無銘 ~初心者入門用として、居合稽古刀として~

無銘 ~初心者入門用として、居合稽古刀として~
無銘
– Mumei –
 
匂口明るく冴えた互ノ目乱れを焼き上げた無疵無欠点の一刀。樋入りなので居合稽古にも最適です。
刀心ならではのお求め易い低価格にて御案内致します。早い者価値ですのでお急ぎください。
 
裸身重量816グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,035グラム。

忠光

忠光
忠光
– Tadamitsu –
 
杢目肌々立ち、匂口明るく冴えた互ノ目乱れを焼き、丁子がかった刃を交え、足よく入り、砂流かかり、湯走交える。
中心は江戸期に棟側から軽く削いで、斬り易いように中心の反りを伏せられており、当時の刀剣の使用法と姿の変遷が感じられます。
附属の拵は千英子野村包教在銘の縁頭や、一貫巻に上手の牛図目貫が配され、拵だけでも独り歩きできる逸品。無鑑につきお安く御案内致しますので、研磨の上保存刀剣審査に挑戦なさっては如何でしょうか。
 
裸身重量614グラム。  拵に納めて鞘を払った重量844グラム。

河内守藤原行(以下切)

河内守藤原行(以下切)
河内守藤原行(以下切)
– Kawachi no kami Fujiwara Yuki(Cutting below) –
 
小板目肌良く練れて詰み、淡く映りごころある地鉄に、匂口明るく冴えた互ノ目を焼き上げ、所々に逆がかった刃や丁子がかった刃を交え、刃縁に荒沸付き、刃中よく足入り、砂流かかる。
 
付属の拵は近年天正拵を模して製作されたもので、柄の絞り(立鼓)が印象的で、裏革にて柄巻きがなされているため、握った際の手持ちが心地良く、素銅との呼称に相応しい赤く色揚げされた上手の素銅はばきも新調されています。
 
裸身重量758グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,047グラム。

河内守康永

河内守康永
河内守康永
– Kawachi no kami Yasunaga –
 
昭和26年京都府の大名登録刀。伝来は良い刀ですが残念ながら偽銘です。
杢目肌良く練れて肌立ち、匂口明るく冴えた大湾れを焼き上げ、乱れの山には葉や丁子がかった複雑な変化を見せ、刃縁には砂流が顕著に看取され、無銘としてお楽しみ頂くなら見所多き一刀です。
付属の拵の柄は革巻きで、白鞘と継木も附属しておりますから、刀身の入れ替えもお楽しみ頂けます。
銘を潰せば保存刀剣に合格する出来栄えですので、ご興味ある方は当店に御用命の上、是非とも審査を御受審下さい。
 
裸身重量721グラム。  拵に納めて鞘を払った重量993グラム。

秀常 ~銘鑑漏れの刀工~

秀常 ~銘鑑漏れの刀工~
秀常
– Hidetsune –
 
銘鑑漏れの刀工。
小板目肌良く練れて詰み、少しく肌立つ。刃文は小沸本位の中直刃仕立てに小互ノ目を交え、先に行くに従い沸強くなり、刃中にも沸付き、湯走交える。
 
当店にて美術鑑賞用上研磨を施しました。研ぎ上がったばかりの地刃の冴えを存分に御堪能頂けます。どこの系統の刀工なのか、保存刀剣審査を御受審頂き研究なさってください。
附属の拵は肥後金具の一作で、シンプルな図柄ながらも上品且つ味わい深い逸品です。柄は裏革巻き。
 
裸身重量814グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,075グラム。

無銘(千子正重) ~村正の子または養子と伝わる千子派の名工~

無銘(千子正重) ~村正の子または養子と伝わる千子派の名工~
無銘(千子正重)
– Mumei(Sengo Masashige) –
 
正重は村正を始祖とする千子派代表の刀工で、初代村正の子、娘婿、もしくは門人とも伝えられ、初代が永正、二代は天文頃に活躍しました。刀は比較的少なく短刀や寸延物が多く経眼されます。
千子派は焼刃の構成や茎の仕立に特徴があり、刃味鋭く、当時から多くの武辺者に愛用され、また、徳川家に仇なす妖刀とのことから、徳川打倒を目指した諸将もこぞって用い、中でも真田幸村が有名です。
徳川家が天下を治め、泰平の江戸期になると、徳川家にはばかって数多くの村正が無銘にされたり、廣正や村重等と銘を改竄されました。
※外交史料集「通航一覧」の第四巻「寛明日記」によると、長崎奉行の竹中重義に疑義があり、幕府によって屋敷が捜索されたところ、おびただしい金銀財宝に加え、村正の刀を24口も所蔵していたことが発覚し、寛永11年(1634年)2月22日、重義は嫡子源三郎と共に浅草の海禅寺で切腹、一族は隠岐に流罪を命じられたといいます。
 
この脇指は無銘ながらも正重と個銘極めされた一刀で、フクラがやや枯れた鋭い造り込み。仰々しくないタナゴ腹中心や刃の出来から、永正頃に活躍した初代と鑑せられます。杢目肌良く練れて詰んで肌立ち、刃文は掟通りに表裏の刃が揃い、匂口明るく冴え、刃縁に叢沸付き、互ノ目や湾れの山に小互ノ目や丁子派が交じって複雑な変化を見せ、総じて村正より派手は出来口を示しており、正重との個銘極めは至極首肯できる作品です。中心には銘を潰した痕跡が鑑られ、古くは村正として伝来していたのか、或いは千子派であることを憚り銘を潰したものと考えられます。
 
現状古研ぎのため、一部に小錆や擦れが見受けられます。上研磨を施して頂きたいとの思いから、研磨代金を考慮した価格で御案内致します。村正には手が届かずとも、村正の雰囲気を楽しめる千子正重の小脇指を、是非この機会に御入手下さい。
 
裸身重量231グラム。

尾崎源五右衛門助隆 寛政二年八月日

尾崎源五右衛門助隆 寛政二年八月日
尾崎源五右衛門助隆 寛政二年八月日
– Ozaki Gengouemon Suketaka –
 
本国播磨。宝暦三年に生まれ、後に大阪に出て貝三原の末裔である同郷の先輩である黒田鷹諶(たかのぶ)の門人となり、寛政十年に長門守を受領後は尾崎長門守助隆と楷書で銘を切るようになります。
水戸の直江助政、大坂の天龍子正隆、作州津山の多田貴勝等、多数の門人を育てた大坂の新々刀を代表する名工で、特に濤乱刃の名人として評され、西の助隆、東の正秀(水心子正秀)と並び賞賛されました。
新々刀期の初期に於いては、全国的に助廣に範をとった濤瀾刃が流行しましたが、これは当時の刀剣鑑定家であった鎌田魚妙が、著書『新刀辨疑』で助廣を新刀第一等の名工と賞賛したことから、多くの刀工達がその作風に倣ったものと思われ、水心子正秀一門等は、やがて備前伝・相州伝等の古刀名作の復古に移行する中、助隆だけは終始一貫して助廣写しとも言える濤瀾刃に徹し、文化二年五十三才にて没しました。
 
この脇指は元先の差が開かず、反り浅目で帽子が延び、鋭さを感じさせる体配で、小板目鍛え細かな地景が蠢いて緻密に肌起ち、地沸微塵に付いて精良な地鉄に、助隆得意の匂口冴えた濤瀾刃を焼き上げた作品。中心千両との言葉に相応しい保存状態優れたうぶ中心には、助廣に倣った独特の草書体風の銘字が鑚強く鮮やかに刻され、裏年紀も助廣と同じく表銘より一字上から切り始められており、如何に助隆が助廣に私淑していたかを物語っています。
 
一部にヒケが見られます。上研磨を施し末長く愛でて頂きたいとの思いから、研磨代を考慮したお求め易い価格で御案内致します。是非この機会に助隆の名脇指を御入手下さい。
 
裸身重量415グラム。

陸奥守包保(左陸奥)

陸奥守包保(左陸奥)
陸奥守包保(左陸奥)
– Mutsu no kami Kaneyasu –
 
陸奥守包保は鏡に映したように逆文字で銘を切り、鑢目までを逆に切っていることから左利きであったと考えられ、彼の作品は「左陸奥」と称されています。
摂津の上作刀工で濤乱刃風の作柄が多く、大阪物らしく澄んだ地鉄が特徴で、河内守國助や一竿子忠綱等と共に大阪新刀を代表する名工の一人。本国は大和で手掻の末流と言われています。
彼の門人で後に養子となった二代包保は、初銘の包重時代の作品には師の左陸奥と同じく逆文字(鏡映し)に切り、包保に改名してからは通常の右文字に銘切るようになることから、師の「左陸奥」と区別して「右陸奥」と称されています。
 
この脇指は初代包保の作で、寸法の割に身幅が広くがっちりとした体配で、小板目肌柾流れ、少しく肌立った地鉄に、匂口明るく冴えた湾れ調子の刃取りに互ノ目を焼き、刃縁には砂流がかかっています。
現状古研ぎのため、一部変色程度の薄錆が見られますが、急ぎ再研磨する必要は感じられず、このままでもお楽しみ頂けます。余力ある方は上研磨を施した後、特別保存刀剣鑑定まで御受審下さい。
 
裸身重量500グラム。

兼□作 ~皆焼ごころの末古刀短刀~

兼□作 ~皆焼ごころの末古刀短刀~

兼□作
– Kane□ –
 
杢目肌よく練れて先の方には大粒の地沸が付き、匂口明るく冴えた焼刃は直刃基調に小湾れを交え、刃縁には盛んに大粒の沸が付き、湯走交じり、返りの下を大きく棟焼とし、皆焼がかった出来口を示しています。
銘文は三文字で、兼と作が確認できますが、二文字目が判読できないものの、美濃の刀工による作であることは地刃の出来からも推測できます。真面目な末関系の短刀ですので、保存刀剣鑑定も是非御受審下さい。
 
裸身重量119グラム。

10月の米国での講習会

来月、米国のカンザスとシアトルの二箇所で居合の講習会を行う予定なのですが、果たしてどれ程の参加者が見込めるのか不安です。

過去、ブラジルで開催した講習会は盛況でしたが、これは国際交流基金が主催で完全無料だったこともあります。

私の講習会はけしてお安くはありませんが、支払う金額以上のことは知ることができると自負しています。※体現、会得は難しいです。

 

試斬講習会と題すれば人がたくさん集まるのは眼に見えているのですが、私は試斬の手解きのみと言うのは今のところ受けておりません。

私にとって試斬とはそれほど価値がないものなのです。

私が伝えたいのは試斬ではなく所作と身体捌き。

試斬とはそれらを体得した後に自ずと身に付くものと考えています。

 

力をかけず相手を崩す、正中線の大切さ、刀とは本来どのように使うべきものなのか、を一人でも多くの人に伝えたいのです。

 

数少ない参加者の中に、それに気づいてくれる人が一人でも現れれば、私の講習会の目的は果たされます。