HIH国際塾よりご依頼頂き、7月に行いました公開演武と講義の様子を御紹介します。
この動画を見れば、日本刀のことや士(さむらい)のことがよくおわかりいただけるかと思います。
56分程の動画になりますが、どうぞ始めから最後まで御覧ください。
特に『士』と『侍』の違いや、当時の武士がどのようにして戦っていたのか等、今広く誤認されている常識が覆るかと思います。
下記画像をクリックすると動画をご覧になれます。
TEL.072-759-6529
〒666-0004 兵庫県川西市荻原三丁目一番十六号
皆様、新年明けましておめでとうございます。
さて、本日放送を御覧下さった皆様、貴重なお時間を番組視聴に充てて頂きまして心より感謝申し上げます。
明鏡止水という番組は、武術が大好きな制作スタッフにより、ヤラセ無しの本気の収録が行われている番組です。
今回は弓馬の道と居合がテーマで、色々と番組の企画も盛りだくさんだったのですが、なにぶん武術好きが集まって制作している都合上、話に華が咲き、とめどなく収録時間が押します。
当初は使える刀と使えない刀の選別法に関しても、MCやゲストの皆さんが、実際に並べられた真剣を手にしながら選んでもらう内容だったのですが、上述の通り収録時間が押しまくり、また、私と柳原が最終の新幹線でどうしてもその日に帰宅しなければいけなかったのと、居合の収録が当日一番最後だったせいもあって、かなり端折って集約しての撮影となってしまったことが悔やまれますが、また出演の機会を与えて頂けるようでしたら、その時に改めて居合道と居合術の違い、刀とはどのように使うのが本来の姿なのか等、ご説明させていただければと考えております。
今回の収録では時間の都合上、撮り直しは一切無く、そのため徳山先生による鉄板の射抜きに関しても、本番独特の雰囲気の中、緊張からでしょうか、御本人にとっても不本意な物になってしまわれましたが、事前に行われたリハーサルでは見事にど真ん中を射抜かれ、射抜いた鉄板の枚数も本番より多く、現場に居合わせた者皆が「おーっ」と感嘆の声を漏らしたほどです。
一方、私の方もリハーサルでは気持ち良く1本の畳表仮標を四太刀据斬りして見せたのに、いざ本番では失敗してしまい、更に魔裟斗さんとの対座では、御覧頂いた通り、見事に刀(木刀)を奪い取られてしまいました。
常日頃実戦を謳っている身ですから、本当にお恥ずかしい醜態を皆様にお披露目してしまったわけですが、魔裟斗さんに一瞬視線を逸らされた時に、思わず「何?」と気が緩んだ瞬間の出来事、また、魔裟斗さんがこれまで試合で培ってこられた速さも見事なもので、油断してしまった私の完敗でした。
実はあの形、対座する者は右手で刀を奪い取りに来ると言う想定ですから、これまで左手で攻められた場合の稽古をしたことがありませんでした。故にいつもなら容易く対応して外すことができたものが、勝手の違いから対応が遅れ気味になってしまった次第です。
こうして言葉を綴っていると、単なる言い訳にしか聴こえないかもしれませんが、恥ずかしいとか悔しいと言った気持ちは無く、『相手は右手で刀を取りに来る』という既成概念を払拭でき、敵は予想の斜め上を行くものだと改めて認識できたことが、私にとって何よりもの収穫であり、更なる高みを求め、新たな稽古目標が出来たことを非常に嬉しく思っております。
これからも回を重ねていくであろう『明鏡止水』。槍術をはじめ、まだまだ取り上げるテーマは多いかと思います。それぞれの分野の本物の達人による解説等、今後も目が離せない番組ですね。
番組収録後、日置當流の徳山陽介先生と、使用する道具を大切に扱うことや、道具を育てていくという点で意気投合。
やはり達人というのは道具に対する心構えからして異なりますね。しみじみ実感致しました。
番組をきっかけに、こうして交流が広がるのは本当に嬉しいですね。
『明鏡止水』という素敵な番組に出演できたこと、武術を愛する素敵な方々と出逢えたことを心から嬉しく思います。
3年前の動画ですが、修心流居合術兵法では実戦で本当に使える武術としての居合を追求しています。
https://youtu.be/X_Fp7aOBdQQ
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居合の達人気取りの藁斬り抜刀斎が、人気ユーチューバー「フィッシャーズ」とのコラボ動画の中で、瀧落(たきおとし)と呼ばれる形を披露。
シルク氏に「本気で掴んでみていいですか?」とガチで鞘を握られるや、それを振りほどくことができないものだからごまかして逃げました…
あんなものを英信流の居合だと世界中に配信されるのは、真摯に英信流の居合術を研鑽してきた町井勲にとって、看過できない一大事!!
ということで、町井勲と修心館主席指導員である柳原健一の二名が、ガチで鞘を握る敵に対し、本物の業(わざ)で対処する!!
尚、この動画は修心流居合術兵法の限られた門弟のみに配信される通信講座動画から、一般公開してもさしつかえない範疇を再編集したものであり、編集していない元動画は、この深い術理を解りやすく解説しています。
藁斬り抜刀斎とフィッシャーズとのコラボ動画はこちら
↓
https://www.youtube.com/watch?v=j1INYv8nZMg&t=313s
問題のシーンは 5:01 から!
居合の形齧ってます程度の人と、本物の居合術との違い、とくとその眼で見極めよ!!
※英信流の瀧落は完全に失伝しており、岩田憲一氏をはじめ、名だたる著名人がその著書の中で「敵が我が鞘を握らんとする気を察し…」などと言葉を濁している。何故なら本気で鞘を握る相手の手を振りほどくことが、誰一人として出来なかったからです。
私は英信流を修行してきた身ですので、英信流以外の流派については疎いです。
以下、私が英信流をベースとした居合を研鑽してきた感想を述べていきます。
人それぞれ考え方や受け捉え方は異なるものですから、私の意見を押し付けるつもりはありませんが、同じ英信流系の居合を研鑽されている方に、何かしら刺激になれば幸いと考えております。
英信流には様々な形がございます。
正座から始まるもの。立膝から始まるもの。立ったままから始まるものなど色々です。
形にはそれぞれ想定というものがありますが、私が19歳から現在まで修行と研鑽を重ねてきた結果言えること。
それは、居合形の想定は後付けであるということです。
形を演武する動画をアップしますと必ずと言って良い程目にするのが、
「刀を指したまま正座するなんてありえない。」
と言う言葉なのですが、まず、その既成概念を払拭しなければ居合は語れないものと思います。
正座したまま帯刀はありえるのです。
居合は主に身辺警護の士が嗜むものとお考えください。
武家屋敷には武者隠しと称する小部屋があったりします。
この遺構を今に伝えている建物も現存しており、山口県の萩で見ることができます。
襖で仕切られた部屋と部屋の間に畳一畳ほどの幅の小さな部屋があるのです。これが武者隠しの間。来客があれば警護の士はここで帯刀したまま坐しているのです。襖の向こうに異変を感じればすぐさま対応できるように。
また、一尺七寸や八寸と言った長脇指が納められた拵で、小サ刀拵と呼ばれる形式があるのを御存知でしょうか?
通常大小刀の脇指の鞘尻は丸となっていますが、小サ刀はその名の通り、寸法こそ二尺を切る脇指でありますが、事実上は刀として帯刀されました。故に鞘尻の形状は刀と同じく一文字切になっています。
大刀を帯びたまま正座する姿は見かけることがなくても、脇指を指したまま正座する姿は時代劇でもよく見かけますよね。
居合形で長物を抜き差しする技術を身に付けたものが、短寸の刀を扱えばどうでしょうか? 抜刀は更に速く、難なくできることでしょう。
以上のことからも刀を帯刀したまま正座するということは、士の時代には日常茶飯事であったと言えます。
そもそも居合とはなんでしょうか?
書いて字の如く居合ったところから始まるものが居合だと私は考えております。
刀を鞘から抜いて「さぁ立ち合え!」とするのが立合なら、その逆が居合。
腰に刀を帯びているからと言って刀に固執する必要はなく、手元に茶碗があればそれを相手に投げつける。長物よりも短物が有利と思えば脇指や短刀で応じる。長押の槍や薙刀を手に取る時間があればそれを持って応じる。素手の方が手っ取り早いと思えば素手で応じる。それが居合ではないでしょうか。
それなのに居合や剣術に興味を示す素人の方は、腰に帯びている刀に固執し過ぎなのです。だから形演武を見ても、実戦向けではないなどと発言されるのではないでしょうか。
居合形の想定は後付けと最初に記載しましたが、これはまさにその通りだと近頃は更に実感するようになりました。
居合形(英信流)は想定された位置の相手を斬り伏すものではなく、その想定に沿って演武をする中で、身体操作を学ぶものだと実感しています。
例えば正座の形にあります介錯と呼ばれる形は、介錯人が介錯するための形ではなく、手裏剣(棒手裏剣)を打つ所作と術理を学ぶためのもの。
中伝立膝の浮雲と呼ばれる形は、合氣道で言うところの一教裏を学ぶためのもの。颪と呼ばれる形は合氣道で言うところの二教の術理を学ぶためのもの。奥居合の袖摺返と呼ばれる形はこの二教を更に小さく、実用的に学ぶためのものと私は捉えています。
合氣道のように二人一組で稽古する武道と異なり、相手を置かずとも同じことを単独で習得するために練られた形。
ただ、それでは稽古する側には物足りないので、仮想敵を置いて、それを斬る動きの中で学ぶのです。実によく考えられたものだと感心せざるをえません。
更に私が思うには、想定を後付けした理由として、居合形を学ぶ者にその真意を隠すという役割があったものと思うのです。
始めから「この形では体術のこうした動きを学ぶためのもの」と教えることなく、ただただ、敵がこの位置に居ればこのように斬るのだ。と教える。
ベストキッドと言う映画の中で、ミヤギさんにひたすら「ワックスかける」「ワックス拭きとる」と、単調な動きばかりをやらされるシーンがありますが、意味も解らずひたすら単調な動きをさせられるよりは、仮想敵があるだけ学ぶ者に対し、やる気を起こさせるものであったのではないでしょうか?
今現在の英信流修行者の方で、形の真意を御存知の方は殆どおられないものと思います。だから英信流の宗家が代替わりする度に形が改変されていくわけです。それは後付けの仮想敵を斬ることしか考えていないからであり、居合形を通じて学ぶべき真意を見落としている証拠と言えるのではないでしょうか。
そういった真意を知らずして居合道や居合術の普及を口にされる御仁を見ると、僭越ながら「まだまだ居合を語るには早すぎるのではありませんか?」とついつい喉まで言葉が出そうになります。御節介焼きな私は時折老婆心からちょこっとコメントをしてしまうのですが、それが原因で相手を怒らせてしまう、または相手の気分を害してしまうことがしばしばございます。
少し賢くなりましたので、今後は「あぁ、まだ御理解されていないな。」と傍観する姿勢で参ります(苦笑
体術を学ぶための後付け想定の形なら居合形は宗家が代替わりしても不変のはず。たった1ミリずれただけで体術はかからないからです。それが改変されては形を創案した古の先人達に申し訳が立ちません。
私は現在、無雙直傳英信流町井派から名を修心流居合術兵法に変えて居合術を指導しておりますが、私の英信流居合形は本家や正統派と称される英信流とはかなり異なるものとなっております。
自分で言うのもなんですが、私は己が演武する英信流ベースの居合形こそ、本来の改変される以前の古い居合形に限りなく近いもの、更に言えば古い英信流そのものだと自負しております。
とにかく居合形に隠されたその真意を読み解くことが今は楽しくて楽しくて仕方ないのです。刀を腰に帯びずとも、護身術として生活の場でも役立てることができる居合こそが本物の居合であり、「居合道」ではなく「居合術」だと信じてやまないのです。
近頃はそうした形に隠された真意を教授しているためか、私の道場に通う方々は、合氣道や少林寺拳法の指導者や現役自衛官や警察官等が熱心に稽古に打ち込んでおります。稽古の中では「○○さん、警視庁24時の取材を受けることがあったら、この業を応用して恰好よく犯人逮捕するシーンを!」なんて笑いも交え和気藹々と皆で先人達が遺して下さった居合形を楽しみながら修業しております。
突然ですが、本日放送の『ミント!』アジアンのぷらパトのコーナーで修心館大阪豊中岡町道場が紹介されます。
番組は15:49~放送です。ぶらパトのコーナーは18:30くらいからかと思います。
形骸化された形居合ではなく、相手の軸を制することに主眼を置いた“修心流居合術兵法”ですが、普段は何か斬るところばかりがピックアップされる中、今回の放送では居合術とは?を御紹介する内容に仕上がっているものと思います。
是非御覧ください。
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