長良川畔住人弘宗作

長良川畔住人弘宗作
– Nagaragawa han junin Hiromune –
 
 
本名、高羽弘。昭和29年10月5日生まれ。父、高羽誠より作刀を学び、新作名刀展では昭和53年に初出品で入選して以降、特賞1回、優秀賞2回、努力賞4回を受賞している現在の関鍛冶を代表する実力派の刀匠です。
 
この刀は元先の幅差が目立っては開かず、切先延びた豪壮な造り込みが印象的で、地鉄は小板目肌よく練れて詰み、地景入り、地沸付いて精美。刃文は匂口明るく冴えた互ノ目に丁字を交えた乱れ刃で、刃中には足が入り、刃肌に絡んだ複雑な変化に富んだ働きを見せ、金筋、稲妻入り、総体に幾重にも重なって現れた砂流は、あたかも澄み通った水面に現れた砂紋を見るかのようで風情を感じさせ、帽子は表裏共に直ぐに表は大丸に、裏は一文字風に返り、バランスは刀身中程から手元重心で、実際の重さよりも軽く感じられます。
※弘宗刀コレクター旧蔵品。美術観賞用として鍛えられた出来良い作品です。巷で見かける居合用作品とは出来も研磨も異なります。
 
裸身重量1,101グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘(兼常)

無銘(兼常)
– Mumei (Kanetsune) –
 
 
兼常は室町期に数代あり、名跡は新刀期に及んでいます。八代兼常は美濃納土に生まれ、はじめ兵三郎、後に納土助右衛門と称しました。美濃鍛冶の双璧である孫六兼元・和泉守兼定(之定)に次ぐ良工と伝えられています。
相当に長寿の鍛冶であったようで、長期に渡って作刀したようで、子に九代助治郎兼常、後に尾張に移った初代相模守政常(納土佐助兼常同人)がいます。末古刀上作、業物としても名高い末関系の名工です。
元亀二年七月、織田信長公より「鍛冶職安緒」の朱印状を拝領し、「関鍛冶総領事」を称しました。織田信長公の朱印状の文面は下記の通りです。
「当所鍛冶職可為如前々、並名田方之事親令裁許分付買得者儀不可有相違之状如件 元亀弐 (信長朱印) 七月日 関兼常 助右衛門」
 
この刀は元先の幅差が程好く開き、杢目鍛えの地鉄は、一部に大肌が見られるも、総体に緻密に練られて精良で少しく肌立って映り立ち、刃文は匂とも小沸とも称せる匂口での直刃で、所々にやや大粒の小沸が刃縁に絡み、繊細なる砂流が見られ、横手下で表は浅い湾れを二つ、裏は一つ焼いて、帽子は直ぐに先丸く返っています。
 
附属の拵は小柄笄櫃と返角を備えており、縁頭と目貫は赤銅地の仕事が良い鶏図揃いで格式の高さが感じ取られます。お手持ちの小柄と笄を本拵に添える際には、切羽の加工が必要となります。お気軽に御用命下さい。
刀身の軽さに加え、手元重心であることから、非常に軽く感じられ、まるで短刀や小脇指を構えたが如くの手持ちの良さです。
※鐔鳴りあり。責金ご希望の方はお気軽にご用命下さい。
 
裸身重量509グラム。  拵に納めて鞘を払った重量756グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

摂州住人秀久作 平成六年七月日

摂州住人秀久作 平成六年七月日
– Sesshu junin Hidehisa –
 
 
秀久刀匠は兵庫県宝塚市にて槌を振るい、華やかな丁子乱れの作を好んで鍛えました。斬れ味が良いと定評ある刀工です。
 
この刀は元先の幅差程好く開き、表裏に刀樋を片チリで掻き、地鉄は小板目肌よく練れ、刃文は匂口明るく、互ノ目に丁字を交えた華やかな刃取りで、刃中足盛んに入り、砂流、金筋、蛇の目等、刃肌に絡んで千変万化たる賑やかな働きを見せる。
 
附属の拵は黒味が強い焦茶色で統一され、鐔と目貫は時代物が用いられ、柄は頑強なる牛表革にて諸捻巻きに仕立てています。
鞘から抜き放って構えてみると、手元重心でバランスが良く、実際の重さより軽く感じられ、扱い易さを求めた秀久刀匠の技量の高さが窺えます。柄にがたつきも無く、即居合や試斬の稽古に御使用頂ける逸品です。
 
※指表物打やや下の棟側のチリ目立たぬ小さな鍛錬疵がある以外は特筆すべき疵欠点は無く、鑑賞刀としてもお楽しみ頂ける作品です。
 
裸身重量749グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,098グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

武州住熊谷太郎源重秀 大小セット

武州住熊谷太郎源重秀謹鍛
昭和五拾八年正月吉日 菊水 長井家重代
– Bushu ju Kumagai Taro Minamoto Shigehide –
 
武州住熊谷太郎源重秀
昭和五拾八年正月 長井茂雄 偲航空局有志此刀作
– Bushu ju Kumagai Taro Minamoto Shigehide –
 
 
本名、四分一二三。大正元年生まれ。初銘を昭重。佐藤昭則門人で埼玉県熊谷市で鍛刀し、彫物も上手く、彫銘は夢船と称していました。入選等受賞歴を多数持つ刀匠です。
 
(大)
元先の幅差が目立っては開かず、帽子は延びごころで鋭さを感じさせる造り込み。地鉄は板目肌よく練れて少しく肌立ち、平地、鎬地柾がかり、地景入る。刃文は匂口明るく、湾れ調子に互ノ目や丁字を交え、足よく入り、刃中よく沸えて刃肌に絡んで渦巻き状の刃を見せ、砂流、金筋頻りに見られ、帽子は直ぐ調に乱れごころを見せ、先掃き掛けて丸く返る。
 
(小)
元先の幅差程好く開き、切先延びごころの鋭い姿。表裏に刀樋を片チリにて丸留めとし、地鉄は柾目本位に小板目や杢交じる。刃文は匂口明るく小沸本位で、湾れ調子の刃取りで互ノ目や互ノ目丁字を焼き上げ、足よく入り、金筋、砂流顕著に現れ、帽子は表裏共に直ぐに上品に返る。
 
(大小拵)
銀にて菊水紋を刻した一作の金具と、素銅にて糸巻透かしとした鐔を、この刀のために贅を尽くして造らせている。銀の金具は全て鏡面仕上げで丁寧に磨きがかけられ、大刀には鐺金具を取り付け、脇指は丸尻とし、金具、刀身共に同一作の小柄が添えられており、小柄の穂先も研磨がなされているので、こちらも地刃をお楽しみ頂くことが可能。鞘は本漆の溜塗りで、ワインレッド色の光沢がなんとも言えぬ深味を醸し出している。
はばきには丸に木瓜紋を刻し、大は金鍍金、小は銀古美仕上げで昼夜とし、大小刀の頭への菊水紋の彫り方も陰陽の昼夜仕立てとした粋な意匠には頭が下がる。
大小共に菊水紋を刻していることから、大楠公(楠木正成)への私淑の念が感じられ、目貫を鏃図にて造らせたのは、小楠公(楠正行)が後醍醐天皇陵に参拝の後、如意輪堂(如意輪寺本堂)に詣で、髻(もとどり=髪を頭の上で束ねたところ)を切って奉納し、その際、扉に鏃で辞世の歌「かえらじと かねておもえば梓弓 なき数に入る 名をぞとゞむる」を遺した逸話に因んでのことであろう。大小の刀身の出来と言い、大小拵の格式の高さと言い、贅を尽くしたこの現代の名大小刀は、大小共に手元重心でバランスが良く、扱いの良さも感じさせる逸品です。
 
(大)裸身重量934グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,267グラム。
(小)裸身重量578グラム。  拵に納めて鞘を払った重量841グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

備州長船則光


備州長船則光
– Bishu Osafune Norimitsu –
 
 
備州長船則光は初代は長光の門人と伝え、嘉元三年期(1305年)の短刀が存在します。銘鑑ではこれを初代とし、二代を延文頃、三代を応永で家助の子とし、四代が永享頃、以後室町末期まで名跡を伝えています。
 
この刀は元先の幅差が程好く開き、切先延びごころ、反りは腰元よりやや先から反りが付く先反りの優雅な姿態で、茎は長く頑丈な造り込み。表裏に刀樋と刀身中程迄の添樋を掻き、地鉄は杢目肌柾流れ大肌が見られ、乱れ映り鮮明に現れる。刃文は直刃基調に湾れと互ノ目を交え、刃中には足が入り、細かな砂流や金筋が看取される。帽子は直ぐに先丸く返る。手元重心で非常にバランスが良く、居合形稽古用としてもお薦めの一刀です。
 
掲載している拵画像は同一金具を用いたイメージ写真です。現在本刀には、黒蝋塗鞘に薄紺色の裏革柄巻きにてグレードの高い武用拵を製作中です。
 
裸身重量684グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘

無銘
– Mumei –
 
 
元先の差、程好く開き、表裏に護摩箸と梵字を彫り、地鉄は小板目肌で粕立ち、刃文は匂口明るく湾れ調子に互ノ目や小互ノ目丁字を交え、刃中には足や砂流が見られ、刃縁には湯走や打除風の刃が交じる等変化に富む。鋩子は乱れごころで先掃き掛けて丸く返る。
 
店主町井勲監修の下武用拵を新調致しました。鞘を払って構えてみると、割と手元重心でバランスが良く、扱い易さを感じさせますので、居合の形稽古にも最適の一振です。
 
裸身重量777グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,003グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

大磨上無銘(大和志津)

大磨上無銘(大和志津)

無銘(大和志津)
– Mumei (Yamatoshizu) –
 
志津三郎兼氏は、大和手掻派の刀工で、当初は包氏と銘し、後に美濃国多芸郡志津(現岐阜県海津市南濃町志津)に移住した際に兼氏と改銘したと伝えられています。しかしながら包氏の在銘物には初代兼氏よりも時代が下がる物しか見られず、兼氏同人とみられるものはすべて無銘極めとなっています。
兼氏の師伝については、古来より正宗門として正宗十哲の一人にも数えられ、現存する作刀からみても正宗からかなりの影響を受けており、充分首肯できるものであります。
兼氏の作風は、大和伝を基調としたものと相州伝を基調とした二様があり、前者を大和志津、後者を志津として極められています。
 
この刀は、中鋒やや延びる鎌倉末期から南北朝初期の体配で、地鉄は板目柾がかって肌立ち、地沸がキラキラと微塵に厚くつき、地景よく入って乱れ映りが立ち、、刃文は匂口明るく、湾れ調子に互ノ目を交え、刃縁には金筋や砂流が長く頻りにかかり、湯走を見せ、頗る働き豊かで、匂深く、大和伝基調に相州伝が混在する典型作と言えます。帽子は表裏直調にやや乱れ込んで丸く返る。
憧れの名刀をお手頃な価格で入手できるチャンスです。この機会を逃さないで下さい。
 
裸身重量520グラム。

筑州山王住宗弘謹作 岩崎光男彫之 昭和五十五年八月吉日 ~無鑑査名匠 宗勉による代作の名品~

筑州山王住宗弘謹作 岩崎光男彫之 昭和五十五年八月吉日 ~無鑑査名匠 宗勉による代作の名品~

筑州山王住宗弘謹作 岩崎光男彫之 昭和五十五年八月吉日
– Chikushu Sano ju Munehiro –
 
本名、宗康弘。明治38年8月9日に生まれ、昭和17年より小宮四郎国光刀匠に師事。戦時中は海軍刀の製作に従事し、戦後いち早く昭和29年に文化庁の作刀承認を受けて鍛冶を再開。新作名刀展では連続入選を果たしました。 彼は息子の「宗勉(無鑑査刀匠)」の他、多くの弟子を育成したことでも知られ、また、氏の作品は刃味良く強いことでも刀剣界並びに武道の世界でも著名です。 宗正光同人。
 
この刀は元先の幅差目立っては広がらず、切先延びた豪壮な造り込み。宗勉ファンなら作風を見てすぐに本刀が宗勉刀匠による代作であることを看破できよう。小板目肌よく練れて刃縁柾となった地鉄は実に精良で、地沸微塵について一切の破綻が無い。刃文は匂口明るく冴え、互ノ目と丁字を巧みに焼き上げており、刃中良く沸え、足頻りに入り、元から先迄余すこと無く現れた砂流と金筋が見事。帽子は表裏共に互ノ目丁字に乱れ込み、金筋、砂流伴って丸く返る。
刀身の元には、表に龍、裏に素剣が彫られ、重心は中程から手元にあり、実際の重量より軽く感じられバランスが良く、まさに実用兼美の作刀に心血を注いだ宗勉刀匠の技量の高さをまじまじと感じさせる傑作です。
宗弘銘ではなく宗勉自身銘であったなら、ゆうに250万円を超える名品です。
 
疵欠点皆無の名作ですが、所々に変色程度の錆がございます。現状でも地刃の鑑賞には支障ございませんが、出来抜群の名刀だけに是非とも上研磨を施して御所持頂きたく思います。
当店にて簡易武用柄のみ新調致しました。塗鞘ご希望の方は66,000円(税込)より承りますのでお気軽にご相談下さい。
 
裸身重量1,026グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,276グラム。

ユーチューブの動画を、そのまま信じ込んではいけません

近頃ユーチューブではコラボというものが流行っています。
人気ユーチューバー同士がコラボすることで、チャンネル登録者数を増やそうと試みるものです。

武道や武術の世界にも同様のことが起きていて、実力も無いのに達人を気取ったり、刀剣に関する間違った作法や知識を世界中に垂れ流す様子には、眉をしかめずには居られません。

殊更古流を名乗る流派にはお気をつけ下さい。
本物の武術を修練する方ならすぐに見破れますが、さも古くから伝わっているように解説しているそれらの技は、近年の思いつきやこじつけに過ぎません。

どの流派や個人を指しているのかは、ここで詳しく記述しませんが、武道や武術動画に限らず、なんでも自分で調べてみることをお薦めします。

 

例えばこの一枚の写真

間違いだらけ

大将と思しき人物も、後方に控える足軽も、全員鎧を前後ろ逆に着用しています。
何も知らず、調べようともしない人は、この番組が製作した動画は正しい鎧の着用法だと誤認してしまいます。

今、まさに刀剣の世界や居合・剣術の世界では、これと同じようなことが起き、何も知らないチャンネル登録者によって、誤った情報と知識が拡散されているのです。

つい先日も、武術の武も知らないただの物斬りユーチューバーが、某アクション俳優とのコラボ動画をアップしました。
互いにチャンネル登録者数を増やすことが目的ですから、武としての実力を持たぬ斬り屋を、動画の中で某俳優が「先生」と呼称します。
某俳優が先生と呼ぶからには凄い人なのかと、某俳優の支持者は動画を見て勘違いし始めています。

ただの斬り屋が「日本刀文化の普及のためにユーチューブ活動をしている」とまことしやかに動画の中で言っていますが、正しい日本刀文化の普及が彼の目的とは私には思えません。ただ目立ちたい。再生回数を増やして副収入を得たいと考えているだけと言えます。

何故なら彼は常に間違った刀剣知識や作法を動画発信しているからです。彼が本当に正しい日本刀文化を普及したいと言うのなら、ユーチューブチャンネルを閉じて大人しくするか、力任せの下手な物斬り動画ばかりをアップするのではなく、まずは正しい知識と作法を身に付け、違う方向からアプローチしてもらいたいと私は考えています。

 

どんな肩書きを持っていようが、その言葉が100%正しいかはわかりません。勿論それは私の言葉にも言えることです。

皆さん、何事も鵜呑みにされず、しっかりと取捨選択した上で、間違った情報に踊らされぬようお気をつけ下さい。

剣術 ~鐔迫りからの崩し~ How to Kenjutsu