丹波守吉道(大坂)丹波守吉道(大坂) ~夏季特別セール価格!~
丹波守吉道(大坂)TEL.072-759-6529
〒666-0004 兵庫県川西市荻原三丁目一番十六号
丹波守吉道(大坂)
濱部美濃守藤原壽格 寛政七年卯弐月日
抜刀道の達人を自称する藁斬り抜刀斎の動画から画像を抜き出して、現代の居合、抜刀を嗜む人の殆どに見られる悪い現象について語ってみましょう。
まずは以下に掲載する写真をご覧ください。上から順番に1~6とします。
赤くラインを引いたのが、藁斬り抜刀斎が斬ろうとしている角度です。
水色の線は藁斬り抜刀斎が振り下ろす刀とその角度を表しています。
1 振りかぶった時点で既に角度が全く異なっています。赤と青の線を見れば一目瞭然です。
2 斬り込む瞬間の刀の角度比較用写真。ここでも角度は全く合っていません。
3 緑の線は本来あるべき刀の角度ですが、刃筋が立っていないためにS字に刀身が撓っていることが解りますね。
4 巻畳表を裁断通過した刀の真横を青い線でなぞりました。刀に大きな負担がかかっていた、大きく刀が撓っているのが解りますね。
5 横向きに負荷をかけながら斬っているため、巻畳表は向かって右に傾いているのが、赤い線と比較すると解りますね。
6 円で囲った巻畳表の斬口を見て下さい。赤い線に平行ではなく、うねっているのが解りますね。
居合や抜刀(物斬り)を嗜まれる方の9割以上が、実は悪い例として今回挙げました、藁斬り抜刀斎と同じ斬り方をしています。刀が巻畳表を通過するのは一瞬のことなので、気付かない人が多いのです。
このようなことが起きる原因は??
物体を二つに両断することしか頭に無く、武術としての斬り方が全く出来ていない。敵を仮想できていないためです。
このような袈裟斬りをしてくる人の刀は、武術としての修練をしっかりと積んだ人ならかわすことも可能となります。どう言う意味で可能なのか? それは私の道場に学びに来られれば解ります。
また、この動画の中で「抜刀道」を
『「日本刀」で物体を斬る武道』
と表記して紹介されていますが、私に言わせれば、物を斬る武道って何? それってそもそも武道なの?? と言った感しかありません。
刀で巻畳表を斬るということは、それ自体を稽古するものではなく、普段の稽古で如何に理想的な刀の振りができているかを確かめるために行うものです。ですから、一太刀斬り込んでみて斬れない場合は、その時点で巻畳表を使った刃筋確認稽古は中止すべきです。
斬ることばかりにやっけになる刀を使った物斬りは、最早武術でも武道でもなく、単なるストレス発散のためのスポーツと言って良いのではないでしょうか?
武術から逸脱した愚行。だからこそ私は藁斬り抜刀斎をはじめとした単なる斬り屋を軽視するのです。
以前、NHK『ガッテン』にて-30度の氷に日本刀で斬り込むという実験を行いました回が、今月5日再放送されます。
放送時間は19時30分からです。
かき氷の回は放送の最初の方らしく、19時30分~19時50分くらいに放送されるそうです。
見逃した方も、前回放送を御覧になられた方も、是非ご視聴下さい。
備前國住長船七兵衛尉祐定作
– Bizen no kuni ju Osafune Shichibe no jo Sukesada –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/666/00.html
七兵衛尉祐定は、永正頃の与三左衛門尉祐定を祖として五代目にあたると伝う。藤四郎祐定の嫡男であり、新刀期の備前長船祐定家中興の祖として高名な刀匠で、弟には源左衛門尉祐定、宗左衛門尉祐定らがおり、それぞれ別家し棟梁となりました。実子には上野大掾祐定がいます。
延宝二年(1674)六月歿、98歳という長寿を全うした七兵衛尉祐定は、逆算すると天正五年(1577)生まれとなり、現存する年紀が切られた作品中、最古のものは元和二年(1616)であり、晩年は実子の上野大掾祐定が代作したと言われます。
この脇指は刃長から鑑て、士の正式な大小用として鍛えられた中脇指で、先の方でも強く反りが付き、身幅広く、重ねもがっしりとした造り込み。杢目鍛えの地鉄は詰み、刃文は匂口明るく冴え、腰開きの互ノ目に互ノ目丁子を交えた賑やかな出来口を示し、刃中には足や葉が盛んに見られます。
特別保存刀剣鑑定書が交付されるだけあって出来の良い脇指。現状のままでもお楽しみ頂けますが、更に良い研磨を施し、下地もピシッと整えてお楽しみ頂きたい優品です。余力があれば、はばきも銀で誂え直したいところです。
裸身重量424グラム。