泰慶彫同作 昭和五十二年夏  祝誕生三宅大輝父贈之昭和二二十九年十月三十一日

泰慶彫同作 昭和五十二年夏 
祝誕生三宅大輝父贈之昭和二二十九年十月三十一日
– Yasuyoshi –
 
 
本名、清水精也。名工酒井一貫齋繁正に師事し、新潟で活躍した刀工です。
 
この短刀は姿好く、棟刃三ツ棟。表には三鈷剣、裏には護摩箸を兼ねた二本樋が丈比べに掻かれ、力強さを感じさせます。地鉄は小板目肌緻密に練られ地沸付いて精美。刃文は匂口極めて明るく冴え渡り、小湾れ調子の刃取りに互ノ目を焼き、刃中足頻りに入り、金筋や稲妻盛んに看取され、細かな砂流も見られる。総じて刃肌に絡んだ複雑な変化と働きが見事で、相州伝を巧みに焼き上げた本短刀は、指表元の方の刃中刃縁寄りに見られる小さな二つの膨れこそ惜しまれるものの、全体の出来の良さがその欠点を補っている。
需銘にもあるように、三宅大輝なる人物の生誕を祝い、その父から過分な程の愛を注がれて鍛えられた一刀。父親は刀剣の造詣に深かったものと見え、子息成人の折にも無鑑査刀匠であった弘邦刀匠の作を贈っている。
三宅大輝氏本人に刀剣の趣味がなかったのか、或いはやむを得ない事情から手放さざるを得なかったのか知る由は無いが、今、氏に買い戻す余力があるなら、本刀と弘邦の短刀二振を是非とも再所持頂きたいと願う。
いずれにせよ出来良い愛情の籠った優品。
※膨れ補修研磨承ります。今より目立たなくすることが可能かと思われます。
 
裸身重量196グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

備州長船住守長(額銘)

備州長船住守長(額銘)
– Bishu Osafune ju Morinaga –
 
 
守長は銘鑑によれば畠田派の守重の子とある。作刀の現存するものはそれ程多くないので、作風の特色は詳細には言い得ないが、他にも長巻があるので長巻が得意であったのかも知れない。
 
この脇指は元来薙刀であったものを大きく磨り上げて脇指に仕立て直された所謂薙刀直し。地鉄は杢目肌が緻密に練られて沸付き、映りが立ち、刃文は匂口明るく、湾れ調子に互ノ目や丁子ごころが交じり、荒めの沸交じり、刃中には足、砂流、金筋が看取され、総じて地刃の出来が良く、まさに名品、名刀との呼び名が相応しい出来口を誇っています。
 
裸身重量442グラム。
 
 
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大和守藤原金蔵

大和守藤原金蔵
– Yamato no kami Fujiwara Kanekura –
 
 
金蔵は関の刀工で、主に江戸前期の寛文頃に活躍しました。江戸に於いても作刀しています。銘字の『金蔵』が「金の蔵」に語呂が通じることから、寿命同様に験の良い刀剣として、士のみならず商人もこぞって金蔵の作品を蔵したと言われます。
 
元先の差が程好く開き、地鉄は杢目肌良く練れて詰んで精美。刃文は匂口明るく冴えた直刃で、刃中に小足を盛んに交えて小乱れを成している。疵欠点皆無で出来が良く、金蔵の技量の高さを知らしめる逸品。特別保存刀剣同時審査を是非御受審下さい。
不景気な今だからこそ験を担ぎ、“金の成る蔵”金蔵刀のパワーに期待してみるのも一興。
 
裸身重量496グラム。
 
 
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無銘(下坂)

無銘(下坂)
– Mumei (Shimosaka) –
 
 
下坂派は安土桃山時代の天正頃(1573年頃)の近江の西坂本下坂に住んでいた、「下坂八郎左衛門」が祖と言われており、同工は越前康継の父又は兄と伝えられています。「下坂」を銘する刀工は全国に散在していますが、源流はすべて近江の下坂に発しています。
 
この脇指は表に腰樋に添樋、裏に護摩箸を掻き、棟は三ツ棟とし、地鉄は小板目肌杢交じり、所々柾流れ、少しく肌立ち、刃文は匂口締まり、直刃調に浅く湾れ、刃縁には食い違い或いは解れ風の刃交じり、打除風や湯走も看取される。帽子は直ぐに表尋常に、裏やや刃寄りに小丸に返る。
 
刀剣趣味初心者はもとより、長年刀剣趣に携わっておられる方にもお楽しみ頂ける鑑定書付きの真面目な一刀を、お求め易い価格で御案内致しますので、是非ご検討下さい。
 
裸身重量260グラム。
 
 
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河内守正廣

河内守正廣
– Kawachi no kami Masahiro –
 
 
元先の差尋常に開いて先は中切先。地鉄は小板目肌良く練れて詰み地沸付く、刃文は匂口明るく、互ノ目乱れを焼き、やや角張る。刃中には葉入り、蛇の目刃も見られ、乱れの谷には砂流が現れ、所々に荒い沸が付いて覇気に満ちる。帽子は横手のところで互ノ目を一つ焼き込み、幅広く、直ぐに丸く返る。
 
刀剣趣味初心者入門用として、お求め易い低価格で御案内致します。
 
裸身重量423グラム。
 
 
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無銘(備中守康廣)

無銘(備中守康廣)
– Mumei (Bicchu no kami Yasuhiro)-
 
 
備中守橘康廣は紀州石堂派の祖である土佐将監為康の子として紀伊国に生まれ、名を富田五郎左衛門と称し、始めは紀伊国にて槌を振るいましたが、後に大坂に出て大坂石堂派を興し、業物名工としてもその名を知られる名工で、備前一文字の丁子刃文を得意とし、時として本歌一文字に紛れるほどの器量で一世を風靡しました。
 
この脇指は元先の差がやや開き、中切先延びた鋭い造り込みで、地鉄は小板目肌杢交じって柾流れて少しく肌立ち、刃文は匂口明るい互ノ目丁子乱れで、足よく入り、尖りごころの刃交じり、刃縁に湯走が見られ、様々な形状の互ノ目丁子を楽しめる出来口です。
 
現状、小さな刃毀れと部分的に錆が見られるため、研磨代を考慮した低価格で御案内する次第です。暫く現状でお楽しみ頂き、手元資金が貯まった時に是非研磨頂き、研ぎ上がりの地刃の妙をお楽しみ頂ければと思います。。
 
裸身重量428グラム。
 
 
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無銘

無銘
– Mumei –
 
 
元先の差が程好く開き、切先延びごころ。総体に鋭さを感じさせる。地鉄は小板目肌よく練れ、地景入り、刃文は匂口明るい直刃を焼き上げ、刃中に長い金筋や稲妻を伴う。手持ちも良いので拵を誂え、居合稽古の共にもお薦めの一刀です。
 
裸身重量686グラム。
 
 
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無銘(手掻)

無銘(手掻)
– Mumei(Tegai) –
 
 
手掻派は東大寺に所属した刀工集団で、東大寺西の正門、転害門の門前に居住していたことから、手掻と呼称されています。大和五派中最も規模が大きく繁栄し、且つ技量が安定している一派として知られ、手貝町、包永町などの地名を今に残しています。
手掻派の始祖は鎌倉時代中期の正応(1288)頃の包永で、名物『児手柏』(大正十二年の関東大震災で焼失)や岩崎家所蔵品の国宝、他に重要文化財6口が知られているものの、これらの指定品は磨り上げられて茎尻に二字銘が残されたものであります。
手掻派を代表する刀工としては、他に包吉、包清、包友、包利などがおり、正宗十哲の一人、兼氏(初銘包氏)も手掻派に属したといわれており、同派は南北朝期を経て室町時代まで続き、南北朝時代までの作品を『手掻』、應永以降室町時代の作品を『末手掻』と呼称し、大和五派の中で最も沸が強く、地鉄が冴えるのが特徴とされています。
 
この刀は大きく磨り上げられるも、今尚身幅重ね共にごりっと健全な姿を留めており、地鉄は小板目流れて柾がかり、良く練れて詰むも少しく肌立って地景入り、直ぐ映り立つ。刃文は匂口明るく冴えた直刃調で僅かに湾れ、小足入って小互ノ目を成し、刃縁は盛んに砂流がかかり、打除風の刃を交える等、古雅で趣深い出来口を示しており、帽子の焼刃も焼幅広くしっかりと残っています。
現在は逸失されていますが、手掻極めで特別貴重刀剣の認定を受けていた逸品です。是非とも特別保存刀剣同時審査を御受審頂き、お客様の手によって出世させて下さい。
 
裸身重量830グラム。
 
 
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剣術『諸手斬』 Isao Machii Kenjutsu

近頃は居合形よりも剣術を指導する機会が多いです。

剣術も出来ない状態で居合形を学んでも、それはただの体操でしかないのでは?

そのように考えています。

近江大掾藤原忠廣

近江大掾藤原忠廣
– Omi Daijo Fujiwara Tadahiro –
 
 
近江大掾忠廣は初代肥前國忠吉の子で、幼名を平作郎と称しました。彼が十九歳の時、寛永九年八月に父忠吉が六十一歳で没した為、若くして家督を継ぎましたが、既に一流刀工としての技を会得しており、一門を統率して家名を盛り立てたました。
こうして一人立ちした平作郎は、父と同じく新左衛門と名を改めて、佐賀藩工として鍋島勝茂に仕え、寛永十八年には近江大掾を受領。刀剣需要の多い時期に佐賀藩工として門弟を統率しながら数々の優れた作品を残しました。
近江大掾忠廣の知名度は高く、大業物に列位するほど斬れ味も優れ、現代に於いても人気を博す江戸前期の肥前忠吉家の名工で、事実上の二代忠吉ながらも、生涯に渡り忠吉銘は切らず、忠廣とのみ銘を切りました。
貞享三年、嫡子陸奥守忠吉(三代忠吉)の亡き後は孫の近江大掾忠吉(四代忠吉)を指導し、元禄六年五月、八十歳の高齢をもって天寿を全うしました。
作刀期間は六十有余年に及び、肥前刀の名を世に高らしめた稀代の名工です。
 
この脇指は小板目肌が良く練れて地沸付き、所謂小糠肌を呈した精美な地鉄に、匂口明るく冴えた乱れ刃を焼き上げた作品で、一部互ノ目丁子交じり、砂流かかり、肥前刀の代名詞である直刃とは趣を異とした作柄を示しています。
 
裸身重量407グラム。
 
 
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