國綱 マサヒラ作(鬼丸國綱写)
– Kunitsuna Masahira –
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鬼丸國綱
鎌倉時代初期、山城国の京粟田口派の刀工で、粟田口六兄弟の末弟である国綱の作。国綱は後鳥羽天皇の御番鍛冶であり、腕の良さから鎌倉にも招かれて鍛刀していたとされている。
「鬼丸」という号の由来は『太平記』に記載がある。それによると、北条時頼(または北条時政)が毎夜、夢の中に現れる小鬼にうなされていた。
そんなある夜、夢の中に老翁が現れ、「自分は粟田口国綱の太刀の化身である。ところが汚れた人の手に握られたために錆びてしまい鞘から抜け出せない。早く妖怪を退治したければ清浄な者によって早く自分の錆を拭い去ってくれ」と言って消え去った。
早速、時頼は本刀を手入れし、抜き身のまま寝床の側に立てかけておいたところ、本刀が倒れかかり、火鉢の台に施された細工の首を切り落としたという。よく見ると、その火鉢の足は銀で作られた鬼の形をしており、それ以来、時頼の夢に小鬼は現れなくなり、次第に体調を回復させた。この事件により、この太刀を「鬼丸」と命名したといわれている。
本太刀の作者
藤安将平刀匠は昭和二十一年福島県伊達郡生まれ。昭和41年長野県坂城町の刀匠、故人間国宝、宮入行平師に入門。
昭和50年福島県立子山に鍛刀場を開設して独立。以後作刀の研究修練を重ね日本美術刀剣保存協会優秀賞3回、奨励賞6回、努力賞7回を受賞。平成2年には日本美術刀剣保存協会会長賞受賞。同14年日本美術刀剣保存協会寒山賞を受賞。
尾張熱田神宮、奈良護国神社など多くの神社で奉納鍛錬を行い、平成20年には、704年、佐備大麻呂の作剣以来、およそ千三百年ぶりに常陸鹿島神宮において日本刀奉納鍛錬を行う。
昭和59年秋には伊勢神宮第61回式年遷宮、御神宝太刀謹作奉仕の大役も担い、 先の震災で大きな被害を受けた福島県南相馬の御刀神社復興支援にも大きく尽力され、御神宝となる直刀を謹作奉仕し、直近では福岡の宮地嶽古墳出土大直刀の復元鍛錬など、現代日本刀匠屈指の作刀技術を持っている。
平安、鎌倉時代の古刀剣再現への強い想いを持ち、長年研究修練に取り組み、国宝、重要文化財やそれに類する刀剣類、全国の砂鉄や鉄文化の知識見識も豊富で、太刀、刀、短刀、脇指、薙刀、古代直刀など、どれを手掛けても正確で美しい刀姿を造り上げる。
地鉄、焼刃の手際も鮮やかで幅広い製作能力を誇り、中心鑢や銘文といった中心仕立ても現代刀匠随一で、師である行平没後、師の実子である宮入小左衛門行平(宮入恵)を預かり、弟子として鍛刀修業を積ませた経緯からも、師の信任が厚く、その技量の高さを物語っている。
近年は奈良正倉院収蔵の直刀、手鉾のなど奈良時代の刀剣類の研究、復元製作にも取り組まれ、上記の御刀神社奉納直刀の焼刃などは神域に入られたと言っても過言ではない。
刀心店主、町井勲(修心流居合術兵法創流者、居合に関するギネス記録を6つ保持している)が最も信頼を寄せる現代屈指の刀匠としても知られ、将平刀はテレビ番組内で町井の手によって、鉄パイプ、鉄板切断など日本刀の本分である利刀(折れず曲がらずよく切れるの三事)としての能力も非常に高いことが証明されている。
また将平刀匠は弓、弓道にも深い造詣を持たれており、京都の御弓師柴田勘十郎氏とも長年に亘る親交があって、地元福島では弓術の指導にもあたっている。
人格そして技量に於いても、人間国宝や無鑑査に認定されるべき人物だが、表の世界に出るのを拒み、今尚福島県立子山で黙々と作刀研究に勤しむ生粋の職人肌刀匠である。更なる詳細はこちらをご覧下さい。
この太刀は上述の通り天下五剣として名高い『鬼丸國綱』の写し。反り高く、庵棟で、鎌倉時代初期の優雅な姿が見事に再現されています。
元々は店主町井勲の需めに応じて打たれた一刀であり、令和2年の作品ではありますが、つい今しがた途中迄のの工作を終えたばかりです。白鞘とはばきは日本でも一二を競う名人が手掛け、研磨も日本美術刀剣保存協会主催のコンクールに於いて特賞を受賞した上手が手掛けています。
古刀再現に挑戦し続ける将平刀匠は、近頃悟りの境地に立たれたと表現しても過言ではなく、手がける作品全ての出来に毎回驚かされます。研磨仕上げ前の今だからこその価格です。家宝として申し分ない力作を是非この機会にお求め下さい。
※仕上研磨は260,000円(税込)にて御奉仕させて頂きます
裸身重量740グラム。
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。