刀に現れる撓え(しなえ)と刃切(はぎれ)について

刀に現れる「撓え(しなえ)」について、下記のようなご質問をいただきました。

『「撓え」は、居合道の形稽古や試し切りで折れてしまうほどひどいものでしょうか?』

良い機会なので、正しい知識を皆様にも共有できるよう、久しぶりにこのブログで写真を添えて解説いたします。

1. 撓えの種類

撓えには大きく分けて二種類あります。

  1. 焼入れによって生じる撓え

    • 焼入れの際に生じた疵で、刃側に現れた場合は「刃切」と呼ばれます。

    • 刀身には厚みがあるため、表裏に至る深いクラックではなく、表面上に現れる浅いものが多いです。

    • 通常の使用で過度な負荷をかけない限り、問題は殆どありません。

  2. 曲がり矯正によって生じる撓え

    • 曲がりを直した際に生じるもので、人が急激に減量した際の「肉割れ」に似ています。

    • ほとんどの場合、次回研磨の際に除去可能です。


2. 撓えの使用上の影響

  • 撓えは、曲がりテストのような無謀な使用をしない限り、人力による通常の使用では支障はありません。

  • 鎬地から平地にかけて表裏に現れる場合もありますが、多くは鎬地のみに留まります。

  • 刃切は刃先にピンポイントで現れ、表裏に至るものを指します。焼入れ時に生じる場合もあれば、使用中に発生することもあります。

江戸時代中期、刀剣学者の鎌田魚妙は「刃切ある刀はそこから折れる」と述べました。その影響で現代でも「刃切=折れる」というイメージが定着しています。しかし、刀身の身幅の三分の一から半分ほどに達する大きな刃切でない限り、正しい刀法と振り方で使用する場合、影響はほとんどありません。
過去の引張強度試験でも、刃切の箇所ではなく、別の部分から刀が折れた例があります。

ただし、現代における一般的な刀の振り方や切り方では、刀の一点に力が集中しやすいため、刃切のある箇所が開き、反りが変化する場合があります。要するに、撓えや刃切の影響は、使用方法に大きく左右されます。

江戸中期には「刃切のある刀は折れる」という説が唱えられた事実を考えると、当時、正しい刀の使い方ができる者はほとんどいなかったことを示しているとも言えます。


3. 刃切よりも注意すべきは刃毀れ

私の居合・剣術の経験では、刃切よりも刃毀れのほうが危険です。

  • 刃切のある刀でも鉄パイプを両断できた例がありますが、刃毀れのある状態で斬り込むと、刃の欠けた部分に応力が集中し、刀が折れたことがあります。

  • ただし、刀で鉄材を斬ること自体が正しい使い方ではありませんので、通常の相手の肉や血管を斬る範囲では、小さな刃毀れもさして大きな影響はありません。


このように、撓えや刃切は、刀の性質や使用状況を理解したうえで正しく扱えば、過剰に恐れる必要はありません。以下に写真を用いて撓えについて解説します。

この写真は、「区(まち)」と呼ばれる部分に現れた撓えです。
表裏にわたり、鎬地から平地まで広範囲に現れた、極端な例となります。
美観こそ損ないますが、重ねが厚い刀なら、通常の使い方であれば問題はありません。

こちらは、棟(むね)の角に現れた撓えです。
大抵の撓えは、このような状態で現れることが多いです。
小さな撓えのため、使用上は全く問題はないと言っても良いかと考えます。

こちらは、刃切のある刀の表裏の様子です。
表裏で刃切の長さが異なることがわかります。このように、片面には大きな刃切が見られても、反対面では小さな刃切しかないというケースは多く見られます。

表裏に至らず片面だけに現れる刃切を「片刃切(かたはぎれ)」と呼びます。刃切は、よほど大きく開いたものでない限り、玄人でも見落とすほど肉眼では判別しにくいものです。拡大鏡を用いて初めて確認できる場合も少なくありません。

ちなみに、前田利家の愛刀「丈木」と号される刀には、当時から小さな刃切が無数にあったことが記録されています。私も実物を手に取って確認したところ、13か所の刃切を確認することができました。

刃切のある刀が折れるとすれば、前田利家のような勇将が、自ら不利になる得物を持って戦場に立つはずはありません。前述の通り、江戸中期には、正しい刀の使い方や振り方が既に廃れてしまっていたことを示す一例とも言えるでしょう。

刃切のある刀を裸電球に照らして見ると、このように確認できます。(上に掲載したものと同じ刀)
なお、この写真は比較的刃切が判別しやすいものを選んで掲載していますが、裸電球に照らしても肉眼では判別できない刃切も存在します。

このように、素人の目には緻密な刃切の判断は非常に難しく、玄人であっても見落としてしまうことがあります。
しかし、実は刃切を見破る方法が存在します。ただし、この方法では瞬時に判別することはできず、一晩という時間を要します。

では、どのようにして判別するのか――これは、私が長年の経験と試行錯誤を経て得た知識であり、本来なら安易にはお教えしたくはないのですが……

この手法は、あくまで研磨された刀でしか使用できない方法です。

刀身全体に薄く刀剣油を塗布します。ただし、油を弾いてしまう刀ではこの手法は難しくなります。たとえば、研ぎ上がったばかりの刀や、エタノールやベンジンなどで油を除去した場合は、油の膜が均一に張れないためです。

あくまで刀身全体に綺麗な油膜を張ることができた状態で、一晩または数日寝かせます。すると、刃切のある刀は、その部分に油が染み込み、油膜に微妙な異変が生じることが確認できます。この方法は、埋鉄が施された刀でも有効です。いくら上手に埋鉄を施しても、埋鉄部分の油膜は周囲より薄くなるため、判別が可能です。

皆様と正しい知識を共有するために、この秘密の手法を公開いたします。もしご興味・ご賛同いただける方は、私の道場および活動の支援として、以下の口座に心付けをお振り込みいただければ幸いです。

PayPay銀行 本店営業部(店番号支001) 普通口座 5407406 町井勲(マチイ イサオ)

知識だけをただで得ようとせず、是非とも私の活動を応援してください。

NHK 美の壺 ~魂宿る刀剣~ 再放送のお知らせです

美の壺

【「美の壺・選」放送日】File511 魂宿る刀剣(初回放送2020/9/4)

【Eテレ】7/13 水曜 前 5:30~ 5:59 

見逃した方も、既に御覧になられた方も、是非御覧下さい。

ユーチューブの動画を、そのまま信じ込んではいけません

近頃ユーチューブではコラボというものが流行っています。
人気ユーチューバー同士がコラボすることで、チャンネル登録者数を増やそうと試みるものです。

武道や武術の世界にも同様のことが起きていて、実力も無いのに達人を気取ったり、刀剣に関する間違った作法や知識を世界中に垂れ流す様子には、眉をしかめずには居られません。

殊更古流を名乗る流派にはお気をつけ下さい。
本物の武術を修練する方ならすぐに見破れますが、さも古くから伝わっているように解説しているそれらの技は、近年の思いつきやこじつけに過ぎません。

どの流派や個人を指しているのかは、ここで詳しく記述しませんが、武道や武術動画に限らず、なんでも自分で調べてみることをお薦めします。

 

例えばこの一枚の写真

間違いだらけ

大将と思しき人物も、後方に控える足軽も、全員鎧を前後ろ逆に着用しています。
何も知らず、調べようともしない人は、この番組が製作した動画は正しい鎧の着用法だと誤認してしまいます。

今、まさに刀剣の世界や居合・剣術の世界では、これと同じようなことが起き、何も知らないチャンネル登録者によって、誤った情報と知識が拡散されているのです。

つい先日も、武術の武も知らないただの物斬りユーチューバーが、某アクション俳優とのコラボ動画をアップしました。
互いにチャンネル登録者数を増やすことが目的ですから、武としての実力を持たぬ斬り屋を、動画の中で某俳優が「先生」と呼称します。
某俳優が先生と呼ぶからには凄い人なのかと、某俳優の支持者は動画を見て勘違いし始めています。

ただの斬り屋が「日本刀文化の普及のためにユーチューブ活動をしている」とまことしやかに動画の中で言っていますが、正しい日本刀文化の普及が彼の目的とは私には思えません。ただ目立ちたい。再生回数を増やして副収入を得たいと考えているだけと言えます。

何故なら彼は常に間違った刀剣知識や作法を動画発信しているからです。彼が本当に正しい日本刀文化を普及したいと言うのなら、ユーチューブチャンネルを閉じて大人しくするか、力任せの下手な物斬り動画ばかりをアップするのではなく、まずは正しい知識と作法を身に付け、違う方向からアプローチしてもらいたいと私は考えています。

 

どんな肩書きを持っていようが、その言葉が100%正しいかはわかりません。勿論それは私の言葉にも言えることです。

皆さん、何事も鵜呑みにされず、しっかりと取捨選択した上で、間違った情報に踊らされぬようお気をつけ下さい。

【日本刀】町井勲氏のアドバイス盛り沢山!暴露トークも楽しみながら買っていく!【買い物】【必見】

刀選びのイロハを見ることができる動画です。

是非御覧ください。

【平成の侍 町井勲】のサムライクッキング ~四川風ハチノス和えに挑む2~

【平成の侍 町井勲】のサムライクッキング ~四川風ハチノス和えに挑む2~

料理動画というよりはトーク動画と言った内容です。居合をしていない時の私を楽しめます。

是非御覧ください。

PART1 はこちら

【平成の侍 町井勲】のサムライクッキング ~四川風ハチノス和えに挑む~

突然決まった初コラボ! キャプテンクックさんに四川風ハチノス和えの作り方を教わりました。

料理の過程をお伝えすると言うより、素の町井勲を見ることができるトーク動画と捉えていただければと思います。

是非御覧ください。

発言には責任を

つい先頃、ツイッターに於いて私の悪口で盛り上がっている人達を見かけました。

その人達の自己紹介文を見ると、全員が居合や古武道を齧っていたのですが、ごちゃんねるのような匿名性が高いものではなく、場合によっては個人特定も出来るSNSにおいて、一修行者が仮にも一流派の長に対する罵詈雑言を平気で記述する行為に呆れるばかりです。

言葉の重みを理解しない彼らに私は些か注意勧告したいと思いましたので、このブログに自分の思いを記述します。

 

今は令和の平和な時代であり、決闘罪があるため真剣で立ち会うなんてこともできません。

ちょっと胸倉掴んだだけでも暴行として検挙される時代です。

言わば法に守られるということを楯に、言葉や文字なら良いのかと好き勝手書く行為は如何なものでしょうか?

私は時に、他流や個人への批判を行うことがありますが、その発言には責任をもって発しています。

今回問題にする人達は、批判した相手が立合を求めてきても対応するだけの腹づもりと覚悟があるのでしょうか?

また、立ち合えるだけの技量をお持ちなのでしょうか?

私は時代錯誤な性格なので、“批判できるだけの技量と強さを持ち、筋が通っているのであれば、批判すれば良い”と考えるタイプなのですが、彼らのツイートを見る限りでは技量高き者とはとても思えませんし、自分の発言に責任を持つことすら出来ないようです。

先にも記述しましたが、他所の道場の一門下生である立場の者が、他流の長を批判する愚考に呆れます。

所属する道場や先生、同門の者達に迷惑をかけることになるという危機管理感すら欠如している。

私は偏屈な変わり者ですし、世の中には私以上にバリバリの武闘派の先生方もおられます。そう言った人達が本当に当人を訪ねて行くなんてことを微塵にも考えていないから、軽々しい発言ができるのではないでしょうか?

私を含め、武道や武術を齧る者の中には、自分が強くなったと勘違いする人が多々現れます。思い込むのは勝手ですがせめて言葉には責任を持ちましょう。訪ねてこられて困るようなら最初から無用な発言はしないでおきましょう。

一流派や一個人の批判を大々的に行いたいなら、せめてそれ相応の技術を習得し、独立してからにしませんか? 先生や先輩や一門に迷惑をかける行為は慎みましょう。

書『修心』

昨夜、合氣道吹泉館の館長、木下良一先生(合氣道七段)から、素敵な書を頂きました。

木下良一書 修心館

木下先生は、植芝盛平翁に書を教授したことでも知られる、故、阿部醒石先生(合氣道十段)の唯一の内弟子であり、醒石先生から書も学ばれた書家でもいらっしゃいます。そして私の合氣道の師でもあります。

上記『修心館』の軸装だけでも非常に嬉しく、ありがたいのですが、なんと、額装にて『修心』も書いて下さいました。

木下良一書 修心

書を嗜まれる方ならお解かりのはずですが、筆運びが物凄いです。

生前、植芝盛平翁が、氣を文字にして遺そうとされ、阿部醒石先生に師事されたことは有名ですが、この書に込められた氣も物凄いものです。

一体、どのような筆運びをすれば、このようなかすれ、跳ね、払いが出来るのか… 目の当たりにした時には溜息しかでませんでした。

木下先生はプロの書家でいらっしゃいますから、この二点の作品を正規価格で購入しようと思えば…50万や60万ではきかないのでは…

 

残念ながら自己道場を所有していないため、デーンと飾りたくてもそれができないのがもどかしいのですが、今夜の稽古ではこの二点の書を持参し、門弟に披露すると共に、稽古場に飾って、書に込められた氣にあやかりながら稽古させていただきました。

木下良一先生の書と

木下先生から頂戴しましたこの二点の書を飾る道場を、いつか建設することができたらなぁ…

と、大きな夢も一つ増えました。

 

関西で合氣道を学ばれたい方は、是非、吹田にある木下先生の吹泉館をお訪ね下さい。

合氣道の道場は多々あれど、植芝盛平翁直伝の本物の合氣道を学ぶことができる数少ない道場の一つで、私が心から推薦致します太鼓判付きの道場です。

 

また、木下先生による、氣がこもった書や掛軸、お店の看板などをご希望の方が居られましたら、是非私にお声掛け下さい。素敵な書の作品を仲介させて頂きます。

 

木下先生、素敵な作品を本当にありがとうございました。

 

剽窃 ~嘘吐きは泥棒の始まり、泥棒は嘘吐きの始まり~

私は上京するたびに、青木久先生のお世話になっています。

修心流をサポートして下さり、稽古場や私の宿泊先をご提供頂いています。

たまにご一緒に稽古もしたり、稽古後の夕食会を終えると青木先生宅で常に武術談義で華を咲かせ、お互いに己が得意とする業や理合を公開しあって、業を共有させていただいています。

私と青木先生のお付き合いが、公私共に親密であり、友情でつながっているのは、互いに共有する業の出典元を明確に公言しているからです。

青木先生は海外へのご指導も多く、頻繁にイギリスやヨーロッパ諸国に行かれますが、そこで指導される際に、私から教わった業に関しては、何一つ隠すことなく

「日本に修心流居合術兵法と言う流派があって、この業は修心流の町井勲先生から教えて頂いたものです。」

と門弟さん達に言われます。

私にとっては修心流居合術兵法の良い宣伝にもなるので、このように出典元を公言して頂けるのは本当にありがたいです。

勿論、私が門弟達に指導する際にも、

「今から稽古する業は、青木先生から教わった業です。」

と明確に出典元を述べた上で指導しています。

 

私はこうした明確に出典元を説きながら交流する姿こそ、武辺者の本来あるべき姿だと考えています。

私の元には剣道、空手、合氣道、少林寺等、他系統の指導者の方も学びに来られます。深くお付き合いを続けている先生方もおられれば、そうでない先生もおられます。

前者は青木先生同様に、門弟さん達にも修心流居合術兵法と私の名前を公言される方で、後者の場合は私がご指導さしあげた業を、修心流居合術兵法と私の名前を伏せ、ただただ剽窃するだけの方。つまり、私がご指導さしあげて身につけられた業を、あたかも自分自身が研究発展させて独自に習得したかのように振舞う方です。

私も人間ですので、そのような姿を垣間見ると、あまり良い気持ちにはなりません。自然とその方との距離を広げ、術理について尋ねて来られても笑顔で適当に返し、本質については何も語りません。

今、何故このような記事をブログに挙げるかと言えば、今朝方、英信流の初伝形七本目『介錯』を剽窃した他流派の動画を目の当たりにしたからです。

他流派の形でも稽古に良いと思えば取り入れる。その姿勢は素晴らしい事ですが、それをあたかも自流に数百年前から受け継がれているものとして世界に公開する姿には嫌悪感しか抱けません。

その姿はまるで日本の苺や蜜柑を剽窃する歴史捏造反日隣国と同じではありませんか。恥を知れ!と思うばかりです。

 

そしてそんな泥棒流派、嘘吐き流派の捏造歪曲を、真実を知らずに、いえ、知ろうともしない国内外の方達にもどかしさを感じずには居れません。

書籍出版にあたっても、出典を明確に記すことが当たり前の今の時代、流派に於ける稽古法や形についても、出典元を明確にした上で稽古して頂きたいと願って止みません。

謹賀新年

年末年始とバタバタ慌しく過ごしており、年賀状作成は年が明けてからになってしまいました。

末っ子の三女結音(ゆのん)も、ヨチヨチと数歩歩けるようになり、彼女を見ていると心が癒されます。

本年も更なる高みを求め、技術向上に励みたいと思います。

皆様どうぞ宜しくお願い致します。

 

さて、昨年暮れに私が通っていた奈良龍心館の同門(現在は退会)が訪ねて下さり、道場の近況を伺いました。

私の居合の故郷とも言うべき吉岡道場は、4~5年前に土地建物が売りに出されたそうです。

寂しく思い、先ほど師範代の斉藤千代子先生にお電話差し上げたところ、吉岡先生は昨年1月13日に逝去されたと知りました。

ご子息が居られましたが、居合には御興味がないようで、後は継がれなかったとのこと。現在は中学校や公共の体育館をお借りして、斉藤先生と久佐野先生が指導を続けられ、龍心館の名籍は続いているとのこと。

斉藤先生には私の近況を御報告差し上げ、またお会いしましょうと、懐かしいお声を拝聴させて頂きました。

 

組織と言うものは分裂を繰り返すもののようで、私が知っているだけでも龍心館は二度分裂しました。同門が散り散りとなったことは悲しいのですが、皆さん達者でおられるようでそれだけは嬉しいことです。

 

私の子供達も吉岡先生のところと同じように、居合に興味を示しません。これまでは門弟に細々と真の居合術とは何たるかを指導してきましたが、2019年を向かえた今、なんとか整理してきた私の技術を後世に遺し伝えたく、門戸も少し広げたいと思うようになりました。

頑なに門弟外には技術指導をお断りしてきましたが、私の居合(居合柔術)に御興味を示して下さる諸団体、個人の方には、単発での指導(講習会)も行おうかと思いますので、御興味ある方はお気軽にご連絡下さい。

とかく居合といえば刀の抜き差しばかりを思い浮かべられる方にこそ、私の居合術指導を体験頂きたいと切望してやみません。