剣心将大作 令和三年二二月日

剣心将大作 令和三年二二月日
– Kenshin Masahiro –
 
 
町井勲プロデュースの居合、試斬稽古のために鍛えた一振です。
元先の差が程好く開いたスラリとした姿。手持ちバランスは手元重心で良く、片手操作でも扱い易い造り込みになっています。
今回は打卸状態での写真紹介ですが、納品は試斬用白研ぎと化粧仕上げ研磨渡しの二種ご用意させていただきました。
現在のところ鍛錬疵は見られず、匂口は明るく、中直刃調に小湾れごころを交え、刃中には足が入り、小乱れを成していることがわかりますので、仕上げ研磨まで施せば鑑賞刀としてもお楽しみ頂けます。また、試斬稽古がメインであれば、化粧仕上げは必要ございませんので、白研ぎにてご注文くださればその分お得にご購入頂けます。
 
附属の拵は構図が良い現代金具を用いた簡易武用拵で、鞘の塗にもこだわりました。長期に渡って存分にお稽古にお使い頂けますので、この機会に店主町井勲監修による武用刀を是非御入手下さい。
 
裸身重量825グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,059グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

助宗

助宗
– Sukemune –
 
 
元先の差さほど開かず、反り浅目で切先延びた鋭い造り込み。地鉄は小板目杢交じりで良く練れて詰み、少しく肌立つ。刃文は匂口明るく冴えた小湾れ調子の互ノ目乱れで、焼頭に細い足が複数入って互ノ目を細分化している。物打辺りから焼きなましが施されており、現在の研磨状態では少し見辛いものの、然るべき観賞用研磨を施すことでもう少し見易くなります。
 
附属の九八式陸軍刀拵は外地へ持参された形跡が無く、ほぼ未使用の良い状態で、鉄やアルミ鞘が多く経眼される陸軍刀に於いて、本刀の拵は木地に本漆による石目塗が施された高級品で、柄頭には桔梗紋が据えられています。金具は全て132番揃。完璧なるオリジナルです。
※塗に乾燥による罅割が二ヶ所見られますが、殆ど気にならない程度の物です。
 
裸身重量684グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,052グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

鐔4点追加しました。

鐔4点追加しました。

https://nihontou.jp/choice03/tousougu/tuba/list.htm

 

河内守國助 – Kawachi no kami Kunisuke –


河内守國助
– Kawachi no kami Kunisuke –
 
元先の幅差開き、切先やや延びたスラリとした体配。地鉄は杢目で大杢目交じり、地景入って肌立つ。刃文は匂口明るく冴えた互ノ目を焼き上げ、概ね互ノ目を2つ一山に刃取り構成しており、刃中には金筋、稲妻、砂流が顕著に現れ、鋩子は直ぐ調に激しく掃き掛け丸く返る。
國助銘に関しては首肯できかねるため、無銘刀としてお求め下さい。銘消しご希望の方はお気軽に当店にご用命下さい。銘を消せば保存刀剣の鑑定が付きます。
手持ちバランスが非常に良く、片手操作も楽々とこなすことができる居合稽古にはうってつけの一刀です。
 
店主町井勲監修の下、銀牡丹祐乗はばきと簡易武用拵を新調致しました。柄と刀身との芯合わせ等妥協すること無く製作しておりますので、安心して居合等の武用刀としてお使い頂けます。写真には写っておりませんが、真新しい黒の下緒をおつけ致します。
※製作年代を江戸前期と表記しましたが、もう少し下がる可能性もございます。現状では錆等がございます。研磨ご希望の方、120,000円(税込)にて承りますのでお気軽にご用命下さい。
 
裸身重量702グラム。  拵に納めて鞘を払った重量929グラム。
 
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土州住関田勝弘 天保十年二月日 – Doshu ju Sekita Katsuhiro –


土州住関田勝弘 天保十年二月日
– Doshu ju Sekita Katsuhiro –
 
勝廣は江戸後期に活躍した土佐山内家の御用鍛冶。筑前の鍛冶「左行秀」を土佐に招き、土佐定住と藩工への斡旋を行ったことで知られます。行秀も勝廣の鍛冶場を使用して作刀しており、勝廣の死後、その後を継ぎ行秀が土佐藩工となっています。本作は『天保の大飢饉』の時の作品で、この後の8月には土佐藩内に倹約令が出ました。食べるものが無く、大変な時代に作られた刀ですが、生きるために一生懸命鍛えたため、優れた作品も多く、「天保打ち」として全国的に高い評価を受けています。
勝廣の現存する有銘作は少なく、 知られる作品としては高知城歴史博物館に脇指が一口、小刀が数点のみ収蔵されているのみ。
 
この刀は刀身に比して茎が長く、茎にも反りが高く付き、元先の幅差が程好く開き、地鉄は小板目よく練れて詰み新々刀然としており、地沸付いて淡く映りごころ在り。刃文は中直刃基調に所々に湾れや節を交え、匂口はあ明るく冴えて締まるも刃方に向かって煙込み、表裏元の方には一際強い大粒の沸が付き、鋩子は表裏直ぐ調に弛みごころを見せ、丸く返っています。
現状、ヒケや擦れ傷がついており、研ぎ上がりに比べると些か見劣りするかもしれませんが、特筆すべき疵欠点無く、しかも現存数少ない作品ですので、資料的価値も高い一刀です。余力ある方は是非とも研磨、白鞘の諸工作を施し、美しい状態で次の時代に引き継いで頂きたく思います。
 
附属の陸軍九八式刀拵はアルミ鞘で、柄気に用いられている鮫皮はセルロイド製。通番号は全て2362で揃った完品です。長く職業軍人が用いていたため、金具の桜花葉の摩耗が見られます。鞘尻の石突金物の螺子が欠落していますが、当店にて修復可能ですのでお気軽にご相談下さい。柄糸にやや傷みが見られるので、柄糸巻き直しご希望の方もお気軽に当店にご用命下さい。
 
裸身重量544グラム。  拵に納めて鞘を払った重量924グラム。
 
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新藤二郎源義國 享保三年二月日 – Shindo Jiro Minamoto Yoshikuni –


新藤二郎源義國 享保三年二月日
– Shindo Jiro Minamoto Yoshikuni –
 
江戸時代になって漸く藩政が落着きを見せてきた延宝頃、時の藩主南部重信は、諸職人を京都、甲府、江戸等から招聘して文化の高揚に尽力しました。南部藩で初めて刀匠を召抱えたのもこの時期で、新藤國義をもって嚆矢としています。
國義は京信國の流れをひく筑前福岡の信國吉貞の子、孫四郎吉助の次男として生まれ、江戸に出て鍛刀中、延宝の末年頃、藩主重信に見出され五十駄の俸禄で召し抱えられました。以後、幕末期の八代義國まで約二百年間に渡り新藤家は南部藩第一の刀匠の家柄として主導的役割を果たしました。
國義は天和元年(一六八一年)に居を盛岡に移し、下小路で鍛刀に従事。延宝頃と天和・貞享頃及び元禄十年頃とで銘の切り方に三種の違いが見られます。元禄十一年十二月一日に歿し法名は「剣山刃公信士」と言い、東顕寺に葬られ、以後、東顕寺は新藤一派の菩提寺として代々の刀匠が葬られています。
 
二代新藤義國は國義の長男で治郎兵衛を襲名しており、元禄十二年正月に家督をついでいます。宝永五年(1708年)二月二十八日の「御側諸職人御支配覚帳」に「一、五拾駄(弐拾駄御切米・三拾駄拾人御扶持)下小路 新藤治郎兵衛」とあるのが、二代義國のことであり、享保十五年(一七三〇年)六月二十日に歿しました。
法名は「夢相常説信士」言い、遺作は非常に少なく、銘は「新藤源義國」と切ります。六代、八代の義國も同じく「新藤源義國」と銘を切りますが、鏨の使い方にそれぞれ特色があります。
 
この刀は現存数少ない二代義國の豪壮なる一振で、身幅重ね共に一般的な同時代の刀に比して頑丈であり、元先の差が程好く開き、切先やや延びごころ。これだけ豪壮であればさぞ重いであろうと思われるが、手元重心で身幅と重ねの割に軽く感じられ、義國の技量の高さを感じます。庵は割と高く、鎬幅は狭い造り込みで、地鉄は小板目肌杢交じって柾流れ、よく練れて詰んで精美。刃文は匂口明るく冴えた互ノ目乱れに互ノ目丁字を交えて焼き上げており、刃縁を沸が包み込み、焼頭を縁取った様な独特の刃を見せ、乱れの谷には太い足が頻りに入り、微細なる砂流も刃中に看守される。鋩子は横手下で互ノ目を焼き込み、直ぐに先丸く尋常に返る。
古研ぎながら地刃の鑑賞には支障ございませんが、現存作品少なく、更には頗る出来が良い一刀だけに、余力ある方は是非とも上研磨を施して頂き、本刀の良さを更に引き出してお楽しみ頂きたく思います。
 
裸身重量943グラム。
 
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平安城石道右近正俊

平安城石道右近正俊
– Heianjo Ishido Ukon Masatoshi –
 
 
正俊は紀州石堂出身の刀工で慶安頃(1648年)に京都へ移住し、銘を紀州正俊から石堂右近正俊と変え「京石堂」の礎を築きました。
門下には弟の正忠や助光、助利などがおり、当時全国へ散らばった石堂鍛冶と同様に、斬新な備前伝で人気を博しました。
映り立つ地鉄に互ノ目丁子を巧みに焼くその技量は頗る高く、二尺五寸余の正保元年年紀入りの刀が重要刀剣指定を請けています。
 
この脇指は柾目主体の精良なる地鉄に見事な乱れ映りを焼き、石堂ならではの互ノ目丁子乱れを華麗に焼いた作品で、元先の差が程好く開き、身幅広くがっしりとした力強い体配。刃文は匂口明るく冴えた丁子が激しく乱れ、刃中には金入り、繊細なる砂流が顕著に見られ、足盛んに入り、飛焼交え、その様はあたかも風になびく草原を見るかのようです。鋩子は直ぐに先小丸に程好く返る。
 
昭和26年の大名登録であることから察するに、静岡を治めた某大名家の蔵刀であったことが窺がえ、作品の出来はもとより来歴も良く、美術刀剣として価値高い一刀です。一昔前ならこの価格で手に入れることはできなかった逸品を、今の時期だからこそ是非コレクションにお加え下さい。
 
裸身重量642グラム。
 
 
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土佐一文字瑞雲子善貞鍛之 昭和五拾三年新陽

土佐一文字瑞雲子善貞鍛之 昭和五拾三年新陽
– Tosa Ichimonji Zuiunshi Yoshisada –
 
 
土佐国高知県の現代刀工で名を山村繁松といい、明治33年に生まれました。昭和17年に叔父の山本善盛の門人となり、翌年の昭和18年に島根県の川島忠善(無鑑査刀匠)の門人となりました。陸軍受命刀工として戦時中は軍刀を鍛え、戦後は土佐の名工である「左行秀」に迫る作品や、土佐一文字と銘を切った備前伝の作品を残しています。弟子に左行秀写しの第一級鍛冶、蒼龍子貞行がいます。
国工院会員名誉宗匠。元陸軍技術奨励会会長賞受賞等輝かしい経歴を持つ実用兼美の日本刀を鍛える昭和の名工です。
 
この脇指は刃長から鑑てもお解り頂けるように、脇指としてではなく小サ刀として鍛えられた一刀で、庵高め。地鉄柾気が強く現れた小板目肌がよく練れて詰み、地沸厚く付いて精美。刃文は匂口明るい直刃に、緩やかな湾れを交えた刃取り構成で、足頻りに入って互ノ目を成し、刃中には砂流がかかり、金筋入り、物打より先横手付近では沸筋が食違刃のように匂口に食い下がる等、総体に静の中に動を交えた雰囲気漂わせる出来口。鋩子は直ぐ調に大きく掃き掛け、丸く返る。
 
附属の拵は強固なる黒石目塗鞘で、柄は龍図の金具で統一。柄にガタツキ無く、刃長短めの刀をお探しの方や、少年、女性用の武用刀としてもお薦め。地鉄が良いので再研磨を施し、鑑賞刀としてご所持頂くのも宜しいかと存じます。
 
裸身重量648グラム。  拵に納めて鞘を払った重量888グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

平安城武蔵石正俊

平安城武蔵石正俊
– Heianjo Musashi Ishi Masatoshi –
 
 
正俊は紀州石堂出身の刀工で慶安頃(1648年)に京都へ移住し、銘を紀州正俊から石堂右近正俊と変え「京石堂」の礎を築きました。
門下には弟の正忠や助光、助利などがおり、当時全国へ散らばった石堂鍛冶と同様に、斬新な備前伝で人気を博しました。
映り立つ地鉄に互ノ目丁子を巧みに焼くその技量は頗る高く、二尺五寸余の正保元年年紀入りの刀が重要刀剣指定を受けています。
 
この脇指は杢目肌が緻密に錬られて詰んだ精良なる地鉄に淡く映りが立ち、匂口明るく冴えた互ノ目主体の丁字を焼き上げており、一文字派を思わせる古雅な雰囲気漂う丁字に加え、蛙子や兼房乱れ風の丸みや角みを帯びた大きな互ノ目丁字が一面に暴れ、刃中には足が入り、見事な砂流も看守されます。鋩子は直ぐに先掃き掛け短く返っています。
総じて作品の出来頗る良く、美術刀剣として価値高い一刀です。
一昔前ならこの価格で手に入れることはできなかった逸品を、今の時期だからこそ是非コレクションにお加え下さい。
 
裸身重量652グラム。

兼住 ~上品な直刃 愛らしい千鳥の拵~

兼住 ~上品な直刃 愛らしい千鳥の拵~
兼住
– Kanezumi –
 
江戸前期の寛永頃、関で活躍した兼住の作品。反り浅めで元先の差が開き、寛文新刀体配へ移行する前衛的な姿態。一寸程区を送られるもしっかりと堂々たる銘を留めており、地鉄は柾気が強い杢目鍛えでよく練れて詰み、地景入り、所々肌立つ。刃文は直刃で匂口明るく、刃縁は粒が揃った小沸で包まれたような印象を受ける。鋩子は直ぐに焼きたっぷりと丸く返る。
構えてみると、手元重心で軽く感じられ、片手操作も容易く感じられる。指裏の茎には滋賀県の刻印が打たれており、明治以降の刀剣の管理を物語る資料的価値も持ち合わせた一刀です。
※指表に一箇所埋鉄在り。
 
附属の拵は好者が贅を凝らして新調させたもので、縁頭と鐔は波千鳥図で揃えられており、鐔は江府住利政在銘。鞘は堅牢な黒石目塗りで、切羽は竹節模様の洒落た造りになっています。当然ながら柄にガタツキは無く、内外共にお楽しみ頂ける作品です。
 
裸身重量646グラム。  拵に納めて鞘を払った重量889グラム。