2018年のアーカイブ
修心流居合術兵法 演武
早い話になりますが、来年の四月に門弟達と演武会に参加することにしました。
門弟の中には
「私の拙い演武で修心流に恥をかかせてしまわないかが心配です。」
との声も聞かれましたが、そんなことはありません。たった数年ではありますが、着実に技術は身についています。
そんな彼には二刀形の演武を披露してもらうことにしました。
入門からまだ数ヶ月の門弟も、全力を尽くして頑張ると意気込んでいます。彼らには組居合形を披露してもらうことにしました。
最古参の柳原は初めての仕太刀を担当してもらいます。
これまで技術が拙く、そのため確実に業を繰り出すことができなかったため、演武においては常に私が仕太刀を勤めてきましたが、ここでようやく上級者が打太刀を勤めるという本来の演武を披露できそうです。
来年のこの演武会は門弟達が主役です。また演武会が近づいてきましたら、詳細を皆様にお知らせいたします。
ごめんなさいは負けではない
私の知人に絶対に謝らない人がいます。
真摯なごめんなさいはもとより、軽い感じでごめんねと言うことすらできません。
だから知人はしょっちゅう他人を怒らせ、小さないさかいを大きな喧嘩に発展させてしまうのです。
私は腹の中でどう思っていようが、その場を円くおさめることができるのなら、ごめんなさいねと何の気兼ねもなく言えるのですが、その知人曰く、悪いと思ってないのに謝る必要はないし、心からの謝罪の言葉ではないものを言われて相手も嬉しいわけがないと言うのです。
なんだかなぁ…
と私は思うのですが、以前少しだけお付き合いしていた某空手家の先生は
「男が簡単に謝ってはいけない。」
と私に言いました。
確かに安易に謝るのも要らぬ誤解を招いたり、己が不利に立たされたりするのでわからないでもないのですが、やはり私はごめんなさいの一言はとても大切なものだと思います。
因みに上述の空手の先生は、明らかに自分が悪いことをしたのにもかかわらず最後までごめんなさいは言わなかった。有言実行と賞賛すべきことかと言えばそうは思えません。自分が犯した悪いことに対して謝罪ができないその先生を、私は傍で見ていてとてもかっこ悪い自分勝手な人だと思いました。
私は妻と喧嘩しても、必ず自分の方から折れます。夫婦喧嘩の原因はいつも些細なことなので、互いに言葉を選び、言いたいことを我慢できれば喧嘩にもならないのでしょうが、なかなか理想通りの言動ができないのが歯がゆくもあります。とにかく妻はプライドが高く、喧嘩後も暫くは苛立った姿をみせるので、早く普段の妻に戻ってもらいたいと思う私は、自然と自分の方から折れるのです。
男の方から妻に謝るなんて、侍の時代(武家階級の世界)では考えられないことなのかもしれませんが、私は自分からごめんねと言う言葉をかける姿を子供に見せることで、子供達に素直にごめんねが言える大人になってもらいたいと思っています。そんな理想を掲げているつもりですが、子供たちから見ると妻に頭が上がらないダメ亭主に見えているかも(笑
私はごめんねの一言が、心からの謝罪ではないものだとしても、その場を円く収めるために必要であればそれは意味がある一言だと思います。
そうですね…
例えば、燃えやすい物の近くに火がついたタバコの吸殻があったとしましょう。自分は絶対に悪くないから軽いノリのごめんねも言えない人と言うのは、
「自分が捨てた吸殻でもないのに、どうして自分が消さなきゃいけないの?」
と言う人のようだと思います。
小さな火種がボヤになり、やがて大火事に発展してしまうことを防ぐには、ごめんなさいという言葉の水をかけることも必要ではないでしょうか?
火種を消したあとに誰が捨てた吸殻なのかを特定すればいい。それが最善の方法だと私は信じてやみません。
私が幼い頃には素直に謝ろうとか素直に感謝しようというのを啓蒙するテレビCMがよく流れていたものですが、最近はそう言う道徳を説くCMもめっきり減りましたね。







