鐔3点追加しました。

こんにちは(*´∀`*)
昨日鐔3点追加しております!
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刀 備前住人祐忠作 平成五年十二月日 雷光丸山田光所持刀 ~二尺五寸九分八厘~

備前住人祐忠作 平成五年十二月日 雷光丸山田光所持刀

備前住人祐忠作 平成五年十二月日 雷光丸山田光所持刀
– Bizen junin Suketada –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1570/00.html

元先の幅差開いて切先延び、身幅広く豪壮な体配。地鉄は無地。刃文は匂口明るく冴えた湾れに互ノ目を交え、鋩子は表裏共に直ぐに焼きたっぷりと小丸に返る。

附属の拵は柄にガタツキ無く、柄の脱着に手間をとられる程しっかりとしている。縁頭は竹図。柄巻は黒牛表革巻き。鐔は耳の部分に数多の切込み傷が残っており、幕末の騒乱期に実際に使用された様子が窺える、歴史浪漫溢れる作品が添えられています。
鞘を払って構えてみると、手元重心でバランスが良く、実際の重さよりも軽く感じられます。

裸身重量974グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,349グラム。

鳳凰図目貫

鳳凰図目貫

https://nihontou.jp/choice03/tousougu/menuki/186/00.htm

太刀 國綱 マサヒラ作(鬼丸國綱写) ~古刀再現の名手将平による天下五剣『鬼丸國綱』写し太刀のご紹介です!仕上げ研磨前だからこそのこの価格!お早めにお求め下さい!~

國綱 マサヒラ作(鬼丸國綱写)
– Kunitsuna Masahira –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tachi/104/00.html

鬼丸國綱
鎌倉時代初期、山城国の京粟田口派の刀工で、粟田口六兄弟の末弟である国綱の作。国綱は後鳥羽天皇の御番鍛冶であり、腕の良さから鎌倉にも招かれて鍛刀していたとされている。
「鬼丸」という号の由来は『太平記』に記載がある。それによると、北条時頼(または北条時政)が毎夜、夢の中に現れる小鬼にうなされていた。
そんなある夜、夢の中に老翁が現れ、「自分は粟田口国綱の太刀の化身である。ところが汚れた人の手に握られたために錆びてしまい鞘から抜け出せない。早く妖怪を退治したければ清浄な者によって早く自分の錆を拭い去ってくれ」と言って消え去った。
早速、時頼は本刀を手入れし、抜き身のまま寝床の側に立てかけておいたところ、本刀が倒れかかり、火鉢の台に施された細工の首を切り落としたという。よく見ると、その火鉢の足は銀で作られた鬼の形をしており、それ以来、時頼の夢に小鬼は現れなくなり、次第に体調を回復させた。この事件により、この太刀を「鬼丸」と命名したといわれている。

本太刀の作者
藤安将平刀匠は昭和二十一年福島県伊達郡生まれ。昭和41年長野県坂城町の刀匠、故人間国宝、宮入行平師に入門。
昭和50年福島県立子山に鍛刀場を開設して独立。以後作刀の研究修練を重ね日本美術刀剣保存協会優秀賞3回、奨励賞6回、努力賞7回を受賞。平成2年には日本美術刀剣保存協会会長賞受賞。同14年日本美術刀剣保存協会寒山賞を受賞。

尾張熱田神宮、奈良護国神社など多くの神社で奉納鍛錬を行い、平成20年には、704年、佐備大麻呂の作剣以来、およそ千三百年ぶりに常陸鹿島神宮において日本刀奉納鍛錬を行う。

昭和59年秋には伊勢神宮第61回式年遷宮、御神宝太刀謹作奉仕の大役も担い、 先の震災で大きな被害を受けた福島県南相馬の御刀神社復興支援にも大きく尽力され、御神宝となる直刀を謹作奉仕し、直近では福岡の宮地嶽古墳出土大直刀の復元鍛錬など、現代日本刀匠屈指の作刀技術を持っている。

平安、鎌倉時代の古刀剣再現への強い想いを持ち、長年研究修練に取り組み、国宝、重要文化財やそれに類する刀剣類、全国の砂鉄や鉄文化の知識見識も豊富で、太刀、刀、短刀、脇指、薙刀、古代直刀など、どれを手掛けても正確で美しい刀姿を造り上げる。
地鉄、焼刃の手際も鮮やかで幅広い製作能力を誇り、中心鑢や銘文といった中心仕立ても現代刀匠随一で、師である行平没後、師の実子である宮入小左衛門行平(宮入恵)を預かり、弟子として鍛刀修業を積ませた経緯からも、師の信任が厚く、その技量の高さを物語っている。

近年は奈良正倉院収蔵の直刀、手鉾のなど奈良時代の刀剣類の研究、復元製作にも取り組まれ、上記の御刀神社奉納直刀の焼刃などは神域に入られたと言っても過言ではない。

刀心店主、町井勲(修心流居合術兵法創流者、居合に関するギネス記録を6つ保持している)が最も信頼を寄せる現代屈指の刀匠としても知られ、将平刀はテレビ番組内で町井の手によって、鉄パイプ、鉄板切断など日本刀の本分である利刀(折れず曲がらずよく切れるの三事)としての能力も非常に高いことが証明されている。
また将平刀匠は弓、弓道にも深い造詣を持たれており、京都の御弓師柴田勘十郎氏とも長年に亘る親交があって、地元福島では弓術の指導にもあたっている。
人格そして技量に於いても、人間国宝や無鑑査に認定されるべき人物だが、表の世界に出るのを拒み、今尚福島県立子山で黙々と作刀研究に勤しむ生粋の職人肌刀匠である。更なる詳細はこちらをご覧下さい。

この太刀は上述の通り天下五剣として名高い『鬼丸國綱』の写し。反り高く、庵棟で、鎌倉時代初期の優雅な姿が見事に再現されています。
元々は店主町井勲の需めに応じて打たれた一刀であり、令和2年の作品ではありますが、つい今しがた途中迄のの工作を終えたばかりです。白鞘とはばきは日本でも一二を競う名人が手掛け、研磨も日本美術刀剣保存協会主催のコンクールに於いて特賞を受賞した上手が手掛けています。

古刀再現に挑戦し続ける将平刀匠は、近頃悟りの境地に立たれたと表現しても過言ではなく、手がける作品全ての出来に毎回驚かされます。研磨仕上げ前の今だからこその価格です。家宝として申し分ない力作を是非この機会にお求め下さい。

裸身重量786グラム。

各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

刀 無名(伝志津) ~刀剣趣味人垂涎の名刀『志津』!美術観賞用上研磨を施してお納め致します! 重要刀剣審査を是非御受審下さい!~

無銘(伝志津)
– Mumei(Den Shizu) –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1569/00.html

志津三郎兼氏は、正宗十哲の一人として美濃伝の発展に大きく寄与した大和国手掻派出身の刀工で、当初は包氏と名乗っていましたが、正宗に学び相州伝を修得し、美濃国志津(現在の岐阜県海津市)に移住して志津三郎兼氏に改名しました。
兼氏の死後、その弟子達が志津系を継承し、隣接する直江村に移住。一派の名称は直江志津と呼称され、大和伝と相州伝を加味した美濃伝を完成させました。

この刀は大きく磨り上げられて銘を失うも、すらりとした姿が印象的で、元は刀樋に添樋が掻かれていたことが茎に残る添樋の名残から見て取れます。
南北朝時代と言えば身幅広く豪壮な作品が多いイメージが強いですが、実は刀身が長大化したのは南北朝中期の約20年間のみであり、本刀はその姿等から鑑ても、鎌倉末期から南北朝初期の作であることが覗われます。
地鉄は板目に杢が交じり、肌が流れた箇所も見られ、地景が入り、刃文は小湾れに互ノ目や丁字、尖刃を交え、刃縁には砂流や湯走が看取され、鋩子は表裏共に湾れ込み、先よく掃き掛けて丸く返っています。

登録年月日からも察せられるように、本刀はこれまで長く眠っていた初出しの名刀です。現状では研ぎが悪く、本刀が持つ魅力と、冴えた地刃の出来が引き出されておりませんので、美術鑑賞用上研磨を施してお納め致します。
写真では下半の焼刃が眠いように見えますが、研ぎを変えることでガラリと雰囲気が変わりますから、そう言った研ぎによる変身振りも是非ご堪能頂きたく思います。
※委託品

裸身重量464グラム。

各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

小柄1点追加しました。

こんばんは(*´∀`*) ここ2,3日なんだか寒い日が続いてますね(‘_’) バイクに乗るので早く暖かくなってほしいなぁ(笑

さて、本日も太刀1点と小柄1点UPしておりますので是非ご覧ください!

太刀 國綱 マサヒラ作(鬼丸國綱写) ~古刀再現の名手将平による天下五剣『鬼丸國綱』写し太刀のご紹介です! 仕上げ研磨前だからこそのこの価格!お早めにお求め下さい!~

國綱 マサヒラ作(鬼丸國綱写)
– Kunitsuna Masahira –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tachi/103/00.html

鬼丸國綱
鎌倉時代初期、山城国の京粟田口派の刀工で、粟田口六兄弟の末弟である国綱の作。国綱は後鳥羽天皇の御番鍛冶であり、腕の良さから鎌倉にも招かれて鍛刀していたとされている。
「鬼丸」という号の由来は『太平記』に記載がある。それによると、北条時頼(または北条時政)が毎夜、夢の中に現れる小鬼にうなされていた。
そんなある夜、夢の中に老翁が現れ、「自分は粟田口国綱の太刀の化身である。ところが汚れた人の手に握られたために錆びてしまい鞘から抜け出せない。早く妖怪を退治したければ清浄な者によって早く自分の錆を拭い去ってくれ」と言って消え去った。
早速、時頼は本刀を手入れし、抜き身のまま寝床の側に立てかけておいたところ、本刀が倒れかかり、火鉢の台に施された細工の首を切り落としたという。よく見ると、その火鉢の足は銀で作られた鬼の形をしており、それ以来、時頼の夢に小鬼は現れなくなり、次第に体調を回復させた。この事件により、この太刀を「鬼丸」と命名したといわれている。

本太刀の作者
藤安将平刀匠は昭和二十一年福島県伊達郡生まれ。昭和41年長野県坂城町の刀匠、故人間国宝、宮入行平師に入門。
昭和50年福島県立子山に鍛刀場を開設して独立。以後作刀の研究修練を重ね日本美術刀剣保存協会優秀賞3回、奨励賞6回、努力賞7回を受賞。平成2年には日本美術刀剣保存協会会長賞受賞。同14年日本美術刀剣保存協会寒山賞を受賞。

尾張熱田神宮、奈良護国神社など多くの神社で奉納鍛錬を行い、平成20年には、704年、佐備大麻呂の作剣以来、およそ千三百年ぶりに常陸鹿島神宮において日本刀奉納鍛錬を行う。

昭和59年秋には伊勢神宮第61回式年遷宮、御神宝太刀謹作奉仕の大役も担い、 先の震災で大きな被害を受けた福島県南相馬の御刀神社復興支援にも大きく尽力され、御神宝となる直刀を謹作奉仕し、直近では福岡の宮地嶽古墳出土大直刀の復元鍛錬など、現代日本刀匠屈指の作刀技術を持っている。

平安、鎌倉時代の古刀剣再現への強い想いを持ち、長年研究修練に取り組み、国宝、重要文化財やそれに類する刀剣類、全国の砂鉄や鉄文化の知識見識も豊富で、太刀、刀、短刀、脇指、薙刀、古代直刀など、どれを手掛けても正確で美しい刀姿を造り上げる。
地鉄、焼刃の手際も鮮やかで幅広い製作能力を誇り、中心鑢や銘文といった中心仕立ても現代刀匠随一で、師である行平没後、師の実子である宮入小左衛門行平(宮入恵)を預かり、弟子として鍛刀修業を積ませた経緯からも、師の信任が厚く、その技量の高さを物語っている。

近年は奈良正倉院収蔵の直刀、手鉾のなど奈良時代の刀剣類の研究、復元製作にも取り組まれ、上記の御刀神社奉納直刀の焼刃などは神域に入られたと言っても過言ではない。

刀心店主、町井勲(修心流居合術兵法創流者、居合に関するギネス記録を6つ保持している)が最も信頼を寄せる現代屈指の刀匠としても知られ、将平刀はテレビ番組内で町井の手によって、鉄パイプ、鉄板切断など日本刀の本分である利刀(折れず曲がらずよく切れるの三事)としての能力も非常に高いことが証明されている。
また将平刀匠は弓、弓道にも深い造詣を持たれており、京都の御弓師柴田勘十郎氏とも長年に亘る親交があって、地元福島では弓術の指導にもあたっている。
人格そして技量に於いても、人間国宝や無鑑査に認定されるべき人物だが、表の世界に出るのを拒み、今尚福島県立子山で黙々と作刀研究に勤しむ生粋の職人肌刀匠である。更なる詳細はこちらをご覧下さい。

この太刀は上述の通り天下五剣として名高い『鬼丸國綱』の写し。反り高く、庵棟で、鎌倉時代初期の優雅な姿が見事に再現されています。
元々は店主町井勲の需めに応じて打たれた一刀であり、令和2年の作品ではありますが、つい今しがた途中迄のの工作を終えたばかりです。白鞘とはばきは日本でも一二を競う名人が手掛け、研磨も日本美術刀剣保存協会主催のコンクールに於いて特賞を受賞した上手が手掛けています。

古刀再現に挑戦し続ける将平刀匠は、近頃悟りの境地に立たれたと表現しても過言ではなく、手がける作品全ての出来に毎回驚かされます。研磨仕上げ前の今だからこその価格です。家宝として申し分ない力作を是非この機会にお求め下さい。
※仕上研磨は260,000円(税込)にて御奉仕させて頂きます

裸身重量740グラム。

各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。