粟田口近江守忠綱(初代)

  粟田口近江守忠綱(初代)
粟田口近江守忠綱(初代)
– Awataguchi Omi no kami Tadatsuna(First generation) –
 
初代忠綱は慶長14年に播磨国姫路に生れました。姓は浅井で、 粟田口國綱の後裔と称し、銘に粟田口を冠しました。寛永14年頃より山城にて鍛刀し、後の慶安元年頃に大阪に移住。延宝4年67歳の作までのものが経眼されます。子に名工の誉れ高い一竿子忠綱をはじめ、摂津守忠行、近江守忠光、正綱がおり、弟子に、長綱、包綱、廣綱、吉綱等がおり、初代忠綱は大阪新刀を代表する名工の一人として名高い人気工です。
 
この刀は小板目肌が良く練れて詰んで少しく肌立ち、地景を交え、刃文は中直刃明るく冴え、刃縁に金筋や砂流交え、解れ風の刃を交える等、玄人好みの変化を見せる出来口を示しています。
 
附属の拵は素銅の菊花切羽と金着切羽から成る四枚切羽で、金具は全て銀無垢の一作揃。鐔は京透かしの名品が添えられており、笄も上品な物が添えられ、柄巻は漆仕立で堅牢に仕立てられ、鞘は青貝微塵散塗と、なんとも贅を尽くした名品で、拵だけでも独り歩きできる逸品。昭和27年の初期登録であることから、地方の小大名或いは大々名の家老クラスの指料であったことが窺えます。
 
裸身重量759グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,037グラム。

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