脇指アップしました。

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https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/851/00.html

素敵なご夫婦

午前10時頃には、出鮫合口短刀拵の新調をご依頼下さっていた馴染みのY様に、出来上がった拵を納品。
予定納期が大幅に延び、二年程お待たせしてしまい心苦しい思いでしたが、笑顔で御受取り下さったので、心が救われました。
ありがとうございます。Y様。

 

その後11時頃お越し下さった若いご夫婦が素敵すぎたので、ご紹介させていただきます。

太刀の購入を検討されているとのことで初めてのご来店。
うちの三男が玄関を開けると、奥さんはギャルだし、旦那さんもピアスしてたり貴金属付けてたりと、今時の若い御夫婦でして、生後五か月の赤ちゃんもご一緒。

てっきり旦那さんが太刀を購入されに来られたのだと思いきや、奥さんの太刀を購入検討中とのことでビックリ!

まだお若いし、刀のことちゃんと扱えるのかなぁ… 取り扱い作法はご存知なのかなぁ… と、少し不安を覚えたのですが…

私が奥さんに太刀を手渡したところ…

柄(茎)を立て、時代と刀姿を見ておられるではありませんか!!

作法通り、まずは茎を立てて姿をご覧になる姿を見て私はビックリ!!
いつのまにやら指輪も貴金属も外しておられた!!

このご夫婦… 若いけど只者じゃないぞ(笑

 

しっかりとした作法、しっかりとした言葉遣い、刀剣に対する情熱、それらが物凄く強く伝わってきました。
お互いに交代で娘さんの面倒を見ながら、とても仲良く刀を鑑賞される姿は、同じ刀剣趣味人としてとても羨ましく…

元々は旦那さんが始めた刀剣趣味なのだそうですが、奥さんも旦那さんに感化されて今や同じ趣味とは… 絵にかいたような理想のご夫婦でした。

このお二人なら安心して刀剣を手に鑑賞頂けると思ったので、様々な名刀も手に取って頂き、ちょっとした鑑賞会を。
娘さんもぐずらず大人しい。そして笑顔がとても可愛い。

他店の乱れ刃の短刀と、うちの直刃の古い太刀とで迷われていたのですが、奥さん、直刃の魅力にも目覚められたようで、めでたくうぶ茎在銘の室町前期の太刀が、このご夫婦のもとにお嫁入が決定しました。

そしてお支払いの時にまたもや私を感動させることが…
本当に些細なことではあるのですが、お札が全て同じ向きにしっかりと整えられている。

一振の太刀を迎えるにあたり、ここまでしっかりとした準備をされておられた様子に感銘を受けました。

 

お子様のお話の際には、娘を持つと悪い男が寄ってこないか不安ですよね。若い頃頃(やんちゃ)の自分のような男が、娘さん下さいって来たらどうします?
「絶対反対します!」
なんて笑いも絶えず、楽しい時間を共有することができました。

あかちゃんの足やほっぺたって、ぷにぷにしていて弾力があって、触れると気持ちいいですよね。
年甲斐もなくお二人の大切な娘さんのほっぺと足をたくさん触らせて頂き癒しを頂きました。
本当に赤ちゃんってなんでこんなに可愛いのやら。

素敵なお二人に、また愛刀をお世話できる日が来ること、娘さんの御守刀をお世話できる日が来ることを楽しみに、またのご来店をお待ちいたしております。

 

美しき刀装具の世界

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美しき刀装具の世界

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藤安将平作 大般若長光写太刀

長光 マサヒラ作(大般若長光写)
– Nagamitsu Masahira –
東京国立博物館所蔵の国宝『大般若長光』の写しである。
大般若長光は備前長光作の太刀で、室町期としては破格の代価といえる永楽銭で六百貫と評価されたことから、大般若経六百巻に因み、「大般若」の異名を得た。
元、室町将軍義輝所持で、小虎之太刀とも呼ばれていたが、義輝が永禄8年(1565)5月19日、松永久秀と三好三人衆に襲われて敗死した際、三好下野守政生入道謙斎(一説に三好長慶とも)の有に帰した。
後、織田信長の所持となったのは、信長の援助で京都に帰還した将軍義昭を、永禄12年(1569)正月、謙斎ら三好一族が攻撃し、かえって撃破された以後のことのはずである。
信長は元亀元年(1570)6月、姉川合戦の際、徳川家康の来援に謝して、大般若長光を家康に贈った。奥平信昌は父:貞能と共に、元亀元年(1570)6月、江州姉川の戦に徳川家康軍として参戦したが、やがて武田信玄側について、弟の仙丸を人質に出していた。信玄が天正元年(1573)4月急死すると、家康は7月、菅沼正貞の守る長篠城攻撃を始めるとともに、旧臣である奥平信昌と、14歳の長女:亀姫との婚約を条件にして家康方に寝返らせた。弟の仙丸は磔刑になるという悲運に泣いたが、信昌は長篠城主に抜擢されるという好運に恵まれた。
家康は長篠合戦における奥平信昌の長篠城固守の功を賞して、元亀4年(1576)7月、自らの娘の亀姫を信昌に入輿させると共に、遠江(愛知県)の領地の加増、及び大般若長光を信昌に与え奥平家の礎ができた。
大般若長光は、上野国吉井(群馬県多野郡吉井町)、二十万石の藩主:菅沼定利の養子となった信昌の三男:奥平摂津守忠政が継承し、その嫡子:奥平飛騨守忠隆に伝わっていたが、忠隆が25歳で早世し、その子:右宗も4歳で幼死したので菅沼家は断絶した。そのため大般若長光は、忠政の弟:松平下総守忠明が譲り受けることになった。忠明の母は家康の長女でもあるので、家康の養子となり松平の姓を与えられ、晩年には十八万石、播州姫路(兵庫県)の藩主となり、その子孫は武州忍(埼玉県行田市)藩主として明治を迎えた。
その後、大般若長光は大正初年同家を出て、山下汽船の山下亀三郎の手に渡り、大正12年の関東大震災で蔵が倒壊して下敷きになり曲がってしまったが、研師:吉川恒次郎の手によって直された。
大正13年3月、山下家売立の際出品され、一万二千円まで値がついたが親引きとなり、後、伊東巳代治伯爵の手に移り、昭和6年12月14日に重要文化財(旧国宝)に指定された。
伊東伯爵の死後、1939年(昭和14年)に旧帝室博物館(現東京国立博物館)に買い上げられることとなり、その際に提示された買上価格である6万円は話題となった。1941年(昭和16年)、遺族からに正式に帝室博物館に譲渡され、戦後も引き続き東京国立博物館で所蔵されている。1951年(昭和26年)6月9日に文化財保護法に基づく国宝(新国宝)に指定され、現在は国有で東京国立博物館が蔵する。
長船長光は、鎌倉時代の刀工としては比較的に多作であり、数多くの名刀を世に生みだしている。長光の名作中にあっても「大般若長光」と「津田遠江長光」はその筆頭であり双璧と並び称されている。二振ともさながら父:光忠に見紛う堂々たる風格を表し、華やかな丁子主調の乱れが見事であって甲乙つけ難いが、「津田遠江長光」が無類の健全さを持しているものの磨上げられて本来の踏張りのある太刀姿がやや失われているのに対し、「大般若長光」は生ぶ茎で猪首切先の雄渾な太刀姿を保って貫禄十分といわれている。
国宝に指定される刀剣の総数は122振にのぼり、相州正宗が最も多く9振となり、それに次いで長船長光が6振を数えるが、国宝に指定される6振の中でも「大般若長光」「津田遠江長光」「三所権現長光」「谷干城遺愛」の4振が長船長光の代表作であり、「四大長光」「長光四名作」として広く知られている。
(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)
大般若長光の本歌は、刃長73.6センチメートル。反り3.0センチメートル。造り込みは鎬造、庵棟。刀姿は腰反り高く、切先は中切先詰まり猪首となる。地鉄は小板目肌が詰み、地沸細かについて乱映りが立ち、刃文は高低のある丁子乱を主体に大丁子、互の目交じり、足・葉よく入り、ところどころ金筋入り、総体に匂口冴える。帽子は乱れ込んで先は小丸に返る。彫物は表裏に棒樋を丸止めとする。茎は生ぶで、先を僅かに切る。鑢目は勝手下り。目釘孔2つ。佩表に「長光」二字銘がある。
この太刀は、古刀再現第一人者である現代の名工、藤安将平による大般若長光写しの作品。姿や法量を本歌に似せ、掲載写真では肌立って見えるも、肉眼で見るに、地鉄は小板目よく練れて詰み、地沸細かに付いて淡く映り立ち、刃文は匂口明るく冴えた高低ある丁子乱れを主体に、大丁字に互ノ目を交え、刃中には足や葉、金筋が入り、鋩子も本歌同様に乱れ込んで先小丸に返っている。
現代刀匠の多くが、土取りに於いて押形からデッサン方式で刃文構成を人工的に焼くのに対し、将平刀匠は地鉄の練り方、そして自然な土置きによって、自らの技術と炎と水によって大般若長光らしい刃文を焼き上げている。故に刃取り構成を本歌と同じ形状に拘る方の眼から見れば写しとして物足りなさを感じるかもしれませんが、刀剣趣味玄人の方の眼からすれば、大般若長光の影打の太刀か?と識者を唸らせる出来口です。
将平の作品には必ずと言って良い程鍛錬疵が現れますが、本作は殆ど鍛錬疵が無いと言って過言ではない力作!!
当店の写真撮影技術では、本太刀の出来の良さを存分に表現しきれないので、是非とも現物を手にとり、その出来、再現の高さをまじまじと実感頂きたい優品です。
裸身重量700グラム。
各種クレジットカード、ショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

刀 無銘(新刀寿命) 二尺四寸三分 町井勲監修武用拵新調済

無銘(新刀寿命)
– Mumei(Shinto Toshinaga) –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1662/00.html

7月に公演させていただきました、HIH国際塾での動画を御紹介致します。

HIH国際塾よりご依頼頂き、7月に行いました公開演武と講義の様子を御紹介します。

この動画を見れば、日本刀のことや士(さむらい)のことがよくおわかりいただけるかと思います。

56分程の動画になりますが、どうぞ始めから最後まで御覧ください。

特に『士』と『侍』の違いや、当時の武士がどのようにして戦っていたのか等、今広く誤認されている常識が覆るかと思います。

下記画像をクリックすると動画をご覧になれます。

短刀 (菊紋)河内守源廣信

8/18に開催した第一回「刀剣取扱作法講習会並びに刀剣鑑賞会」にご参加下さった方からのお手紙

8月18日(日)に刀心大阪にて開催致しました、第一回「刀剣取扱作法講習会並びに刀剣鑑賞会」にご参加下さった方からのお手紙を御紹介させていただきます。
とても嬉しいご感想を書き綴って下さいました。私を含め、スタッフ一同励みになります。ありがとうございます。

 

 

美術刀剣 刀心 町井さま 皆様

ご多忙中失礼致します。
本日、講習会に参加させて頂きましたAと申します。
本日は誠に有難うございました。
町井先生の全てに理由をつけて教えてくださるご教示、丁寧な図解や一つ一つのお言葉、皆様のご経験に基づくお話、拝見・触れさせて頂いた個性豊かな刀剣から、今まで知らなかった多くの事柄を学ばせて頂きました。
手入作法講習用にご用意頂いた脇指は、こんなにも鞘からの抜き差し、柄の脱着が固い白鞘があること、洋鉄故の整った様子を体現する姿、その装いで彫られた銘と、数々の衝撃を受けた一振りになりました。
波平行安の「実戦刀の姿」も圧巻でした。映りの棟側の強度を上げているという機能の一助も伺えたように感じます。今後は傷を見たら周辺も注意深く観察してみようと思います。
直秀は帽子の中の刃文が白熱灯にかざさなくても判然と見えること、そしてよく研がれた刀を触れるというかけがえの無い体験をさせて頂きましたこと、感動しました。
それらを拝見した後の島田義助で、肌立つ地鉄に沸立つ刃文と、相州伝の介在物あり玉鋼の特徴を実感できた気がします。個人的に相州伝の肌が好きなので、拝見できて嬉しい気持ちもありました。
鎌倉・末相州・江戸・洋鉄の肌目を一挙に比較できた経験も印象に残りました。「介在物が少なくなる、なくなること」でどのような変化が起きるかの一端を体感させて頂けました。
私の愛刀の目釘に関しまして、ご査収並びにご指導を頂き誠に有難うございました。
ズレていた故の硬さ、そのズレを直す方法をご教示頂けて本当に助かり、勉強になりました。
お陰様で、帰宅後に目釘を抜き、茎を見ること、および刀身全体の手入れ、そしてその後、元通りに戻す(組む)工程を行うことができました。
本当に有難うございます。
この一振りは(鞘の抜き差しや柄の脱着に)力を込める必要はございませんでしたが、ご教示頂きました抜き方も実践してみました。また、ついに茎の手入れができたので、手に付着した油での手入れも行ってみました。
ついに茎と、根本の刃文や肌を見られて感無量でした。銘に裏の腰樋痕、根本の小さな金筋や板目、刃文の立ち上がりを見て、また、全身を手入れして、よりこの一振りの魅力に触れ、より一層好きになりました。
改めまして、お譲り頂きましたことにもお礼申し上げます。
刀心さんにご縁を頂けましたこと、改めて大変幸いに思いました。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
尚、ご多忙の折、お返事に関しましてはお気遣いなさらないで頂けましたら幸いです。
長々と大変申し訳ございません。

第一回、刀剣取扱作法講習会、鑑賞会の様子

本日掲載の刀剣