肥州河内守藤原正廣 ~特別保存刀剣鑑定書付き 内外共に価値在る一刀!~

肥州河内守藤原正廣
肥州河内守藤原正廣
– Hishu Kawachinokami Fujiwara Masahiro –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/380/00.html

二代正廣は初代正廣の子で、寛永四年に生まれ、初め佐伝次と称し、初銘を正永と切りました。
万治三年に武蔵大掾を受領し、翌寛文元年には武蔵守に転任。寛文五年二月五日、三十九歳の時に父、河内大掾正廣が歿すると、同年四月十三日には河内守に転じています。
正廣銘を襲名した時期については、口宣案に「武蔵守藤原正廣、冝任河内守」とあることから、おそらく初代正廣歿後すぐのことであろうと考えられ、元禄十二年、七十三歳で歿しています。
二代正廣の作柄は、直刃・乱れ刃ともにあって、父である初代正廣さながらですが、特に乱れ刃を得意とするも、直刃を焼かせても上手であり、初代正廣よりも直刃の作品が多く見られます。

この脇指は身幅が広く、重ねも厚目の堂々とした体配で、小板目肌が詰み、地沸が細かによくついた小糠鍛えに中直刃を焼き、匂が深く、沸がよくつき、砂流しかかり、金筋が入るなど、肥前刀の特色がよく表れた一口で、就中(なかんずく)直刃を得意とした本家の作を見るようであり、地刃共に健全で出来に優れ、附属の拵も保存状態が良く、緻密な彫金技術が駆使された仕事が良い金具が用いられ、拵だけでも一人歩きができる逸品。
特筆すべき疵欠点無く、地刃共に観賞になんら問題はございませんが、経年による拭いヒケが見られますので、余力ある方は化粧直し、或いは再度上研磨を施し、最高の状態で本刀の魅力を存分にご堪能頂きたく思います。更には拵にも保存刀装鑑定書をおつけ頂きまして、内外共に出世させ、後世に遺し伝えて頂けますとこの上ない幸いに存じます。

裸身重量640グラム。  拵に納めて鞘を払った重量887グラム。

肥前國住近江大掾藤原忠廣 ~保存状態抜群の海軍長剣拵付き~

肥前國住近江大掾藤原忠廣 ~保存状態抜群の海軍長剣拵付き~肥前國住近江大掾藤原忠廣
– Hizennokuni ju Omidaijo Fujiwara Tadahiro –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/689/00.html

小板目肌が良く練れて詰み、刃縁に添って淡く映り立つ地鉄に直刃調の刃を焼き、湾れ交え、足・葉入る。
附属の海軍長剣拵は保存状態抜群で未使用に近く、鞘は藍鮫巻きの研ぎ出しで、金具は今尚山吹色に輝いており、大日本帝国海軍の威光を今に伝える旧軍資料として非常に価値が高い逸品です。
※うぶ買い付け刀につき未鑑定。

裸身重量831グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,336グラム。

京都建勲神社船岡大祭

10月19日、京都にある建勲神社船岡大祭にて、古式砲術演武を奉納させていただき、長男友哉も初陣を飾らせて頂きました。
でも、初陣と言って良いのかどうかわかりません。
何故なら長男は4歳頃に既に鉄砲隊の愛知県遠征で既に参陣しているからです。
長男初陣
こんなに小さかった長男が…

長男と
今ではこんな体格に(写真左が長男友哉)

この日初めて火縄銃を撃つ長男。弾込めに手こずるため、初回の演武では三段撃ちには参加せず、二回目の演武でようやく三段撃ちに参加できました。
不発を出す事無く全弾撃てたので何より何より。


船岡大祭開催の儀。床机はバッテン向きではなく、正しく正面に向けて座す。


鉄砲足軽が一人もいない侍大将クラスばかりの鉄砲隊(笑


火縄に火をつけてもらう。古式にのっとり火打石を用いて… ではなく、文明の利器、100円ライターが活躍する。


演武の解説にも文明の利器、マイクが活躍する。相馬野馬追のように士言葉の大きな声で解説したいところだ。


この日一発目の発射準備。


火蓋を切る。


私も息子も鎧通しを帯びていない。何故なら… 所望されるお客様にお譲りしてしまったからだ(苦笑


火がついた火縄をてにする長男の姿は、何故か煙草をふかしているヤンキーにしか見えない… と思うのは私だけだろうか(笑


礼は腰を曲げるのではない。軸を保ったまま頭が下がるように身体を捌くものだ。


記録係として同行した美術刀剣 刀心スタッフS君。


長男… 一応立派な若武者だ(笑


銃床に革覆を装着していない者は、火縄銃と言えども銃床を地につけない。これ、当たり前のことです。戦国時代の戦場でならいざ知らず、今の時代に杖太刀ならぬ杖銃?…ありえない(ガリレオ湯川教授


初陣?を記念して長男による単独演武。

鶴田吉國造 明治元辰十二月日 ~上研磨し上がったばかり~

鶴田吉國造 明治元辰十二月日 ~上研磨し上がったばかり~
鶴田吉國造 明治元辰十二月日
– Tsuruta Yoshikuni –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/688/00.html

鶴田吉國に関する手元資料乏しいため、作柄についてのみ記述致します。
この刀は元は二尺三寸五分から四寸程の長さで中心尻に控え目釘を穿っていたようですが、鍛えられてから割りと早い時代に区送りされ、現状の刃長になっています。その際控え目釘も新たに穿かれたようで、旧所有者の武に対する思い入れが感じられます。
無地肌になりがちな新々刀期の作品が多い中、小板目肌が肌立ち、淡く白気映りごころが立つなど、古雅な雰囲気を漂わせ、匂口明るく冴えた互ノ目乱れを焼き上げています。刃中には砂流や足が見られ、互ノ目の頭が割れた物、尖りごころの刃も交えています。

附属の拵は堅牢なる焦茶色の石目塗りで、縁頭と鐺は桜花図肥後象嵌の逸品。更には鐔まで肥後に拘った纏まりある肥後拵で気品に満ちた作となっています。柄巻きは裏革巻です。
※刃区から2~3ミリ上がったところに2ミリ程度の小さな刃切が見られます。はばきで隠れる場所であることと、少し区を送れば除去できることから、刃切問題無しとの日本美術刀剣保存協会の判断により、保存刀剣鑑定書が交付されました。(保存刀剣審査当店受審)

尚、この刀は当店にて上研磨を施しました。研磨代だけでも相当な金額がかかっておりますので、それらを考えると表記価格はかなりお安くお得です。どうぞ前向きにご検討下さい。

裸身重量797グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,097グラム。

備前長船住横山祐包 慶應元年八月日 友成五十八代(以下切) ~拵入り~

備前長船住横山祐包 慶應元年八月日 友成五十八代(以下切) ~拵入り~

– Bizen Osafune ju Yokoyama Sukekane –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/687/00.html

友成五十八代孫と銘する横山祐包は、祐盛の養子で、加賀介祐永と共に新々刀期の備前刀を代表する刀工として著名。作風は小板目肌よく詰んだ鍛えに、刃文は匂出来で匂口の締まった華やかな丁子乱れを得意としていますが、穏やかな直刃の作も見受けられ、年紀を切った作品は天保六年頃から明治五年まで経眼されます。

この刀は重ね厚く、小板目よく詰んだ肌に匂い本位の明るく冴えた直刃を焼き、鼠足を交えています。銘の上を軽く擦られており、若干底銘気味ですが、特筆すべき鍛錬疵は無く、価格的にもお楽しみ頂ける一刀です。はばきが長いので、実質二尺四寸の刀としてお使い頂けます。
尚、気まぐれで安価表示しておりますので、気分次第で現在の表記価格より値上げする可能性がございます。お求め易い低価格表示のうちにお求め下さい。

裸身重量864グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,119グラム。

守光 ~うぶ在銘備前古刀が破格値!!~

守光 ~うぶ在銘備前古刀が破格値!!~守光
– Morimitsu –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/686/00.html

室町前期永享頃に活躍した備前の小反り系鍛冶、三代守光と思しき一刀です。
うぶ中心在銘で姿も良く、江戸期に中心の反りを伏せ、斬り易い姿に手を加えられています。中心反りを後世に伏せることで、全体の反りを調整する方法は古来よりよく行われていることですので、欠点には入りませんからご安心頂いて結構ですが、惜しいかな所々に深い錆があります。
砥ぎで押し切れば、かろうじて匂口を残しつつ仕上げなおすことができるやもしれませんが、前にこの守光を手がけた研師は、元の姿を残すことを選択し、敢えて深錆を残したまま仕上げたようです。そのため深錆の影響により刃毀れ状になっている所が数箇所ございます。
杢目錬れた地鉄には淡く乱れ映りが立ち、うぶ在銘古刀として資料価値高い一刀ではありますが、美術刀剣の世界での評価はどうしても低くならざるを得ません。今回破格値で御案内致しますのは、この一刀をぞんざいに扱わず、将来的にしっかりとした工作を施していただきたいがためです。
うぶ在銘の備前古刀をお探しの方、また、居合形稽古用に手持ちバランス最上の一振をお探しの方、是非この守光刀をご検討下さい。

附属の拵は江戸期の古いもので、鞘は痛みなく保存状態は良好。鐔は長正(花押)の在銘品。柄は後補のため刀身は柄に対して刃寄りになっていますが、そのままお使い頂くことが可能です。鞘と柄のズレを気にされる場合は、有償になってしまいますが、当店にてしっかりと柄の調整をさせていただきますのでお気軽に御相談下さい。※工賃は2万円程です。

裸身重量557グラム。  拵に納めて鞘を払った重量833グラム。

昨夜の大阪北道場定例稽古の様子

動画をご覧頂き、ご興味を持たれましたら幸いに存じます。

ふにゃふにゃのスポンジ剣で相手を倒す! これが修心流居合術兵法だ!!

ここのところネチネチとネットにこう書かれます。

「英信流の免許皆伝を得たわけでもないのに勝手に無双直伝英信流町井派を名乗っていた。」
「他流を批判するくせにフルーツやBB弾を斬るのはOKなのか?」
「英信流の和術(体術)は一切習得していないんでしょ?」

以前にも記しましたが、現代の英信流(連盟居合)には何の価値も見出せません。もはや武術ではなく、ただの形競技スポーツですから。
その形競技ですら本物の形が出来る人は皆無と言って良いでしょう。

己がこの人は!と思える人物、技量の持ち主がいない以上、現代英信流を修業する価値は無い。そう判断したからこそ私は守破離の離に達し、己自身で業を磨いてきました。

今回ご紹介するのは昨夜の大阪北道場での稽古の様子です。
柳原の希望で居合柔術の稽古に終始しました。
その中で相手の軸を奪うと言う事がどれだけ大切なことなのかを教授すべく、ふとした思いつきから子供のチャンバラ用玩具であるスポンジ剣を使って相手を倒すという稽古を行ったものです。

力で攻めればスポンジ剣は撓るだけ、或いは中に入っている細い樹脂の芯が折れてしまいますが、正しく身体を捌き、刃筋を立てることができていればあら不思議。ふにゃふにゃのスポンジ剣すら立派な得物となるのです。

修心流居合術兵法ではこうした身体捌きを学べます。

嫌な奴

私は天心流兵法と名乗る団体に対し、その系譜の信憑性や三つ葉葵紋と柳生笠紋の盗用、初心者や外国人に誤解を与えかねない刀剣所作などについて、批判を繰り返している。
逆の立場になって考えれば、私の言動は辛辣であり、とても嫌な奴であると思う。
因果応報と言う言葉があるように、人に対して行ったことは自分にも返って来る。
当然ながら私自身も天心流関係者と思しき者から嫌がらせを受けている。
これに対しては自ら噛み付かれる言動をしたため致し方ないものと腹は括っているが、いやはや疲れるばかり。

勘違いして欲しくないのは、私が天心流兵法や中村氏、鍬海氏を嫌い、憎んで批判をしているわけではないということだ。
全ては深すぎる愛刀精神と、日本武術史に対する思いからである。

柳生のブランドには憧れる者が多いためか、実は柳生の系統を騙る系譜捏造が疑わしき団体は他にも存在する。
柳生に限らず槍術や体術の流派にも系譜が怪しいものを私は知っている。
過去、とある団体に関しては、語学堪能なる知人を頼り、その系譜が捏造されたものであると海外において発表したことがある。余計なお節介なのは百も承知だが、日本の古流武術だと信じて稽古している海外の方に、事実を知らせる必要性を感じたからだ。

天心流に関し、過去のブログ記事にも記述したが、私はネットで知り合った方が居合・剣術の道場を探されている際、天心流にお世話になろうと思うとの報告を受けた時、それを反対することはしなかった。むしろ、たまにしか稽古に出れないがためにモチベーションが下がってしまうよりは、近くで頻繫に通える道場を選ぶのも方法の一つだと答え、天心流に入門するのもよかろうと答えた。ただ、彼らが発信する情報全てを鵜呑みにするのではなく、しっかりと咀嚼する必要性があることだけは覚えておいた方が良いとアドバイスした。

天心流の技法に関しては、私が求めるものとは路線が異なるため、私がとやかく言うべきことでもないが、これまで培ってきた経験から言うと、武術色が濃い殺陣であり、武術そのものとは言いがたいと私個人は考えている。
その根拠としては刀の構造、物理的な現象を理解できていないからで、私は空想世界での剣術のように感じられて仕方がない。

柳生の系統を騙る道場で真摯に汗を流す知人がいるため、これは書くか書くまいか非常に悩んだのだが、私はとある柳生系統と騙る団体と天心流が、元は同じところの出自ではないかと考えられてならないのだ。共通点が非常に多い。
知人に遠慮してその団体の名は出さないが、その団体の出自は柳生新陰流の使い手を演じる映画や時代劇の中で、とある殺陣師が創作したとされるものである。天心流兵法のサイトはご都合よく改編されているので、今ではその記述も写真も削除されているかもしれないが、私の記憶が確かなら、写真付きで天心流兵法が時代劇と関わりがあったとする記述があったように思う。
天心流と名を伏せるもう一つの団体(以降便宜上団体Aと呼称する)に共通点が多く、また、刀をぞんざいに扱う様子にも疑問を感じた私は、名古屋で柳生新陰流を教授されておられる加藤先生の門弟さんにいくつか質問をしたのだが、天心流と団体Aが行っている所作に対し、柳生新陰流ではそのような所作は行わないと、ハッキリ否定される言葉が返ってきた。

本家柳生新陰流では行わない所作を天心流と団体Aは当然のように行っている。それがどの所作なのかはここでは割愛するが、この二団体の出自が時代劇の殺陣師創作の流儀なら、天心流が発信する情報に関しても合点納得いくものが多い。

当然の所作のように天心流が言うところの杖太刀の所作をとる三船敏郎氏。

レッド・サンという映画の中では刀(太刀)をそれはそれは大層に扱っていた三船敏郎氏も、撮影の休憩時には下写真の有様だ。

今では大量生産品の模擬刀等が小道具として使われているが、数十年前までは刀身を竹光に差し替えた本物の日本刀の拵が映画・時代劇小道具として使われていた。
黒澤映画ではシルエットにも拘った黒澤明監督が、本物の甲冑と刀装具を撮影に用いている。京都に在る小道具会社「高津商会」では、そうした映画小道具として使ってきた武具甲冑が多数収蔵されており、中には重要文化財に指定されているものもある。

映画や時代劇に携わったことがある私は、現場での武具甲冑の取扱を見て驚きを隠せなかった。映画関係者にとって刀は魂ではなく、あくまで小道具に過ぎない扱いなのだ。だから平気で跨ぐし、故意ではないにしろ蹴飛ばしてしまったりもする。他分野のことでもあるし、私はギャラを貰ってその場にいる立場上、それらの行動を諌めることは憚ったが、とあるADが私が貸し出した真剣を跨いだ時には、撮影監督に「あれは小道具ではありません。武士の魂です。」と、そのADに謝罪させるようお願いしたことがあります。
と、まぁ撮影現場はこんな様子ですから、上に紹介した三船敏郎さんの写真にも、刀に対する思い入れは感じられません。役を演じている中で監督の指示通りに杖太刀をしているわけではない休憩時の写真がそれを物語っています。
三船さんの職業は武士ではなく役者であり、役者にとって真剣・竹光に拘らず、刀はあくまで小道具なのですから…

水月塾のブログに於いて、綿密な調査によって系譜に誤りを示唆された天心流兵法。江戸時代に存在したとされる天心流とのつながりを証明するものは現在のところ何一つありません。伝書類はその価値を知らない石井家の縁者?が全て焼却処分にした等都合が良すぎます。
時代劇や時代物の映画がお好きな方、また、天心流贔屓の方、古い古い時代劇や映画をご覧になると、どこかで見覚えがある所作が劇中に発見できるかもしれませんよ。※剣術に限らず槍術にも注意

最後にもう一度記述します。

私は天心流兵法なる団体が憎いとか、中村氏や鍬海氏が嫌いだとか、ましてや天心流兵法への嫉妬などから天心流兵法を批判しているわけではありません。
度が過ぎる過大広告や、素人・外国人に誤解を与える情報の発信、刀をぞんざいに扱う所作の動画と、なんの証拠も根拠も無き逸話の公開を自粛し、将軍家から使用許可を得たわけでもなき三つ葉葵紋と柳生笠紋の盗用、江戸柳生や宝蔵院の名を騙る行為を謹んでもらえれば、私はネチネチと批判し続けることはしません。
と言いますか、そろそろ天心流兵法批判から私を卒業させてはいただけませんかね? 正直疲れているんです。正論説いても理解しようとしないどころか、ネットで嫌がらせしかしてこない天心流兵法関係者との小競り合いに(苦笑

本部道場定例稽古 2017.10.12 ~袈裟崩~


何も解説は致しませんが、動画から何かを感じ取って頂けると嬉しく思います。