無銘 ~石堂系の丁子乱れ見事な一刀~

無銘 ~石堂系丁子乱れ華やかな一刀~
無銘
– Mumei –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/692/00.html
現状ではわけのわからない変な研ぎがかけられ、その上耐水ペーパーで擦ったようなヒケが無数にあり、みすぼらしい姿になっていますが、特筆すべき疵欠点無く、焼頭が鎬にかかるほど高い、明るく冴えた丁子乱れが判然と見え、研ぎ上がりが非常に期待できる一刀です。石堂系鍛冶で保存刀剣鑑定書が交付されることでしょう。
手持ちバランスもこの上なく、片手で扱い易く、居合や抜刀に適していますが、出来が良く、古い拵が附属しているだけに、しかるべき研磨を施し鑑定書をつけて後世に遺して頂きたい逸品です。
研磨諸工作の御相談はお気軽にどうぞ。

裸身重量649グラム。  拵に納めて鞘を払った重量928グラム。

肥前國住忠吉 ~居合・抜刀の稽古に最適。勿論観賞用としてもお薦め~

肥前國住忠吉 ~居合・抜刀の稽古に最適。勿論観賞用としてもお薦め~
肥前國住忠吉
– Hizennokuni ju Tadayoshi –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/691/00.html

忠吉と大銘が切られた一刀。勿論銘は首肯できるものではありませんが、華やかに乱れた丁子刃が見事で、研ぎあがりが機体できる作品です。
現状では全体を耐水ペーパーで擦った状態であるため、地鉄は確認できませんが、明るく冴えた乱れ刃はしっかりと確認できます。
当面現状のまま居合や抜刀のお稽古にお使いになり、資金が出来たところで研磨を施して御所時頂くのがお薦めです。勿論ご購入当初から再研磨を施して美術鑑賞刀として御所時頂くことも大歓迎です。手持ちバランスも良い刀で柄巻きは裏革で手持ちも良いです。
研磨諸工作の御相談はお気軽にどうぞ。

裸身重量738グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,043グラム。

盛高 ~九州を代表する刀工~

盛高 ~九州を代表する刀工~
盛高
– Moritaka –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/382/00.html

初代盛高が鎌倉時代の永仁の頃、筑前國太宰府、宝満山の僧門で修験道者の刀を鍛えたことが、金剛兵衛盛高一派の始まりです。その後、江戸時代の寛永年間に肥後國の大名、細川三斎公に従い、熊本に移住し現在の八代市の妙見宮の修験道者の刀鍛冶として幕末まで続きました。
中心尻が卒塔婆形と呼ばれる形状となり、出来は直刃の物が多く、良く錬られた地鉄が肌立つことが特徴です。

この脇指は緻密に練られた杢目が肌立ち美しく、明るく冴えた直刃を焼き、二重刃や足も見られ、戦が多かった当時の作としては、出来が良く、、まさに実用兼美の一刀です。
長らくまともに手入もされていなかったようで、地刃はご観賞頂けるものの、現状は少々みすぼらしい姿になっております。心在るお客様、お安く御提供させて頂きますので、どうか本脇指を当店にて再研磨頂き、本来あるべき美しい姿でお膝元に置いて愛でて下さい。

裸身重量421グラム。  拵に納めて鞘を払った重量593グラム。

浅井安綱 ~直刃の中に互ノ目を焼いた珍しい作品~

浅井安綱 ~直刃の中に互ノ目を焼いた珍しい作品~
浅井安綱
– Asai Yasutsuna –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/381/00.html

本名浅井保。刀銘は「一刀斎」「安綱」

いよいよ敗戦色が濃くなった当時の日本。物資の不足が軍刀にも大きく影響し、九八式軍刀の末期型にもなると、鐔の桜花が判然としない物が現れます。
この刀もそんな時代に鍛えられた一刀で、鐔の桜花が判然としていません。急な派兵でよほど納期がなかったのか、刀にはばきを合わせるのではなく、はばきに合わせて中心や刀身が削られ、無理矢理に加工されています。それ程までに切羽詰る状況だったのでしょう。

刀身の出来は非常に面白く、直刃の中に互ノ目を焼き込んでいます。互ノ目は水面に水滴が落ちたような情景を示し、焼頭は丸く、また、足によって二つに割れたような様を見せています。

尚、この刀は当店にて美術観賞用上研磨を施しました。研ぎあがったばかりの地刃の冴えと、前述の直刃の中に現れた互ノ目乱れの妙を存分にお楽しみ下さい。※鞘は鉄鞘です。指裏中程の鎬際に二箇所、斜めに鍛え筋がありますが、観賞の妨げにはなりません。

裸身重量617グラム。  拵に納めて鞘を払った重量976グラム。

直刃の中の互ノ目
この刃文が面白い!!

國光 ~保存刀剣鑑定書付き~

國光 ~保存刀剣鑑定書付き~
國光
– Kunimitsu –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/157/00.html

杢目肌柾流れた地鉄には、皆焼刃の如き沸映りが判然と立っています。指表に疵気があるものの、刃中には荒沸が付き、匂口深い箇所や金筋、砂流、二重刃のような直刃など、複雑な変化に富んだ出来口を示す短刀です。
國は不明ですが室町後期の正真作として、日本美術刀剣保存協会から保存刀剣鑑定書が交付されています。
振袖中心のような中心の反りは、鎌倉期の短刀を思わせ、古雅な雰囲気を漂わせています。

いつ適正価格に改定するかわからない、店主 町井勲の気まぐれ特価にてご紹介致します。保存刀剣鑑定書付き在銘古刀の短刀が、消費税を含めましても10万円を切る超破格値での御案内です!!
早い者勝ちですのでお申し込みはお早めにどうぞ!!

裸身重量146グラム。。

肥州河内守藤原正廣 ~特別保存刀剣鑑定書付き 内外共に価値在る一刀!~

肥州河内守藤原正廣
肥州河内守藤原正廣
– Hishu Kawachinokami Fujiwara Masahiro –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/380/00.html

二代正廣は初代正廣の子で、寛永四年に生まれ、初め佐伝次と称し、初銘を正永と切りました。
万治三年に武蔵大掾を受領し、翌寛文元年には武蔵守に転任。寛文五年二月五日、三十九歳の時に父、河内大掾正廣が歿すると、同年四月十三日には河内守に転じています。
正廣銘を襲名した時期については、口宣案に「武蔵守藤原正廣、冝任河内守」とあることから、おそらく初代正廣歿後すぐのことであろうと考えられ、元禄十二年、七十三歳で歿しています。
二代正廣の作柄は、直刃・乱れ刃ともにあって、父である初代正廣さながらですが、特に乱れ刃を得意とするも、直刃を焼かせても上手であり、初代正廣よりも直刃の作品が多く見られます。

この脇指は身幅が広く、重ねも厚目の堂々とした体配で、小板目肌が詰み、地沸が細かによくついた小糠鍛えに中直刃を焼き、匂が深く、沸がよくつき、砂流しかかり、金筋が入るなど、肥前刀の特色がよく表れた一口で、就中(なかんずく)直刃を得意とした本家の作を見るようであり、地刃共に健全で出来に優れ、附属の拵も保存状態が良く、緻密な彫金技術が駆使された仕事が良い金具が用いられ、拵だけでも一人歩きができる逸品。
特筆すべき疵欠点無く、地刃共に観賞になんら問題はございませんが、経年による拭いヒケが見られますので、余力ある方は化粧直し、或いは再度上研磨を施し、最高の状態で本刀の魅力を存分にご堪能頂きたく思います。更には拵にも保存刀装鑑定書をおつけ頂きまして、内外共に出世させ、後世に遺し伝えて頂けますとこの上ない幸いに存じます。

裸身重量640グラム。  拵に納めて鞘を払った重量887グラム。

肥前國住近江大掾藤原忠廣 ~保存状態抜群の海軍長剣拵付き~

肥前國住近江大掾藤原忠廣 ~保存状態抜群の海軍長剣拵付き~肥前國住近江大掾藤原忠廣
– Hizennokuni ju Omidaijo Fujiwara Tadahiro –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/689/00.html

小板目肌が良く練れて詰み、刃縁に添って淡く映り立つ地鉄に直刃調の刃を焼き、湾れ交え、足・葉入る。
附属の海軍長剣拵は保存状態抜群で未使用に近く、鞘は藍鮫巻きの研ぎ出しで、金具は今尚山吹色に輝いており、大日本帝国海軍の威光を今に伝える旧軍資料として非常に価値が高い逸品です。
※うぶ買い付け刀につき未鑑定。

裸身重量831グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,336グラム。

京都建勲神社船岡大祭

10月19日、京都にある建勲神社船岡大祭にて、古式砲術演武を奉納させていただき、長男友哉も初陣を飾らせて頂きました。
でも、初陣と言って良いのかどうかわかりません。
何故なら長男は4歳頃に既に鉄砲隊の愛知県遠征で既に参陣しているからです。
長男初陣
こんなに小さかった長男が…

長男と
今ではこんな体格に(写真左が長男友哉)

この日初めて火縄銃を撃つ長男。弾込めに手こずるため、初回の演武では三段撃ちには参加せず、二回目の演武でようやく三段撃ちに参加できました。
不発を出す事無く全弾撃てたので何より何より。


船岡大祭開催の儀。床机はバッテン向きではなく、正しく正面に向けて座す。


鉄砲足軽が一人もいない侍大将クラスばかりの鉄砲隊(笑


火縄に火をつけてもらう。古式にのっとり火打石を用いて… ではなく、文明の利器、100円ライターが活躍する。


演武の解説にも文明の利器、マイクが活躍する。相馬野馬追のように士言葉の大きな声で解説したいところだ。


この日一発目の発射準備。


火蓋を切る。


私も息子も鎧通しを帯びていない。何故なら… 所望されるお客様にお譲りしてしまったからだ(苦笑


火がついた火縄をてにする長男の姿は、何故か煙草をふかしているヤンキーにしか見えない… と思うのは私だけだろうか(笑


礼は腰を曲げるのではない。軸を保ったまま頭が下がるように身体を捌くものだ。


記録係として同行した美術刀剣 刀心スタッフS君。


長男… 一応立派な若武者だ(笑


銃床に革覆を装着していない者は、火縄銃と言えども銃床を地につけない。これ、当たり前のことです。戦国時代の戦場でならいざ知らず、今の時代に杖太刀ならぬ杖銃?…ありえない(ガリレオ湯川教授


初陣?を記念して長男による単独演武。

鶴田吉國造 明治元辰十二月日 ~上研磨し上がったばかり~

鶴田吉國造 明治元辰十二月日 ~上研磨し上がったばかり~
鶴田吉國造 明治元辰十二月日
– Tsuruta Yoshikuni –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/688/00.html

鶴田吉國に関する手元資料乏しいため、作柄についてのみ記述致します。
この刀は元は二尺三寸五分から四寸程の長さで中心尻に控え目釘を穿っていたようですが、鍛えられてから割りと早い時代に区送りされ、現状の刃長になっています。その際控え目釘も新たに穿かれたようで、旧所有者の武に対する思い入れが感じられます。
無地肌になりがちな新々刀期の作品が多い中、小板目肌が肌立ち、淡く白気映りごころが立つなど、古雅な雰囲気を漂わせ、匂口明るく冴えた互ノ目乱れを焼き上げています。刃中には砂流や足が見られ、互ノ目の頭が割れた物、尖りごころの刃も交えています。

附属の拵は堅牢なる焦茶色の石目塗りで、縁頭と鐺は桜花図肥後象嵌の逸品。更には鐔まで肥後に拘った纏まりある肥後拵で気品に満ちた作となっています。柄巻きは裏革巻です。
※刃区から2~3ミリ上がったところに2ミリ程度の小さな刃切が見られます。はばきで隠れる場所であることと、少し区を送れば除去できることから、刃切問題無しとの日本美術刀剣保存協会の判断により、保存刀剣鑑定書が交付されました。(保存刀剣審査当店受審)

尚、この刀は当店にて上研磨を施しました。研磨代だけでも相当な金額がかかっておりますので、それらを考えると表記価格はかなりお安くお得です。どうぞ前向きにご検討下さい。

裸身重量797グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,097グラム。

備前長船住横山祐包 慶應元年八月日 友成五十八代(以下切) ~拵入り~

備前長船住横山祐包 慶應元年八月日 友成五十八代(以下切) ~拵入り~

– Bizen Osafune ju Yokoyama Sukekane –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/687/00.html

友成五十八代孫と銘する横山祐包は、祐盛の養子で、加賀介祐永と共に新々刀期の備前刀を代表する刀工として著名。作風は小板目肌よく詰んだ鍛えに、刃文は匂出来で匂口の締まった華やかな丁子乱れを得意としていますが、穏やかな直刃の作も見受けられ、年紀を切った作品は天保六年頃から明治五年まで経眼されます。

この刀は重ね厚く、小板目よく詰んだ肌に匂い本位の明るく冴えた直刃を焼き、鼠足を交えています。銘の上を軽く擦られており、若干底銘気味ですが、特筆すべき鍛錬疵は無く、価格的にもお楽しみ頂ける一刀です。はばきが長いので、実質二尺四寸の刀としてお使い頂けます。
尚、気まぐれで安価表示しておりますので、気分次第で現在の表記価格より値上げする可能性がございます。お求め易い低価格表示のうちにお求め下さい。

裸身重量864グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,119グラム。