無銘 ~本鍛錬、海軍太刀型略式軍刀付き!!~

無銘
– Mumei –
 
疵欠点皆無。入念に鍛えられた本鍛錬の海軍刀です。このまま抜刀の御稽古にお使い頂くも良し。研ぎをかけて観賞刀としてお持ちくださるも良し。
観賞用研磨は10万円(税別)から承ります。
 
裸身重量805グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,185グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

※※本日までです!!!※※

※※本日までです!!!※※
 
いつも当店ブログをご覧いただきありがとうございます!
本日は期間限定価格の商品の御紹介です!!
当店にて期間限定で低価格でお出ししている刀、脇指、短刀等の計4点が本日で期間終了致します!!
お値段6万円台~で、刀剣趣味初心者応援価格の採算度外視のお得な商品もございます!!
是非この機会にご検討ください!!
 
また、対象外の商品に関しましても多数の商品が刀剣趣味初心者応援の低価格で販売しております。
是非ともお目通しいただきたくお願い申し上げます!!
 
↓↓↓対象商品URLはこちら↓↓↓
 
忠吉
– Tadayoshi –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/179/00.html
 
無銘
– Mumei –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/462/00.html
 
無銘(宇多國宗)
– Mumei(Uda Kunimune) –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/455/00.html
 
無銘
– Mumei –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/787/00.html
 
美術刀剣 刀心
http://nihontou.jp/

賀州住兼若 ~石川県大名登録刀~

賀州住兼若
– Gashu ju kanewaka –
 
兼若は同銘が数代あり、代々金沢藩主前田家の抱え工として活躍しました。この地には兼若派の他に陀羅尼派・藤島派などの各流派がありますが、その中でも兼若派は良工が多い事で知られています。
二代兼若は初代兼若の三男で又助といい、彼は父の晩年に於いて、その代作に任じ、寛文年間以降の作品の多くは二代兼若の代作が多いと言われおり、兼若五代目の助太夫兼若の時、刀剣需要が少ないため転職を余儀なくされ、刀工を廃業したと伝えられています。
 
この兼若の刀は、日本美術刀剣保存協会の審査に於いて『銘に研究の余地あり』として保留の結果を受けました。
石川県の昭和26年大名登録刀であり、しかもその中でも初期登録であることから、前田家或いは前田家上士の依頼によって鍛えられたことは明白です。
地鉄は小板目柾流れて肌立ち、刃文は刃縁に沸が絡んで湯走がかり、打除風の刃交じり、小足入って小乱れ風となるなど、見所多き出来口を示し、流石は兼若と観る者を唸らせます。
付属の拵は柄に梅花皮鮫をぐるりと一枚腹合着せにした贅沢な造り。金具類にも品の高さを感じさせる良い仕事の物が添えられていますことからも、上述の通り、前田家由縁の一刀であることが窺えます。
辻村家の家督を継いだ事実上の二代と言われる景平は、兼若とは名乗らなかったと伝わりますが、ひょっとするとこの刀こそが、彼の生涯に於いて唯の一度だけ兼若と銘した作品である可能性も秘められており、そのため作風は兼若そのものなれど、銘に研究の余地ありとの鑑定判断を受けたのではないかと考えると、浪漫溢れる一刀かと存じます。
日本美術刀剣保存協会に於いて上記推察のような新資料が発見された暁には、この兼若刀は唯一の景平による兼若銘の作品として大変貴重な一刀になることでしょう。鑑定書に左右されぬ目利きの方、貴方の手でこの兼若刀を後世に伝え遺して下さい。
 
裸身重量608グラム。  拵に納めて鞘を払った重量940グラム。
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘 ~手頃な価格の居合刀です!!~

無銘
– Mumei –
 
匂口明るく冴えた大乱れの刃文で、互ノ目の中を刳り貫いたような蛇の目刃も観られる賑やかな出来口。
研磨代を考慮し、お求め易い低価格で御案内致します。
 
裸身重量832グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1128グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘(平高田) ~保存状態抜群の拵!!~

無銘(平高田)
– Mumei (Taira Takada) –
 
豊州高田派は、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄えた刀工一派で、古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから、藤原高田と汎称します。 古来より実用刀としての評価が高い一派で、武用刀として数多の武将に愛用されました。
 
この刀は杢目鍛えの地鉄が肌立ち、明るい小沸本位の刃文は刃縁沸付いて小足が盛んに入り、古雅な雰囲気を漂わせる出来口で、付属する拵の保存状態は抜群。鞘には経年による傷や凹みが無く、平埜友道作の四分一磨地に竹を墨象嵌とした素晴らしい縁頭が添えられています。鐔もそれに合わせた竹に雪華紋透かし鐔が掛けられ、更には当店にて鐔の責金と銀切羽を新調致しましたので、鐔鳴りも無くしっかりとしています。是非とも拵も保存刀装審査を御受審頂き、内外共に大切に後世に伝え遺して下さい。
 
裸身重量664グラム。  拵に納めて鞘を払った重量954グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘(美濃千手院) ~三重県の大名登録刀~

無銘(美濃千手院)
– Mumei (Mino Senjuin) –
 
赤坂の地は美濃国の西部、畿内と東海道・東山道諸国を結ぶ交通・軍事上の要地である「不破関」(関ヶ原町)に隣接する宿場町として古くより栄えました。『観智院本銘尽』によると、美濃千手院派は東大寺の荘園・大井荘の近くでもあり荘官として寺領を守護していた武士の需により、大和国千手院重弘の子『泉水』が鎌倉時代中期頃、美濃国赤坂(現・大垣市)に移ったことに始まるとされていますが、鎌倉時代の美濃千手院派の作刀に関する現存資料は殆ど無く、現存するものでは南北朝時代『國長 応安元年(1358)』の短刀が最も古く、同銘が数代続き、『光山押形』には『濃州住藤原國行 応安七年甲寅八月日』がみられ、以降、室町時代を通じて『正國』、『弘長』、『重長』、『道永』、『道印』、『康道』らの作刀が現存し、室町時代を通じて繁栄しました。
南北朝時代の美濃千手院鍛冶の作風は『國長』のごとく大乱れになるものがあり、やや粗めの地沸が厚くついて地景を交えるものがあり、室町時代になると同派の作風は直刃や直刃に小互の目・尖り刃を交え、共に解れ、地は白けるものが多くなる傾向にあります。尚、美濃千手院は赤坂の地で作刀していたことに由来し、赤坂千手院とも別称されています。
 
この刀は総体に白気映りが判然と立ち、匂口明るい互ノ目乱れは、巷で経眼する室町中期以降の同派の作とは趣が異なり、小足が頻りに入って小乱れとなり、古雅な雰囲気を漂わせています。
昭和26年三重県の大名登録刀で初期の登録であることから、藤堂家等の有力大名の蔵刀であったことが窺い知れ、伝来の良さを今に伝えています。
※鑑定書は日本美術刀剣保存協会より到着次第お届け致します。
 
裸身重量600グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘(末関) ~末関刀工の一振~

無銘(末関)
– Mumei (Sue Seki) –
 
末関とは室町後期の末古刀期に活躍した美濃刀工の総称。三本杉で知られる孫六兼元も末関刀工の一人です。 本刀は個銘極めがされておらず、大きく末関と極められた一刀ですが、その出来栄えは刀剣趣味人なら誰もが末関と鑑る典型的な作風であり、延びた切先も室町後期に流行った典型的な太刀と打刀を併用した体配を示しています。
※鑑定書は日本美術刀剣保存協会から到着次第お届け致します。
 
裸身重量689グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

則光 ~珍しい拵付き!~

則光
– Norimitsu –
 
様々な理由により刀剣を剥き出しで携行できない場合において、護身用や暗殺用途に用いるために製作された仕込と称される武具。
仕込と呼ばれるだけあって、外見からは刀剣とは分からないように偽装されており、その多くは扇子や煙管、杖などの日用品を装っていることが多い。
特に日用品に偽装したものは、大っぴらに武器を持つ事ができないが武装の必要性のある町人が護身用として持っていたようで、その中でも時代劇『座頭市』の主人公・市の得物である仕込杖は有名で、欧州でも中世頃からソードスティック(Swordstick)・剣杖(CaneSword)と呼ばれる仕込杖が存在しています。
暗殺用具として用いられたものの他に、近代になって市民社会が発達し、たとえ貴族であっても刀剣を公然と携行することができなくなると、護身用具として杖や傘などの「通常携行していても違和感のない日用品」に偽装、もしくは刀身を内蔵した刀剣類が所持されるようになった(これは後に拳銃の発達によって廃れてゆく)。日本では、明治時代に廃刀令が発布されると、士族階級に刀を仕込んだ杖を所持、携行することが流行。その後、明治政府によって「刀剣を内蔵した杖」にも禁止令が発布され、現在は銃刀法によって「仕込み刀として製作された刀剣の拵(外装)に刀身を内蔵させたもの」は所持及び所有が禁止されていますので、この脇指を保管される際には、拵に納めることなく、必ず別々で保管されますようお願い致します。
 
裸身重量430グラム。  拵に納めて鞘を払った重量556グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘(手掻包俊) ~鑑定書付きの真面目な大和手掻~

無銘(手掻包俊)
– Mumei (Tegai Kanetoshi) –
 
大和手掻派は、奈良東大寺に従属していた鍛冶集団と言われています。その祖は、鎌倉時代後期の正応と伝える包永で、室町時代末期まで栄えた大和五派の中でも最も規模が大きな流派です。銘字には包の文字を冠し、包俊、包吉、包氏などと銘します。
現存する包俊の作は、代違いの室町中期享徳頃の作がよく経眼されますが、この刀は腰反りで後代の兼俊とは姿から異なります。
地鉄は板目に杢交じってよく練られて少しく肌立ち、淡く映りも立っています。粗見すると単調な直刃に見えますが、小さく湾れ、互ノ目足が頻りに入った個所は小乱れとなり、金筋や繊細な砂流が見られるなど、南北朝期の古刀ならではの見応えある出来口を示しており、美術鑑賞刀として申し分ない一刀です。
御購入後には是非とも特別保存刀剣鑑定を御受審下さい。二尺四寸近い長寸であることも魅力的な名刀です。
 
裸身重量646グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘(越前関) ~真面目な越前関~

無銘(越前関)
– Mumei (Echizenseki) –
 
新刀期に入り、美濃国関から越前国福井城下に移住した刀工群を越前関と称します。代表工としては大和大掾正則、伯耆守汎隆、播磨大掾重高等がおり、いずれも実用に優れた刀剣を鍛え、世に送り出しました。中には高橋喜内らによって刀身彫刻が施されたものも経眼されます。
 
この刀は元先の差が開き、程好く反りが付いた優しく上品な姿に、湾れ調子の互ノ目を焼いた作品で、刃縁が沸えた感じなどは重高や汎隆を思わせる出来口で、越前関の極めは至極首肯できる一刀です。
刀剣趣味初心者はじめ、中級者や玄人まで、幅広くお求め易い低価格で御案内致します。
 
裸身重量671グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。