何かを捨てなければ新しいものを得ることはできない

修心流居合術兵法の動画(ユーチューブ)に投稿されたコメントです。

 

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あなたは夢想神伝流の事をあれこれ言いますけど、ではあなたは夢想神伝流を学んだ上で使い物にならない空想論だ、とおっしゃってるのでしょうか?

想神伝流に触れず、 ただ人から聞いた話や見た目だけで解釈してそういった発言をされるのでしたら、そういった話はするべきではないと思います。

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自分が学ぶ流派のことをとやかく言われて気分が良い人は居りません。それは私も解ります。しかしながら歯に絹着せずに物言うことしかできない私はハッキリとこう言わせて頂きます。

夢想神伝流に触れずとも、使い物にならない空想論だと断言できる。と。

中山博道氏によって創流された夢想神伝流は、博道氏による独自の解釈のもと広められた現代居合です。博道氏は英信流をまともに学べなかったため、英信流の形を見て、各所作の意味を勝手に想像して理合づけていると言えます。

夢想神伝流のみならず、全剣連の英信流など、全て剣道色が強いように思います。

今現在のところ、夢想神伝流を名乗る先生方に、私を驚かせるだけの実力者は居りません。所作は美しくとも、実戦に於いて勝を得る武術ではなく、形を演武するだけの形居合です。

私に真向から否定されることに対し、苦々しく、また、腹立たしく思われるよりも、何故私がここまで断言するのかを考えて頂きたい。

植えつけられた既成概念を捨ててこそ、新しいものを得ることができるのです。

 

そもそも居合形だけを修練していては、武術として何も学ぶことはできません。本来居合は、剣術、体術を修めた者が学ぶ武術と私は認識しておりますが、世間一般の居合修練者はどうでしょうか?

居合だけ(形居合)しか学んでいない者には居合を語る資格はありません。何も真髄を学べていませんし、体得できていないのですから。

時折、剣道、杖道、合氣道、空手と言った他の武道・武術を平行して修練されておられる方も居られますが、それとて学ばれた各技と居合形とで正しくリンクできておりません。故に合氣道有段者でありながらも、柄や鞘を掴まれると身動きが取れないという居合修練者がいるわけです。

使えない物を使えるものだと堅い頭で居りますと、真の居合には辿り着けないということです。

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