますが、特筆すべき疵欠点無く、剛刀と称すべき武用刀、試斬稽古刀をお探しの方にうってつけの一刀です。先重り重心なので、土壇斬りや多本数斬りでは刃味を発揮してくれそうです。
※畳表試斬にお使いの場合は、寝刃合わせされてからお使いになられると尚良いでしょう。
 
附属する黒蝋塗鞘打刀拵は、居合術家として海外にもその名を知られる刀心店主、町井勲監修によるもので、微塵の狂いもないしっかりとした拵を新調しました。拵新調にあたっては、はばきの台尻の角度で使い勝手も変わって来ることから、町井のこだわりで新たに銀牡丹祐乗はばきを新調。切羽は安価な既製品ではなく、職人による手作りの本銀切羽を誂え、柄は親鮫を贅沢に腹合着せ(一枚巻き)にし、牛裏革にてしっかりと巻き上げました。勿論鞘はこの刀に合わせて鞘師が手造りした本拵で、巷に見る模擬刀鞘の使い回しとは異なります。
旧銀はばきはつなぎの方におつけしていますので、刀身を白鞘に納める際には旧銀はばきを装着下さい。
 
身幅広い豪壮なる試斬稽古刀をお探しの方、居合に於いても豪壮なる刀をご使用になられる方に、絶対の自信をもってお薦めいたします一刀です。
研磨ご希望の方、10万円(税別)にて綺麗に致します。お気軽にご用命下さい。
 
裸身重量1,022グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,303グラム。

紀伊國上村康光

紀伊國上村康光
紀伊國上村康光
– Kiinokuni Uemura Yasumitsu –
 
康光は俗名を上村康光と称し、延宝頃に活躍した紀州石堂康綱の門人で、現存する作品は少なく希少です。
 
この刀は反り浅目にして元先の差が開きごころで帽子が延び、地鉄は小板目が柾に流れ、淡く乱れ映りが立ち、匂口明るく冴えた丁子乱れを焼いた作品で、いかにも紀州石堂らしい作風を誇っています。
手持ちバランスも良いこの康光。和歌山出身の方や在住の方、郷土刀の資料として如何でしょうか?
 
裸身重量687グラム。

ダメだ… ~何があった!?~

天才 藤安将平

先ほどまたもや将平刀匠から電話が…

どうしました?

と応答するや、深い溜息と共に

「ダメだ…」

 

!!??

 

先程の作品に刃切などの致命的な欠点でも出たのか!?

束の間の喜びだったのか!?

落胆しそうになった私に将平刀匠がこう続ける…

 

「ダメだ… これはどっからどう見ても現代刀には見えないよ…」

 

嬉しさと驚きによる溜息だった。

 

「あぁ、早く町井さんに見せたい。」

「僕も早く手にとって見たい!」

 

そんなやり取りで10分程会話。

前回、「これまでの最高傑作!」と言っておられた作品をまたもや越えた将平刀匠。

今後の作品が益々楽しみです。

天才

藤安将平刀匠と平成の侍町井勲

写真:天才藤安将平刀匠と私。手にするのは愛刀“BB弾斬将平”

 

 

天才

この言葉は藤安将平刀匠のためにあるのではないか?

そう思うことが多々あります。

皆様も周知の通り、私は藤安将平刀匠の作品とその人柄に惚れ、時には借金を重ねてまで将平師の作刀を応援し続けています。

その甲斐があり、将平師の作品は古刀に紛う域に達したと言っても過言ではないでしょう。

私が古い刀や将平師の作品を売って資金を作り、将平師には思いのままに作刀をして頂いています。

いつか将平師の作品を展示する将平刀剣美術館を作りたい。その思いも日々増しています。

今日はつい先ほど将平師から

「とんでもないものが出来てしまった!」

との朗報がありました。

過去最高の地鉄、焼刃とのこと。

「今夜徹夜で仕上げるから! 町井さんに早く見せたい!」

受話器の向こうから聞こえる将平師の明るい声。私も早く実物を拝見したくてうずうずしています。

町井家の重宝として発注した小烏丸写しも、今回と同じ手法で鍛えて下さるとのこと。立派な太刀拵を誂え、子々孫々伝えて行きたい。

宗近写し…

五条兼永写し…

熱田神宮蔵の大兼房写し…

続々と名刀の写しが出来上がりつつあります。

いつか皆様とこれらの作品を将平刀剣美術館で眺めたいものです。

 

今後も将平師の作刀を応援すべく、順次将平刀を御紹介してまいります。乞うご期待。

愛刀 BB弾斬将平

 

愛刀 BB弾斬将平

 

愛刀 BB弾斬将平

写真は私の武用愛刀、“BB弾斬将平”

菊紋(伝國清)

菊紋(伝國清)
菊紋(伝國清)

– Kikumon(Den Kunikiyo) –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/611/00.html

 

初代山城守國清は松平忠昌公の抱え工で名を吉右衛門と言い、三代島田助宗の子として信州松本で生まれました。 初銘は助宗。後に上洛して堀川國広門下に入り、銘を國清へと改めています。
師である國廣没後は越後高田の松平忠昌に仕え、更に忠昌が越前福井に転封の際には、主君に従って同地に移ったと伝えられています。寛永四年山城大掾を受領。菊紋を切ることを許され、翌年に山城守へと転じ、慶安二年に六十歳で没しています。
國清銘は数代の継承が見られますが、中でも初代が上手で位高く、二代國清は初代の子で、作刀は初代同様に直刃の作が多く、肥前刀さながらの作風を示したものがあります。また、一般的に初代作には「一」の字を使用しているものはなく、二代以降の作に「一」の字を切っていますが、初・二代を明確に区分する事は現時点では難しく、今後の研究課題となっています。

この刀は悪意ある者の手によって銘を消され、中心尻の形状を変え、花弁中央に鏨を切られ、中心指表に井上真改の銘を切られた形跡が見られます。現在はその悪意ある銘の改竄を正し、菊紋のみを残して無銘にしてありますが、元々在銘であった真面目な作が偽物作りの材料にされてしまったことは、一愛刀家として非常に悲しいことと考えています。
ただ、偽物作りの材料となっただけあって、地刃の出来は冴えていますので、心あるお客様の元で愛でて頂きたく存じます。
江戸期に上士の間で流行した短寸の刃長、赤銅着せのはばきが装着されていることから、位の高い士による注文打ちの一刀であったことが窺がい知れます。
現状でも御観賞には充分耐えうる研磨状態ではございますが、お安く御案内致しますので、是非とも再研磨の上愛でてあげて下さい。
※はばきの赤銅色揚げ及び研磨のご依頼はお気軽に御相談下さい。

裸身重量679グラム。

加州藤原景平(初代兼若の長男にして事実上の二代兼若と言われる加賀前田家お抱えの名工)

加州藤原景平(初代兼若長男、事実上の二代兼若)

加州藤原景平
– Kashu Fujiwara Kagehira –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/365/00.html

越中守高平(初代兼若)の長男。父高平の作刀を助けて時に代作も務めました。加賀前田家に仕え、同国で最もよく知られた兼若一門の刀工です。
俗名を辻村四郎右衛門と称し、辻村家の家督を継ぐも、父である初代兼若が高平へと改銘するに伴い、自身も景平と名乗り、兼若とは名乗っていないものの、事実上の二代兼若に当ります。
尚、兼若銘は弟である又助が襲名し、上述の通り、景平は辻村家の家督を継ぐも、兼若家の由緒書によれば彼には子がなかったため、又助兼若が養子となり、辻村家の家督を継いだと記されています。その後兼若の名跡は代を重ねて繁栄しました。

この脇指は加賀前田家中による依頼で鍛えられたものと推測され、武家における大小の小として頃合の寸法。元先の身幅の落ち具合や程好い反り、帽子やや延びごころの体配は、流石は加賀正宗と称された兼若家の手に成る脇指であると感服させられます。
地鉄は小板目で、所々に大肌や粕立つところが見られるも、総体に言えばよく詰んて潤いを感じさせるもので、淡く映りも立ち、刃文は匂口柔らかい感じの匂勝ちなる湾れ調互ノ目乱れ。匂口明るく、刃中にも細かな働きが随所に見られます。

兼若(景平含)の作に関し、前田家中の間では「見るには沸出来。使うには匂出来。」との言葉が残っており、兼若家の作品は沸出来よりも匂出来の方が利刀としては優れていた節が窺え、本脇指はその後者である匂出来の作品。観賞よりも実用を重視した士からの需めに応じて鍛えられた作品やも。と考えると、歴史浪漫も広がります。
※はばき上棟に鍛え筋。切先々端と刃区に小錆があります。

初代の代作をも務めた事実上の二代兼若!! 利刀としてもその名を轟かせ、良業物の作者としても有名! 是非この機会に御入手下さい。

裸身重量399グラム。

家平

家平

家平
– Iehira –
 
太鏨による銘切りから、陀羅尼刃の二代家平、吉兵衛の作と推測致します。吉兵衛は石川郡に住し、正徳中に國平と改銘します。享保十七年没。
 
この脇指はフクラやや枯れ気味の鋭い体配で、板目肌杢交じりのよく練れた地鉄が肌立ち、地景が随所に見られ、刃文は明るく冴えた互ノ目丁子の小乱れを巧みに焼き上げ、足よく入り、砂流見られ、刃縁の杢目に沸が絡んで月の輪風の刃を見せるなど、総体的に江戸期の作品と言うよりは、室町期の古作に見紛うような出来口で、観賞していて飽きが来ない逸品です。
 
裸身重量251グラム。

無銘

無銘

無銘
– Mumei –
 
製作年代を広く室町と表記しましたが、樋先が小鎬際にある点や柔らかそうな匂口などから、然るべき研磨を施して仔細に鑑れば、もう少し時代が遡るかもしれません。
附属の仕込杖拵は後世に合わされたもので、その際にはばきの台尻も短く詰められ、白鞘に納めますと少し隙間が空きます。
研磨後が期待できそうな脇指ですので、ぞんざいに扱わず、当店にて研磨をかけてくださり保存刀剣審査をご受審くださる方にのみ、お求め易い安価にて御紹介致します。
 
裸身重量330グラム。  拵に納め鞘を払った重量404グラム。