私は上京するたびに、青木久先生のお世話になっています。
修心流をサポートして下さり、稽古場や私の宿泊先をご提供頂いています。
たまにご一緒に稽古もしたり、稽古後の夕食会を終えると青木先生宅で常に武術談義で華を咲かせ、お互いに己が得意とする業や理合を公開しあって、業を共有させていただいています。
私と青木先生のお付き合いが、公私共に親密であり、友情でつながっているのは、互いに共有する業の出典元を明確に公言しているからです。
青木先生は海外へのご指導も多く、頻繁にイギリスやヨーロッパ諸国に行かれますが、そこで指導される際に、私から教わった業に関しては、何一つ隠すことなく
「日本に修心流居合術兵法と言う流派があって、この業は修心流の町井勲先生から教えて頂いたものです。」
と門弟さん達に言われます。
私にとっては修心流居合術兵法の良い宣伝にもなるので、このように出典元を公言して頂けるのは本当にありがたいです。
勿論、私が門弟達に指導する際にも、
「今から稽古する業は、青木先生から教わった業です。」
と明確に出典元を述べた上で指導しています。
私はこうした明確に出典元を説きながら交流する姿こそ、武辺者の本来あるべき姿だと考えています。
私の元には剣道、空手、合氣道、少林寺等、他系統の指導者の方も学びに来られます。深くお付き合いを続けている先生方もおられれば、そうでない先生もおられます。
前者は青木先生同様に、門弟さん達にも修心流居合術兵法と私の名前を公言される方で、後者の場合は私がご指導さしあげた業を、修心流居合術兵法と私の名前を伏せ、ただただ剽窃するだけの方。つまり、私がご指導さしあげて身につけられた業を、あたかも自分自身が研究発展させて独自に習得したかのように振舞う方です。
私も人間ですので、そのような姿を垣間見ると、あまり良い気持ちにはなりません。自然とその方との距離を広げ、術理について尋ねて来られても笑顔で適当に返し、本質については何も語りません。
今、何故このような記事をブログに挙げるかと言えば、今朝方、英信流の初伝形七本目『介錯』を剽窃した他流派の動画を目の当たりにしたからです。
他流派の形でも稽古に良いと思えば取り入れる。その姿勢は素晴らしい事ですが、それをあたかも自流に数百年前から受け継がれているものとして世界に公開する姿には嫌悪感しか抱けません。
その姿はまるで日本の苺や蜜柑を剽窃する歴史捏造反日隣国と同じではありませんか。恥を知れ!と思うばかりです。
そしてそんな泥棒流派、嘘吐き流派の捏造歪曲を、真実を知らずに、いえ、知ろうともしない国内外の方達にもどかしさを感じずには居れません。
書籍出版にあたっても、出典を明確に記すことが当たり前の今の時代、流派に於ける稽古法や形についても、出典元を明確にした上で稽古して頂きたいと願って止みません。
ブログ拝見致しました。全くその通りですね…英信流の介錯は独特の形で他流では見ない理合ですから…首を完全に切らぬよう刀を腰の位置で止めたり、抜いた刀身は本来相手に見せぬよう自分の背に隠す様に構えると教わりました。今の福井さんに宗家が代わって元の町井さんが研鑽する理合や形に近くなって来ているように感じます。納刀の形はどうであれ、斬る時や刀の構えは自分は大会とは違う実戦様式で形稽古しています。自分の師匠もそれで良いと言っています。今の師匠は元の師匠の後輩で20年以上ぶりに居合を再開した私とは旧知の仲で疑問に思う理合は勝手に変えて、大会様の形と別にしてます。教わった人の名前を公開せず、自分が恰かも開発した様に言っては武士の風上にも置けぬ所業です。切腹ものですよね…自分は貧乏なので地元で今年来年と4段5段と昇段するのが精一杯で、6段昇段や他流に学ぶ資金に余裕が無いのですが、士道に恥じる事は例え段が低くともしないのが本当の武士 士道であると信じます。示現流と私の師匠も言ってますが段は実戦には全く関係ないとおっしゃっております。要は剣の強い弱いは本人の修練で年数や金で買った名誉段では無いと…剣道連盟の件も有っただかりなのに自分の名誉の為の偽行は誠に情けないですね。剣は本来自分を磨く為にあると思うのですが…少しは山岡鉄舟や桐野利秋を見習って欲しいものです。ブログ見ながら陰ながら応援しています。自分は現代の桐野利秋になるつもりですが…彼は自分の技が誰から習ったか恥じることなく正直に人に言ったそうです。その上で自分は我流だと言っていたそうです。嘘は自分を滅ぼすだけですよね…町井先生 他人の悪意に惑わされず士道を貫いていって下さいますよう応援しています。