20日、フジテレビの番組『バイキング』にコメンテーターとして出演予定でしたが、私の自己管理の至らなさから生出演収録時間に間に合わず、番組構成に穴をあけてしまったことを、改めて番組関係の皆様には深くお詫び申し上げます。
普段は異物試斬でテレビ出演することが多いため、コメンテーターとしての出演オファーは、私自身とても嬉しいお話で、前日から何を話そうかと私も楽しみにしておりましただけに、20日の生出演収録に間に合わなかったこと、関係者の皆様に多大なる御迷惑をおかけしたことが悔やまれてなりません。
誠に申し訳ございませんでした。
因みにこの日は私の45歳の誕生日だったのですが、生放送に穴をあけてしまうという大失態を犯してしまった私は、この日を一生忘れることはないでしょう。
同番組は翌日もこのニュースを取上げるとのことで、運良く、翌21日の放送で私の思いをお話しすることができましたが、このブログにおきましても、私の見解を記述させていただきます。
まず、全日本剣道連盟(以降全剣連と略します)の居合道を、武術と見るか、武道と見るか、芸事と見るか、スポーツと見るかで、今回の全剣連問題は大きく変わってくるものと私は考えます。
皆様の見解は如何なものでしょうか?
全剣連所属の居合修練者には辛辣な発言となりますが、これは私一個人の考えですので、どうか気分を害さず拝読いただきたいのですが、私は全剣連の居合を居合とは考えておりません。
上述したように武術、武道、芸事、スポーツのいずれかと問われれば、全剣連居合は芸事だとお答え致します。
今問題になっている、八段範士の昇段試験における金銭授受問題ですが、全剣連居合がスポーツであったなら、これは絶対に許されるべきではなく、糾弾すべき大きな問題です。
しかしながら全剣連居合は芸事なのです。百歩譲って武道というカテゴリーにあてたとしても、金銭授受は侍の時代からの慣例であり、悪いことではありません。むしろ日本ならではの古き良き慣習と言えます。
問題なのはその金額と、受け取る側から金銭や物品を要求したことなのです。
そもそも居合とは侍の芸事です。ここで言う芸事とは居合を揶揄し、蔑んで言うのではなく、武芸と言うカテゴリーを意味します。
誰にも師事せず己で腕を磨く人も居れば、どなたかの下で鍛錬を積む人も居ります。
団体に所属し、師の下で修業される方は、礼儀作法や筋を通すなど、様々な人間関係を余儀なくされます。生憎と私は人間関係が下手で、上手に振舞うことができませんが、昇段・称号試験前の心付けというのは、盆暮に贈り物をするのと同程度のもので、けして悪いことではありません。それを悪としてしまったのは、不正に合格したいと言う邪な気持ちと、金品を受け取りたいという欲なのです。
居合は皆様もご想像いただけるように、元は侍が嗜む芸事です。芸の世界には礼儀作法が重んじられます。審査に関する付け届けは、本来、
「私如き者のために、審査の時間を割いて下さり、誠にありがとうございます。」
と言う気持ちを、菓子折等の物品であらわしたもの。当然ながら遠方から審査員として出向いて来られる先生方には、そのお車代として現金も用意されることでしょう。
ただ、全剣連という大きな組織がある以上、交通費などは組織から手当として捻出されているものと思いますが、もし、手当がなかったとしたら、審査員は交通費を自腹で支払わなければならないことになるので、受審者からのお車代という心づけはありがたいものですよね。
私の調べでは八段範士の試験に臨むにあたり、関係者一人に対して三万円程度の金品を贈るのが慣例になっているとのことです。審査員が10名いたとすれば30万円。一介のサラリーマンには厳しい金額ですが、居合の高段者ともなると高齢でそれなりに蓄えもある人が殆どです。
また、範士の称号試験に於いては、その人物の人格も問われるわけですが、これは善悪の人格判断云々だけではなく、心付けが出来る人、つまりは社会性、社交性、そして政治力がある人物か否かという問題でもあると思うのです。当然ながら範士八段の最高位にまで登りつめた人は、全剣連の理事や役員として組織を引率していくことになりますが、実力はあっても社会性、社交性に乏しく、政治力を持たない人物では、全剣連という大きな団体を纏め、引率することは難しいでしょう。
金品を受け取る側は、受審者からの心付けはありがたく頂戴するも、だからと言って不正を行うことをせず、また、一方通行ではなくて、合格した者には受け取った金品からお祝いの品を送るのが、審査における金品授受のマナーだと私は考えますし、昔の人はそのようにしてきたものだと思います。
現金や商品券等で三万円を頂戴したのなら、心付けとして一万円分だけ頂戴し、残り二万はお祝い返しに充てる。不合格の者にも「次こそ合格するよう、これで稽古着を新調して頑張りたまえ」と返していれば、マスコミを騒がせるようなニュースにもならず、古き良き日本の伝統として逆に美徳として取上げられたのではないでしょうか。少なくとも私ならそのようにします。それが芸事における礼儀作法です。
こうした昇段試験における金品の授受は、全剣連にとどまらず、華道や茶道の世界でも慣例となっています。相手に対して礼を尽くすという良き慣例を守って頂き、けして邪な悪しき慣例にはしないでいただきたいものですね。
尚、昇段試験に合格したら、「合格できたのは先生のご指導のお陰です。ありがとうございます。」と、一万~二万程度の金品を師に贈ることも、古い流派や道場では礼儀作法の一つとして今も受け継がれていますし、そうした謝礼金をはじめから段位認定料に含ませているところもあります。早い話が外税表記か、内税表記か、と言ったところでしょうか。
続いて今回の騒動の告発者について私の感想を述べます。
今回の650万という金額ですが、かなり鯖をよんでいるのではないか? 私は金額を聞いた時にこの金額はありえないと思いました。
八段範士になったからといって、それで収入が増えるわけではありません。毎月100万、200万とお金が入ってくるなら650万円という金額もありえますが、そうではない以上、この金額はあまりにも法外です。信憑性には疑問符をつけざるをえません。
今回の件では様々なマスコミが取上げ、金額や不正の文字だけが目立っていて、告発した人については深く触れていませんが、この告発者自身もかなりの曲者ではないかと私は思います。
そもそも今回の件は、この告発者が範士八段のとある先生に、自分の昇段試験に関して応援要請をしたことに端を発しています。
ここで言う応援ってなんでしょう?
審査時に「フレー、フレー」と応援して下さいと言う意味ではないことは明白です。自分が優位になるよう根回しして欲しいということですよね? 自ら不正の手助けを願い出たのに、それに多額の金銭を要求されたから告発? これって自分から喧嘩をしかけておいて、やり返されたとたんに暴行を受けたと被害者面するようなものではないでしょうか?
審査における付け届けについて私なりの見解を解きましたが、皆様のご感想は如何でしょうか?
今後こうした古き良き慣例が賄賂として問題にならないためには、
・付け届け分審査料にはじめから上乗せしておく。
・金品を受理した側は、まるまる懐に納めるのではなく、半分から三分の二は合格祝い、或いは残念賞としてお返しをする。
・付け届けの金品の上限額を定める。
で良いかと思います。
あと、20日放送の中でいささか気になる言葉があったので、それだけ正させて頂きますが、
「歳を重ねた者は体力が落ちるため、円熟期を過ぎている。高段位は名誉職である。」
と言うのは半ば正解ではありますが、必ずしもそうではありません。そこがスポーツとの違いでして、よほどのよぼよぼにでもならない限り、強い人は歳を重ねても強いのが武術・武道の世界です。
柔道の三船名人や剣道の持田名人、合氣道の塩田名人等の動画をご覧になってください。
自ら走り回り、筋力を必要とするスポーツとは異なり、達人と呼ばれる方々は最小限の動きで相手に勝ちます。相手の力を応用したり、立ち位置や軸、バランスと言った肉眼では理解し辛い技術を駆使します。
ですから居合の高段者が円熟期を過ぎた只のお飾りというのは間違いです。歳を重ねてきたからこそ会得できる業(わざ)もあるというのを忘れてはいけません。
ただ、全剣連に限らず今の居合道家には達人は皆無に近いのは確かです。だからこそ私は五段以降、昇段試験を受けませんでした。
自分自身が教えを請いたいと思える先生方がいない連盟からの印可状に、私は何の価値もないと思ったからです。
私は段位や称号よりも実を選びました。不器用な生き方を選びましたので、時折テレビを通じて修業の成果を披露させていただく程度で、門弟も集まらず細々とした道場運営をしておりますが、後悔はしていませんし、今後も大きな団体に所属して活動する気持ちはありません。誰からも縛られず、自分自身が求める武術としての居合術の修練を重ねて行きたいと思います。
最後に…
全剣連は一度私を招いて、居合道部門の方々に講習会を開催して頂きたい。今の連盟の居合に何が欠如しているのか、また、実力で八段や範士になれなかった人に対しては、付け届けの有無だけが理由ではなく、貴方自身の技量が乏しいから落とされたのだという現実を、丁寧にお教えしたいと思います。