鎌倉時代の大和の名刀 ~手掻~

鎌倉時代の名刀
無銘(手掻)
– Mumei(Tegai) –
 
手掻派は東大寺に所属した刀工集団で、東大寺西の正門、転害門の門前に居住していたことから、手掻と呼称されています。大和五派中最も規模が大きく繁栄し、且つ技量が安定している一派として知られ、手貝町、包永町などの地名を今に残しています。
手掻派の始祖は鎌倉時代中期の正応(1288)頃の包永で、名物『児手柏』(大正十二年の関東大震災で焼失)や岩崎家所蔵品の国宝、他に重要文化財6口が知られているものの、これらの指定品は磨り上げられて茎尻に二字銘が残されたものであります。手掻派を代表する刀工としては、他に包吉、包清、包友、包利などがおり、正宗十哲の一人、兼氏(初銘包氏)も手掻派に属したといわれており、同派は南北朝期を経て室町時代まで続き、南北朝時代までの作品を『手掻』、應永以降室町時代の作品を『末手掻』と呼称し、大和五派の中で最も沸が強く、地鉄が冴えるのが特徴とされています。
 
この脇指は元々二尺八寸はあったであろう太刀を大きく磨り上げたもので、注目すべきはその重ねの厚さ。研ぎ減りが殆ど無く頗る健全であることです。樋先が下がっていることから、棒樋は室町時代以降に掻かれたものと推測され、この脇指が太刀や刀で有った頃、いかにずっしりとした一刀であったかを物語っています。
 
小板目流れて柾がかり、良く練れて詰むも少しく肌立ち、地沸厚く付いて精美。匂口は極めて明るく冴え、焼き出し部分には一際明るく輝く金筋が、二重三重と重なり、中直刃調に僅かに湾れごころを交えた刃取りに、砂流や二重刃、打除風の刃に食い違い風の刃を交え、刃縁に大粒の沸が砂を撒いたように付いて、力強さを感じさせます。上記の如く出来頗る良い作品であり、これが二尺二寸を超える刃長で残っていれば、一発で重要刀剣指定を受けるであろう最高の作品です。家宝として御所持頂くにも恥じない名品を是非この機会にお求め下さい。
※元々刀であった頃のはばきを、磨り上げて脇指に直してからもそのまま装着しているようです。刀身に比してはばきがやや大きく感じられます。余力有る方は新たにはばきを誂えて全体のバランスも整えられると良いでしょう。
 
裸身重量490グラム。

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