肥前國住吉廣

肥前國住吉廣

肥前國住吉廣

– Hizen no kuni ju Yoshihiro –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/518/00.html

肥前刀を代表する初代忠吉に学んだ吉廣は、近江大掾忠廣との合作も遺しています。名を吉左衛門といい、寛文頃伊勢大掾を受領しました。

この脇指は福岡県大名登録刀で登録番号は三桁。附属する豪華なはばきを見ても、黒田家に所縁ある脇指であることが窺えます。現状では古研ぎのため、拭いぼけや細かなヒケが眼につきますが、然るべき研磨を施せば肥前刀らしい精良な地鉄を楽しめる優作で、特別保存刀剣もゆうに合格するであろう作品です。小板目肌がかすかに肌立ち、互ノ目乱れは匂口明るく冴え、連なる山々に霞が棚引くかの如く、細やかな砂流が随所に見られ、雄大なる自然を見るような出来栄えです。美術鑑賞用上研磨及び特別保存刀剣鑑定審査代行もお気軽に御用命下さい。

※はばきの上貝に痛みがあります。蝋付けまたは半田で修理できます。御希望の方は有償にて承ります。※保存刀剣鑑定書は日本美術刀剣保存協会より到着次第掲載致します。
裸身重量448グラム。

藤原正勝作

藤原正勝作

– Fujiwara Masakatsu saku –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/864/00.html

小板目肌に沸本位の互ノ目乱れを焼いた作品で、刃縁には荒沸が付き、刃中には金筋や稲妻が看取されます。銘鑑によると、新刀期に正勝と名乗る刀工は五名確認でき、中でも藤原姓を銘切る寛文頃に活躍した者は、本国日向の大隈守藤原正勝が挙げられ、同工は摂津にて槌を振るいました。

この刀は反りが浅い寛文新刀然たる姿から、この正勝の作と鑑せられます。寛文新刀はその姿から、刺突し易くするために生まれたものと刀剣書籍には記載されていますが、それは刀剣学者が勝手に判断したもので、実は斬味を求めた末に生まれた斬撃に適した姿であり、居合抜刀に於いてはその刃味を最大限に引き出す体配。浅い反りが振り遅れを無くし、また、鞘から抜き放つ一刀に於いては、反りが浅い分操作性に富んでいます。

※保存刀剣鑑定書は日本美術刀剣保存協会より到着次第掲載致します。


裸身重量716グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,014グラム。

三春臣源正利作之 文化二年二月日 – Miharu shin Minamoto Masatoshi –

三春臣源正利作之 文化二年二月日

– Miharu shin Minamoto Masatoshi –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/863/00.html

小板目肌良く練れて詰み、匂口明るく冴えた直刃を焼き上げ、刃中には幅広の葉が見られ、刃縁に点在するかの如く荒沸が少しく刃縁にかかり、二尺五寸五分の長寸ながら疵気は無く、正利の技量を発揮した優品で、長大ながらも手持ちバランスが良い。

本工正利については詳細な記述が銘鑑にも見られず、ただその存在だけが確認されている程度。現存する作品も少なく、三春臣と銘切っていることから、士鍛冶であったやも知れません。本刀の出来の良さを存分にお楽しみ頂きたく、御購入の暁には、併せて上研磨も是非御検討下さい。


裸身重量848グラム。

無銘(伝 尻懸)- Mumei(Den Shikkake) –

無銘(伝 尻懸)- Mumei(Den Shikkake) –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/862/00.html

大和五派(当麻・保昌・手掻・尻懸・千手院)中、尻懸派は則長を事実上の祖として大いに繁栄した、現在の奈良県天理市岸田町尻懸の刀工郡で、尻懸との名の由来は大和神社の神輿が休息する為に設けられた四角い台石(尻懸石)からきています。尻懸派の事実上の祖とされるのは、則弘の子と伝えられる初代則長で、文保三年(1319)48歳の行年銘が入った作品や暦応三年(1340)69歳の行年銘が入った作品が残されており、それによって逆算すると、文永9年の生まれであることが窺がえます。この時期の大和物は地鉄が極めて精美な作が多く、尻懸派の特徴としては、鎬が高く、鎬幅広く、板目が流れごころで刃文は直刃基調ながら小互の目が連れて焼かれている点が挙げられます。

この刀は大磨上無銘で短寸ながらも出来優れており、小板目杢交じり、柾流れの精良な地鉄が美しく、匂口明るく冴えた直刃には、大和色濃く二重刃や打除を伴い、金筋を交え、尻懸の極めに相応しく、小足が入って互ノ目が連なるなど、同派の特色をよく現した鎌倉後期の名品です。いずれは重要刀剣指定も受けることとなるでしょう。

裸身重量636グラム。

無銘(古宇多)- Mumei(Ko Uda) –

無銘(古宇多)- Mumei(Ko Uda) -

無銘(古宇多)- Mumei(Ko Uda) –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/861/00.html

宇多派は鎌倉時代末期の文保頃に、大和国宇陀郡から古入道国光が越中に移住したことにより興り、以後室町時代に渡って繁栄しました。中でも鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての作品を古宇多、室町期の作品を宇多と、それぞれ称呼し、鎌倉時代を下らぬ古作には大和伝法の面影を強く残し、沸本位の二重刃、食違い刃などを示しているものがあり、南北朝時代にはいると大和伝に相州伝を加味した作品が見られるようになります。同派では、国房・国宗・国次等の刀工が活躍し、同銘各代が室町時代末期に渡り繁栄しました。

この刀は二尺八寸はゆうにあったであろう刃長を、時代の変遷と共に、歴代の所有者によって大きく磨り上げられ、現在は銘が失われていますが、磨り上げてでも尚腰に帯びたいと思われたことからも察せられる通り、大切に伝来してきた一刀で、板目に杢目、柾目肌が交じった地鉄には映りが立ち、沈みごころの匂口にて直刃調の刃文が焼かれた作品。刃縁は地鉄に絡んで細かに働き、金筋や稲妻を交えた古雅な出来口を示しています。上述の映りは横手下に特に判然と現れており、刀剣趣味初心者にも、映りが何たるかが判り易く、古刀研究資料としても恰好の一振です。

研磨後時間が経過しているため、余力有る方は是非とも上研磨を施し、本刀が持つ地刃の魅力を余すことなくお楽しみに頂きたく思います。

裸身重量640グラム。

剣舞ではない古武術としての居合

私の居合の技術を知らない人や、私のことを良く思わない人達が、「町井は全日本居合道連盟のたった五段。」とか「無雙直傳英信流を破門にされた奴だ。」などと言います。

以前にも記述しましたが、私は英信流も所属道場からも破門はされていません。私の方から離れました。何故なら現行の英信流に多々疑問を持つようになったからです。

この所作にどのような意味があるのか尋ねても、私が納得できる答えを述べる先生方は居られず、当時若かった私の眼から見ても、「この人は!」と思える先生は見当たりませんでした。

今年八月には全日本剣道連盟居合道部の金銭授受問題が明るみになり、世間をほんの少しだけ騒がせたのは皆様の記憶にもあるかと思います。

私は居合界の異端児とされていますが、スポーツ化してしまい、武術色を失った居合に警鐘を鳴らしているだけです。

伝統や肩書きに固執される英信流系居合修行者は、私の居合を認めようとはしませんし、私も現行の英信流居合を居合とは認めたくありません。そうして相反するものですから、私の居合術講習に参加される方に各連盟居合修行者は来られません。私の居合は居合修行者ではなく、むしろ合氣道や合気柔術、体術を学び、研究されている方々が殆どです。中には指導者クラスの方も居られます。

これらの事実から見ても、刀の抜き差しばかりに固執する各連盟居合と、私が提唱する居合術の間には、深い溝があるのが解ります。

これまで何度も書いてきましたが、各連盟の英信流系居合は武術ではなく剣舞。刀を使った健康体操?でしかありません。

では何が居合なんだ? そう反論される方に向け、修心流居合術兵法の居合形稽古の動画を公開します。これを機に、各連盟の英信流系居合修行者の意識が変わり、武術色を取り戻してくれると嬉しく思います。また、私の居合に興味を持つ方が増えて下さることも淡く期待します。

全居連、全剣連他、各連盟居合修行者の方々、特に指導側の高段者の方々には、当流、当道場の稽古を体験頂き、健康体操と武術の違いを肌を以って知って頂きたく思います。

では、私の指導による武術としての居合形稽古を是非御覧ください。

連盟居合は居合じゃない! 武術としての居合術指導風景

尾州住真野正泰作

尾州住真野正泰作

尾州住真野正泰作

– Bishu ju Mano Masayasu saku –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/860/00.html

利刀の作者として名を馳せた正泰は、陸軍受命刀工として愛知県にて槌を振るい、栗原彦三郎による聖代刀匠位列に於いては、上工の列、大業物関脇格に名を連ねる昭和の名工です。

この刀は地鉄よく練れて詰み、現状は戦中の軍刀研磨のため地鉄が引き出されておらず無地風に見えますが、仔細に見ると小杢目が散見されます。瑕疵は一切無く、匂口極めて明るい互ノ目乱れを焼きあげ、刃中良く沸づき、太い足が盛んに入った作品。出来が良いだけに美術鑑賞用の研磨を施し、地刃を存分にお楽しみ頂きたい一刀です。

付属の陸軍九八式略式軍刀は保存状態良く、鐔は今尚金色に輝いています。鯉口内部には「742」と「ツカハラ」の文字が書かれています。
兵庫県下にある旧家より買い取らせて頂きました二振の内の一振です。もう一振は三式軍刀(決戦刀)に納められた「明寿 昭和十九年六月」で、昭和26年登録当時の資料一式も全て残っており、刀箱も附属しております。二振まとめてお求め頂ける場合には、上記資料のコピーと刀箱もお付け致します。

裸身重量803グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,104グラム。

氷心子秀世入道 嘉永五年二月日 ~期間限定特別価格~

氷心子秀世入道 嘉永五年二月日

氷心子秀世入道 嘉永五年二月日

– Hyoshinshi Hideyo Nyudo –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/859/00.html

杢目肌柾交じり、良く練れて詰んで地沸厚く付いて精美。匂口明るく冴えた互ノ目乱れを焼きあげ、足よく入り、刃縁細かな砂流が見られます。美術鑑賞用の真面目な研磨が施されているので、見栄えも地刃の観賞も文句なし。但し、研磨後数年を経ているため、拭いヒケや変色程度の薄錆が見られる箇所があります。特に再研磨の必要性は無く、このままお楽しみ頂けます。

※氷心子秀世銘に関しては首肯できかねますので、出来が良い無銘刀としてお求めください。
裸身重量791グラム。  拵に納めて鞘を払った重量999グラム。

無銘 ~無疵無欠点~

無銘 ~無疵無欠点~

無銘

– Mumei –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/858/00.html


小板目肌杢交じり、よく練れて肌立ち、匂口明るい互ノ目乱れを、二個一組として焼き上げ、刃中には葉や蛇の目刃等が散見されます。鍛錬疵は皆無で、無銘ながらも附属する金着せはばきから、伝来の良さを窺わせる一刀です。保存刀剣審査を是非御受審下さい。


本刀には余程良い金具が添えられていたものと推測され、現状では柄前が失われていますが、白い点を撒いたような黒石目系の鞘のみ附属しています。ひび割れや凹みも見られず状態が良いので、柄のみ新調して頂ければすぐに拵が完成致します。当店所有の現代金具で宜しければ、上柄を金具代込み7万円(税別)にて新調させていただきます。武用の安い柄で宜しければ、5万円(税別)にて承りますので、どうぞお気軽に御用命下さい。


裸身重量703グラム。  柄を新調し、拵に納めて鞘を払った予想重量1,000グラム。

肥前國吉廣作 祝桂武彦之平成乙亥八月日

肥前國吉廣作 祝桂武彦之平成乙亥八月日

肥前國吉廣作 祝桂武彦之平成乙亥八月日

– Hizen no kuni Yoshihiro –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/517/00.html


本名、瀬戸吉廣。昭和20年福岡県に生まれ、昭和46年25歳の時に隅谷正峯(人間国宝)に師事し、唱和52年に独立するも、更なる技を究めるため、再び隅谷正峯の下で作刀を学びました。その甲斐あって新作名刀展にて寒山賞、日本美術刀剣保存協会会長賞、文化庁長官賞等の特小を連続受賞し、平成8年、刀匠の最高位である無鑑査に認定されました。
この脇指は身幅広めで重ね厚く、がっちりとした造り込みで、帽子は延びて鋭さを感じさせます。地鉄は板目肌柾流れ、肌が立ち、刃文は湾れ調子に互ノ目や互ノ目丁子、角張った丁子刃を焼きあげ、砂流、金筋、稲妻が見られ、吉廣刀匠の技量の高さを示す出来口。付属の拵は蓮の図の時代物の縁頭を用い、鐔と目貫は気が利いた現代製金具が添えられ、柄にガタツキ無く、しっかりとしています。惜しい事に指裏刃中にフクレと、帽子のフクラに刃絡みがあるため、吉廣刀匠の作品としては位低く評価せざるをえなく、お求め易い低価格にて御案内する次第ですが、それでもこの価格は非常に魅力的かと存じます。
これから刀剣趣味を始められる方、居合・抜刀を嗜まれる方で脇指や前指をお探しの方、また、実際に脇指にて試斬稽古をされる方には、是非ともこの機会に御入手頂きたい一刀です。
裸身重量512グラム。  拵に納めて鞘を払った重量756グラム。