鐔3点追加しました。
https://nihontou.jp/choice03/tousougu/tuba/list.htm
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いよいよ今夜22時放送です。
是非ご覧ください。
無銘(龍門)
– Mumei(Ryumon) –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1563/00.html
大和龍門派は千手院派の流れを汲むと伝え、吉野郡龍門荘に住したことからこの名があり、延吉によって代表される。同工の作風には、華やかな乱れ刃を焼いて、地に映りを現した備前気質の強いものと、映りの目立たない伝統的な大和気質のものとの両手がある。
この刀は、地鉄は板目に流れ肌を交えて総じて詰み、地沸厚く付き、地景が細かに入り、刃文は直刃調に小丁字・小互ノ目が交じり、刃縁に解れ・二重刃・食違刃現れ、匂口明るく沸よく付き、金筋・砂流かかる等、地刃に龍門派の後者の出来が示されており、極めの首肯される処である。鉄色の明るい錬れた鍛えが良く、刃文には明るい刃沸が厚く付いて冴え、地刃も頗る健全である。
※重要刀剣図譜より
龍門派の年紀作は未見ながらも、諸書には鎌倉後期正応頃或いは文保頃とあり、大和伝ながら映りが立つのが特長で、中でも国宝に指定されている後水尾天皇御料と伝わる延吉の太刀が有名。
裸身重量711グラム。
豊後住藤原實行
– Bungo ju Fujiwara Saneyuki –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1560/00.html
平安時代から続く豊後鍛冶は、九州に於いては薩摩に並んで古くから作刀が盛んで、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄え、特に室町期から江戸初期に掛けて最盛を迎えました。
古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから、藤原高田と汎称します。 古来より実用刀としての評価が高い一派で、武用刀として数多の武将に愛用されました。
銘鑑によると、実行は南北朝期の應安頃(1368~)に現れ、友行の子と伝えられています。その後、室町期を通じて六代続き、新刀期には肥後細川家の飛地となった同地で鍛刀を続け寛政頃(1800)頃まで数代に渡って高田の地で活躍。隣国である肥前忠吉系との技術交流もあったようです。
この刀は反り浅めで元先の幅差開いて中切先。庵棟低目で茎は平棟。典型的な寛文新刀体配で、元幅広目且つ重ね厚目の強靭で健全な姿をうぶのまま現代に伝えています。
地鉄は小板目に杢交じり、よく練れて詰み、地沸付いて精緻な地景が煌めき、刃文は匂口明るく冴えた直刃を焼き上げ、刃中には刃肌に絡んだ細かな金筋や砂流と言った変化と働きが看守され、指表物打辺りに見られる刃中でぷつりと切れたような太い匂口には、上述の肥前忠吉系との技術交流説を首肯させます。特筆すべき鍛錬疵はありませんが、それでも敢えて疵を探して記載するなら、指表はばき上5センチ位の平地に小疵とも称せぬ物がある程度。鋩子は表裏共に直ぐに先丸く横手やや下迄焼き下げています。
現状では横手上1センチ位のフクラに極小さな刃毀れ(刃先を何か硬い物に当てたような感じ)が在りますが、部分研磨と上記の小疵を修復し、化粧仕上げ直しを施してお納め致しますので、研ぎ上がったばかりの實行の地刃の冴えを存分に御堪能頂けます。
特別保存刀剣審査を是非御受審頂き、お客様の手によって更に価値ある一刀への育てて下さい。
※現状でも充分に鑑賞に耐えうる研磨状態ですが、出来頗る良い一刀だけに研磨渡しをお薦め致します
無銘
– Mumei –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1559/00.html
元先の幅差目立っては開かず、切先延びる。地鉄は小板目柾流れよく詰むも肌が荒れた箇所が見られ、淡く映りごころが在り、刃文は互ノ目に互ノ目丁字を交え、刃中に葉や砂流が見られ、足入り、刃縁から匂口が尖り状に延びるなど、平地に向かっての働きが盛んに見られ、鋩子は表は焼や幅狭く直ぐ調に先丸く返り、裏は焼きたっぷりと直ぐ調に先丸く返る。
付属の拵は柄にガタツキは無くしっかりとしていますが、鐔鳴りはしますので責金を施されることをお薦め致します。鞘から払って構えてみると、手元重心で非常にバランスが良く、扱い良さを感じさせますので、片手操作が主となる居合の形稽古にも最適です。
※責金工作は11,000円(税込)にて承ります。
裸身重量710グラム。 拵に納めて鞘を払った重量1020グラム。