助宗

助宗

助宗
– Sukemune –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tachi/101/00.html

元先の幅差頃好く開いて中切先延びごころ。磨り上げ後に茎が伏せられていることから元来は反り深い一刀であったことが窺えます。地鉄は小板目よく練れて詰むも少しく肌立ち、刃文は直刃調に小足が入って小乱れを成し、刃中には細かな砂流が、佩裏の物打より先には二重刃が見られ、鋩子は直ぐに先丸く返る。

附属の拵は、大振りな龍虎の目貫と、漆が塗られた笄が目を惹く。柄にガタツキは無いものの鐔鳴りはあるので責金を施した方が良いでしょう。鞘を払って構えてみると手持ちバランスが非常に良く、扱いの良さを感じさせます。
※未鑑定刀且つ委託品につき、銘の真贋保証はございません。

裸身重量607グラム。  拵に納めて鞘を払った重量950グラム。

出来良い一刀

出来良い一刀

無銘
– Mumei –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1540/00.html

元先の幅差開いて中切先心持ち延びた美しい姿。小板目杢交じりよく練れて詰み、細かな地景入って地沸付き精美。刃文は匂口明るく冴えた湾れ調子の互ノ目を焼き上げ、表裏揃い、刃縁には小沸が豊かに付き、太い足入り、細かな砂流かかり、る。鋩子は直ぐに先丸く、横手の倍程焼き下げる。特筆すべき鍛錬疵無く、銘を切らなかったことが不思議な程完成度が高い。

附属の拵は柄にガタつきが無く、鐔鳴りは極僅か。素銅切羽はオリジナルで、鞘を払って構えてみると手元重心でバランスがとても良い。

お求め易い価格でご紹介致しますが、武用刀として用いるには勿体無い出来口ですので、白鞘を誂え、再研磨を施し、保存刀剣鑑定を御受審の上、美術鑑賞刀としてお楽しみ下さい。

裸身重量660グラム。  拵に納めて鞘を払った重量958グラム。

短刀 平安城久光 明治三年二月日 ~現存作品少ない新々刀~

短刀 平安城久光 明治三年二月日 ~現存作品少ない新々刀~

平安城久光 明治三年二月日
– Heianjo Hisamitsu –
手元銘鑑に刀工の記述が見られず、銘鑑漏れ刀工の様です。
身幅広く重ね厚目の豪壮な姿で、棟は庵棟。表裏に幅広の樋を丸留にしています。地鉄は小板目がよく練れて少しく肌立ち、淡く映りごころが見られ、地景入り、刃文は匂口沈んだ直刃を焼き上げ、鋩子は表裏共に直ぐに丸く返っています。単調な直刃に見えるも、仔細に見ると刃縁には地鉄に絡んだ細かな働きが看守できます。
刀身に鍛錬疵は無く、茎には大振りで力強く銘が切られており、上の出来と共に総体に力強さを感じさせる作品です。
お求め易い価格でご案内致します。保存刀剣鑑定書を是非とも御受審下さい。
裸身重量199グラム。

國華造 大正二春日 ~これぞ板目肌!! 地刃の出来良し!!~

國華

國華造 大正二春日
– Kunihana(Kunika Enju Taro) –
「延寿太郎國華」「菊池延寿太郎國華造」明治。大阪。「年紀」明治44、45、大正元、2。
三ツ棟。板目肌の御手本の如き多板目。地鉄よく練れて肌立ち、地景入る。刃文は直刃調で、刃縁に絡んだ砂流等の働きが顕著で、湯走現れ、食い違い風や解れ風の刃や打除風の刃を交え、鋩子は直ぐ調に先丸く返る。
現状では小さなヒケが見られますので、化粧直しまたは再研磨を施して御愛蔵頂ければと思います。はばきや研磨工作のご相談もお気軽にどうぞ。
裸身重量159グラム。
※委託品

平定盛作(高田) ~二尺六寸~

平定盛作

平定盛作(高田)
– Taira Sadamori –
豊州高田派は南北朝時代豊後高田(現在の大分市内で大分郡高田村)を中心として栄えた一派で、建武頃の筑前左文字の門人『友行』を始祖としています。
古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから藤原高田と汎称します。古来より実用刀としての評価が高い一派で、武用刀として数多の武将に愛用され、戦国時代には豊後国の大友宗隣のお抱え工となり、また九州各地の豪族達の需めに応じて美濃国の関鍛冶や備前国の長船鍛冶に匹敵する繁盛をしました。
作風は備前・相州に私淑した物や、美濃伝風の三本杉尖り互の目、山城風の腰反り付いた姿の良い作に直刃を焼くなど広範囲で、直刃は刃中に針で突いた様なと形容される葉の働きが特徴的で、新刀期に入ると高田を中心として豊前小倉や豊後中津などで鞴を構えて鍛刀しています。
高田派の定盛は銘鑑によると、室町中期永正の頃に初代が見られ、以降江戸前期寛永頃迄四代続いていることが確認でき、中でも二代である彦助は、高田派の名工として名高い長盛の子としても知られています。
この刀は今尚長寸のうぶ姿を誇っており、元先の幅差開いて中切先で、優しさを感じさせ、地鉄は小板目杢交じりでよく練れて少しく肌立ち、ほんのりと淡い映りごころがあり、刃文は直刃に鼠足入り、刃縁は地鉄に絡んで砂流が現れ、鋩子は表裏共に直ぐ調に突き上げごころに返っています。
※指表の区上15センチ程上の鎬地に撓え在り。
手元重心で非常にバランスが良く、扱い易さを感じさせ、店主町井勲監修による武用拵が新調されての納品につき、鑑賞刀としても武用刀としてもお薦めの一刀です。
なにはともあれ、うぶ在銘の長寸古刀が拵新調でこの価格は破格です!! お急ぎ下さい!!
※掲載拵写真はイメージです。
裸身重量728グラム。  拵に納めて鞘を払った予想重量約990グラム。

脇指 無銘

元先の幅差ひらいて反り深く、鋩子詰まって猪首風。元来は刃長二尺程度の打刀だったものと想像されます。地鉄は小板目よく練れて地景入り、処々肌立ち、刃文は直刃で刃縁は地鉄に絡んで細かな働きを見せ、刃縁ばさけた感じ。鋩子は直ぐに丸く返る。
うんとお安くご紹介致しますが、鈍刀ではございません。是非とも保存刀剣鑑定を御受審下さい。はばきの造り込みを見るに、元来は金または銀の着せがされていたことが窺え、伝来の良さも感じさせる一刀です。
裸身重量440グラム。

脇指 下坂

下坂派は安土桃山時代の天正頃(1573年頃)の近江の西坂本下坂に住んでいた「下坂八郎左衛門」が祖と言われており、同工は越前康継の父又は兄と伝えられています。
「下坂」を銘する刀工は全国に散在していますが、源流はすべて近江の下坂に発しています。
元先の幅差頃好く開いて切先延び、地鉄は小板目杢交じり、よく練れて詰むも少しく肌立ち、地景入る。刃文は匂口明るく、互ノ目乱れに蛇の目刃や尖りごころの刃交じり、乱れの谷には匂深い足が入り、細かな砂流や葉入る。鋩子は焼きなまされて現状では焼き甘く判然としない。
附属の拵は切羽も完全なオリジナル。柄にガタツキは無く、鐔鳴りもほぼ無し。柄糸は当店にて上巻きにて巻き替え済みです。。
裸身重量427グラム。  拵に納めて鞘を払った重量629グラム。

素槍 於東叡山麓藤原國吉

於東叡山麓藤原國吉

於東叡山麓藤原國吉
– Oite Toei Sanroku Fujiwara Kuniyoshi –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/nagae/052/00.html

國吉は江戸後期の江戸の刀工で、槍の名手山城守國重一虎に作刀を学び、直刃出来の堅実な作を打っています。茎には長曽祢乕徹の鍛刀地と同じ、「於東叡山麓」(現在の上野動物園辺り)を冠した銘文を刻しています。

この槍は刃長二寸弱という非常に小振りながらも、槍の名工國重一虎譲りの高い技量を存分に発揮した作品。茎の長さ約22.5センチ。ケラ首丸形で、ケラ首の元幅が12.0ミリ。ケラ首の元重ねが12.35ミリ。地鉄は柾目でよく練れて詰み、刃文は大粒の小沸出来で匂口は明るく冴え、刃縁には細かな砂流が見られ、先に行くに従って沸が強くなり、鋩子は直ぐ調に先丸く返っています。
登録不要寸法故に現在は槍として登録はされていませんが、保存刀剣鑑定書が交付されていることからも、名槍であることが一目瞭然。
この手の短い穂先が納められた槍としては、籠槍や大名行列時に用いる長大な柄の槍が挙げられます。この槍もその例に漏れず大名や上士の家格を示す槍の穂先として大切にされてきたものでしょう。茎には柄の材料である樫のタンニンによる発錆を防ぐため、漆が塗られています。
上白鞘を新調してお納め致します。

裸身重量80グラム。

大身槍 予州松山住下坂作

予州松山住下坂作

予州松山住下坂作
– Yoshu Matsuyama ju Simosaka –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/nagae/051/00.html

下坂派は室町末期(安土桃山時代)に始まり、江戸時代にかけて新刀を代表する鍛冶集団の一つ。「下坂」とは、この鍛冶集団の発祥の地、現在の近江国坂田郡下坂庄(現在の滋賀県長浜市下坂中・下坂浜)を指します。
下坂派の代表格である初代康継が慶長年間(1596~1615年)のはじめに、一門を引き連れて越前国(現在の福井県)に移住。そこで「徳川家康」の次男「結城秀康」から合力米四十石で雇われ、家老の「本多成重」の庇護を受けました。慶長12年(1607)に康継は、徳川家の御用鍛冶に取り立てられ、下坂鍛冶も棟梁である康継の下で繁栄し、下坂派の刀工が各地に移住して作刀しました。

この大身槍は平三角造で丸留の樋を掻き、茎の長さは約43.4センチ。ケラ首は十角形で、ケラ首の根元幅は18.9ミリ。ケラ首元部分の重ねは19.6ミリ。現在迄茎を切り詰められること無く、その堂々たる存在を現代に残し誇っています。
地鉄は柾目主体で処々杢目が交じり、地沸ついて地景入り、良く練れて詰むも少しく肌立った地鉄は美しく、刃文は直刃調に細かな乱れや互ノ目を交え、刃中には足が入り、互ノ目足も交じえて葉入り、小乱れを成し、砂流や打除風の刃も見られ、鋩子は直ぐに丸く返っています。
特別保存刀剣に認定された下坂在銘の大身槍、是非この機会に御入手下さい。

裸身重量677グラム。

素槍 於和州郡山筒井越中守輝邦入道紀充 延享三年八月日行年八十歳

素槍 於和州郡山筒井越中守輝邦入道紀充 延享三年八月日行年八十歳

於和州□□筒井越中守輝邦□□紀充 延享三年八月日行年八十歳
– Oite Washu □□ Tsutsui Ecchu no kami Terukuni □□ Norimitsu –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/nagae/050/00.html

紀充は大和文珠派の鍛治、越中守包國の子として寛文6年に生まれ、俗名を筒井輝邦と云い、始めは父の銘を継いで包國と名乗るも、 元禄の末から宝永の初め頃に入道して銘を紀充と切りました。
大阪初代吉道に師事し、初め大坂に住し、阿波でも作刀し、後に大和国大和郡山の九条に住しました。業物として名高く、銘は「筒井越中守輝邦入道紀充」「於和州郡山筒井越中守入道紀充」等と切り、延享4年1月11日に81歳で没しました。

この槍は平三角造。ケラ首丸形。茎長さ37.2センチ。ケラ首根本幅18.2ミリ。
元先の幅差頃好く槍らしい姿。地鉄は柾気強く、地沸付いて地景入る。刃文は直刃調に極僅かに広狭を見せ、鋩子は直ぐに丸く返る。
銘文の一部が判読出来ず□□としましたが、『於和州郡山筒井越中守輝邦入道紀充 延享三年八月日行年八十歳』で間違いないでしょう。
年紀を見るに亡くなる一年前の80歳時の作品で、奈良県登録であることから鑑ても解るように、長らく外に出る事無く、地元に伝え残されて来た紀充晩年作の貴重な一筋且つ名槍です。

裸身重量206グラム。